プロフィール

ようこそ(^-^)。ご訪問ありがとうございます。

私は、個人事業主のpicturesque(ピクチャレスクと申します。

このあだ名というかハンドルネームがブランド名であり、屋号です。ハンドメイドバッグ事業(「共有型のハンドメイドバッグ」)とレンタルジュエリー事業(「本物志向のレンタルジュエリー」)をしております。

すべて、私自身が「エックスサーバー」様をベースに、「ワードプレス」様というブログソフトウェアのコンビで作らせていただいた自作のホームページでございます。

まったく、WEB技術に疎く、WEB音痴。それでも自分のHPを作りたいからと、どうしてもやらねばならない状況になった時、とにかく必要最低限のことだけを調べながらの作業をしてお作りしました。

新規でホームページをご検討なさっている方、当時よりもワードプレスさんのリニューアルが進みもっと使いやすくなっていますので、間違いやすい方向を回避してくれることも増えているかと思いますのでいかがでしょうか。

両脇や空間がやけにスッキリしているのは、私はアフィリエイト事業をしている者ではないということです。

アフィリエイトもやはりそこに労力を費やして頑張らねばなりませんから、立派な事業だと考えています。

「実直な発信」ということを考えると深くは知らない商品を迂闊に語るというのも悩みが増えると考え、できそうもないと考えたのが正直なところです。

読んでみて!ピクチャレスクの仕事ストーリー

学生時代に文学部というところでイギリス文学とかアメリカ文学を学ぶことが中心の学科で英文を勉強した履歴を見て採用していただき、社会人スタートから7年程、アパレル業界の貿易事務の仕事をさせていただきました。

貿易事務というのは少々聞きなれない業務かもしれませんが、輸入業、輸出業をしている会社ならこれまでは、間違いなく存在する仕事でした。

今後は、AIが事務仕事の多くを担えば、事務専用の仕事としては消滅する可能性があり、それぞれの営業担当者さんがボタン1つで直接事務もするようなイメージが私の中にはあります。

けれども、その実務の形態を根っこの部分から学ぶことができて知っているというのはただただ整備された中で業務をこなすよりも深いと考えれば、これまで専門的に従事してきたことも決して無駄ではないと思います(^-^)。

遡れば、10代後半から入社前のアルバイトも、ファッション関係が多かった洋服好きです。スーパーの紳士服売り場、メンズショップのラフォックス、ジーンズショップのマックハウスと。

メンズが大半だったのは、偶然、たまたま募集していたお店がメンズショップだったご縁が連なった偶然。

メンズアイテムいは独自の素敵さがありました。

典型的というか当たり前の素敵さです。

就職時の勤め先もアパレル業界にこだわりました。

服、アクセサリー、バッグなどのファッション分野が10代の頃からとても好きであったからです。

ファッション関係というのは、唯一夢中になれるエネルギーを注ぎこめるような分野だったんです。

貿易事務の仕事は、一般的には、INVOICE作成、PACKING LIST作成、L/C開設、L/G発行依頼などです。

最初に勤めた会社が生地卸商で、その生地屋の片隅に、貿易をしている製品製造の部署がありました。

全海外生産の衣類をそのまま購入する形で輸入したり、委託加工と言って、日本製の生地と附属品を共にいったん輸出し、婦人物のコートやジャケットを中国で製造してもらい、製品となって輸入するという形態。

総合商社などの海外とのお取引に関わる企業の実務内容と同じようなことを洋服分野に特化した商社として行う形態です。

その製品部のカリスマ上司のもとでたくさんの生地達に囲まれながら、そして生地がとても好きな人達に囲まれながらのお仕事でした。

洋服の製品を海外で生産してもらうための納期管理、材料配分、出荷など日々忙しかった記憶です。

現在のハンドメイドバッグ作りで、素材を大切にしていて生地などの材料についても多くのお話をさせていただいているのは、この最初に勤めた会社の影響です。

2002年に会社が倒産し、すぐに派遣社員を別の業界である工業系の材料を扱う商社でお世話になり始めました。

が、しかし、仕事が恐ろしいぐらいに全く分からず3か月のみで退職(;’∀’)。

その翌年2003年に再びアパレル業界へ正社員で勤務。

職種は、今度は貿易事務ではなく、未経験の経理事務に就かせていただきました。

経理を学んでおきたいという気持ちが最初に勤めた会社に勤務するころからありました。

経験不足で不採用の中、「勤めながら学んでいけばよい」と経理未経験で採用してくださった有難い出会いがあり、その洋服の輸入業の会社で15年近く経理事務としてお世話になりました<m(__)m>。

勤めて数年の時に、独学で簿記2級を取得。簿記の勉強は、まだ仕事が少ない勤続年数が浅い時に帰宅後の時間を使い、毎日2時間ほどずつ勉強し、2度不合格の、3度目で晴れて合格という形でした(;’∀’)。

経理の仕事はというのは、簿記の技術を使います。

以前勤めた会社の営業事務とか貿易事務の仕事との違いは、1+1=2の世界だということ。

こちらもこちらで、数字がぴたりと合うことが仕事の結びになるという点で良いものです。

この経理事務の仕事は現在個人事業主になっての日々の計上や確定申告で非常に役立っています。

ただ、会計というのは、あくまで事業活動の記録のみ。ここからは、利益を生み出すことはありません。

よって、ここに時間を費やすのは意味がないです。効率化とか短縮というのは、必須の課題になります。

つまり、経理作業は短い時間でスムーズに終えて、大半の時間を事業の方にそそぐことです。

ブログの「事業」カテゴリーの中で経理事務の内容の記事もアップしていっていますので、アウトプットをして、同じ事業主様や、新規事業主様の経理事務がシンプルで分かりやすいスピーディーなものになるようお力になれればと思います。

その経理事務の仕事の帰宅後や休日を使って、2009年あたりからハンドメイドバッグ製作を独学し始めました。

最初は1枚仕立てのぺらっぺらのポーチやトートバッグをALL花柄で¥100即決。ヤフオクや楽天オークション(現ラクマ)で販売するところからのスタートでした。

ぺらっぺらながら、ぶら下がり式ポケットをいずれにも付けていました。

通帳サイズのぶら下がり式カードポケット付きのぺたんこポーチ、それにマチを付けたもの、ぶらさがりポケット付きのA4ペタンコトートバッグ、これらを、ポーチx50点、バッグx50点の合計100点程度ガンガン作っていったのが一番最初。

¥100ですから、そりゃあ完売です(^_^;)。同時に複数購入していただくことも多く、大変光栄ではありましたが、あくまで¥100。

印象に残っている有難いコメントは、柄が美しい、結構思ったよりしっかり作ってある、などです。

また、なかな鋭いご指摘としましては、1枚仕立てなのに、立体的なポーチを作っていたことから、もっと分厚くするべきだ、とのご意見。

薄くてふにゃふにゃだなあと分かってはいたものの、芯地を使った製作なんてとても難しく思えてよく分からなかったんです。

その後、とてもゆっくりなペースではありますが、生地に接着芯を貼り風合いを出して、更に加えて本体の中にハードな芯を入れ、立体的なバッグにしていき、少しずつ値段をそれ相応にしていきました。

そして、そこそこな値段である¥3,000あたりのバッグを作って、売るところまでが会社勤めの傍らでのステップでした。

こうして、まだまだ手芸の延長のようなバッグではありましたが、少し難しいブリーフケース型にしたり、パッチワークボーダーにするなどの特徴を加えて、私ならではのバッグテイストを製作に入れ込んでいきました。

この辺りからは、参考に持っていた基本的な手作りバッグの本はもう卒業。

自分ならではの作り方を考えていきました。

ヴィトンの10数万円のビジネスバッグを持つ働く女性からも仕事用の専用バッグをオーダーしていただいたこともあり、大変有難い経験となったこともありました。

しかし、その頃はまだまだ自信がないままのふらふらしたお取引だったと思います。

今思うと申し訳ないような仕立てだったかも。。

大きな転機は、2017年の年末です。経理事務を15年近く務めた会社を退職しました。

いずれ自分で仕事をしていきたい夢は最初に勤める会社の入社以前からは持ってはいましたが、随分年数と時間がかかってしまいました。

思えば、初めてYOUTUBEをスタートしたのが2016年の1月頭からで、退職を決める1年程前から何か気持ちの変化を持ち始めていたから、今まで目を向けていなかったような動画をアップして発信していくなんて新しいことを始めていたのかもしれませんね。

YOUTUBEのスタート時の動画は、画像の悪さと声のあまりの小ささで聞き取れず、現在では消してしまいましたが、90本ほどのジュエリーコーデの動画をアップしていました。

チャンネル名は、「アクセサリーの部屋」というもの。

ひょっとしてわずかに、現在も登録していただいている人の中でその頃から登録していただいている方がみえるのかもしれません。

ジュエリーをかなり凝った形でたくさん集めている中で、自分だけではなく人にもその良さ、素晴らしさを伝えたい、と思い始め、ちゃんと伝わる何かがないかなあと探していたところ、YOUTUBEが盛り上がり始めてきたんです。

勤め先では、仕事は大好きで、毎日やる気で挑んでいましたので、普通で考えたら何も問題ないとも言えます。

けれども2017年が決定的に大きく変化することへ背中を押された年だったと言えます。

本当に必要とされているのかどうかということ、最初浮き気味だったけどだんだんなじんできたなら良さそうなものの、逆にだんだん浮き気味になってきたんです。

退職する時期が来たということだったかと思いますね。

最後3年程は経理のキャリアを持った先輩(あんぱんまん風)に短い間で多くの事を惜しみなく教えていただき、技術的にたくさん吸収できたこともあり、もうやめても大丈夫かなということも思えたわけです。

「持っている知識や経験を秘蔵せずに、人に伝えていくことができる人」というのは結局は、人間的には優れていると私は考えます。

2017年の11月末に退職後は、退職の翌日から毎日ハンドメイドバッグを作り続けました。

12月末からネット上の先輩のような方(年齢は私よりはるかに若い人)を見つけ、その方の教材であれこれネット活動の全般にかかわることを勉強させていただきました。

それと並行して、今まで集めてきた大量の洋服をいったんフリマでとことん売却。

特にリーバイス501ジーンズはコレクションの50本程をすべて手放しました。

この心理が何か分かりませんでしたが、変化しようともがいていたのか、売上を作る練習だったのか。。

とにかくネット情報で会社員からの離脱に関する不安を解決しようといろいろ探った日々で、重く長く感じてしまいました。

そして、2018年2月頭に税務署様へ青色申告書を届け出ることで個人事業主スタートを切りました。

最初はハンドメイドバッグの技術もまだまだで、思うようにサクサク製作もできず、また、ブログなどのアップの時の不具合、やり方などWEBの質問を誰にすればいいかもわからず作業が途中で滞ることも。。

半年後くらいの2018年6月頃に、不安がはじけそうになり、一度気が狂いそうになったことも(~_~;)。。

その時にどうしたかって。。それは、どうしようもなくて、占いをしてもらったり、個人事業をしている社長さんみたいな人に相談したりもしました。

そして、大声で「うまくいかなーい」と言いまくる、相手にしてみれば大迷惑です(;’∀’)、

その狂いそうになったあたりをそのまま過ごして、月日が少し経過したころからです、最悪を乗り越えたということなのでしょうか、わずかにどっしりした気持ちが現れて、ハンドメイドバッグのテイストや素材を冷静に変えたりしていきました。

2019年には、いくつかオーダーメイド的な製作のご依頼を友人を通じたり親戚関係を通じたりしていただいて、大変勉強になる経験をさせていただいたり、いろんな生地でいろんなデザインを研究しながら作っていく日々を過ごしました。

そして、2020年春に、最初の会社の同僚からの声掛けによりコロナ禍のタイミングもありマスクの販売をさせてもらったり、これまでやったことのなかった、「量産品の卸売り」を1-2年経験させてもらいました。

さらに、集めてきたたくさんのジュエリーの活かし方を考え付いて、古物商免許取得とともに、2020年夏にレンタルジュエリーをスタートしたんです。

今、自分の思い描く事業活動を進めることができて、とても幸せでありがたいです。

あのまま会社に勤めて、ガツガツ(実は楽しんでいるのです)と働きながら「あの人いったい何をめざしているのだろう」などと陰で言われている日々を過ごしていたらと思うと、来るべき場所へ来たのだと納得しています。

今後あれこれ工夫しながら、険しい道のりながら、いずれしっかりと実り花咲くように頑張っていきますね。

もしよろしければ、YOUTUBEをチャンネル登録していただいたり、ブログに訪問していただいたりして、どうぞ応援をよろしくお願いしますね(^-^)。

picturesque(ピクチャレスク):名前-山田絵美 生年月日-1973年3月2日 血液型-O型