見た目からの想像とは違う、モンゴルの牧畜業の難しさの実態、改めて生きていくための食や自然の恩恵について考えた【1364】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

世界のいろいろな音楽を聴くことを時々してきました。

その中で、ラテンミュージックの明るく快活なメロディーやリズムがとても好み。

一方、あまり知られてはいないのかもしれませんが、山岳地帯のような場所で奏でられるシンプルながら深みと響きのある音楽も良いと思います。

その1つとして、「モンゴリアンミュージック」がここ最近注目している音楽です。

中国とロシアの間のあのモンゴルの山々や草原で響き渡るようなシンプルで美しいメロディーを是非一度聴いてみて下さいませ。

今回は、このモンゴルの音楽をきっかけに、新書の中で目に留まった本に興味を持ちました。

モンゴルの牧畜業の変遷と実態や課題について書かれた記録や資料的な本です。

「現代内モンゴル牧畜地域社会の実態 -民主改革から改革開放初期まで- :仁欽 著」。

著者様自身がモンゴルの牧畜業を営んでいた地域出身であり、その実態を深堀りして、資料や記録といった淡々とした文章から読み手にその実態を知らせようというスタイル。

特に考えや思いが述べられていることはありませんので、多少読みにくいとかなじみのないひたすら数字などの羅列のページもあるわけですが、音楽をきっかけにこの本にたどりついたご縁として投稿してみました。

遊牧業者達は、毎日動物とたわむれ自由な日々を送っているのだろうか

遊牧/移牧/放牧という少しずつ形態の違う牧畜業の中では、モンゴルが昔から行ってきた形態は「遊牧」であるそう。

つまり「遊牧民」と呼ばれる人々のスタイルの括りとなります。

これも、現在ではやはり大きく見ると衰退の一途をたどってきていると見られます。

ほとんどが首都のウランバートルに全体の2/3の人口が集中。

遊牧民の数というのはほんのわずかな貴重な人材です。

最初に私がこの資料的な本を読んで感じたことは、その自由で気ままなイメージとは真逆の実態があると見ました。

私なりの解釈になりますが、隣接する大陸ならではの事情もあるかと。

かつては中国の影響を受け、その政策によってきっちりと統制され区分され、縦割りがなされた組織的な活動になっているかと思えました。

見た目のイメージの広い敷地を自由に行き交うというものとは反対の、たくさんの法律によって決められた制限のある業態である牧畜業であったのではないかと自身の目には映っています。

そうはいっても、民主化という名目のもとに、これまで過去の課題を解決してきたという記録は確かにあります。

しかし、全体でみると本物の自由を手に入れたようなものではないと見て取れます。

この本のスポットが一番つらい時期(?):1950年代-1990年代後半に当てられていますので、またその後の変遷が現在も続いているかと思います。

また機会があれば、時期が現在とこの先を見越した近々の部分にスポットが当てられた内容の同じモンゴルの牧畜業に関する本も読みたいと思った次第です。

そんなことを思えたということだけでもこの本を手に取った意味はありました。

あとがき

ここからは、この本の中では書かれていなかった現在2023年の遊牧民の生活スタイルです↓。

現在、モンゴル国内の牧畜業に携わる遊牧民は、「1割強」程の数というほんのニッチなものになってしまった様子。

牧畜の動物達の羊とか馬などとてもかわいい表情をしておられます。

この地域では、ここから自分達の生活のためにお乳をいただき、時にはお肉をいただくことが生きるための食糧のルーツがくっきりとクリアで、有難くその恩恵にあずかっているというもの。

お肉は食べないなど「ビーガン」というスタイルが本当に現実的なものなのかということを考えるにあたっても貴重な実態だと思います。

他国の人々が日本には今だに「忍者」が居るとか、数十年前のネットがまだ普及していなかった時代では「侍:さむらい」も現存であると思っているようでした。

それほど他国の実態というのは分からないもので、表面のイメージしか分からないものであると。

せっかくの現在のネット社会であることもあり、本で読んだことを今度はピンポイント検索でネットとか動画で見てみるという活動もよろしいかと思います。

読書後の更なる探求は、より自身の中での読んだことの深堀りに役立ちそうです(^-^)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください