ネット通販タイプの全国展開の事業のマーケティングには特に取り入れたい、「県民性」による事業活動との相性や可能性【1409】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび1冊の本を拝読、「出身県でわかる人の性格:岩中祥史 著」です。

2つの事業「共有型のハンドメイドバッグ」「本物志向のレンタルジュエリー」共に店舗型の活動ではなく、ネット通販型の活動です。

お客様の可能性は、必ずしも事務所があるその地域、その県内ということではなく全国にそれぞれ可能性があると考えられます。

ちょうどこの時期に自身の2つの事業とどんな性格の人が相性が良いのだろうなどと考えていた時に、もっとも人の性格を束にしてくくられるような区分け、「県民性」を思いつきます。

そんな中で日本全国の端から端までの県民性が綴られたこの本に出会ったというわけです。

実際にその県の方とのお取引があることで見えてくることがあるとは思うのですが、今この時点で2つの事業との相性が良い人の性格という面から想像してみたことを記録にまとめてみたいと思います。

この見込んだ予想は果たして現実に近い物なのか、現実はもっと意外なところにあったのかなどは、今後じんわりと実感していきたいと思います。

そうした一人一人の性格にも丁寧に触れていく活動になるためには、今ここでこの度の本から民俗的な歴史を含む県民性を学ぼうということなのです。

「共有型のハンドメイドバッグ」に最も相性が良い「県民性」のイメージ

この事業活動の大きな目的は、ノウハウを共有することで「手先が器用なハンドメイドが得意な国民性」というところに行く「ハンドメイド文化の広がり」という願いを込めたもの。

広がるには年月を要し、順番としてはもともとの環境や生まれが相性に見合った可能性が高い所からのアプローチが良いと思っています。

そもそも自身が、ハンドメイド活動を始めるにあたっては、幼少の頃からの環境も必ずあったと思います。

母が洋服を作ったり、鉄の足踏みミシンがある環境で、ぼーっと見たり実際に使ってみたりなどの体験は大人になってからよりも「三つ子の魂百まで」とも言われるように、影響が強いと見ています。

音楽に携わる方々もおそらく小さい頃にお部屋の中で音楽が流れていた毎日という環境があったと思うのです。

そして、この本からは興味深いことを知ります。

自然環境によるところも影響があるようで、山・川・谷・海など地球のどの一部分の特徴ある地域に育ってきたのかなども「県民性」には影響があるようなのです。

そして、歴史上の人物などに関しても大きくその地域を象徴するものであり、実際に内部の性格などにも影響したであろうというようなことです、人類も血筋や知縁がありますから。。

自身の生まれた地域は、割と手仕事をしていく「アパレル産業」が盛んであった県です。

今の活動がこのことに無関係とは決して言えないと思うのです。

そうしますと、まずは、ハンドメイドをしたいという潜在的な思いが眠っているようなところから始まり、ハンドメイドの技術が上がるようにと、その後何も技術がなかったけれど素敵な事だから始めたいと思う方へと広がるイメージ。

「初心者」にいきなりアプローチというやり方ではなく、「ある程度技術を持った方」へ最初にアプローチということがどうも自身の場合は向いていると感じました。

これは、2018年スタートのこの事業活動からのこれまででそう感じてきたことです。

「本物志向のレンタルジュエリー」に最も相性が良い「県民性」のイメージ

ジュエリーを付けたいシーンは、「お出かけ」「パーティー」「お食事」などをイメージします。

そのような場所というのが、おそらく「街中」だと見ています。

とりあえずは、メインの大きな駅に近いお住まいの方へのアプローチがまずは良いのではないかと思ったのです。

現実的には、電車で郊外から出向くという行動もありますので100%ではないにしても、「最寄り」という範囲のくくりは重要だと思います。

以前、都市界隈の賃貸マンションの数や立地場所をネットで研究したことがありました。

他県のイメージは本当に正しいかどうかは分からないことがあります。

「街中の方々が住んでおられる地域」というイメージの場所には、賃貸マンションはあまり見当たらなかったという事実からも、家族でのお住まいが多い地域だったのでした。

「おひとり様」的なビジネスの場合は、一人暮らしの賃貸マンションが豊富な地域にアプローチすることがより的を得ているのではないかと考えています。

そして、もう1つファッション系は「おしゃれ度の高い県民性」を考えなければと思うのです。

そんなところまで本から分かるのか。。というのは、そこまでは分からなかったです。

もう1つ最後に「新しいモノやコトに対する受容の柔軟性」は大切かと。

これは本の中に出てきたことなのですが、「新しいことに興味を持つタイプ」なのか「閉鎖的で保守的なタイプ」なのかで比較的新しい内容の「ジュエリーのレンタル」などというサービスを利用する気持ちになるのかならないのかというところは参考になるところでした。

ただ、日本人全体がどちらかというと全体的に保守的な感じの印象でしたので、「ありゃりゃ。。」と思ったところです。

外国人様の方が受け入れていただきやすいのかもしれません。

あとがき

この度の本は、マーケティング用に書かれた本ではないと思います。

それでも、能動的に「このようなことが知りたいからこのことについて書かれた本は無いか」と探して出会った本。

2003年出版のかなり以前ものですが、「県民性」の著しい変化がない限り定番の内容として有難く受け止めて良いと思います。

ある枠にとらわれ過ぎずに、自ら探究していく探し方で本を読むというのも本がたくさん溢れたこのご時世ではピンポイントな出会い方だとお進めしたいと思います(^-^)。

書き手:picturesque(ピクチャレスク)

本人が立ち止まって今の状態を冷静に見直す余裕は必要である、天才と崇めるならば周りの商業者達も我欲を控え思いやる心を持つべき【1408】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー」を観賞。

多くのファッション関係に携わる方々やお洋服が好きな方は足を運ばれたかもしれません。

これまで、複数のハイブランド様の「ディレクター」を受け持たれた経歴をお持ちの「天才デザイナー」の一人です。

現在もお元気で「メゾン マルジェラ」様の専属デザイナーを務められていることが奇跡的なほどの大変なこれまでの険し過ぎる道のりの背景などを綴りたいと思います。

華やかなファッション界の独特な「しきたり」なるものに疑問がある自らの考え方も織り交ぜ、互いにどう仕事に関わるべきなのかというところに行き着きたいと思います。

ブラック企業さながらの過酷な重圧、一人がここまで背負う限界の爆発が2011年の問題発言につながったのは互いの思いやりの欠如ではなかったか

年に30回越えのショーをこなさねばならないスケジュールは、タイトな期間の中で準備をするファッション界では当たり前のように今でも変わらぬスタンスで催されます。

特にその一端にはおりませんので外部からの眺めに過ぎませんが、あの度を越したような緊張感に関しましては、そうまでして必要なのかということを思いながら見ていてハラハラしてしまうものです。

「天才」と崇めながらも、本来芸術的な方向にベクトルが向くデザイナー様という仕事が、商業的な絡みによって縛られ窮屈になっていやしないかと。

お酒を浴びるように飲む夜の時間帯に事件は起きました。。

はっきりと動画にまで残るほどの「差別的発言」をしてしまったご本人なのでした。

限界直前にもかかわらずその流れを冷静に今一度見直すような、そのループから外れるような行動ができなかったご本人。

貴重な「天才」の心の内さえ見ることをせずに我欲に突っ走る周りの商業者様達。

その後は、年月を経て「謝罪」によって「許す」という心が芽生えた一部の周りの方々。

年月3年を経て、その後は「メゾン マルジェラ」の専属デザイナー様を務められていきます。

しかし、その中でもいまだに許すことができない方もゼロではないことも事実でのようでした。

トラウマになってしまい、精神的苦痛がいまだに治っていないというのです。

タイトルの「愚かな」は非常に複雑な気持ちが込められていると見ています。

素晴らしいデザイナーであるという太鼓判とその対極にある過去の「言霊:ことだま」に対する残念過ぎる気持ち「嘆き」のようなものが感じられました。

シンプルに、一緒に仕事する者同士が互いの心の内までも気遣いながら行動していくことの欠如であったと思うのです。

幼少の頃のトラウマも持っている本人であると分かっているのであれば、そういったことの背景にある「天才」なのだという見方をせねばならないのではないかと。

「天才」とはいえ、「○○な」が抜けていたのでは。。

人は完璧ではないから、何かずっと心の内に秘めた思いも背負っての今があることをもっと理解しなければと。

「天才」もおごり高ぶることなく、そのような自分を支えてくれた回りに感謝する気持ちを常に持っていなければいけないはずです。

人間関係の中で大切な事2つ、「感謝」「謝罪」をどんな状況でも忘れないことでやり直しや反省が可能になる

「差別的発言」は最も人間が憎むべき1つの暴言ではないだろうかと思います。

発した者は、必ず一人一人に丁寧に時間をかけてでも謝る必要があると思います。

その結果として、許した人といまだに許すことが出来なかった人にも分かれていきました。

結果としては許してもらえないことは仕方がない、いかにその罪が重かったのかと身に染みて感じるしかないのです。

だからこそ、「発する言葉」には気を付けねばならない、永久を招く事態にもなるからです。

とは言え、気を付けるも何もまるで自分ではないかのように勝手に言葉があふれ出していたというケースだったのかもしれません。

その時だけの注意のみでは何とも制御すらできなかった「爆発」はそれまでの長い年月の中で膨らんでいったものだったのかもしれないです。

そうならないためには。。ということを考えますと、互いにビジネスパートナーの生い立ちや背景までも気遣うような接し方を常にするべきであったのかとかなり以前まで遡ったところに問題があったと思えます。

コミュニケーションの真の大切さとでも言えるものだと思います。

あとがき

このたびのケースは世界規模の皆が知る事件であり、有名天才デザイナー様のケースだったので大きく取り上げられたことでした。

しかし大小関わらず、日常のビジネスの中ではこういったことが起こっているのではないでしょうか。

非常に頑固な面を持つ私の場合、一度「大きな裏切り」があるとなかなか許すということができないのです。

ましてや「謝罪無し」などはその点を非常に根に持ってしまいます。

ただ「謝罪」がきちんとあった場合はどうだろうかと考えたのです。

その謝罪が「心からのものである」と感じたなら許すべきではないだろうかと。

人間という心ある生き物は実は、心の奥の「まこと」の部分に大きく反応するのではないかと思うのです。

書き手:picturesque(ピクチャレスク)

小説が事業にくれるヒントは大いにある、読書を幅広い分野で読むことのメリットは、専門分野だけに特化するよりも多角的な考えを持てる【1405】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

図書館で借りるスタイルの読書ライフを続けています。

時々気になった本を即入手したい時に図書館の検索でも見つからなかったものは、「メルカリ」「ヤフオク」「amazon」サイトを探すことがあります。

そして、他の数冊と一緒に手にした本、「キスに煙:織守きょうや 著」を拝読。

「スケート」に関わる登場人物達のお話です。

ネットの噂により、かなり引き込まれる貪るように読んでいく夢中さがある本であることが間違いなくその通り、そこそこ厚みがありながらも短い期間で結末を求めて読み終わっていきました。

非常に素晴らしく良かった本の1冊としてご紹介したいと思います。

人の心の隅々までを推し量る登場人物の姿は「忖度」の悪い使われ方を遥かに飛び越えた古き良き魂のようだ

サスペンスもの・BLものどちらにもはまらないような感じを受けました。

それぞれ、そのような場面もありながら読み終わった後にすごく純粋なものに触れた気がしたのでした。

こうまで人の気持ちというのは立体構造であり、心の内というものがある、登場人物の二人の男性はどちらも正当で自分の気持ちに正直だったところが非常にすがすがしかったです。

これまでのたくさんの計り知れない進化の中で、「人間」が繁栄した現代において、最も生き物の中では複雑で万能である存在。

しかし、本当の心の内は、他の動物にも決して無くはない、最も純粋なものが本来の姿であるはずではなかったかと思います。

いつしか、「狡さ」「嘘」を覚え、内面がそれらにとらわれた人間はもうとうに本来の大切な物を失くしてしまっているのではないかと。

そんな人間だらけでは、「犯罪」「戦争」などがどんどん悪い出来事が起こっていくのでは。。

この二人の男性達の正直さは、良い教えをくれたようなそんな気がしました。

二人の男性「志藤」「塩澤」のそれぞれの「恋愛感情」についての自身の見方

「BL」要素たっぷりであり非常に好きな分野。

ここ5年くらい、「異国色恋浪漫譚:やまねあやの 著」という漫画に感動したことがきっかけ、その良さは共通するところがあります。

そのような男性同士のそれぞれの心の内をこの本から感じた自身の見方で、二人の気持ちの重なりと微妙にずれているところをアウトプットしてみます↓。

・塩澤:志藤に対して、好きである・つきあいたい・結婚したいなどの一般的な恋愛感情と何ら変わらない気持ちを持ち、早くに自身がそのことに気付いている。

・志藤:塩澤に対して好きであるという気持ちは塩澤と共通するところであるが、恋愛感情ではないのだという感じ方に少しずれがある。。と自分ではそこまでしか気付いていないが気付いていないだけで塩澤と同じ思いがほぼ重なっている。

このような見方をしています。

一人一人の人間は全く同じではない程の複雑さが遺伝子レベルであるので、そこが人間らしい違いなのです。

それでも、ここまで気持ちが相容れた二人は非常に望ましい良き関係であると思っています。

あとがき

相手の心の内を推し量ること、自分の心の内を相手に素直に打ち明けること、こういったことの素敵さが感じられ、非常に後味が良い物語でした。

身近な動物でも人間の3歳児くらいのレベルがあるようです。

「思いやりの心」などを素直にまっすぐにシンプルに表現する動物にも感動することがあります。

本来、感動するところは、そういったシンプルな自然の生き物の姿に対してなのかもしれません。

小説など事業に関係ないと思っていましたが、長い事業活動での都度の選択や判断においては、どのような分野の本でも影響があるものです。

今後も専門的な分野のみにとどまらず優れた本を分野拘らずに手に取って読んでいきたいと思います(^-^)。

これまでの偏った固定観念ガチガチの見方を解き放ち刷新、事の見方の切り口を変え、人の見方を良い面に注視【806】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、ルーティーン化した読書のたびに、こうして感想や思うところを投稿しています。

この内容の投稿は、カテゴリーの<読書>として集まっています。

このたびは、同時に2冊をご紹介。

2著書に共通するところが、著者様がWEB発信をされている方であるというところです。

「ユダヤ人大富豪の教え:本田健 著」と 「一生使える言い換え言葉:えらせん 著」です。

2著ともとても素敵なお話でしたが、共通するところが、物の見方や考え方の違い1つで大きく人生すら変わることです。

そう考えますと、著者様をネットで見つけたこと、そしてこれらの本との出会いは大変重要だったと思います。

「ユダヤ人大富豪の教え:本田健 著」:不思議な世界に案内されたような感覚、非常に素敵なストーリーにまとめられていた

非常に多くの書籍を発行されている「作家」様です。

最初は、YouTubeで知った方でしたが、作家様であるとを知り、著者様の中で一番有名な本とのこの本を読ませていただこうと思ったわけです。

とにかく、最初はYouTubeを拝聴したことがきっかけです。

非常に和やかなオーラみたいなものを感じるお顔やお話の様子と、通常胡散臭さを感じがちな「お金」にまつわる内容との良きバランスとがとても自然です。

ビジネスに通じる商業のやり方の根本の部分を著者様の実体験からストーリー仕立てで綴られています。

すごく素敵なお話で、しばらく余韻が残る程の内容。

1つの事象を見る時に、切り口は1つではない、固定観念こそがやっかいなもので、誰も見つけることの無かった点から展開して行けることのヒントをもらったような気がしました。

「一生使える言い換え言葉:えらせん 著」:知らない人にさえも愛情を持った人間でいられますように。。

おそらくYouTuber様でもあるのでしょうが、どちらかと言うと、頻繁にネットニュース記事でお見掛けする人物でした。

ここ最近、頻繁に記事が更新されていたことを見て、気になっていたところだったのです、

主に人間関係のノウハウといったようなことで、その中からとても印象に残ったことがありました。

「人間の悪い面よりも人間の良い面に注視した見方」です。

粗を探しがちな見方だとなかなか難しいことなのですが、この良い面を重視できると、おそらく、自分自身が大きく変わると思うのです。

このことの意味は、同じ人間をフラットに、そして愛情を持って見つめる姿勢だと思いました。

その姿は「心が広い人間」ということになると思います。

あとがき

事に対して人に対しての見方や接し方を能動的に自ら変えていくことで、随分景色が変わってくるということがとても素晴らしいことだと教えていただきました。

こういったことは、固定観念さえ取っ払うことができれば、何か特別な活動をするということではないものだと思うのです。

ただ、この固定観念が取っ払えないことが大きな課題であり、世の中の多くが人の悪い面を重要視する見方に偏っているのだと思います。

それは窮屈なところにいる不満や苛立ちのはけ口のようにもなっているかと。

まずは、「縛られた環境」から「自由」を入手するベースを持って、こうした考え方を受け入れていけるのではないかと自分なりに考えてみました(^-^)。

頼り待っているだけじゃない、素直に信じながらの自助努力も大部分が大切、様々な病気や悩み事の改善に向き合う姿勢【802】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「動画で感じる!チャクラ覚醒者の癒し スピリチュアル・パワー<天啓気療>:北沢勇人 著」を拝読。

2021年頃からずっと拝聴させていただいておりますYouTuber様の新書です。

きっかけは、「卵巣嚢腫」「子宮筋腫」などの婦人科系の病気の経過観察中の心強い「助け」を探していた最中に出会ったチャンネルでした。

26歳くらいから左右に「卵巣嚢腫」そして「子宮筋腫」も持っているタイプなのです。

動画を拝聴すると、いかに世の中で同じような経過観察中の婦人科系の病気を持っておられる方が多いかを知りました。

基本的に病院では、「切って失くす」ということで、良性のしこりを除外していく考え方。

手術さえすれば完治なのかというのは、実はその後も再び再発の方や、別の場所にも新しくできるなどきりがないイタチごっこ的なところがあるみたい。

これは、あまり参考にしていただいてはいけないことなのですが、もう手術の時に送り込まれる先であるような大きな病院の先生と喧嘩をして、切除を逃れ現在も引き続き経過観察のみのままです。

これが果たして良い判断なのかどうかは、言い切れないのですが、「切ってみないと分からない」というようなことに絶対に応じることができなかったのでした。

基本的に、「メス」というものをいとも簡単に入れるものではないという考えも持ってきたから余計でした。

とりあえず不思議なパワーを信じてみる。。そして毎日北沢先生の動画を見る日課をここ何年も継続しています。

このたびは、北沢先生の動画を拝聴してきた2021年からのこの数年間の変化を綴りたいと思います。

事実、このタイミングからものすごく自らが変わっていったということに自分が驚いているほどです。

時々重い傷みがあった「卵巣嚢腫」、以前は1.5cm程だと言われた「子宮筋腫」のその後の実感やその他の変化について

先生がよくおっしゃっているのは、病気にとどまらず、「考え方・人間関係」さえも変化するほどのことがあるパワーが先生にあるとのこと。

先生もおっしゃっているように、こうした「遠隔」の動画を見るだけではなく、本人の努力も伴うものであり、改善へのひたむきな姿勢も伴うものであるということがよく分かります。

もしかしたら、先生のパワーのおかげでそういう考え方にもなっていったのかもしれません。

効果というのは、たった1つのことだけでなく、いろんなパワーが複合して大きな力になって効力を発揮するという構図なのかもしれません。

そういったこともこの数年で教えていただいたような気がします。

できる限りの努力はしてまいりましたし、並行して起こっていた「片頭痛」もあながちこの婦人科系の病気に無関係とは言えないと思えてきました。

現在「片頭痛」の方も以前よりも大きく改善しました。

気持ちの持ち方・発する言葉・考え方のすべてのことが病気や、今あるコンディションに関連付くのではないかと。

結局のところ「すべては1つ」ということが根底にあるのではないかと思うのでした。

それぞれ1つ1つを丁寧に努力し解決していくことで最終的に「人生」が潤っていくのではないかと考えますと、細かい1つずつに向き合うひたむきな姿勢こそ大切。

確実に昔よりも今の方が「卵巣脳腫」「子宮筋腫」もサイズは大きくなっているはずですで、おそらく10cmはあると思います。

それでも、昔、会社の残業中に感じた「ズドーン」とした痛みなどは現在は皆無。

「完治」に対しては欲張り過ぎずに、「以前の痛みは起こっていないな」などと付き合いながらあっさりと見守るというような姿勢でおります。

そして、「考え方」「人間関係」などに関しては、より自分の軸がはっきりとしたものになりまして、心で思っていることを素直に実行する体勢のようなものが整った今があります。

事業の実りなどは今後努力することで引き続き頑張り続けていけば良いという地点に立てています。

こうして、様々な変化をしてきたこの3年くらい、確かに早々と過ぎ去るスピーディーさは周知のようにあったのですが、その中でも随分変わることができたと思います。

あとがき

本当は、もっと「おかげさまで」ということを言いたいのですが、努力もかなり並行してきていますので、効力とかそういったところにスポットを当てるとよく分からないのです。

