ポケットが付いていないならポーチを作ってお部屋を1つ追加する案【104】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

今回、<黒白ボーダーシリーズ>いうタイトルで、3点黒白ボーダーのバッグだけを作っていくという、細かな部分にスポットを当てたシリーズです。

とはいえ、黒白ボーダーは洋服でも、王道の柄。

今や当たり前というか、どこにでも散在するようなイメージかもしれません。

それほど、珍しい柄でもなく、広く行き渡って知られた柄で、黒白ボーダーのお洋服は日常着のイメージなのかな。

だからこそ、ひょっとすると逆に素敵な物を選びだすことが難しく、その点がセンスの見せどころである思う時があります。

黒白ボーダーでもいろいろなテイストに分かれていて、粗いピッチなのか、細かいピッチなのかなど、黒白ボーダーと的を絞ったようでも、さらにそこから細かく分かれています。

昔懐かしい1980年代に着た黒白ボーダーの洋服の記憶のイメージ

私も、その昔子供の頃に黒白ボーダーの洋服を着ていたことを覚えています。

2点ほど記憶にあるのですが、1つは、小学校の6年生あたりに、卒業の写真撮影用もあって、洋服を新調した時だったと思います。

なので、探せば、きっと写真は出てくると思うのですが、ノースリーブに胸にリボンが共布で付いていたドレスライクのもの。

小学生にしては大人っぽいノースリーブ。

黒白というよりチャコールグレー×生成でした。

そのノースリは、ニットでやわらかくて薄手の春夏素材。

そして、ボトムのスカートは裏地付きのかぎ針ニットのひざ丈スカート。

こちらが濃グレー。

ボーダーの濃グレーとスカートの色がマッチしていたかと記憶しています。

なんか思い出しているとその写真が見たくてワクワクしてきました。

もう1点は、中学生の頃だったかと思います。

半袖の黒白ボーダーなのですけれど、ボーダーのピッチが2cm巾ほどあるやや太め。

得にどこかのブランドということでもなかったと思いますが、着やすくて、合わせやすくて何度も着た記憶です。

ネックのラインのラッピングが、白い生地で行ってあったということが爽やかに見える1つの特徴であったかもしれません。

ボトムには、デニムのミニスカートを合わせていたかと思います。

ブルー色の薄い色のデニムが、黒白ボーダーとロックっぽいテイストでてっぱんコンビです♪。

という、私なりの黒白ボーダーのお洋服の思い出の記憶のお話でした。

このことが何らかこの度のボーダーのポーチ製作に影響しているのではと思い呼び起こしてみたエピソードです。

ポーチに手間をかけたパッチワークボーダーに仕立てる

もともと黒白パッチワークボーダーのみのボディーバッグを作ってありました。

その様子は、【101】の投稿でお伝えしました。

もともと<はぎれシリーズ>の一環として作ったものですから、ポケットが付いてなかったのです。

しかし、出来上がりがなかなか立派なものになったので、ポケットが無いことのフォローを兼ねて、セット物にしていこうと試みたのが今回のボーダーのポーチの追加です。

バッグの中で使用するポーチですが、サイズもたっぷりとあります。

左-黒白パッチワークボーダーボディーバッグ:<サイズ>縦21cmx横21/26cmx✖マチ10cm。
右-黒白パッチワークボーダーポーチ:<サイズ>縦19cmx横16cmxマチ無し。
<表地-黒と白>スポーツメッシュ、ナイロン/94%、ポリウレタン/6%、日本製。
<裏地-黒:バッグ用>ナイロンオックスはっ水加工、ナイロン/100%、日本製。
<裏地-グレー:ポーチ用>素材名不明、綿/100%、日本製。

バッグの中にポーチは一応入ります。

結構ここまで細かいパッチワークボーダーは手が込んであることになります。

先端の色に合わせたラッピングの色を選ぶことで柄の流れがスムーズに映ります。

端同士をオフと黒とで、ラッピング布を使い分けていますね。

あとがき

1980年代のお洋服のエピソードをたくさん書かせていただきましたのは、実はあそこに今回のヒントが入っているのではないかと感じているからです。

ボーダーの巾の違いを複数の黒白ボーダーでお洋服で着用体験済みであったということ。

粗い方をボディーバッグに、細かい方をポーチにという発想が出来たことが何かしら過去からヒントを得ていると思います。

また、小学生の時のノースリーブのセットアップのお洋服は、おそらく卒業のアルバムの撮影用に買ってもらったお洋服でドレスライクです。

そして、下に合わせたチャコールグレーのスカートがニット編みだったので、今回のニットの素材の凹凸感あるスポーツメッシュという生地を使ったボーダーという選択も何かしらそこにリンクしているかのようです。

小さいころの感覚というのは結構あなどれません。

何気なく見たもの、聞いたものこそかえって何十年も経過した今思い出すこともあるものです。

人の、「ひらめき」とか「発想」というのは、ここ最近の学びとか見地からだけではない、生まれてからここまで歩んできた道の途中にあったすべてのことに結びついたものであると思います。

そう考えると、これまでの長い時間は決して無駄ではないということです(^-^)。

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