<映画>私生活の闇は工房のコミュニティー力で溶けた、完成した赤いドレスは皆の情熱混じりの「血」の象徴のよう【1530】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

久しく観ていなかったファッション関連の映画。

このたび、毎度の「日本経済新聞:夕刊」の「シネマ万華鏡」にてご紹介があった「ダイヤモンド 私たちの工房」を映画鑑賞した記録です。

タイトルの「ダイヤモンド」はいったい何を指しているのか。。そんなことも鑑賞後の実感として綴ってまいりたいと思います。

時は1970年代のイタリアローマの衣装工房にて。。人々が集まることで生まれる統一感やパワーの個への良き影響

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舞台は今から50年以上も前の、1970年代のイタリアローマのとある衣装工房。

共同経営者の2人は姉妹でこの映画では「主演」は姉の方、「お針子」と呼ばれる衣装を縫製する従業員の人物像それぞれにもスポットが当たります。

YouTube内では、鑑賞者である私が3つピックアップしたポイントをお伝えしました。

当ブログ記事でも同じポイントを、ショート動画内でお話し切れなかった点を加えながら解説したいと思います。

現時点でもまだ上映中にあり、こういった発信は「ネタバレ」問題に配慮する必要もあると思いました。

詳しくは、実際に映画をご鑑賞いただくことでよろしくお願いしたいと思います。

①映画館で観るメリット

よく映画館では「臨場感」が得られるというのも、よくアクション物などで言われることです。

このたびの映画の場合は、気持ちの面での「臨場感」「エンパス現象」のようなものが感じられると思います。

平日で人もまばらな中で、1つ離れた席の方は滝のように泣いておられました。

②音楽の重厚感が意味するもの

音楽の種類としてはかなり古典的な民謡色あるメロディーだと感じたのですが、弦楽器の憂いある響きは、明るい場面でも使われていたことが意外です。

このギャップの意味するところを考えてみますと、一人一人のメンバー(経営者2人も含めて)が持つ私生活の事情にある闇なる部分の重みのようだと感じました。

明るくても闇の部分は誰でも持っている、現実そのままをまるごと受け止めるかのような包容力を持った音色です。

③コミュニティーの存在意義

それぞれの私生活での事情を抱える者達が、一致団結して1点の衣装を完成させたその真っ赤なドレスの「赤」は、脈々と波打つ「血」のようであると感じます。

1つの方向にまっすぐ向かう覚悟と気迫。。工房の良き空気感はやがて私生活の闇を解決していったのです。

タイトルの「ダイヤモンド」は、工房の発展・携わる人間達の精神の成長の姿を「輝き」として表現されているように感じました。

あとがき

映画の冒頭は、現代を写していて、監督が出演女優達と食事会をしている場面。

その女優の顔触れは、1970年代のお針子達に一致することにしびれます。

映画の中の監督がこの映画の監督「フェルザン・オーツペテク」様に似ていると思いました。

おそらく監督本人が冒頭で出演されているということで間違いないようです。

ここからは妄想になってしまいますが、あくまでも「そうあってほしい」という願望もあります↓。

1970年代の工房の「お針子」の5歳の男の子、50年後の未来の監督様本人なのではないかと(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

1つのことを一生続けていくことができる喜びこそが拠り所、過去の身内の短い生涯を代わりに引き受けた長寿に伴う使命【1526】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

拝読の「日本経済新聞」の日曜版は美術のコーナーが広く設けられ、作品が紹介・解説されています。

広々と2面を2ページ分占有のこのコーナーは1つの「贅:ぜい」であり、美術館に足を運んだかのような感覚を味わえます。

絵の掲載と同時に画家様のエッセイ本も紹介されていたことがきっかけの、「103歳になってわかったこと:篠田桃紅 著」を拝読。

美術家でありながら、エッセイストでもある方です。

この本の出版を背の部分で見ますと、2015年で103歳当時の発行。

その後107歳まで長くこの世で活動されました。

このたびは、後で貼りますYouTubeのショート動画とは別の切り口「使命」について綴りたいと思います。

100歳越えの方はどんなことを目標にしどんなことを考えているのか。。長寿時代の一人一人がとことん己の特性を知っておく

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この世に生を授かった者は、ここで懸命に日々を歩んでいくというそもそもの意味があると思います。

最後の方でそんなクライマックスと共にこの本を読み終わりました。

戦争の時代にも接触されていますことや、なぜか兄弟などの身内を若くして亡くしていらっしゃる方なのです。

一人ここまで残った意味は。。途中危ない生命の危機にも遭われたとのことですが、それでも結果100歳越えの長寿の意味があったと思うのです。

第3社が到底分かることではないのですが、想像の範囲では他の若くして終わってしまった身内の人生の分のパワーを受け継ぎ本人が代わって生きたというような意味を感じます。

今後医学も更なる発展を遂げながら、より長寿を全うできる可能性が高まります。

長寿に伴って、心身も健康であることが附帯するべき、どんなことも長く先を見据えた対処の仕方は大切な姿勢なのではないかと考えます。

「100歳まで生きたい」などと周りに豪語していたかつて20-30代頃の記憶があります。

ただ、そう言葉では言っていたものの、実際に現実としては粛々と整ったルーティーンを意識しなければ「心身の健康」を年齢に附帯させられないことも後に感じています。

印象的だったのは「やらされ感」が著者様には微塵もなかった、ただ自分の意志を自分がしっかり理解し良い意味の「我儘」な生き方がのびのびと出来た結果だと思うのです。

あとがき

この本に影響されたという感覚よりも、ここ近年の自分のスタイルにも共感するようなピンとくる部分があったという感覚でした。

何十年も何かの道を究めながら、発展させていくことが結果「生涯続けたこと」になるのかもしれません。

自分が心底考える「望み・願い・夢」は、現実的に実行する方向へ必ずこの世で着手するべきで、それこそがこの世に存在している意義なのではないかと思います。

100歳越えでもなお美しかった著者様、時代の動向にも振り回されないしっかりとした太く頑丈な軸を持っていたことがこの長い長い人生を全うしたという結果をもたらしたと言えます(^-^)。

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あっさりと触る程度の頼りない知識のみでは自分の考えすら起こらない。。事実に基づく確かな写真と共に地球の現状を知る【1525】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「NATIONAL GEOGRAPHIC:ナショナルジオグラフィック:日本版-2025年2月号:田中祐子 発行人」を拝読。

近年非常に人気の雑誌であり、アナログ盤の雑誌と共にデジタルの側面にも早期に着手されているようです。

今、YouTubeチャンネルを拝見すると2006年からすでにチャンネルを開設されていた「アーリーアダプター」でいらっしゃいました。

趣味嗜好になりますが、読み物はデジタルよりも紙のあのページをめくる瞬間があった方が良いと新聞や雑誌はアナログです。

初めてこの雑誌を手にした理由は、新聞で紹介されていたその表紙に惹かれたことがきっかけ。

人類の祖先なる模型に色が塗られ、よりリアルなイメージで「デニソワ人」の存在を知ったことでした。

「地理学」に特化した雑誌「NATIONAL GEOGRAPHIC」、これまでの知識と比較しながら現在の新発見や新知識が知れた

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表紙の「デニソワ人」の内容は前半、後半は汚染の問題や蟻(あり)の生態についてのレポートでした。

「デニソワ人」に関しては、絶滅種の1種ですが、表紙の画像はほぼ現在の人間に近く、「こんな顔の人いた!」というように、我々アジア人にも馴染みあるお顔なのです。

名前の由来は、「シベリアのデニソワ洞窟」で見つかったということから。

日本人の中の遺伝子にも部分的にはそのルーツがあるようですが、その表紙を見た時に「馴染みあるお顔」と思った印象に重なります。

後半では、蟻の生態が研究されていました。

蟻塚(ありづか)の構造は、まるで地下都市のよう。

小さな生き物が安全に暮らし社会を作っているかのような部分に、ちゃんと考えを持ち使命を持って全力で行動しているのだなと。

ただ働きづくめということもなく、「働かない蟻」という存在も出てきている進化は、多様な人間と何ら変わらない性質である発見。

あのように、塚の内部に外から見えないお部屋が作られることは、「地底」の安全さを教えてくれているかのようで興味深いところでした。

あとがき

特に我々昭和生まれの年代は、教科書で得られる知識をベースにしてきましたが、今後は本当にすべて深い部分まで知る実直な情報はより大切になっていくと思います。

この雑誌の人気は、人々が本当のことを知りたい・受け入れたいという気持ちの表れなのではないかと。

まずは事実を正確に知るというところからが始まり、そうして確かな自分の考えを持っていけると思います。

「こういうことが起こっている」という現状のアウトプットのみでも十分に意味があるということです(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

週に一度だけ10分程度の自主的な「時事英語」の勉強、資格や仕事にさえ縛られない趣味のひとときの味わいと継続【1519】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「日本経済新聞」の一読者として、かれこれ15年くらいの暦になるかと思います。

夕刊が@¥50の時代に毎日駅の無店舗販売で購入したのが一番最初だったかと。。

やがて、駅の無店舗販売が無くなってしまいました。

次にコンビニで購入する期間も少しありましたが、売り切れで確実に入手できない悩みが起こりました。

そんなタイミングで新聞屋様からの別の新聞への営業がたまたまあり、この新聞ならと契約した経緯がありました。

このたびは、「日本経済新聞:夕刊」の週に一度掲載のコーナー「Set Up English」のほんの15分程度の音読タスクを毎週行っているというルーティーンのお話です。

時事英語は一見難しそうですが、今やカタカナ表記のビジネス用語などが時事英語に続出、慣れてしまえば見慣れた単語が増え、なかなか身近な情報媒体になると思います。

では、毎週土曜日の夕刊の1記事「Set Up English」のコーナーの勉強方法をお伝えし、ほんの短い時間のルーティーンがもたらす成果なども併せてお伝えできればと思います。

紙ベースの新聞のわずかな1コラムで15分程度の勉強、気楽に趣味的に音読する時事ネタの吸収と英単語の学び

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では、いつもの勉強の様子を細かくお伝えしてまいります。

週に一度の時事英語の勉強を趣味的に15分程度行っている日経新聞夕刊の「Set Up English」のコーナー
時事英語の勉強の新聞の記事:「Set Up English」というコーナーで、2026年現在は土曜日の夕刊(以前は水曜日)。

最初に、右の「対訳」に一通り目を通しまして、記事全体の内容をざっくりとつかみイメージします。

次に、「対訳」の中の①から始まるだいたい⑩くらいまでの英単語やフレーズの太字だけを読み上げます。

この時に、よくリスニングで良いとされているやり方を取り入れます。

最初に日本語の単語を日本語のままはっきりと発音、自分の声の日本語を聞き取ることをします。

その後すぐに、同じ番号の左側の英語を発音します。

これを番号順に最後まで同じように行っていきますが、特にここで英単語を暗記するような労力を使いません。

集中はしますが、ふんわりと流れるように勧めていくところもポイントです。

さて、次は1フレーズずつ区切りながら、先ほどの単語と同じように、先に日本語を音読、その直後に左側の該当の英語部分を音読することを交互に行っていきます。

最後まで音読が済んだら、今度はもう一度英語の文章のみを最初から最後まで音読します。

そして、ここで一番最後のピックアップされたフレーズの説明欄を黙読し、その中に挙げられている英語部分を音読しながら黙読を進めます。

そして、最後にもう一度最初から最後まで記事の文章をタイトルからスタートして音読します。

こうしてこの勉強を終了しますとだいたい15分程度。

特に暗記をするなどということはせず、もしかして単語の意味を忘れてしまっても気にしません。

ただ、読み方の分からない英単語に関しては、「Google」様の発音検索で正しい発音をこの場で聞いておくことをしています。

時事英語の良さは、再び別の記事でも同じ単語が次々に登場する確率が高いことにあると考えます。

この成果を試験などではかる気持ちはありません、あくまでも趣味として行っていることなのです。

次に貼りますYouTube動画で過去に一度投稿した拙い英語の【79】(2019.10.24投稿)に比較して、随分スピードも上がり英単語同士が繋がってきた体感があります。

あとがき

これが「自由」をすべての事に対して重んじる者のちょっとした勉強方法です。

勉強などと言う堅苦しいものでもなく、趣味的な要素が高いところも重要です。

こうして、何の躓きも無く新聞を読むことのルーティーンに伴って、おそらく今後も続けていくことができると思います。

紙ベースはバサバサ音がするとかコンパクトなデジタルの方が良いなど趣味嗜好の違いはありますが、なぜか本と新聞は紙ベースの紙を指先でめくる一瞬も含めて好んでいます(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

同じ血縁者同士が愛情や優しさを育くむ一族でありたい、途中の者・末裔は悪しき「宿命」を解消し正すチャンスと役割を持つ【1512】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「百年の孤独:ガブリエル・ガルシア=マルケス 著」を拝読。

後で貼りますYouTube動画の中では、

①人物の中のキーパーソン

②代々繰り返される同じような名前の理由

③登場人物一人一人の「孤独」は一家の宿命によるもの

という3つの切り口でお話しさせていただきました。

当ブログ記事では、せっかくの2つの媒体での発信であることを活かし、新しい3つの別の部分を切り口として綴ってまいります。

1)時々登場する先祖の亡霊の存在の意味するところ

2)一家の最後の者「アンカー」の使命

3)ぼんやりと小説を読むスタイルが結果完読へ

当ブログ記事では、小説の中の出来事を我々の日常に落とし込み、必ず誰もがどこかに属している家系の中の自分の役割を見直す機会になればと願います。

近頃先祖の存在をもう少し知りたいと、この10年以内に消滅してしまうと言われている江戸時代付近の明治時代にまで遡る「原戸籍:はらこせき」を入手したいと思い始めました。

そのような気持ちが、この本との出会いにリンクしたのだと思います。

どこかの一族に生まれた皆に当てはまること。。長い家系を作る初代の人の覚悟と責任・末裔の者の見直しや使命

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1)時々登場する先祖の亡霊の存在の意味するところ

「マジックリアリズム」と呼ばれる、現実と非現実をミックスした手法がたくさん使われ、読み手を随分惑わせてくれるものです。

ただここには、この手法を通した本当の目的があると思うのです。

亡くなった先祖が日常の中に溶け込むように登場していることは、この世から亡くなってもなお過去に過ごした家に縛られ相変わらずな気持ちのままであることの表れ。

そして現在残された生きている者も、何ら亡くなった先祖と変わらぬ生ける屍のような姿であることも。

一方で冷静で地に足付けた者「ウルスラ・イグアラン」や人間離れした次元の高い者「レメディオス」の存在も重要。

一家を消滅までに向かわせた力は「負」の方が大きく働いてしまう傾向があるのでしょうか。

2)一家の最後の者「アンカー」の使命

決して年齢の順番ではないかもしれません、一家の最後の者はその後の子孫がいないことで当の本人が自覚するところとなります。

先祖代々永久に続いていくことのみを願っても、この少子高齢化のご時世には難しいこともあります。

最後の者は、先祖を敬いその存在を現実的な記録で確かめることも良いのではないかと思うのです。

お墓の存在の確認や戸籍の確認もその1つ、冒頭の「原戸籍」への興味はこのような背景から生きている者が可能な限り出来ることではないかと思ったのです。

「このような人がいたんだ」と写真で確認するだけでも、先祖に目を向けたということになると思います。

古いアルバム写真や記録などもこのデジタル時代にはかえって貴重なのかもしれません。

そして、現在高齢の家族に自分が知らない範囲のことをエピソードとして聞いておくというのも良いと思います。

そういったコミュニケーションは、「整理整頓」という物質的な行動にとどまらない重要な理解や深掘りだと思っています。

3)ぼんやりと小説を読むスタイルが結果完読へ

ところで、当「百年の孤独」は、以前に【1397】で投稿しました、「アブサロム、アブサロム!:ウィリアムフォークナー 著」からの影響を受けている作品とのこと。

大変驚いたのも、アメリカ文学の中からたった1つ選択した「アブサロム、アブサロム!」にそうとは知らず手にした「百年の孤独」が関連していたことです。

こうしたミラクルを大変嬉しく思いますし、今こうした分野に興味がある自分に寄ってきてくれたのかもしれません。

「アブサロム、アブサロム!」も同じく長編でしたし、むしろこちらの方が人物が複雑で分かりにくいような気がしました。

読む前に「よし、細かく理解するぞ!」と意気込んで力を入れて読んでしまうと、途中で脱落してしまう可能性があります。

それよりも、分かりにくい部分もそのまま「分かりにくいな」と受け入れながら、さらさらと流すように「ぼんやり」とした読み方の方が完読できます。

あとがき

初版は1967年のようなのですが、2024年に話題になっていた本で、きっかけは新聞での紹介。

図書館には当時は無かったので購入をしたものであり、の返却期限のある図書館の別の本の方を優先していたから読みかけになってしまったのです。

そして2026年、読みかけの本をすべて読んでいこうと決意しこのたび完読したという経緯です。

不思議な話とも決して言えません、誰にでも思い当たる心の奥底に眠る一家のストーリーは、家族の在り方などを見直すきっかけとなる本だと思います(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

自分らしさがちゃんと表現できているのも「無我」だからというユニークな矛盾、東洋哲学の教えは日常に落とし込めるもの【1508】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび「自分とか、ないから。:しんめいP 著」を拝読。

複数の東洋哲学の考え方の違いをひも解き、シンプルに面白くお伝えしてくれた本でした。

教科書などによる説明ではどこかぼやけた印象で、本質的な違いがどこなのかという分かりにくさをカバーしてくれるようなお役目に感謝。

お寺を巡り自らも修行に関わった著者様の行動も見逃してはなりません。

全ての人々のための教えと言っても良いと思う程、日常的であり普遍的なのです。

取り上げられた7名の哲学者それぞれに考え方の根本の違いがある点は、「7名の東洋哲学者のどの考えが好みですか」との投げかけをされています。

東洋哲学者ごとの考え方の違いを最も自分らしい言葉で紡ぎ出された説明、空っぽは存在感無しの無能ではない

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中身が空っぽな人間ではいけない。。と思いながら知識だけを詰め込むことは、結局は中身の無い人間なのかもしれないという矛盾。

反対に、「空:くう」こそ、その人らしさを最終的に作り上げるような教えであるこの矛盾がとてもユニーク。

不思議な点であるとは思いながらも、日常の「整理整頓」を考えてみると頷けます。

ビシッと整理整頓され、余計な物を極めてミニマムに配置したお部屋を作ることで、その後に見える世界が変わるというのは自らも体験しています。

仕事場であると、物品が溢れたごちゃごちゃしていたところから、「引っ越し」と共に物を最低限に持つ姿勢の意識改革も伴い、現在では随分違った仕事場になりました。

毎日目にする風景の影響はただの風景にとどまらず、なぜか考え方の変化や新しいアイデアをもたらします。

整理整頓によって空いた部分が生み出すパワーというのは、想像を超えてゆくほどの影響力があるのかもしれません。

常に、物理的にも精神的にもすっきりとしているという状態は、「整い」として近年意識していることです。

毎日のルーティーンである、掃除・エクササイズ・ウォーキング・読書は、おそらく「整い」に繋がるものになっているのではないかと。

この本の中の「空:くう」に、このような自らの日常を重ねてみると、上述の「矛盾」も矛盾ではないと思えてくるのです。

あとがき

この本の中で取り上げられている人物「空海」様・「達磨大師:だるまたいし」様・「老子」様・「荘子」様・「親鸞」様・「法然」様・「ブッダ」様など多くの方々も、元は神的存在ではなく人間であるということが重要。

様々な逸話は神がかった存在として伝説になってはいますが、同じ人間からの教えであるということが受け取り易さです。

日常のあらゆる出来事の中で引用されていて、1つの出来事に対して真っ只中で暴れまわり混乱し自分を見失うなどということなく、冷静に俯瞰して目の前の状況を受け止めたいです。

そんな時に、東洋哲学者様達の教えのフレーズを思い出すことで、後押しや説得のようなことが得られるという希望を持ちました(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

音楽の分野に拘らずすべての音楽をフラットに聴いてみる、その中の「ジャズ」は様々な媒体に溶け込む柔軟性が特徴【1506】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

