宝石ブランド様が人知れず行ってきた陰に隠れた工夫は、他の追従をものともしないこだわりや個性にある【337】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「華麗なる宝石物語:桐生操 著」という本を拝読。

宝石にまつわるエピソード的な貴族の物語と、宝石ブランド様の創業秘話などを知りました。

この本から学べることは、「商品が広く知れ渡るための努力のようなもの」です。

どのブランド様も何もせずにただの運でトップの座に至ったわけでは決してないことが分かります。

現在の「成功」に至った軌跡の出発点が意外、最初から未来を予想して最も最短の方法で歩もうと念入りに計画されたものでは決してなかったということです。

長い長い歴史と歩みがあったことを知り、結局大切なことは何なのかを自身の言葉で綴りたいと思います。

それぞれのブランド様の成功の理由は何だったのか

前半部分の宝石にまつわる物語も非常に面白くて引き込まれて夢中になって読んでしまいました。

後半部分の宝石ブランド様の創業のきっかけや当時の様子などもとても興味深いストーリーでした。

特に後半では、現在でも固定ファンの多く付いた老舗宝石商様の成功の理由というものを知りました。

他の事業のヒントにも必ずなると思いましたのでその点に特に注目してみたいと思います。

まず、誰もが知っている「ティファニー」様。

創業は、骨董品や文房具を扱う小さな雑貨店からのスタートのようです。

とても意外です。

「ティファニー」社はアイデアというところにとても個性があったようです。

アイデアというのはデザインのアイデアではなく、商品を売り出して広めるためのアイデアです。

次は、「ヴァン・クリーフ&アーペル」様。

周囲が石を見せることに注視したアイテムを作っていたのに対し、デザインを主軸にすえたことが新しかったとのこと。

そして、「モーブッサン」様。

新しい時代でも伝統の重みを入れ込むが、伝統といっても古さを感じさせるものではない現代にマッチしたものという拘りを入れ込んでいるようです。

そして、「ハリーウィンストン」様。

石本来の美しさを活かすべく、石だけが見えるデザインを技術によって実現。

そして「ブルガリ」様。

いつでもどんな場所にでも付けていけるジュエリーを目指したということです。

それぞれのブランドには、特有の拘りや個性があるのです。

昔は、高貴な人のみが身に着けるものだったジュエリーが、こういったブランド様の多くが大衆に広まるように購入しやすくする工夫とか、日常的なジュエリーというものを考えていったからこそ今では身近に感じられるアイテムになることができたのだと思います。

もちろん、ブランド様によっては、高貴なイメージを保ちたいということであえて安く入手できるようなお品は提案していないところもあるのかもしれません。

だんだんと多くのブランドが伝統的な高級品のラインも保ちつつ、一部のラインとして、購入する人の層を広げるために日常的なジュエリーを提案してきているという時代の変化も含めた流れがあることは、もっと隅々まで名を知られる時期に来たのだということでしょう。

この広く知れ渡るということについては、どの事業にとってもヒントになることです。

「どこの誰もが知っている」ということこそがそのブランドの成功の証ということなのかなと思います。

あとがき

宝石を扱う「宝石商」である有名な宝石ブランド様達。

それぞれ独自の特徴を世の中へ広めることに成功した現在がみんながよく知るブランドであるということにつながった証。

「宝石」自体の美しさだけを頼みの綱としていることが決して見られない、自社で展開する工夫がありました。

ここから学べることは、どんな事業でも材料の質の良さとか取引先などに依存していることがいかにまだまだ足りない状態なのかが分かります。

独自の「身を粉にする」までの努力と研究や工夫とアイデアが「多くの人への広まり」を実現しているのです。

その1つには、時代の変化と共に共通する「庶民が持つジュエリー」というポイントだったわけです。

「本物志向のレンタルジュエリー」をさせていただいている自身が目指すところも、たとえ製造業者ではなくても自社ならではの努力と研究や工夫とアイデアが必要なのです。

レンタルは元は品物が存在しているわけですが、1つには「組み合わせのご提案」というところが独自の工夫になります。

セットになったジュエリーはpicturesque(ピクチャレスク)しかできないことであり、そこに強くこだわっています。

まだまだ思うように実現できてはいませんが、とても素晴らしい姿を見せてださいましたこのたびの本に感謝です<m(__)m>。

大ぶりな宝石を「飾り」として浮いた付け方をしてきた過去の風習の見直し、日本人が高めるべき「自分表現」の入り混じるジュエリーの装い【313】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

かつては「成金」「マダム」よろしく、キラキラのお洋服にギラギラと大ぶりなジュエリーを付けていた時代があり、それが日本のジュエリーの装い方の特徴でもあったようです。

確かにお品1点ずつはとても豪華で素晴らしいけれども、「なじむ」とか「溶け込む」というテイストとはかけ離れていたような、ある意味「浮いた」ものとして付けられていたイメージです。

一方、「ジュエリー大国」と呼ばれるイタリアでは、多くの人々が洋服になじむジュエリーの付けこなし方ができていて、おのおののテイストで自分にしかできない表現をされているとのことです。

このたび、「成熟へのジュエリー:光野桃 著/ジュエリースタイリスト:伊藤岬」という本を拝読。

まだまだジュエリーを「モノに出来ていない」であろう我々が、この先の伸び代として、ジュエリー含むお洋服との全体コーデに「自分らしさを」取り入れていくためには。。

そもそも「自分らしい」とはどういったことなのかということをまず考える必要があると思います。

装いの全体のコーデから他の人にイメージされる「自分らしさ」こそ最重要事項

1990年以前までは、ジュエリーは地金がゴールドのものが多く、18金というとK18YGの方のことを指すくらいの観念でした。

今では18金と聞くと、「イエローゴールドなの?ホワイトゴールドなの?どっち?」と聞かねばなりません。

著者様とスタイリスト様は、イタリアでお仕事をされた機会の中で、いろいろな人と出会ったり、街行く人達のおしゃれ(いわゆるストリートファッション)を見かけたりして、多くのジュエリーの身に付け方に触れる機会を得ることになったようなのです。

そして、今までイエローゴールド一辺倒だった日本のジュエリー界に、ホワイトジュエリーという銀色や白のイメージのストーンや地金のものを雑誌のコーナーで次々に紹介。

そして、ついには、セレモニー色の強かったダイヤモンドを身近に普段着に身に着けるということが多くの人々に浸透していきました。

この方達の貢献というものはあまり表立って注目されてはいなかったかもしれませんが、実はすごく大きな影響力だっのではないでしょうか。

皆が読む雑誌の全盛期のパワーも相まって、これまで偏った層の人々しか手にしなかったダイヤモンドジュエリーがいよいよ大衆へと広がった時代の最中(さなか)で活躍されていた人達なのです。

この方達の、表現やワード1つ1つにみんながキュンと来たり感銘を受け、大衆に向けたダイヤモンドやプラチナに変わる新しいシルバーカラーの地金のホワイトゴールド文化が根付いていったのです。

そんな良い環境が整った、いろんな装いの可能性が豊富な今こそ「選択」ができる有難さがあります。

よりそれぞれの「らしさ」が生まれるきっかけが転がっている環境になったのです。

「自分らしさ」を作る要素は何なのかを紐解く

「おしゃれ」というものは、さりげないものでもあり、冒頭のような成金の宝石ギラギラの付け方では、「おしゃれ」を飛び越えてしまってそれを見る人達が引いてしまうのです。

目立ってはいるけれど、果たしてそれが「自分らしさ」になっているのか。。

いかにも無理して背伸びしているかのよう、もしくは、高い所から見下ろしているかのような感じが一定の割合生まれます。

それは「自然な装い」ではないがゆえの「違和感」なるもの。

ジュエリーは「実用的であるべき」という考え方も「なじむ」ということに繋がっていくかと思いますと、大ぶりであることの見せびらかしは、本当の意味の「自分の主張」とはイコールではないということです。

ジュエリーを洋服に溶け込ませるというこの「溶け込む」という言葉も非常に重みがあります。

小さな華奢なネックレスをはじめとする控えめなジュエリーのセットを上品なワンピースと組み合わせて、しとやかな雰囲気が作られるというのもこれも「立派な自分表現」となるという意味です。

この本の中で著者様は、「自分らしさ=いくつかのテイストのミックス」と綴っておられます。

自身でこの「ミックス」の部分を解釈してみました。

黒コーデを好む自身は、黒い色だけでなく、さらに素材はでこぼこした凹凸感のある素材に特化したアイテムを集めたり、ジュエリーをロングチェーンのネックレスにしてカジュアル感を出したりという特徴にこだわっています。

いくつかの自分ならではのこだわった部分を寄せ集めたテイストとしてコーデを作っていることに改めて気づきます。

これは、その通りいくつかのテイストが集まっていくので、他の人と全く同じということからより遠ざかりますので、「自分らしさ」がダントツということになります、

あとがき

ファッション分野には興味がないから、「自分らしさ」など表現できないのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、よく考えねばなりません。

人間が今この現代においてお洋服無しで過ごすことなどということはないわけで、おのずと「身にまとう」「身に付ける」という行為が「衣」の存在を否定できないものになっているのです。

気を付けなければならないのは、オシャレなど興味がないから何でもよいからといってTシャツの毎日を過ごす人は、その「Tシャツの毎日」という「自分らしさ」をすでに表現しているのです。

これは、「魔法のようなもの」でもあり、自然とどうしても現れてしまうものなのです。

それならば、「ちゃんと自分らしく表現していこう」と思うところに行き着きませんか。

そして、「誤解など受けないように表現したい」と思うものではないでしょうか。

「自分らしい」ということは、「自分の人生観」とイコールだと言っても大げさではないということになります(^-^)。

メノウとオニキスの見分け、鉱物名は二酸化ケイ素が結晶化した石英(クォーツ)で共通、メノウのうねった縞模様の中で模様が並行なものがオニキス【303】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、とてもシンプルでかえって惹き付けられたタイトルの、「ジュエリーの基本ブック:宮坂敦子 著」を拝読。

この地球には想像を超える程の天然石の種類がありますが、有名なストーン同士の類似ストーンに着目したいと思います。

そして、自主製作ネックレスに取り入れた過去のエピソードなども交えながらそれぞれの天然の美しさを味わっていただきたいと思います。

鉱物名からさらに枝分かれしてストーンの名前が決まる

こんな風に一緒に組み合わされることの多いルビーとサファイアは同じ鉱物名「コランダム」である。

ルビーとサファイアが共に4大宝石の仲間入りをしていて、元は共通の「コランダム」という鉱物名であることは有名ですし、何度も過去のブログ記事でもこのことを綴ってまいりました。

このたびは、パワーストーンや半貴石などと呼ばれるストーンもそれぞれの美しさがあり、同じように鉱物から枝分かれしたものであるという1つの例としまして、メノウとオニキスについて書きたいと思います。

メノウは瑪瑙という漢字で表記されることや、アゲートとかアゲードと表記されることもあります。

この2つは、曲線の縞模様を持つのがアゲート、その中で直線の縞模様を持つのがオニキスというように別物として扱われるとのことです。

しかし、実物を見ることは、大きな置物のストーンを見なければ分かりにくいことで、ネックレスなどになってしまうと見分けは難しいです。

オニキスのネックレス:自作しました。大玉の12mmの64面カット。留め具をK18YGにて。
瑪瑙のリング:うっすらと縞模様が見えますが、曲線の一部分であることがなかなか分かりにくいものです。

それでは、ダイヤモンドの鉱物名は?

ダイヤモンドは、鉱物名も唯一「ダイヤモンド」であるということ。

ここからも特殊な感じがしますね。

地球のずっと奥の方(底)というのは、温度がとても高くて、圧力もすごいもの。

そのマントルというものの中で生まれて、マグマとなって地上へ割れ目から吹き出し、固まることで出来上がるものです。

地震や噴火ともかかわりがあると思います。

地表に鉱物として出ている宝石はほんの一部に過ぎず、地中の奥深くには、ダイヤモンドとか、ペリドットも無数に存在しているようでとても驚くシミュレーション映像をYouTubeで拝聴。

やはり天然石は地球の活動の証ということになります。

メノウかもしれない実家にあったストーン。

あとがき

確かにオニキスやメノウは入手もしやすく希少価値が重視される宝石界隈ではパワーストーンとか半貴石扱いです。

それでも、同じように地金の台に宝石になると何ら他の4大宝石とも平等ではないかと私は思うのですが。。

どうしても透明に研磨されたエレガントなものがジュエリーという扱いであることが現実の用です。

それでも、自身の目で見て美しいと思うものが必ず四大宝石であるわけでもないのです。

フラットな目で5,000種以上も存在していると言われる天然石を見たいものです。

どうしても商業用の「観念」として限られた有名ストーンだけが称えられることも多いですが、あまりとらわれないようにしています。

仰々しさを解消し連のつなげ方を変えるアレンジもある、昭和のヴィンテージあこや真珠ネックレスを新しい形で活かし出番を増やす方法【299】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

現在「本物志向のレンタルジュエリー」という事業をさせていただいております。

ネックレス(ペンダント)、ブレス(バングル)、リングの3アイテムを1セットにまとめてジュエリーのみのコーデをあらかじめ完了、雰囲気を作ったお洋服に合わせやすいセット組としています。

その中には、過去には真珠も多く何割かを占めているほどでした。

ただ、レンタルとしての価値は真珠があまりに低く、ショックを受けた現実がありました。

これも実際にレンタル事業をやってみて分かったことでした。

随分自身の好みとの距離を感じ、より一層元のコレクションの感覚から抜け出すきっかけになりました。

当然お客様の意向を取り入れることが優先なので自身も納得の上、お手入れしにくいデリケート過ぎる割には地金部分の少ない真珠は廃止へ。

それでも自身は実は真珠の大ファン。

ということで、今後できることもあります。

真珠の装い方をご対案することなど、役割の末端ながらも真珠に関わって行ければと思っております。

あこや真珠については、天然と人工の部分が良いバランスで融合した素晴らしいお品物。

そんな真ん丸な形をしたかわいいあこや真珠について、このたび新たに知ることとなった知識と歴史をご紹介し、フォーマルだけのイメージが根強かったあこや真珠に対する新しい向き合い方をお伝えできればと思います。

あこや真珠は日本人が生み出した養殖技術で作られるもの

真珠と言えば、かの有名な「ミキモト」様や「タサキ」様が思い浮かぶかと思います。

社名である「ミキモト」というネーミングは、人の苗字そのまま「御木本幸吉」様のことです。

まだ、真珠が高価な希少性が高すぎて気軽に一般の人々が持てなかった時代に、養殖技術によって、たくさんのしかも形の整った宝飾品を作れるようになったことに貢献し、その後あこや真珠が多くの人に広がっていきます。

現在真珠をジュエリーとして装うことに関してはあまり盛り上がっているとは言えないものの、一部では真珠ファンは健在であると思いますしクラシックなアイテムです。

このたび、1冊の本を拝読。

あこや真珠について、特に真珠がどのように出来上がるかというなかなか私達が分かりにくいような構造を知りました。

「真珠 美の壺 著者:***:NHK出版」。

もともとこの本は、美の壺というNHKのテレビ番組が元なのです。

実は、この番組が開始の2006年当初よく見ておりました番組で、VHSビデオ録画をしていました。

こういった芸術系の番組は堅いイメージですが、この美の壺は、雰囲気が刷新され、身近に芸術を感じられるような番組でした。

現在ももしかして番組は続行中なのかもしれませんが、テレビを見なくなった私は現在は見ることはありません。

ところで、あこや真珠の真ん丸についてですが、あれは、もともとあの真ん丸に出来上がるのではなく、技術として真ん丸に仕上げる工程があってのもの。

そのことはぼんやり知っていたものの、具体的にはよく分かっていませんでした。

まずは、自然に何も手を加えずに出来上がる真珠の出来方をまず理解するところが近道です。

真珠はある意味、奇跡的な生物であると言えます。

貝の性質とか働きとして、持ち備えた貝殻を作ろうとする働きというところがポイント。

貝には「外套膜(がいとうまく)」という物体を覆う役割の膜を持っていて、外部から虫とか異物が混入することがたまにある時に、貝の隙間から中へ入ることがあるとのこと。

その時、貝の身は、「あ、何か来た!」と反応。

そして、持ち備えている物体を覆う外套膜を使って真珠袋という袋を形成。

つまり、貝殻を作ると同じように、混入物にも貝殻を作ろうとするのだそう。

それが真珠の正体です。

その自然構造で出来上がった真珠が真ん丸になることはめったにないわけです。

ぐちゃぐちゃの形だったり、整ったものではない。

それを創業者の御木本様が、よく研究の末真ん丸に出来上がることを目標に養殖という、人間がお手伝いする形で整った形状を実現。

自然に出来上がる異物混入と同じことを、綺麗な形状に出来上がるように人間が手を加えることの価値があります。

実際のやり方などは、真珠専門店様のブログなどに書かれていまして、どうぞプロの説明をご一読されることをお勧めしますね。

経年のビンテージあこや真珠を今着る洋服に取り入れる例

ただ、こうして、手間がかけられた美しいあこや真珠も昭和の時代に作られたものが、しっかりお手入れされなかったりすると、令和の現在では、黄ばんだり、キズなどで、質が低下したものになっていることがあります。

慶事や、弔事には、そういった黄ばみなどのあるものはなかなか気が進みませんので、やはり、真っ白な綺麗な物を付けたいと思います。

けれども、普段使いの気軽に少しだけお出かけだったり、通勤だったり、カジュアルな着こなしのアクセサリーに使う真珠は、もっと質が落ちていてもそれがかえって気軽で使い勝手が良い物です。

ということで、あこや真珠であっても、質を見分けて、シーンで使い分けるということが私のお勧めする使い方になります。

あこや真珠のネックレス:普段使いっぽく、小さなあこやも間に入れてつなげてテグスで気軽に通したもの。

このネックレスは、もう真珠自体が保管やお手入れが悪く、汗やらなにやらで質の悪いものになってしまったので残念ですが、それでも、あこや真珠という価値は変わらず健在。

留め具も質をシルバークラスプからぐんと落として、ステンレスのダルマ板やカニカンに交換。

元の豪華な作りの良いクラスプは、高級な程度の良い真珠のネックレスへ付け替えて使ったりしました。

この留め具がなじみのあるダルマ板やカニカンであることだけでも普段使いの証となります。

見る人が見ると、あこや真珠の価値を分かってくれて、カジュアルなあこや真珠の使い方を理解してもらえそう。

ということで、このような古いビンテージ物のあこや真珠の使い方のご提案でした。

シルバー925は留め具のほんのわずかな部分でも金属アレルギーに影響があるもの。

ステンレスの留め具に変えて、最大限の対応をしてみたのでした。

ロングネックレスを自作:色の悪い良質ではない「あこや」だけをあえて集めたネックレスx3本分ほどの長さ。

ロングの真珠がピカピカだと大変近づきにくいフォーマル色が高まります。

そしてお値段もとても高価。

それよりも、気軽にジーンズにさえ装えるようなロングあこやネックレスを自作。

しかもヴィンテージの古い黄ばんだようなものがかえって良いのです。

同じような少し傷んだようなものをロングにつなぎ合わせれば、自主的にリフォームが完成。

留め具のやり方だけはそれぞれ学ばねばなりませんが、動画で分かりやすい説明もあり、自身も最初知識ゼロからのスタートで連物だけは作れるようになったのです。

あとがき

日本人は、真珠をそのまま連の粒がそろったままネックレスという使い方を好むようで、ジュエリーとしての使い方が主流ですが、ヨーロッパの人々は、芸術品のように飾りなどにすることも多いそうです。

文化とかお国柄の違いがあるようです。

今後は、ネックレスなどの身に着けるアクセサリーからもっといろいろな使い方に拡張していく余地がまだまだあるようです。

それに加えて、かつては女性だけのアイテムのように扱われた真珠ネックレスも今や、男性も何ら躊躇なく身に着けるところへも広がりを見せている様子です。

せっかくのあこや真珠という日本生まれの古き良き産物、新しい使い方や、新しい使い手に広がることが期待されます。

真珠のコーデも、エレガントなイメージがまだまだ強いですが、カジュアルな真珠のコーデというものが、かつてのフォーマル一辺倒とのギャップが感じられ新鮮です。

そんなコーデの例なども今後お伝えしてまいりたいと思います(^-^)。

「衣・食・住」の「衣」をあなどるなかれ、流行の波にただ乗るだけで本当の自分は映し出せない、着る者の人生をも映し出す大切なお洋服の未来【288】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「ファッション産業論:富沢修身 著」という本を拝読致しました。

これまでのファッションの業界のざっくりとした軌跡のようなことを知るという意味で読んでみました。

グラフや図が緻密、そして硬めの文章が特徴です。

おそらく、学生の参考書とか教科書のような使われ方をされているような本だと思いました。

きっかけというのが「過剰消費」にあるとのこと。

日本と世界と両方から幅広くファッション産業の変遷とか現在、今後の見通しを述べられています。

ファッション業界の全盛期というのはとうに過ぎたという寂しげな言葉も聞きながら、これまで、勤務先は20年以上アパレル業界だった自身です。

その後、私は退社とともに個人事業主に、その後の数年間で業界がかなりの変容をとげ、コロナ禍でさらに劇的な変化が起こっています。

こういった変化の時には、過去の歴史も知る必要があり、どんな歩みをしてきての今なのかという見方が1つあります。

「サイクル型」と呼ばれるファッションの時代、一人一人が身近にできることはたくさんある

長年の古着好きですが、本格的に古着だけを着ていくというお洋服スタイルになって15年くらいの暦になりました。

「3R」の中で最も身近に感じる「リユース」品を購入するということです。

かつては、「古着好きな人」ということで珍しい存在であった自身も、大半の人が古着に対して抵抗がなくなったことでニッチな存在でもなくなりました。

特に珍しい存在でもなくなったことで、寂しくもあり、一方ホッとしたというか、これぞ本来の望ましい姿なのではないかと思っています。

日本人の古着というのは、結構綺麗であるという特徴を外国人が評価しているようで、「古着」という言葉に違和感を感じるほど綺麗でもったいないような良き品物が多く見つかります。

とことん着られたような古着を購入しないという選択が十分可能なほど、大半が「美品」と呼ばれるものなのです。

難しいことは考えず、とりあえず、一人一人ができることというのは、そういうもったいなさにもっと目を向けることが1つあります。

そして、変な情報にあおられ、コスパの悪い新品のお買い物をしてしまわないことも1つだと思います。

自分の目でしっかりとその良さを見極めるということがお洋服選びでそもそも個人レベルでできることです。

そうして、厳しいお話ではありますが、「安かろう、悪かろう」のお洋服の存在価値がなくなっていくべきだと思うのです。

あとがき

さて、ミシン技術が少しあるハンドメイドバッグを製作してきた私ができることは何なのであろうかと真剣に考えてきたこの数年。

1つおぼろげながら答えが出ようとしています。

それは「古着の取り入れ方の伝授」です。

古着をそのまま受け入れるには不満も一定あること、昔臭さが敬遠されることも。。

そういったもののどこを変化させれば受け入れられるに足りるところに行き着くのかを考え、その例をお伝えしていく役割を担えそうだと思い始めました。

著作権に阻まれ、なかなか紹介しづらい「リメイク」などを図解を取り入れて、著作権を侵害しないように気を付けながら発信しています。

今後もこういった活動を発展させていきたいと思っております。

ただ、元のお洋服の会社様へのいくつかのお問合せで「リメイク商業利用は不可」だとお答えいただいており、リメイク品の気軽な販売は、タブーです。

お洋服の製造元のブランド様の価値を落とすことは決してしてはいけないのです。

この「著作権」こそが、リメイクを実際に広めることの難しさだと思っています。

とはいえ、素敵な「文化」になるよう広める活動が不可能だとも思いません。

今後、これぞという手ごたえを感じたことに関しては、きちんと著作権を順守しながらお伝えの仕方を工夫し、正当な道でリメイクを考えていきたいと思っております(^-^)。

洋服は身体を覆い隠すためのものではなく、むしろその美しさを表現するラインなのである【212】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、衣服に関する研究を兼ね、ある1冊の本を手にしました。

それは「ファッションの哲学:井上雅人 著」です。

「哲学」という言葉がいかにも堅苦しそうですが、実は身近なものだと自身も当ブログ投稿で時々使わせていただいている言葉です。

哲学という言葉に関しては、「<なぜ>や<理由>を深堀りしたメッセージのようなもの」だと私は考えます。

作っているハンドメイドバッグにも「哲学」が入っているのです。

画家が描く絵にも、ファッションデザイナーが考えるデザインにも「哲学」が入ります。

「哲学」がより大きく頷き、賛同された時に理解が生まれ、その作品が知れ渡るのではないでしょうか。

夢中で読んでいき、分厚い本ではありますがあっという間でした。

こうしたなかなか近寄りがたい話題を分かりやすく読みやすいたっぷりの分量で伝えてくれるところに著者様の技術を感じます。

文章がとても分かりやすいので、本来は堅い内容なのかもしれませんが、そこをうまく引き込んでくれたのがとても評価できます。

洋服は身体を覆い隠すことが目的ではない、むしろ身体の美しさを表現するために必要なアイテムだということ

アプローチの方向が多角的で目次が多いのも特徴です。

その中で、次のようなところを私の学びの記録も交えながら、今度は私からアウトプット致します。

人間には関節という名の節目があるにもかかわらず、洋服を着ると、その洋服の途切れ目、例えば、スカートの裾などが脛(すね)の部分なのかどうかで、そこが重要な視覚的な節目になるというところ。

本の内容を私なりに文章にしていますのでぴったりではありませんが、そういうところに着目されていました点に最も感動を覚えました。

「ミモレ丈」などとスカートの丈に名前がつけてありますが、あのかっこよさを例に一度考えてみます。

間違いなく人間の足があってこそのスカートの存在感であり、ふんわり覆われた時の足の見え具合の割合とか、その切替えのような狭間の部分が出来上がるのです。

つまり、装いというものは「人間+洋服の組み合わせの共同作品のようなもの」なのかもしれません。

ですから、ミモレ丈ですよー、と宣伝するときには、ロング丈のスカートの写真だけよりも、モデルさんがはいてその足の見え具合などにより一層はきたくなるようなかっこいいなあと思う夢が膨らむのでしょう。

最後の章の興味深い所、「アソシエーション」の未来について

一番最後で「アソシエーション」ということを引き合いに出されていました。

今後のファッションの方向の展望のような章です。

アソシエーションは、同じ志の者が集まってことを成し遂げていくもの。

バッグも人間が使うことでやっとコーデと言えます。

それには、洋服になじむ、引き立てる、時には主役になるなど、バッグ1つでもいろいろな顔があり出番があります。

提案ということは、その品物だけでなくて、取り巻くその他との共同でコラボ的になってやっと納得してもらえるような提案になるのかなとも思います。

私がただ一人でできることは限界があります。

その他の私では担っていない役割を強力な団結力として何かメッセージを発信していくということが「アソシエーション」で出来たらよいです。

こんなことも1つの影響だったのでしょうか、現在ハンドメイドバッグを「共有型のハンドメイドバッグ」という事業名にしています。

多くの人に学びながら、自身の持っているメソッドを惜しみなくアウトプットしながら「誇れる文化」として日本特有の「ハンドメイド文化」とでもなればとても嬉しいです。

あとがき

今後も本からも何かヒントを得たいと思いますので、どんどん休むことなく読んでいきたいですね。

本をストックしていた過去のインテリアでのボリュームの多さに参ったことから、本は図書館で借りて読むことにしています。

もしかして、ファッション分野の本だけじゃない、小説にだってヒントはある、そんな多角的な見方で本も読んでいきたいものです。

そうすると、自身で持ち備えると好きな分野に偏ってしまうので、図書館は大変有難い場所です。

そして、こんな風に今後も読んだ本に関するテーマとして自身の口からアウトプットをして、知識や、スキル、ノウハウにとどまらず、読書そのものの良さまでもお伝えできればと思います(^-^)。

夢中で好きな物を集めていった時に出来上がったもの、それは独特の「世界観」だった【183】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

長い間「なぜなんだろう」というどうしても集めてしまう嗜好の理由が分かりませんでした。

何かそんなことが書かれた本はないものかと、「集める 理由」などと検索して本を自ら探し求めました。

そうしてヒットした1冊の本を早速購入。

タイトルは、「集める人びと 蒐集の小宇宙(ミクロコスモス):瀬川正仁 著」。

この本の帯の部分に「ヒトはなぜ蒐(あつ)めるのか」という私の疑問そのものが書かれていたのがきっかけです。

コレクター達の素晴らしいお品とその経緯をルポタージュで綴られています。

本の材質も良くて、1ページ1ページが厚めで、写真がたくさんあります。凧、鉄道パーツ、人形、値付けなどコレクター達が集めている物品もそれぞれ個性的です。

集め方に分野の偏りがあるのかどうかなどその集め方の人による違い

この本を読み進めていくと、コレクター達ががいかに本気で、人生をかけて集めているかが感じられます。

お金の問題、置き場所の問題などいろいろな困難には会いますが、集めることへの思いが勝って集めることを貫いています。

私も自分自身が集めることをたくさんしていて、特に高価である宝石類は購入時は真剣勝負のような気持ちで挑んできました。

この本の中で人形を集めている女性の集め方が少し共感できました。

「何もかも完璧にぎっしり一からそろえる意識はない、購入できる範囲内のものをたとえシリーズが不ぞろいでも高価すぎるものには手を出さず、可能な範囲で集めています」とのこと。

何かこの感覚は、共感できる部分がありました。

ここから思うことは、コレクションしていく過程も大事だということです。

負担やつらい気持ちが伴うとそれは続かないし、楽しいものではなくなってしまうのかもしれません。

幸せを十分に感じながらゆったりと集めていく結果、気づいたらたくさん集まっていたということだって十分に素晴らしいのです。

私自身も集めると言っても、高額なものを無理してということは決してありません。

きりがないことなんです。

それよりもミドルクラスの良質な宝石をたくさん集めるところに重点を置いています。

一方で高価なものを人生かけてどっぷりお金をつぎ込む人もいます。

けれども、それに幸せと満足感を得られるならば、ありです。

集まったお品というのは、博物館行きのレベルの物になっていたというコレクターもこの本の中にはいらっしゃいました。

なぜ集めるのかということの私なりの答え

私は、この本を目的を持って見つけたわけです、なぜ集めるのかの答えを探したいということで。

この本を読んで、いくつかのヒントが得られました。

この本の中のコレクター達が人生をかけていること、家の中に置き場所が必要で引っ越しをしたり、とにかく集めることが人生の真ん中に位置していたのです。

そういうことから、得た私の答えは「生きがい」とか「人生そのもの」というのが答えです。

ミドルクラスの物を可能な範囲内で集める私でも、かなりの熱とそのお品に対する探究心、知識を持ち合わせるよう、日々アンテナをはりめぐらす人生になっていきました。

そんな人生の一幕を集めたものが「世界観」として表してくれるのです。

集めた後の商品の行方と活かし方

集めることの最終的なゴール、行き着く場所というのはあるのでしょうか。

本の中では、重要文化財級に資料館への提供などの形での貢献という形でのゴールもありました。

とてもそれは意味のあることです。

自分だけにとどまらず大きな規模でのアウトプットにつながった例です。

自分の好きだった物を自分だけの範囲にとどまらず、人にも伝えて広めていくきっかけが作れているということになりますね。

けれども、ただ集めているだけの段階にしても、この本で紹介されていること自体が、他の人へ伝えるきっかけにすでになっていますので、1つ何か集めてきたことが実りを上げていると言えます。

さて、私の場合は、といいますと。。

集めてきた300点近くの宝石類は、「本物志向のレンタルジュエリー」という形で他の人へ広めていこうとしています。

そして、その他の集めた品々は宝石以外でも、当ブログとかSNSなどでの発信の写真や映像でご紹介。

そうして、自分だけのものだった集めることの喜びや幸せを伝えてみるということを始めています。

遡ること10年以上前は、まだSNSが豊富でなくて自分自身も何も手を付けていませんでした。

それが、集めていく時の何か溢れんばかりの気持ちを誰かに伝えたいと自然に思うことがありました。

誰かこの喜びを同じように感じる人はいないのか、なんでこんなに楽しいことを他の人は味わっていないのかなど、言葉にするとちょっと変な風に書いてしまいますが、とにかく気持ちが高ぶった瞬間が間違いなくありました。

その後10年経ち、今はSNSが当たり前になった時代に入りました。

そうすると伝えやすくなっているし、よく見てくれたり気づいてくれるようにもなったと思います。

そうやって今後も時には事業に取り入れながら、集めてきたものをいろんな形で共有したいと思います。

あとがき

集めていく中で嫌な気持ちになったことなど一度もありません。

集めるということ、コレクションしたものを愛でるだけにしても、間違いなく幸せを感じさせてくれるものに違いないのです。

先程貼りましたYoTtube動画の中では、この記事には書ききれなかった、「機能美」についてもお話しています。

私自身自作しているハンドメイドバッグに学ぶ点が大きくあった内容です。

とても嬉しいことに、集めることの理由を見つけるための研究の中で、ハンドメイドバッグのヒントになることも得られたことは大変嬉しい偶然。

機能美については別の機会に特化した記事を書くつもりです。

ある分野に特化してこだわったり集めたりするような「オタク」は素晴らしい文化だと思います(^-^)。

死後の世界を理解すると腑に落ちる、「銀河鉄道の夜:宮沢賢治 著」をこのように解釈しました【365】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

たまたまネットでオンライン購読が可能であった「銀河鉄道の夜:宮沢賢治 著」。

ひょんなことから冒頭部分を読み始めて、そこから一気に最後まで。。

「銀河鉄道の夜」に関しては、多くの学生さんが読書感想文を書かれている作品だと思います。

セミロングな長さでありますこの作品、「未完の作品」だったとか。。

人のために尽くすということはどういうことなのかを究極の形で映し出す

学校の授業の場面。

先生の質問に上手く答えられないジョバンニ。

そして、その答えは分かっているのに分からないふりをして答えなかったカムパネルラ。

カムパネルラが明らかに知っている答えを自分のために答えなかったあの場面の時に、ジョバンニは、「自分もカムパネルラも悲しいと思った。。」と。

このことは、少し状況の違う別の人間が互いに同じシーンで、悲しい気持ちを共有した瞬間だと思いました。

カムパネルラという少年の、自分を犠牲にしてでも人を助けるという性格。

ここに親譲りの「育ち」のようなものを見ます。

親譲りをなぜ感じたかというのが次の場面。

ザネリが川でおぼれかけたのをカムパネルラが助け、結果自身は帰らぬ人となった場面。

そして、そこへカムパネルラの父親がかけつけ、落ち着いた様子で、もうカムパネルラの生存が難しいだろうと冷静に語ります。

それどころか、ジョバンニに、お父さんが近く帰ってくるだろう吉報を伝えます。

自分の息子が亡くなったそのような時にさえ、他人の吉報を伝える配慮。

カムパネルラの姿勢は、おそらく父親から受け継がれた「継承」のようなもの。

この自己犠牲は、エゴで満ちた人間には是非とも知ってほしい姿。

まずは、自分の前に人の幸せを考えてあげる例が親子ともどもに感じられました。

「銀河鉄道の旅」はまさに死後の世界を分かりやすく象徴的に表現している

ところで、この物語を1つだけある「絵」で表すとしたら、銀河鉄道の旅の途中の場面でしょう。

善い行いをしていたカムパネルラの生き方そのものが評価されたような形の遠く高い宇宙の降車駅。

いろいろな人が列車に搭乗しては途中で降りていくのですが、カムパネルラのように最後の方の駅(上の方)で降りる人というその決められた片道切符が、「徳:とく」の高さを評価されたと感じます。

これは、他人のために自分を犠牲にしたという人間への高い評価をだと解釈できます。

しかし、カムパネルラは死者となった身。

やはり上の方の駅ではあっても、やがては、他の人と同じように列車を降りて銀河の闇に消えてしまいました。

ジョバンニは、この旅で一瞬だけではありましたが、何らかの霊感みたいなもののせいで死んだ後の体験を一瞬だけしたことになります。

死んだ人しか知ることがない宇宙の列車の旅に参加する体験をほんのわずかの時間だけ味わったということです。

ここで「はっ!」と思うことが。。

ここ最近YouTubeで視聴させていただいた、「臨死体験」をした人のエピソード。

その臨死体験は、よく日本人の中で言い伝えられている「三途の川」のお話。

生きている間に誠実に生きてきた人は、美しく素敵な景色の場所へ行ける、その逆の人は暗い場所で心も晴れないと、そしてその場所がその先も永久なのだと。

列車の旅の途中で、二人(主人公ジョバンニとカムパネルラ)は鳥を捕らえて生業(なりわい)にしている男性に出会います。

しかも、時間が経過しても相も変わらずただ同じ場面であり、そこからの変化も発展もありません。

この男性に対してジョバンニは、「本当に心からその仕事をしたいのだろうか」と疑問を持つ場面が印象的。

臨死体験の人がこうもお話されていました、「いくら頑張って働いてきた人生であったとしても嫌々ながらその仕事をしたのでは死後はハッピーではない」と。

まさにこのことに符合。

ということで、「シャーマン」的な霊感を持っていたと言われる著者「宮沢賢治」がこの列車の停車場である駅を段階付けて示し、人生をちゃんと生きた人には高い位置の停車場で降車する切符を配布したのです。

その鳥の男の降車駅とは随分かけ離れた高い位置の駅とのその距離の意味は3次元での物理的な人生においてやってきた過去の行いの「差」。

一方それらのいずれでもない、生きているジョバンニが持っている切符はどこでも自由に行けるフリー切符。

まだ人生がポテンシャルを秘め、この先いかようにもなりうる無限の可能性があることを行き先自由のフリー切符で表現していると思うのです。

これが生きている人と亡くなった人の違い、苦しみを真正面から実体験できている3次元での「今」こそが生きている「証」であると考えざるを得ない

「ずっとこれからも旅していこうよ」と列車内でカムパネルラと誓い合いたかったジョバンニでしたが、大きく二人が違っている点は、カムパネルラは、もう生きてはいない人間であるということ。

ジョバンニにはある「生命」というものをカムパネルラはもう失ってしまった状態にあるのです。

どれだけ格の高い停車場で降車できたとて、カムパネルラには、その降車以外の選択肢はないことを「残念」とか「悲しみ」として私達読者に伝えます。

裕福ではなく、母が病気で、牛乳こそが大切な母の毎日の栄養源。

そしてそれを買うお金を作るため、小さい子供なのに大人に混じって毎日学校後に労働をするジョバンニ。

ぎりぎりの、際どい暮らし。

けれども、毎日地をしっかり踏みしめて1日1日貴重に明るく生きていることがとても力強いと感じられます。

おそらく友人たちの輪からも外れ、いじめられている様子がどの読者の目にも明らかであるけれど、そんなことは大変な1日のたくさんのタスクの中のわずかな部分でしかない。

それだけにこだわってもいられない、その前向きさはまるで宝物のようにキラキラと輝いている。。

このキラキラは、銀河鉄道の旅のはるか彼方の停車場に点在していた美しいトパーズなどの色鮮やかな天然石にリンクします。

カムパネルラの父親が教えてくれた、父がじき帰ってくるという吉報、苦しい毎日の中に舞い込んできた幸せと喜び。

ジョバンニにとっては最高の幸せです。

命の尊さ、生きているということの次元を分かりやすく、死の次元を見せることで「宮沢賢治」様はそれを示したと考えます。

生きている人は、今自分がいる次元というものが当たり前すぎて、見失っているもの。

死後の世界を旅する経験をしたジョバンニは、貴重な「メッセンジャー」的役割。

著者様自身の死後もそれを永遠に伝えていくには。。

物語の主人公というのは、その物語が読まれる以上、永久のもの。断然著者様よりも永久に生き続けるものです。

「宮沢賢治」様は、永久的な発信者としての任務をジョバンニに託したのではなかろうかと。

感想まとめ

列車の旅の次元が高い降車場では、美しい宝石がキラキラと輝く色とりどりの明るい世界が存在しています。

その風景こそ、いわゆる「天国」の象徴だと思えます。

そんな次元の高い降車場で降りられる人の条件を考えてみました。

1)人の気持ちに寄り添うこと・・・ジョバンニや父親の他人の心の深い部分を思いやる行動でそれを例として示している。

2)自分自身に誠実であること・・・貧しく辛くとも常に胸を張って明るく前向きな主人公ジョバンニ自身が将来高き次元の駅で降りることができる可能性を鳥を捕まえる仕事の男との対比に垣間見る。

亡くなってこの3次元から姿を消した後に行くであろう銀河鉄道の降車駅を降りたって存在する場所を生前の人生の過ごし方が決めるのだということです。

人に対して嫌な態度をとったり、やりたくもない仕事を無理して頑張るなど自身の本当の気持ちに向き合わない生き方は、1)2)とは対極の事。。決して「あの世」では評価されないのです。

他人のことを思いやり、自分の気持ちに正直に心から納得できる行動、そしてライフスタイルを送るべき「理由」を、そうしてきた結果がどうなるのかということを次元を超えた見方でこの銀河鉄道の旅が教えてくれました。

「ツキ」のない自分の人生を嘆くなかれ、当たり前の毎日の中にあるささやかな幸せ、喜びに感謝するのだ。

人生における「苦楽」は、この世に生をいただいた者の宿命であり、様々な「苦楽」を丁寧に受け止めながら、正直に前を向いて歩いて行かれますよう。。

あとがき

何か後々心にずっしりと重みを残したこのお話。

時々、こんな風にブログで読んだ本の感想を書きます。

今回、小説が題材なのは珍しいです。

小説だけをそのまま読むとなかなか理解が難しいです。

最初にこの記事を書いた2020年8月14日投稿をその3年後の2023年7月15日、さらに2024年3月11日に手直し(リライト)しています。

まずは、読んだ後にネット上で可能な限りレビューを拝見。

その後、作者「宮沢賢治」について別の人が考察した「霊感」とか「天然石」についてのかかわりについて書かれた本も読ませていただきました。

それが<読書>カテゴリーの中の【623】の記事の投稿です。

そして、ここ最近ですが途中でも触れました、臨死体験をした方のお話を拝見したのがここ最近の2023年6月頃です。

ここで、この物語の私なりの解釈がまとまることになります。

最後に。。この「銀河鉄道の夜」というストーリーについては、すごく素敵な物語であり、現在の所一番好きな小説となるに至りました(^-^)。

ぱっと見の透明感あるまぶしさ、ホワイトトパーズコーデがダイヤモンドレベルに映る時【295】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

実は、現在のYouTubeやブログの<ジュエリー>というカテゴリーができる、もっと以前の2016年の1月から1年間程、初めてのユーチューブを100動画くらいジュエリーの内容として投稿し続けていたことがあります。

非常に短い3分以内の動画であり、カメラも小さなものでかろうじてMOVIE機能があったからできました。

当ブログスタンドのワードプレス様で作らせていただいたホームページスタートが2018年3月ですので、それよりも2年前のことです。

それがYouTubeのを始めるきっかけだったのでした。

YouTubeの方がブログ投稿よりも2年早くスタートしていたということになります。

「Canon社製:パワーショット」で撮影した100投稿近くのアクセサリーコーデの動画です。

まだまだ本格的なジュエリーとは言えないまでも、3点を1セットに組み合わせてあらかじめコーデしやすいまとまりになっているところが、現在と変わっていない点です。

チャンネル名は「アクセサリーの部屋」。

当時私がとてもやりたかったジュエリーコーデの発信だったのでした。

しかしながら、画像の粗さや音量が極端に小さ過ぎ、1年経過の2017年頃すべて削除してしまいました。

さて、このたびジュエリーの知識を得るという目的を持って、「エレガンスの経済学 ジュエリーへのいざない :芹澤信子 著」を拝読。

この本からは「情報発信の大切さ」を学びました。

ジュエリーについての歴史、構造、素材のノウハウについてはもうすでに出ている情報でありまして、専門の方達から多数発信され尽くしています。

ですから、このたびは、自身独自のアイデアと工夫からお伝えできるpicturesque(ピクチャレスク)ならではの情報というものをお届けしたいと思います。

ダイヤモンドと洋服のコーデは簡単なように見えるが、没個性的になりがち、意外に難しい透明ストーン

ダイヤモンドはカラーとしては控えめだと思います。

ダイヤモンドもよほど石が寄り集まって密集した高価なティアラとかネックレスはとてつもない輝きを放つのでインパクトがあります。

しかし、普段私達が少しお出かけに身に着けるようなダイヤモンドは、少し華やかなものでも1-2ctくらいまでです。

それがまたあっさりして感じが良いともいえますが、色のついた天然石に比べてダイヤモンドはそういったカラーの主張はしにくいものです。

透明は、万能のようで洋服とのコーデのイメージがわきにくいのです。

例えば、紫色の系統のワンピースの時にアメジストのペンダントを下げるのが色がリンクして、効果が発揮されやすいものですが、ダイヤモンドは無色なので、どうコーデしていいかピンと来ないということです。

それは、考え方によっては。白に必ず合うものであったり、どんな色のお洋服にも大丈夫であったりするとも言えるからこそ、「なぜ」の理由の部分が素敵なコーデのカギを握ると思っています。

ダイヤモンドとホワイトトパーズがどちらかがぱっと見では分からない、透明のストーン同士の素敵なコラボも視野に入れる

さて、この写真をご覧くださいませ。

どちらがダイヤモンドでどちらがホワイトトパーズか、この写真で分かりますでしょうか。

左:925台にパヴェホワイトトパーズ、チェーンはステンレス。右-ダイヤモンド1ct、K18WG台。

お値段は、左のホワイトトパーズはペンダントトップだけで、¥6,400だったと思います。

そして、右のダイヤモンドのテニスブレスは、大特価ということで¥30,000でした。

地金アップのここ数十年の中の第一段階の2010年辺りのことです。

この時は、もうすでに地金が上がり始めていた頃でしたので、このお値段でもかなりのお買い得品だと思ったものです。

地金アップとダイヤモンドの価値上昇での世間のざわつきの影響も大きく、高価な物なんだという固定観念が生まれ、¥30,000均一がいかにお買い得品かというところに心理がいざなわれました。

もしかして、ジュエリーに長けた人は、「テニスブレスという形にしていることこそがダイヤモンドである可能性が高い」と導き出されて判断されたかもしれません。

結果的に、その予想が正解になることは多いです。

ホワイトトパーズをこうして散りばめたセッティングの品物自体がレアだと思います。

このアイデアは「日本宝石センター」様のもの。

広告が楽しい通販の会社様です。

この左側のホワイトトパーズのトップですが、ダイヤモンドの代替になると思いました。

ホワイトトパーズというのは、透明な石なので色合わせだけで考えれば、同じ天然石ですし、ダイヤモンドと同じようなものなのです(ダイヤモンドファンには怒られそうですが。。)。

それをあえて、アラベスク調のデザインでこのようなスクエアペンダントにエレガントにおしゃれに作ってあると、まさかホワイトトパーズなどとは考えられにくく、ダイヤモンドに映ることでしょう。

ホワイトトパーズとダイヤモンドの違いが遠目で見たときに分かるのかどうか。

。。そう簡単ではないと思います。

ダイヤモンドは元々希少価値の高いストーンという定義でありながら、実際に集まるところには宝石としてたくさん見ることができますから実は普遍的なストーンなのではないかという「まやかし」があります。

ただ、こちらの考え方も見逃せません↓。

台の地金については、このシルバー925台だからこそのホワイトトパーズということ。

先程のジュエリーに長けた方なら台の作りでダイヤモンドのテニスブレスなんだと判断するのと類似の判断の仕方です。

ダイヤモンドに925台ではどうしてもレベルが釣り合いませんので、製造者様はほとんどが18金やプラチナの高級地金を設置します。

商業的な「読み」としては、希少価値の高いストーンであるダイヤモンド+高級地金で高級品らしい価格を実現できるのでこの組み合わせの方がメリットがあるのではないでしょうか。

925にダイヤモンドではダイヤモンドをたたえることができない、もしくは、ダイヤモンドの価値が925によって落とされるのです。

それほどダイヤモンド自体に「ブランディング」があるのではないかと思うのです。

それ相応のストーンと地金の組み合わせのレベルがあると考えると、もとは、トパーズとダイヤモンドの価値の差も知っていなければなりません。

ホワイトトパーズは、きらめきもありますので、十分に宝石と呼ぶレベルの天然石だと思います。

では、最後に宝石のそもそもの価値の違いも考慮したジュエリー同士のコーデをご紹介します。

他のアイテムと一緒にコーデする時の地金やストーンのレベルの合わせ方

上述のホワイトトパーズのペンダントトップとダイヤモンドのテニスブレスの2つのアイテムをどう他のアイテムと組み合わせてセットで使うかを見ていただきたいと思います。

ホワイトトパーズペンダントのコーデ:台がシルバー925で半貴石のイメージのくり抜きバングルも追加。

チャロアイトは天然石の中では、それほど高価な石ではないです。

よって、親しみを持って気軽に付けられる旅行などに向いたようなレベルの組み合わせです。

次はダイヤモンドのテニスブレスの方です↓。

ダイヤモンドテニスブレスのコーデ:留め具や台はすべてK18WGで統一。連のストーンのカットも宝石質。

連のネックレスでさえ、細かい留め具の部分がK18WGで設置してあります。

これは、ダイヤモンドテニスブレスが入っているので、それに合わせたランクに他のアイテムを合わせているのです。

透明が地味だと感じ、セットでコーデする他のアイテムにカラーの補助として色付きを持ってきます。

以上、2種類のレベルの違いを自身の組み合わせで作ることができるという例でした。

あとがき

今一度、冒頭のYouTubeを初めて投稿した100投稿近くの「アクセサリーの部屋」というチャンネルのお話へ。。

ジュエリーの組み合わせをセットにしたご紹介の動画でしたが、この度のように親しみやすい925台のものや、18金の地金の高級ラインのものが様々でした。

その当時は集めているだけでしたので、ちょっと気持ち的に「ゆるい」ところがあり「自分のものだからこれでいい」などと思っていたところがありました。

その後2020年夏にスタートした事業としての「本物志向のレンタルジュエリー」。

この言葉通り、「本物」を「とことん」追求したコンセプトがありまして、開始当初からは随分あれこれ内容を改良してまいりました。

そうして、その後は925のものはすべて廃止、連物のネックレスやブレスも廃止、くり抜きバングルなども廃止、ハイブランドのコスチュームジュエリーもすべて廃止ということで、高級地金にダイヤモンド他「宝石」と呼ぶにふさわしい本格派ジュエリーだけを厳選するスタイルとなりました。

もし、ご自身で集める以外の入手しにくいジュエリーのご利用の際には、購入せずにレンタルでご着用できるということになります。

なかなか自分では集め切れないようなアイテムを選りすぐって集めたものに発展していきましたので、ご満足いただけるのではないかと(^-^)。

メンズアイテムからのヒントが画期的、自身が活動的な働く女性のアイコンだった「ココ・シャネル」の偉業について【231】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

今現在から見通す、今後の自分の未来像などというのを時々思い浮かべます。

ここ近年めまぐるしくいろいろなことが変化していていく世の中。

これまでの淡々とした毎日がだんだん変化していると感じ始め、違和感を感じ、これまでの働き方に「行きどまり」を感じた2017年末、勤務する働き方をやめ2018年から個人事業主をしながら現在に至ります。

年金など我々の頃には期待できないということも言われてはいるのですが、それよりも自身が持つ将来像として、「おばあさんになっても働いている」というイメージを持っています。

ずっと仕事をしていくことが、生きがいであり幸せであるというような価値観です。

ここ最近ファッションの勉強を兼ねて、ファッション史の本をたくさん読ませていただきました。

その中に、実際に亡くなる前の日まで働かれていた方がいました。

誰もが知っているデザイナー「ココ・シャネル」様。

ココは歌い手時代からのあだ名なので、本名は「ガブリエル・シャネル」、フランス人です。

シャネル自身が働く女性の先駆者

「シャネル-最強ブランドの秘密:山田登世子 著」という本を長い日数をかけながら一読。

すごく言葉の言い回しが難しく、漢字を何度も何度もググりながら、漢字の勉強もした本です(^_^;)。

ただ、とても面白く読むことができました。

著者様は、他の本にも文献として登場するのをよく見かけるお名前。

「ファッション史家」なる人物だと思っていたのですが、どちらかというと「フランス専門の文学者」という立ち位置でいらっしゃいます説明がウィキにはありました。

では、この本の中から大変感銘を受けた部分、シャネルの成した「業(わざ)」だと思う点について書きたいと思います。

シャネルは活躍の時期が戦前の1910年頃から。

今から見るかつてのパリが舞台のデザイナー達が活躍したころのオートクチュール時代では、わりと先駆者。

途中、世界大戦も挟んでいますので、仕事をいったん中断せざるを得ず移住や亡命など激動の不安定な時代を経験された時の人でもありました。

時代背景こそがその要因であったこともあり、新しく女性が生まれ変わっていく時代でもありました。

デザイナーとして「メゾン:店舗」をパリに開店した1910年以前は、貴族たちが華やかなドレスを身にまとい、豪華絢爛といういわば見かけの表面上のすばらしさがファッションの評価となっていた時代の終焉がありました。

まだまだその名残がある中、実際そのドレスを着ている女性本人は、身動きがとりにくく、ウエストをぎゅぎゅっとコルセットで締め付け、かわいそうなことにそのコルセットの締め付けのせいで骨が損傷していまうという事態にまでなった方もいたほど、体が被害を被っていたのです。

そのような競い合いながら良きお相手に見初められることを意識するばかりの見せかけのお洋服の時代。

お嬢様が家でじっとしている時代から、女性も外へ一人で出、スポーツをしたりするような時代にもなっていく過程があり、その良き波にシャネルは自ら飛び乗ったとも言えます。

自身こそが働く活動的な女性としての現実を見事に同じ女性に今後の着心地のよい洋服をリアルに示しながらご提案していったという、上手い宣伝方法です。

男性の洋服からのヒントがこの人ならではのアイデアだと言える

シャネルは、男性の洋服をよく観察していたよう。

駐屯兵に出くわし、彼らがぶら下げていた、ショルダーバッグのはしりのようなバッグを応用し、かの定番の「チェーンショルダーバッグ」を生み出したのです。

両手がバッグから解放され、手が自由であることが画期的でありました。

また、そのショルダーバッグの中の構造に、携帯用の口紅が入れられる箇所を作り、機能性にすぐれているという男性的な要素を盛りこんだバッグを作っていったのです。

また、恋人の洋服をよく研究し、メンズのアイテムでしかなかったセーターやツイード素材なども男性のアイテムからの引用です。

日々、アンテナをはりめぐらし、アイデアをメンズから取り入れるといったところが全く新しかったのです。

今までに使われなかった新しい色、ベージュと黒の背景

「シャネルカラー」と呼ばれる2色があります。

それはベージュと黒。

ベージュは、かつてシャネルが生まれ育ったパリから遠く離れた村の生まれ故郷の「土」の色。

シャネルにとっては、人生の中の1ページにベージュがあったのです。

もう1色の黒は、幼少期に過ごした修道院の「シスター」達のユニフォームの黒。

かつては、喪服にしか使われていない色であったにもかかわらず、あえてこの黒色を普段着、お出かけ着に取り入れたということが画期的でした。

黒というのは、実はとても強い色、他の何色を混ぜても変化しない黒のままである最強の色なのです。

まさに、この黒に込めたシャネルの「精神の強さ」が感じられます。

身の回りからの着想を得るセンス、色でその思いの度合いを伝える、なんて素敵♪。

イミテーションアクセサリーにこめられた「ブランディング」

シャネルは、今までは、貴金属、つまり今でもとても高価な素材である18金やプラチナなどを使ったアクセサリーしか存在しなかったところへ、おもちゃのような、メッキのイミテーションアクセサリーをあえて高価格で販売しました。

この挑戦にもとても強い気持ちが込められているようです。

「豪華絢爛な貴金属を世の中からなくしてしまおう」とまで思っての企画であったよう。

と、同時に人々は、素材の良さで買うのではない、シャネルが作ったものだから特に高価な素材でなくとも振り向くのです。

そうしますと、シャネル自身の「ブランディング」が、きらきらのダイヤモンドや真珠や貴金属に勝利したということを証明したと言えるのです。

ヨーロッパとアメリカの文化の違い

シャネルは、アメリカに特に受け入れられたと言われています。

映画の衣装の製作の依頼が多くあったことで、ハリウッドの重要なデザイナーであったヨーロッパ人です。

ヨーロッパは、もともと職人の技術がベースにしっかりないとなかなか認められない文化があるようです。

歴史を重んじ新しいことを嫌う文化がヨーロッパには根付いていました。

一方アメリカは、そういった伝統は持っていないので、ファッションは、コピーや模倣からのスタートとなるわけです。

そう考えるとアメリカ生まれの世界的なハイブランドはとても貴重です。

「カルバンクライン」、「ラルフローレン」、「ティファニー」などがアメリカ生まれの世界的なブランドの例。

ただ、アメリカ生まれは少数であり、ほぼハイブランドはヨーロッパが占めているのも事実です。

学校で洋裁を習っていない独学の人

なんとも意外なことですが、「シャネル」様は、洋裁は幼い頃修道院の授業で洋裁に触れていたことだけで、本格的には洋裁の学校へ行っていないので独学です。

1983年あたりからシャネルのデザイナーを担われている「カール・ラガーフェルド」様も同じように独学で洋裁の学校へは行かれていないようです。

そんなところも後継者として理解が深かったところに繋がるのかもしれません。

シャネルはデザイナーの粋を越えた商人

シャネルブランドの商品に関しては、初代「ココ・シャネル(本名:ガブリエル・シャネル)」時代から、コピーや模倣が後を絶たなかったようです。

このことに対する受け答えは、商人気質な考え方を持つデザイナーであったと思えます。

「むしろ真似されて偽物も広く受け入れられることこそが、反対にオリジナルであるシャネル自体のブランドの価値も上がるのだ」という考え方でありました。

真似してもし切れない本物の極致なる場所に居るのだという自信を感じます。

「むしろ、誰からも模倣されないような商品は魅力的でない」のだと。

「自分も町を歩き、その人々達からヒントを得ている」ということらしいのです。

とても、マーケットの構造を広い目でとらえた考え方だと思いました。

こうした考え方は、現在でも何かヒントになるところが見つかりそうです。

本物の宝石と偽物のプラスチックの違い

こんなエピソードも語り継がれているようです。

「自身の住まいであるホテルの一室のアトリエに、常に本物の天然石と、偽物の天然石を並べていつも眺め、本物と偽物の意味とそこからブランドの力というものの可能性を見ていた」と言われています。

言うまでもなく本物の宝石は、ダイヤモンドにしてもルビーにしても高価で美しくきらびやかです。

でも、その高価な美しいキラキラした宝石を身にまとい、見せびらかす風潮の貴族たちのふるまいをシャネルは嫌っていたようなのです。

それに対抗して究極の魔法で人々を驚かせます。

フェイクパールに金のメッキで出来上がったおもちゃのようなネックレスにシャネルのマークを入れることで、付加価値が大変高いものに仕立てました。

こんなことに気づいたのではないでしょうか、「ブランドの価値というのは、ダイヤモンドにも勝る」ということを。。

実際どうでしょう、シャネルのマークが入っているだけで皆が群がります。

人々は、シャネルのそのブランドの価値を受け入れている証拠です。

そんなことが、現在でもずっと健在であるということがシャネルが長年常に考えてきたことの実りであると言えるでしょう。

ブランドの価値を高めることこそが一番の勝利であるということをシャネルは自分の「ブランディング」という武器で、本物の高価な宝石達に挑戦状をたたきつけたのでしょう。

メゾンでの洋服作りをしながら、ずっと持ち続けてきたテーマというか生涯をかけて追求してきたこと。

かつては自身が苦しい幼少時代を送り裕福な生活ができなかったことへの反骨精神のようなものかも、あるいは「悔しさ」も入り混じるのかもしれません。

当のご本人しか分からないことです。

私もシャネルの魔法に引っかかっていた

上述のアトリエにある本物の天然石と偽物の石をのエピソードを知り、はっとした私でした。

自身、全くシャネルと同じように考えていた部分があったことに気づいたのです。

シャネルのブランド戦略の読みが成功していること
シャネルのプラスチックリング:ペンダントやブレスはK18WGと天然石のコンビ。

こちらは、私がアクセサリーが好きで集めてきた、ペンダント、ブレス、リングの3点セットです。

ペンダントの地金は18金ホワイトゴールドでそこそこ高級です。

それにレベルを合わせることを試みて自作したフローライトという天然石のブレスレットも、わざわざ留め具を滅多に売っていないK18WG製のパーツを調達し手作りました。

3点が同じ比重のレベルであることが私がコーデで考えるバランスの1つで、色や形がそろっているだけでなく、材質も均一なレベルにしたかったという拘りです。

そこへ、なんと普通ならここへは合わせない、プラスチックリングを合わせて満足しているのです。

しかし、「シャネルマーク」がしっかりと真ん中に入ったおしゃれなリングであることがここへの仲間入りを果たした所以。

つまり、私は18金ホワイトゴールどに匹敵する価値をプラスチックという素材よりもシャネルのブランド価値に見たわけです。

もし、このプラリングがシャネルのものでないならば、決してここへは合わせなかったでしょう。

おそらく、台がK18WGで、天然石のアメジストあたりがのっているリングを合わせていたことでしょう。

これは、「シャネル」様の考えてきた本当の価値とは何かということの問いかけに共感した姿の1つ。

プラスチックのようなその辺りに転がっているような素材でも、ブランド名が入ることで、付く付加価値が強固で価値あるものであることを証明しています。

もう1つピックアップしてみました。

シャネルのブランド戦略の読みが成功していること
シャネルの金メッキペンダント:バングルやリングは天然鼈甲(べっこう)。

今度は、今や入手が容易ではないと言われている天然鼈甲(べっこう)製のバングルとリング。

これに、シャネルのモチーフのペンダントトップが付いた、ゴールドのメッキ塗りのペンダントを合わせていました。

もし、このペンダント「シャネルブランド」の物でなければ、このようなメッキをそこそこ高級な鼈甲に合わせたりしません。

レベルがペンダントだけ下がってしまい、質がアンバランスだと気になって仕方がなく、違和感を感じてしまうことでしょう。

おそらく、同じ鼈甲製のチェーンか何かのネックレスとか、何かしらの本物らしい天然素材のアイテムを合わせると思います。

ということは、このシャネルのマーク1つで、このペンダントの価値が大きく付加されて鼈甲と同等と思えるアイテムに自身は感じているということです。

すさまじき、ブランド力だということに改めて驚いてしまいました。

シャネルのかけた魔法の渦に私もまんまと巻き込まれたということになります。

あとがき

シャネルは、商品の価値というものを、製作費や材料に置いたのではなく、自分自身の価値というところに置いたことがシャネル以前のデザイナーとは一線を画した点です。

実際私も、シャネルのプラスチックのリングの価値を貴金属と同等に一緒の価値としてコーデしていたことが、シャネルの狙い通りのブランディングにまんまとはまっているのです。

あとがき

世界的ハイブランドの存在の「シャネル」様が、今現在でも人を魅了しているということが、「ガブリエル・シャネル」様が長い年月をかけてこだわってきたことの実りであると私は思います。

「ガブリエル・シャネル」様が1971年になって間もなくの時期に亡くなり、しばらく「シャネル社」の事業は低迷が続いたと言われています。

その後、1983年就任の「カール・ラガーフェルド」氏がうまくシャネルブランドを継承し、再起を遂げました。

このカール・ラガーフェルド氏も2019年になって間もなく亡くなられました。

さて、シャネルブランドは今後どうなるのか。。

といったところですが、新しいデザイナー様にバトンタッチをしながら引き継がれてはいくと思います。

まだまだ創業者である、「ガブリエル・シャネル」様が築いた「ブランド」自体の地位は簡単には揺らがないと思うのです。

そういう永久的なものになりうるというのが、ブランド力のすごさだということですね。

そこに気づいた、創始者、「ガブリエル・シャネル(通称:ココ・シャネル)」様の先見の明はとてつもないものであったと思います(^-^)。

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