しかし、間違いなく、有難いパワーを浴びたのではないかと思っており、大きく感謝したいと思います。

北沢先生が動画の中などでおっしゃっている、「〇〇が見えるなどというのは、「自我のイメージなのではないか」とのことに、特徴があると思いまして、この部分が一番信用ができる点。

「こんなことが起きる」などとまだ起こってもいない将来のことを今煽ると、大切な今をちゃんと踏みしめて過ごせなくなってしまうことにさせるような責任があります。

そういったタイプのスピリチュアルとは一切無縁の、ただ正直な事実と考え方のみをお話されていることに非常に共感し、本当のスピリチュアルってむしろこちらではと。

同じ1つの事象なのに捉え方1つで二股に分かれてしまうこと、「良い方向」に向けていける人間を信じたいですし、自身もそうであり続けたいと改めて決心したこの度でした(^-^)。

飲み会に明け暮れた結果売上が減った事実は常に地道な姿勢の大切さの戒めと教訓だったのではないか【1400】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

最近の読書の中で、ビジネス系で出会う本の構造が似ていることがあります。

このたび、「ものづくりへの情熱:佐藤芳直/葛西幸太郎/吉崎誠二 著」を拝読。

3社の老舗が1章ずつの構造です。

3社というのはかなり絞られた数のピックアップですが、じっくりとその創業者からの時代の歴史が綴られ深い読み方ができる点がメリットです。

この中に、1つアパレル分野の老舗で、自身の近所の範囲に当たるお店であったため、その立地をイメージしながら興味深く注目しました。

この中から、1つのエピソードをピックアップして見たいと思います。

華やかなイメージの業種こそ地道であるべき、「接待」なのか「遊び」なのかの別

その中で、危機に瀕しながらも脱却していく様子、どんなことを試みたのかなどが具体的に綴られます。

手記というよりは、「コンサルタント」様が記録としてその会社と関係する中で見てきたことという見方なので書いている方は第三者である「コンサルタント」様という構造です。

アパレルとかコスメなどの業界は華やかなイメージです。

ただ、経営する本人というのは、どういった姿勢であるべきなのかが分かりやすいエピソードが。。

「接待」という名目でお客さんと交わる日々の結果、売上が下がったということがあったというエピソード。

その後その事実を教訓として、「接待」を極力減らし見直したというのです。

いろんな業種に見られる光景なのではないかと思いました。

この時の時代は「バブル」の頃だと思われますので、特にこれが当たり前だったのでした。

事業者としてやっていくということは、事業に人生のすべてを注ぐのだという「覚悟」や「姿勢」がまずはベースなのだと思います。

「遊びを仕事に。。」ということも、おそらく大真面目に遊ぶということをされている結果そのように言葉にして誇れるのだと思います。

「何をしているのか」ということよりも、「全力でやっているのか」というところが焦点なのだと思います。

日本酒は値段に関わらず「産地」が「新潟県」産がおいしい

その他のこの本の中の老舗は、「日本酒」メーカー様が掲載。

少し本とはずれるのですが、こんなお話を自身からアウトプットしたいと思います。

実は、過去に10年間で500件強の「居酒屋めぐり」を友人とした記録があります(ノートに日付とお店の生を付けていました)。

そんな中で、「日本酒」がより好きになっていき、お酒のおつまみのアイデアも自分で浮かぶように。。

ここでお伝えしたいのは、「日本酒」に関して、高額であればおいしいということもないということ。

極端な話、コンビニやスーパーの一番安いビンの日本酒だけでも比べることができます。

その中で10種中1件くらいの割合で、「新潟産」があることがあります。

それを選ぶと非常においしいと感じます。

強くなくて、優しく包み込むような味わいとでも言いますか、飲みやすいのです。

表面のパッケージを見ることが多いお酒ですが、裏面の「産地」を見ても判断がつくことがあるという例です。

あとがき

「決してあきらめない」という姿勢は勇気をもらえます。

現在継続できている老舗会社様こそ、試行錯誤や努力に人生を注ぎ込んできているのです。

長い目で見ると、今は成果があまり感じない少しずつの事でも意味があることだと信じています。

すぐに結果を求めるのも大変おこがましいことで、それだけの存分な努力をしていくことを伴うものだと思うのです。

自国の伝統生地、衰退しないためには文化として馴染みある形で一人一人に広がれば良い【758】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、一気に4冊連続で、産地品である生地についての本を拝読。

1)「糸がつむぐお話 一宮のまちと繊維産業:末松グニエ 文(あや) 著」

2)「糸がつむぐお話Ⅱ~尾州ツイード~:末松グニエ 文(あや) 著」

3)「大島紬誕生秘史:重村斗志乃利 著」

4)「ヨーロッパのテキスタイル史:辻ますみ 著」

1)の地域に3)の地域の方が視察に訪れるような場面もあり、生地発祥の当初はそんな風につながりもあったのだということが驚きでした。

このたびは、得に1)2)については自身の住んでいる地域の近隣であり、これまで繊維分野にたくさん触れてきたことで今後のアイデアみたいなものを考えてみました。

世界からも注目されているハイブランド様御用達の傾向もある「尾州ウール」に関して、3)の大島紬に関して、4)の海外の生地に関してをそれぞれ、自身の言葉で、今思うことをまとめたいと思います。

「尾州ウール」の可能性・・・1)2)

どうしても、お洋服で言うと「冬」をイメージしがちなウール。

重いイメージから季節が限定され、実際にも重衣料に向くような素材ではあると思います。

しかし、受け取る私達も、変なイメージをいったん取っ払い、もっと取り入れ方を広げるということが今後の存続と広がる可能性を生むのではないかと考えます。

黒生地だとウール100%だったとしてもバッグには違和感もないですし、以前にウール100%でバッグもを作ったことがありますがとても使いやすかったです。

ウールは保管すると虫が好み穴が開いたりすることが多いので、常に使うものに取り入れるのも1つの手ではないかと思います。

「季節感」も時として使用時期の縛りをもたらしてしまうので、使用機会が減ってしまうとも考えられます。

今後は、お洋服で数が多い綿/100%、ポリエステル/100%など共に毛/100%であってもフラットに見る目というものが受け取る我々にも大いにあることが望ましいかと。

「大島紬」の美しい柄を出すための「絣筵:かすりむしろ」の手間のかかり具合・・・3)

通常の織物との違いが「大島紬」にはあり、手間がかけられた芸術的な素材。

「締め機:しめばた」という機械に糸を交差させてその後の「染め」作業後美しく柄が出るための「絣筵:かすりむしろ」を作るそう。

この本の読みやすい点は、解説形式をうまく物語と溶け合わせた綴り方である点。

ノウハウ的な硬い説明のみだとなかなか新しい知識として浸透してこないのですが、当時にタイムスリップしたかのように昔話になっているところが忘れられない1冊となりました。

この本の中で熱心に「図案」を考える姿がありました。

やはり、必ず柄はどこかの誰かが考えたもの、「著作権としては無し、もしくはグレーゾーン」の着物の柄とも言われているようですがこうして一読すると、いやはや芸術品のようだと思えてくるのも確か。

「シノワズリ」という呼び名は、貴族の時代のヨーロッパから見た「中国」の芸術品のテイストのこと

17世紀中頃から貴族の間で、他国のテイストを楽しむ文化が栄えた中に、「中国風」のテイストが「シノワズリ」という名前で呼ばれていたそう。

これも模倣の1つで、フランスの独自の解釈によるもの、山などの風景画やボタニカルな花柄などの陶磁器へと製造された文化があったのでした。

他国のテイストはあこがれるもので、我々がヨーロッパのテイストにあこがれるように、互いに新しい感覚に対して興味があり惹かれるのです。

ただ、あくまで呼び名であり、その定義は曖昧ですが、日本の伝統的和柄も元は中国から伝わったところから始まっていまして、中国は他国に多大な影響を与えていたのだと思います。

いかにもヨーロッパ生まれと思えるような柄も、実は中国のテイストの模倣や引用によって取り入れられたきたこともあること、日本にも伝わった中国生まれの柄などの事を考えますと、中国の影響力は多大です。

あとがき

古い本であっても、産地の素材の本は不変の内容であることで一読の価値もあるものも多いです。

ただ、読みやすさなどは近年の活字離れへの工夫として読みやすくなっているところも感じます。

品物を製造するには必ず材料が必要。

すべての始まりは材料の選択にあり、生地のバッグを作るのだと特化していてもその中でどの生地なのかという特化においては、このたびの4冊連続の拝読がとても参考になりました。

3)の大島紬だってバッグにすることができるのです。

ただ、着物として作られたものを解体するのか解体などしないそのままの姿こそが良いのか、はたまたお洋服にした方が柄が広いままで使えるのかなど考えるところは多数。

「リメイク」もむやみに解体して作業する前に、こうした元の背景も一度考えた上での判断が良いと思います。

実際に着物を購入したものの、あまりに美しくて、解体できずにリメイクを躊躇している方のお話をうかがったことがあります。

それは、素晴らしい柄で作られた品物に手を加えることへの躊躇だと思います。

「伝統を守る」とか「産業の継続」ということがどういうことなのかを製造者側だけでは足りなく、受け取る側も同時に考えてみるきっかけはこういった本の良さだと思います。

これを読んだ自身もこうしてアウトプットすることでどなたかに記事を読んでいただいて何を感じたのか、どんな意見を持ったのかというように連鎖してゆけばよいと思いました。

どうぞ、このたびの記事を一読いただいた後に、どんなことを思ったのかというところに注視してみてくださいませ(^-^)。

必ずしもハッピーエンドとは限らない、むしろ対極な「苦味」のある結末こそが心揺さぶる「アメリカ文学」らしさ【366】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「翻案:ほんあん」というのは、元は小説だったりしたストーリーに脚色を加えて映画化されたりすることです。

例えば自身が好きなのは、「松本清張」様の「ミステリー」のドラマ仕立て。

このたびは、いくつかが映画化されてきた作品を含む「アメリカ文学」についての案内本のご紹介です。

この本を一読で読みたい本が決められるのではないかと手にした本です。

それは、「アメリカ文学入門:諏訪部浩一 責任編集」という本。

執筆者様はそれぞれの項目で多数に渡りまして、合計14名が掲載、3名の編集委員様とともに代表の編集責任者様を筆頭に出来上がった多くの力の集結の本。

学生様の「卒業論文」の手引書のようなものとして元は書かれたのではないかと推測します。

多民族が集まるアメリカは、かつては「メルティング・ポット・・・多文化が溶け合って融合」と呼ばれ、ここ近年では、さらに、「サラダ・ボウル・・・多文化がそのまま共存」という表現が生まれています。

多民族が集結するアメリカならではのまとまり方なのだと。

そして、そのそれぞれの作品も、時代ごと著者様ごとに様々であるところが1つに偏らないところに複雑さと深さが見られます。

それぞれの著者様1名のに対して2ページずつに渡り載せられた活躍の時代の様子の写真付きの書物です。

アメリカ文学本のどれを読もうかと興味を持ったその入り口の時点では、まず御一読をお勧めしたい本でした。

最後が決してハッピーエンドではない「モヤモヤ感」や「灰色の気持ち」の正体は、「ironical:アイロニカル:皮肉」にある

テレビドラマや映画においても、最終結末が必ずしもハッピーエンドではないことがあります。

「アメリカ文学」においては、そんな結末のストーリーの集結と言えるのかもしれません。

実際に短編集を読んだ過去に、とても「苦味」を感じたものでした。

なぜそのような気持ちになるのかというのが、より辛く暗い実態を象徴的に映し出している、もしくは、正直に映し出しているからなのでしょう。

そのことが分かりやすく伝わり、何度も映画化されている「The Great Gatsby:F・スコット・フィッツジェラルド 著」。

あの、「華麗なるギャツビー」のことです。

「目指した夢は幻のようなものでしかなかった」という締めくくりがかえって、実態を映し出しているかのようで、とても切ない気持ちになるのです。

今後読みたい本が決まる、「アブサロム、アブサロム!:ウィリアム・フォークナー著」について

最後まで読み終わったところで、早速読みたい本のタイトルが決まってきました。

それは、「アブサロム、アブサロム!:ウィリアム・フォークナー 著」です。

比較的長編であり、「上巻」「下巻」に分かれている出版社様のものもあります。

図書館にあったタイプは、この上下に分かれている片手サイズの単行本でした。

もう、この記事を綴っている時点ですでに読み始めております。

タイトルだけで2度も「アブサロム、アブサロム」と繰り返し、果たして文中にこの言葉がどこで出てくるのだろうか、ちゃんと出てくるのだろうか。。

この「アブサロム」はどんな意味なのか、呪文なのだろうか。。

ワクワクしながらの読み始めとなりました。

なぜこの本を非常に多くの作品の中で選んだのかは、特にはっきりとした理由はありません。

ただの直感であり、それも出会いだと思っております。

その他興味のあるユニークなタイトルとして、「宙ぶらりんの男:ソール・ベロー」。

どんな男の様子を描いてこのタイトルなのか、背景は何なのか興味がわきます。

きっかけは何でもよいかと。

とにかく惹かれたものを素直に読んでみるところが入り口なのでしょう。

あとがき

意外な事なのですが、「読書」は最も心を静める「ストレスを軽減するもの」だとのこと。

「賑やかにどんちゃん騒ぎをするこでは決してない」のが意外です。

このたびは、直接無関係にも思える分野の本ではあったのですが、分野を特に絞り過ぎないところもむしろポイントにするようになりました。

読書ライフを取り入れてこれで5年以上が経過。

図書館で借りていくスタイルが非常にぴったりと合いました。

「新書」もチェックしていますが、ほとんどがレンタル中。

かなり「アメリカ文学」の歴史でもここ最近にまで及んだSF小説なども含まれていて、ミュージシャン「ボブ・ディラン」様も「ノーベル文学賞受賞者」という位置付けから掲載がありました。

情報の更新が目まぐるしいここ近年では「新書」の良さがあります。

目を引くものは分野問わずチェックすることを心がけています。

物語の中に、「何を伝えたかったのか」を読みとるということは、現実的には人間の行動から読む心理とか、なぜそうしたのかの理由などを読み取ることに通じるものがあります。

決して、小説がその読み手に何も関係が無いということはなく、むしろ同じ人間として大いに関連することなのです。

地球の覇者である現在の人間に必要な事、「感情」を持つ他の動物達に寄り添い気持ちを汲み取る態度【1391】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「生命の大進化40億年史 新生代編:土屋健 著」を拝読。

この本はシリーズ物で全部で3冊。

このたびの「新生代編」はいよいよ生物の進化が人間に及ぶ一番新しい年代で締めくくられシリーズが完結されました。

どの年代も本当に面白かった。

「古生代編」は水の中からのスタートで海中心の生物の誕生、「中生代編」は恐竜全盛期の時代を含む陸地の変化と共に生きた生物の時代、そしてこのたびの「新生代編」では、進化が複雑に絡み哺乳類の全盛期とも呼べる現在につながる時代です。

40億年という長い間では、最初の頃は非常にゆっくりなペースだったと感じましたが、このたびの3冊目の「新生代編」だと急激に変化が激しくなっているところが特徴です。

気の遠くなるような長い長い年月のほんの少しの間に私たちが今存在しているということを改めて思うことになります。

このたびは、現在では家族の一員という姿がよく見られる他の動物との共存の仕方として、地球の覇者となった権力ある人間としてのふるまい方をつつましやかに、そしてどんな恩恵を他の動物から受けているのかをしっかりと考えるという課題をもってこの記事を綴ることに致します。

他の動物と相応しい共存の仕方を考え、小さな動物の「気持ち」を考える

毛でおおわれた頑強な牙を持つマンモス。

マンモスの体すべてが人間が生きるために利用できるパーツがそろっていたことで効率の良い材料という事情のようでした。

肉は「食」に、骨は「武器や道具」に、毛は「防寒用の衣類」にと1頭で様々な暮らしの恩恵にあずかっていたということになります。

そうしなければ人間が生きのびてはいけなかったということです。

現在は多分野に材料があり、「ビーガン」と呼ばれ動物の肉を食べなくても生きていける選択もあり、趣味嗜好の違いとして食べ物の選択ができます。

そんな恵まれ、満たされた現代の地球上で人間は一番の「覇者」と呼んでも良いかと。

だからこそ、権力を乱用するべきではなく、つつましやかな態度であるべきだと思います。

「あいつは虫一匹殺せない男でねえ。。」というフレーズがよく小説や映画の中で出てくることがあります。

虫ですら「生き物」であるからむやみにその生命を奪うことをしないという「優しい」人柄を表現したフレーズです。

体のサイズは関係がなく、単純な構造であっても「意志」や「気持ち」や「感情」を持っているのが生き物なのではないかと。。

あとがき

今やペットも家族の一員で、何ら人間と同じような暮らしぶりなのだと思うことがあります。

確かに脳の構造も違うので、子供のようなものかもしれませんが、それでもその可愛らしさに受ける恩恵があり、「癒し」はまず一番のことだと思います。

いつもかわいらしさで自分達人間の気持ちに「GIVE」をしてくれているのだから、ペットから得た「TAKE」を更に「GIVE」へと還元するべきだと思います。

そして、今どんなことを思っているのか。。など、言葉を話すことが無い性質の動物に対してその「気持ち」の部分を汲み取る態度がとても重要なのだと思います。

現在拝聴していますペットの数々の動画などもまるで人間のような感情を持ち、人間に似た習性を垣間見ると、人間も動物も「平等」であるべきだと教えてくれているかのようです。

ましてや、「暴力や虐待」などはもってぬ他であり、大変罪深きことなのだということになります。

日常生活から事業まで、あらゆることの達成や成功のベースは「正直さ」にあるのではないか【1390】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「あきらめるって素晴らしい:石川孝一 著」を拝読。

記事を書いている時点では、半年程前に発行されたばかりの、図書館の新書検索の中で出会ったことがきっかけです。

著者様は目が不自由であられますが、多くの人に勇気を与えるようなパワーを感じました。

このたびは、一読させていただいた中で、自身が受け止めたことをこの記事にまとめたいと思います。

今目の前にあることを全力でやり抜くこと

とにかく、一歩踏み出す行動力が素晴らしく、スピード感あふれます。

会社経営、政治への参加などみんなが目で見て分かるような大きなことを何ら目の不自由さが信じられない程。

全体を通して、今を懸命に過ごされている様子がうかがえました。

その時に言うべき主張はその時にという実直さはとても共感、「タラレバ」ほど煮え切らない後味の悪いことはありませんから。。

その時々の精いっぱいが、後を振り返った時に軌跡となって道をしっかりと踏みしめてきたのだと分かります。

そこにあるものは「誠実さ」、まぎれもない自分自身へのものだということです。

納得いかないことは都度「主張」を堂々とされたところなどは、良い意味で日本人離れしておられます。

なぜ「あきらめる」というタイトルが入っているのか

「あきらめる」ということを「素晴らしい」と結んであります。

ここが、著者様らしさのすべての根源だと思えます。

常に活動的で考え方は非常に前向きなのです。

随分と目に関しては、試行錯誤があり、海外へも渡航しながら1つの目標(治癒)をめざされた時期があったのです。

この「あきらめるって素晴らしい」という文言は、何もご自身の身体上の事だけを指したものでは決してなく、会社経営もされてきた社長様でありますから、人生すべてにおける事項に対しての言葉だと思うのです。

ここで、私自身の「あきらめたこと」にも重ねてみました。

それは、個人事業主スタート時に始めたハンドメイドバッグの製造と販売。

これが、思うように成果が出ず、ハンドメイドバッグの「人気」みたいなものを十分に得られませんでした。

そうして、2022年後半辺りから切り口なるものを変え、「作り方ノウハウのご提供」というところを目指し始めました。

きらびやかな「ハンドメイド作家」のようなことを目指す道を「あきらめた」のです。

その他、自身の人生においても考えてみれば、随分多くの「あきらめ」がありましたが、これは、「重い荷物を手放す」とも考えられるのです。

その先にあるのは、なんと「新しい未来」。

よって、「あきらめる」という言葉が否定的な言葉ではなく、「素晴らしい」と語った著者様に大いに共感した点があったのでした。

まず一番に「自分」に対して常に正直でありたい

「Honesty」という曲がとても好きです。

「正直さは、世の中の多くが偽りだましだましの中では非常に孤独を感じるものであるけれど、これこそが最もこの世で大切にしたいものだ」と解釈した歌。

人の波に流されて、いつしか見失っていた「正直さ」は本来誰に対して正直であるべきだったのか。。

それは、「自分自身」に対してなのだと思います。

あとがき

一人の人生は1つのみ。

そして、長い目でみた地球の歴史を考えれば、ほんの一瞬の光の矢のような短い期間でしかないのです。

その期間に奇跡的にここに姿を現し、悩み考えることができる素晴らしさを、むしろ毎日有難く思うべきなのです。

途中の「失敗」などは、それも懸命な毎日の中でのものなら、あって当然であり自然のものなのです。

一瞬ごとの人とのやりとり、すべての活動や行動に対して、精いっぱいを尽くしたものであるのかが本当の意味での「評価」のようなものではないかと思います。

正直でいることが心がすっきりとして気持ちが良い毎日を送りながら、ひたむきに丁寧に一歩ずつを歩まれますよう(^-^)。