YouTubeの「再生リスト」に好みの曲を集めて公開もしています。

たまたま我が再生リストをきっかけにYouTubeの視聴者様が新しい曲を知り、気に入ってくださることに少しでも貢献できています。

その拘りは、「ドラマチックなメロディー」にあり、様々な分野の音楽どこからでもとにかくドラマチックだと感じた私らしい選択になります。

民謡・ロック・演歌・ポップス・クラシック・ジャズ。。と分野は問いません。

そして、リリース年に関しても全く関係が無く、オリジナルが聴き辛い場合は、カバー曲のアレンジがより良ければそちらを選択することも。。

その様々な音楽分野の中で、「ジャズ」についての本をこのたび拝読。

「戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ :マイク・モラスキー 著」です。

日本文化を長年研究されてきた研究者様の一人です。

下に貼りますYouTube動画の中でも複数の項目別に初めて知ったことと今思うことを交えながらお話しました。

当ブログ記事では、特に自分がジャズという音楽に今後どう触れていきたいかを綴りたいと思います。

レコード時代だったからこその浸透、昭和の日本映画のサントラや1960年代隆盛のジャズ喫茶が証明してきた普遍性

YouTubeの中でお話したことを先にアップしてみます↓。

・ジャズの日本での浸透は、1950年代末期-1970年代

・そもそもジャズという音楽は何からの引用で生まれたのか

・現時点でジャズに対して思うことや願望

・ジャズが部分的に取り入れられた進化した音楽

・映画の中にもサントラとして引用されるジャズ

・かつてあったジャズ喫茶の存在意義

・カフェの「有線」でかかる音楽に惹かれる時

もし、気になる話題があれば、下に貼ります動画をご視聴いただければと思います。

さて、当ブログ記事では、この中にはあまりお話していないことを盛り込みたいと思いました。

今現在の自分のジャズとの接触の実態を綴りたいと思います。

元のリズムがはっきりと土台にあるジャズは、音を載せやすい音楽だということがまず1つ。

現在は、やはり高尚な文化としてプロの活躍が目立つのも当然。

商業に利用されることで、演奏側と聴き手2極に分離しているのです。

「プロ」という地位があれば当然のことであり、どの音楽もコンサートやライブのスタイルは基本的に二極化なのです。

考えて見れば商業はすべて同じ、売主と買主があってこそ成り立つもの、音楽も商業化されているものなのだと改めて思うのです。

しかし、民謡が生まれた頃や舞踊音楽が出来た頃というのは、もっと人々により寄り添った日常の中で生まれ、商業とは分離していたのです。

だからこそ黎明期の音楽も大切、ジャズに限らず元音源が生み出された頃に近いものを現在何らかの形で聴く機会も非常に貴重ではないかと。

例えば、以前の投稿の【1505】にも関連するのですが、日本の演歌はメロディーの「5音階:ヨナ抜き=4と7の音を除外」によって悲哀の心情を表現するもの。

ちょっとした法則のようなものです。

ジャズも、古典的なジャズをずっと演奏してきた方の中には「このような音はジャズではない」などと、本格派ジャズとそれ以外を線引きしたい意向を感じる声も。

日本に浸透してからは、映画「酔いどれ天使」「嵐を呼ぶ男」「さらばモスクワ愚連隊」「黒い魔力」に馴染むように引用されました。

そして、1960年代に隆盛の「ジャズ喫茶」は、一般市民が訪れる喫茶店という日常的な場所にたくさんのレコードと共にジャズが存在していたという形態は振り返れば「文化」なのです。

ジャズコードを学ぼうとテキストを少し持ち始めたのが2025年。

まだ本格的には進めることができていませんが、コードを習得したいという願望を持ちました。

特にジャズの道に入ろうというものではありません、古典的なジャズをしてきた方にお叱りを受けてしまいます。

そうではなくて、自分らしいメロディーにジャズ的な自由な要素を盛り込み、エモーショナルな音楽を生み出せればとても素敵だと思うのです。

何か音をアウトプットしているのかに関しては、YouTubeのエンディング曲を自作しているところにとどまる現在ですが、この先の願望としては上述のようなコードの習得なのです。

あとがき

あくまで、「自分らしいジャズとの向き合い方」が大切。

ほんの僅かにジャズ的テイストが盛り込まれた音であっても、ジャズに触れているのです。

このように「引用」「盛り込み」ができる音楽である点こそ、ジャズらしさではないかと思うのです。

本当は、ジャズは日常的であり普遍的な音楽なのではないかとという風に思わざるを得ないというところにたどり着いたのです(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

昭和の歌謡曲の分類という見方はもっと後の時期、演歌の黎明期は明治で日本の民の心の吐露は情念として継承される【1505】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

紹介されている本を読んでみるということを時々しています。

データ的には複数の人が手に取ったであろうこと、その時期の情勢に見合った内容は、たとえ過去の古い本でも見直されることから乗ってみるものです。

図書館で借りるスタイルの者が、特設場所にあったいろいろな切り口の「文化」の集まりの本の中から手にした1冊です。

「創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史:輪島裕介 著」です。

音楽を浴びるように聴くことがあり、そのジャンルは問わないため世界中の音楽を「ドラマチックなメロディー」と感じたものに特化して集めるということをしています。

その中には、演歌寄りという印象の「夢芝居」「アカシアの雨がやむとき」を入れています。

この本を読む前は、「演歌」を「歌謡曲」のような分類として考えていたのですが、それも昭和生まれの自分の目線でしかなかったということになります。

日本生まれのメロディー音階の「演歌」、他国独自のそれぞれの音楽と同じく根底には「悲哀の情念」が込められていた

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かつては、「艶歌:えんか」という遊芸の場で歌われた歌として存在していた時期もあります。

当ブログ記事では、最後に貼りますYouTube動画ではお話していないことを綴りたいと思います。

反対にYouTube動画では、「流し」の存在や、現在の演歌歌手の方が古い歌を歌うことの意義などをお伝えしています。

そもそも演歌の最初の歌手は誰なの?ということについて。

明治時代の「自由民権運動」の頃、政治批判の意味合いの気持ちの吐露が最初。

「演歌師」と呼ばれる歌い手は、「添田唖蝉坊:そえだあぜんぼう」様の「ラッパ節」・「川上音二郎:かわかみおとじろう」様の「オッペケペー節」・「神長瞭月:かみながりょうげつ」様の「残月一声:ざんげついっせい」。

その歌詞の内容は「社会風刺」が色濃い、当時そのままの本音をアウトプットしたものだと思います。

戦後は、アメリカ的な文化が入り、ジャズ要素が入ることでこうした日本独自らしさで溢れる音楽が昭和時代の者が良く知る歌謡曲の中の演歌というようなテイストへ。

日本人に生まれた者として、ジャズ以前の演歌を一度は聴いておくと良いと思うのです。

かつては、どちらかというと演歌はやさぐれた低い位置付けの世間から撥ね退けられるような存在であったとも。。

なかなか文章のみでは曲のイメージが湧きにくいかもしれませんが、皆が知る「盆踊り」の音楽の世界観をイメージされると曲の要素が入り混じっています。

テレビ時代になった晩年に芸者時代そのままの名前で出演されていたことがある「市丸:いちまる」様や「神楽坂ハン子:かぐらざかはんこ」様。

戦後に新しい音楽が入ってきた時をまたぐ時期の方であり、「市丸」様の「三味線ブギウギ」は戦後の要素入りです。

ただ、日本髪結いの芸者姿は、「神楽坂ハン子」様の「芸者ワルツ」と並び、黎明期からの「演歌」の流れが入り混じる貴重な存在。

正確には、かつてはラジオでしか流れなかった過去の曲を、テレビが登場後にテレビ用の演出と共に歌われた映像を拝聴したのだと思います。

こうして演歌の元の姿を知ることで、1970年代以降のテレビを当たり前に見る時代に商業的な背景の現在に繋がる演歌とはかなり違っていたと思うわけです。

ただ、「進化」は自然な形、時代の流れと共にそのままのスタイルで残ることはないのでしょう、今の演歌のスタイルとの違いは進化の姿だと見ています。

歌の中の暗さは、世への失望と哀しみを歌った当時の心の内が存在している証。

商業主義的なヒット曲を目指す曲の生み出し方ではない、民の心をしっかりと刻んだ情念混じりの歌にこそある価値、そのような部分に探究を巡らせた著者様の拘りを感じます。

あとがき

冒頭の「アカシヤの雨がやむとき」は、後の歌手の複数の方々がカバーされた1つがきっかけで知りました。

古い曲は、もしかしたら忘れられてしまうのかもしれない、新しい形に発展させながらも色褪せないその歌詞と音源メロディーは歌い手によってどんどん引き継がれると良いです。

「なんでこんな古臭くて暗い歌なのに何度も聴いてしまうのだろう」。。決して太陽みたいに明るい淡々とした曲に引き付けられるばかりではないのです。

暗さは、その当時のその時の心情そのままが何十年も引き継がれてきた証。

かつてよりもはるかに裕福な現代では分からないことが、歌に残っているのです。

心のやり場の無さの表現の1つとして「歌」という文化の存在意義があるのだと思いました(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

かつて会話の中で話し手自身の言葉ではないことを感じ取った経験は確かな違和感、借り物のような言葉の扱いの不自然【1503】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「言葉の魂の哲学:古田徹也 著」を拝読。

こうしてブログ記事・YouTube動画・SNS投稿の発信者としての言葉選びに対する責任と意味を今一度確かめ直したいという気持ちがあって手にしたものです。

このたびは、本の中で述べられていた「違和感は受動的にやってくる」という点について実体験を交えながら綴ってまいりたいと思います。

共通の意味とされている言葉であっても、使うタイミングや位置など、それぞれのまたとない1点物のような存在であることこそ「自分の言葉」なのだということをお伝えできればと思います。

言葉の奥行きや文脈内の配置で背景や感情を感じる、発信する言葉に対する責任と言葉選びに対して改めて襟を正したい

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言うのは無料。。その場で言えるだけのことを言っておきたいなどと言う考え方は、言葉をぞんざいに扱っているかもしれないのです。

思い出すところ、過去の会話の中で「あれ?自分の言葉じゃないな。」と思った違和感がありました。

まさにこの「違和感」こそ、本の中で解説されていた「目に見えぬ存在があちらからやってきて、その言葉の相応しさを教えてくれる」ということに合致していました。

実際のその時の状況を思い出してみると、目には映らぬ背景がぼんやりと映し出され、その人物に他の人物が言ったことを反復して発していたと思えたのです。

一見分からないように、言葉自体は自分が発したような文法通りに構成されていました。

しかし、受け取った側はその正しい文法以上に背景が透けて見えてしまったという貴重なエピソードです。

つまり、「言葉」というのは著者様の表現の「多面体的構造」という様々な表情を持つということ。

言葉それ自体を越え、背景や過去の出来事までもうっすらと映し出すもの、これを「陰影」と表現されていました。

実際に体験した会話の中の「他の人の言葉ではないか」というのが陰影の部分、決して言葉そのものとして語られることなどなかった「裏」の部分がまるでストーリーのように分かってしまった出来事です。

そのようなことから、タイトルの「魂」が付記されている意味に対して納得。

実はそれほど本の中には「魂」という言葉は登場していませんが、1読者は受動的に受け取った違和感の正体がこんなとろにあるのではないかと受け取ったのです。

1つの言葉の中には、意味が複数あり、様々な状況に使えることが多いものです。

しかし、その複数の中の1つの意味として利用したとしても、言葉を使う背景や文脈は同じ言葉を同じ意味で使う他の人物とは別物なのではないでしょうか。

共通の言葉でありながらも、人間一人一人が違うように言葉もそれぞれ違った姿として映るもの、これこそ正しい使われ方がされたという証拠なのかもしれません。

あとがき

「言葉」は「日常にいとも自然な姿でその存在が無いかのごとく溶け込んでいる状態が望ましい使われ方をしている」ということも述べられていました。

ネットのカッコイイ言葉をあちこち拾い集めてくっつけたタスクが、いかに不自然で支離滅裂なのかは、おそらく「違和感」として読み手に影響を与えてしまうと思います。

小難しい哲学的な本のようにも捉えられてしまいがちですが、本当は最もシンプルなもので、「相応しい言葉を丁寧に選択しながら、自分の言葉で語ることの大切さ」を説いておられるのだと思います(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト

「因果応報」は善行の方の側面にもある言葉、目先の結果ばかりを追う動き方では難しい長期的スパンへの覚悟【1501】

アイキャッチ画像1501

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「生き方:稲盛和夫 著」を拝読。

以前の「稲盛和夫の実学 経営と会計:稲盛和夫 著」について【1435】で投稿させていただきました同じ著者様の本です。

口コミでも随分多く広まった本。。図書館で借りたものですが本の傷み具合からもよく分かりました。

このたびは、後で貼りますYouTube内の3項目以外の「因果応報:いんがおうほう」について綴りたいと思います。

この言葉は、「悪行はいずれつけのようなものの巻き返しに代わる」というような、悪い方の報いとして語られることが多いですが、実は善行の方の側面もあるのです。

「因果応報」をまさに受けているのではないかという誰かの姿が見えた時、他人事ではないと「慈悲」の目で静かに戒めとして見届けたいものです。

間違っても決して「当然だ」「今までの行動の報いだ」などと揶揄してはいけない、自分自身への戒めでもあるかもしれないと思うべきです。

商人の望ましい有り方が綴られていた。。「我欲」と対極の「利他」を持つことができることは発展や平和につながるもの

著者様は、後に「仏門」へ入られていました。

仏教が教えてくれる大切な言葉を腑に落とし、ビジネス分野にとどまらない人間の望ましい有り方を教えていただいた本なのです。

「長い目で見る」という言葉が好きであることを過去のブログ記事でも時々お伝えしてまいりました。

「因果応報」は、良い方も悪い方も実に長期スパンで起こることのようなのです。

よって、短期的な姿勢で答えばかりを常に追い求める行動では、探索に大半の時間を費やすので、かえって時間が足りなさ過ぎると言えるのではないかと。

長い時間をかけて実らせる「覚悟」は、そもそも持っていないといけないな。。と思っています。

商業というのは「利」を追求するものであるのに、近い意味の「我欲」だらけでは立ち行かない点が混乱と勘違いを起こしているかもしれません。

本の中でも何度も使われていた「利他的」は、肝に銘じておきたい大切な言葉でした。

そう考えると、「利益」が必ずしも事業者のみのものではないと言えます。

利益からの「寄付」などは、その理解しやすい一例なのではないでしょうか。

「利益」は皆の物、従業員や家族や寄付先に分配されることの意味が奥深いのです。

あとがき

こういうアウトプットは、耳が痛過ぎてあまり多くの方には見てもらえない内容みたいです(^_^;)。

それは、多くの方々が「我」に傾向している証ともとれます。

気持ちが良い程の透明感のあるこの本、あまりに耳が痛い話で、とてもじゃないけど向き合えない方もいらっしゃると思うのです。

ただ、これまで多くの方々が手にされた本なのですから、著者様の考え方に倣う一員になりたいですし増えると良いです。

こうしたことの「模倣」なら本当に良い意味での真似だと思うのです。

見かけのフレーズのカッコ良さやちょっとした小手先のテクを気軽に模倣する傾向が多いのは、まさに短期的なゴールを目指す行動。

あちこちそのような大変な調査をしなければならないのも、「軸」が無いからです。

それでも、そのような方に対しては「因果応報」を当てはめてその先の悪い未来を予想して蔑むことは控えねばなりません。

「軸」が無いことの苦しさはそれもそれで相当なものであり、自分なりの「哲学」を持って歩んでいけることを僅かばかりでも願ってあげなければいけないと思い直しました。

真似されて悔しい思いをされている方も多いと思いますが、たやすく模倣をする側も苦しい思いをしていることを、少しばかりの慈悲を持ってわずかながらも理解することです。

自分が足りなかった部分はこの部分、本の内容からはやや逸れましたが、悪い「因果応報」など誰にも本当は起こらない方が良いと思う気持ちを持っていきたいと思ったところです。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク