これまでの偏った固定観念ガチガチの見方を解き放ち刷新、事の見方の切り口を変え、人の見方を良い面に注視【806】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、ルーティーン化した読書のたびに、こうして感想や思うところを投稿しています。

この内容の投稿は、カテゴリーの<読書>として集まっています。

このたびは、同時に2冊をご紹介。

2著書に共通するところが、著者様がWEB発信をされている方であるというところです。

「ユダヤ人大富豪の教え:本田健 著」と 「一生使える言い換え言葉:えらせん 著」です。

2著ともとても素敵なお話でしたが、共通するところが、物の見方や考え方の違い1つで大きく人生すら変わることです。

そう考えますと、著者様をネットで見つけたこと、そしてこれらの本との出会いは大変重要だったと思います。

「ユダヤ人大富豪の教え:本田健 著」:不思議な世界に案内されたような感覚、非常に素敵なストーリーにまとめられていた

非常に多くの書籍を発行されている「作家」様です。

最初は、YouTubeで知った方でしたが、作家様であるとを知り、著者様の中で一番有名な本とのこの本を読ませていただこうと思ったわけです。

とにかく、最初はYouTubeを拝聴したことがきっかけです。

非常に和やかなオーラみたいなものを感じるお顔やお話の様子と、通常胡散臭さを感じがちな「お金」にまつわる内容との良きバランスとがとても自然です。

ビジネスに通じる商業のやり方の根本の部分を著者様の実体験からストーリー仕立てで綴られています。

すごく素敵なお話で、しばらく余韻が残る程の内容。

1つの事象を見る時に、切り口は1つではない、固定観念こそがやっかいなもので、誰も見つけることの無かった点から展開して行けることのヒントをもらったような気がしました。

「一生使える言い換え言葉:えらせん 著」:知らない人にさえも愛情を持った人間でいられますように。。

おそらくYouTuber様でもあるのでしょうが、どちらかと言うと、頻繁にネットニュース記事でお見掛けする人物でした。

ここ最近、頻繁に記事が更新されていたことを見て、気になっていたところだったのです、

主に人間関係のノウハウといったようなことで、その中からとても印象に残ったことがありました。

「人間の悪い面よりも人間の良い面に注視した見方」です。

粗を探しがちな見方だとなかなか難しいことなのですが、この良い面を重視できると、おそらく、自分自身が大きく変わると思うのです。

このことの意味は、同じ人間をフラットに、そして愛情を持って見つめる姿勢だと思いました。

その姿は「心が広い人間」ということになると思います。

あとがき

事に対して人に対しての見方や接し方を能動的に自ら変えていくことで、随分景色が変わってくるということがとても素晴らしいことだと教えていただきました。

こういったことは、固定観念さえ取っ払うことができれば、何か特別な活動をするということではないものだと思うのです。

ただ、この固定観念が取っ払えないことが大きな課題であり、世の中の多くが人の悪い面を重要視する見方に偏っているのだと思います。

それは窮屈なところにいる不満や苛立ちのはけ口のようにもなっているかと。

まずは、「縛られた環境」から「自由」を入手するベースを持って、こうした考え方を受け入れていけるのではないかと自分なりに考えてみました(^-^)。

頼り待っているだけじゃない、素直に信じながらの自助努力も大部分が大切、様々な病気や悩み事の改善に向き合う姿勢【802】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「動画で感じる!チャクラ覚醒者の癒し スピリチュアル・パワー<天啓気療>:北沢勇人 著」を拝読。

2021年頃からずっと拝聴させていただいておりますYouTuber様の新書です。

きっかけは、「卵巣嚢腫」「子宮筋腫」などの婦人科系の病気の経過観察中の心強い「助け」を探していた最中に出会ったチャンネルでした。

自身は、26歳くらいから左右に「卵巣嚢腫」そして「子宮筋腫」も持っているタイプなのです。

動画を拝聴すると、いかに世の中で自身と同じような経過観察中の婦人科系の病気を持っておられる方が多いかを知りました。

基本的に病院では、「切って失くす」ということで、良性のしこりを除外していく考え方。

手術さえすれば完治なのかというのは、実はその後も再び再発の方や、別の場所にも新しくできるなどきりがないイタチごっこ的なところがあるみたい。

これは、あまり参考にしていただいてはいけないことなのですが、自身の場合、もう手術の時に送り込まれる先であるような大きな病院の先生と喧嘩をして、切除を逃れ現在も引き続き経過観察のみのままです。

これが果たして良い判断なのかどうかは、言い切れないのですが、「切ってみないと分からない」というようなことに絶対に応じることができなかったのでした。

基本的に、「メス」というものをいとも簡単に入れるものではないという考えも持ってきたから余計でした。

とりあえず不思議なパワーを信じてみる。。そして毎日北沢先生の動画を見る日課をここ何年も継続しています。

このたびは、北沢先生の動画を拝聴してきた2021年からのこの数年間の変化を綴りたいと思います。

事実、このタイミングからものすごく自分自身が変わっていったということに自分自身が驚いているほどです。

時々重い傷みがあった「卵巣嚢腫」、以前は1.5cm程だと言われた「子宮筋腫」のその後の実感やその他の変化について

先生がよくおっしゃっているのは、病気にとどまらず、「考え方・人間関係」さえも変化するほどのことがあるパワーが先生にあるとのこと。

先生もおっしゃっているように、こうした「遠隔」の動画を見るだけではなく、自身の努力も伴うものであり、改善へのひたむきな姿勢も伴うものであるということがよく分かります。

もしかしたら、先生のパワーのおかげでそういう考え方にもなっていったのかもしれません。

効果というのは、たった1つのことだけでなく、いろんなパワーが複合して大きな力になって効力を発揮するという構図なのかもしれません。

そういったこともこの数年で教えていただいたような気がします。

自身もできる限りの努力はしてまいりましたし、並行して起こっていた「片頭痛」もあながちこの婦人科系の病気に無関係とは言えないと思えてきました。

現在「片頭痛」の方も以前よりも大きく改善しました。

気持ちの持ち方・発する言葉・考え方のすべてのことが病気や、今ある自身のコンディションに関連付くのではないかと。

結局のところ「すべては1つ」ということが根底にあるのではないかと思うのでした。

それぞれ1つ1つを丁寧に努力し解決していくことで最終的に「人生」が潤っていくのではないかと考えますと、細かい1つずつに向き合うひたむきな姿勢こそ大切。

確実に昔よりも今の方が「卵巣脳腫」「子宮筋腫」もサイズは大きくなっているはずですで、おそらく10cmはあると思います。

それでも、昔、会社の残業中に感じた「ズドーン」とした痛みなどは現在は皆無。

「完治」に対しては欲張り過ぎずに、「以前の痛みは起こっていないな」などと付き合いながらあっさりと見守るというような姿勢でおります。

そして、「考え方」「人間関係」などに関しては、より自分の軸がはっきりとしたものになりまして、心で思っていることを素直に実行する体勢のようなものが整った今があります。

事業の実りなどは今後努力することで引き続き頑張り続けていけば良いという地点に立てています。

こうして、様々な変化をしてきたこの3年くらい、確かに早々と過ぎ去るスピーディーさは周知のようにあったのですが、その中でも随分変わることができたと思います。

あとがき

本当は、もっと「おかげさまで」ということを言いたいのですが、自身の努力もかなり並行してきていますので、効力とかそういったところにスポットを当てるとよく分からないのです。

しかし、間違いなく、有難いパワーを浴びたのではないかと思っており、大きく感謝したいと思います。

北沢先生が動画の中などでおっしゃっている、「〇〇が見える」などというのは、「自我のイメージ」なのではないかとおっしゃるところに、先生の特徴があると思います。

この部分が一番信用ができる点なのです。

「こんなことが起きる」などとまだ起こってもいない将来のことを今煽ると、大切な今をちゃんと踏みしめて過ごせなくなってしまうことにさせるような責任があります。

そういったタイプのスピリチュアルとは一切無縁の、ただ正直な事実と考え方のみをお話されていることに非常に共感しているのです。

同じ1つの事象なのに捉え方1つで二股に分かれてしまうこと、「良い方向」に向けていける人間を信じたいですし、自身もそうであり続けたいと改めて決心したこの度でした(^-^)。

飲み会に明け暮れた結果売上が減った事実は常に地道な姿勢の大切さの戒めと教訓だったのではないか【1400】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

最近の読書の中で、ビジネス系で出会う本の構造が似ていることがあります。

このたび、「ものづくりへの情熱:佐藤芳直/葛西幸太郎/吉崎誠二 著」を拝読。

3社の老舗が1章ずつの構造です。

3社というのはかなり絞られた数のピックアップですが、じっくりとその創業者からの時代の歴史が綴られ深い読み方ができる点がメリットです。

この中に、1つアパレル分野の老舗で、自身の近所の範囲に当たるお店であったため、その立地をイメージしながら興味深く注目しました。

この中から、1つのエピソードをピックアップして見たいと思います。

華やかなイメージの業種こそ地道であるべき、「接待」なのか「遊び」なのかの別

その中で、危機に瀕しながらも脱却していく様子、どんなことを試みたのかなどが具体的に綴られます。

手記というよりは、「コンサルタント」様が記録としてその会社と関係する中で見てきたことという見方なので書いている方は第三者である「コンサルタント」様という構造です。

アパレルとかコスメなどの業界は華やかなイメージです。

ただ、経営する本人というのは、どういった姿勢であるべきなのかが分かりやすいエピソードが。。

「接待」という名目でお客さんと交わる日々の結果、売上が下がったということがあったというエピソード。

その後その事実を教訓として、「接待」を極力減らし見直したというのです。

いろんな業種に見られる光景なのではないかと思いました。

この時の時代は「バブル」の頃だと思われますので、特にこれが当たり前だったのでした。

事業者としてやっていくということは、事業に人生のすべてを注ぐのだという「覚悟」や「姿勢」がまずはベースなのだと思います。

「遊びを仕事に。。」ということも、おそらく大真面目に遊ぶということをされている結果そのように言葉にして誇れるのだと思います。

「何をしているのか」ということよりも、「全力でやっているのか」というところが焦点なのだと思います。

日本酒は値段に関わらず「産地」が「新潟県」産がおいしい

その他のこの本の中の老舗は、「日本酒」メーカー様が掲載。

少し本とはずれるのですが、こんなお話を自身からアウトプットしたいと思います。

実は、過去に10年間で500件強の「居酒屋めぐり」を友人とした記録があります(ノートに日付とお店の生を付けていました)。

そんな中で、「日本酒」がより好きになっていき、お酒のおつまみのアイデアも自分で浮かぶように。。

ここでお伝えしたいのは、「日本酒」に関して、高額であればおいしいということもないということ。

極端な話、コンビニやスーパーの一番安いビンの日本酒だけでも比べることができます。

その中で10種中1件くらいの割合で、「新潟産」があることがあります。

それを選ぶと非常においしいと感じます。

強くなくて、優しく包み込むような味わいとでも言いますか、飲みやすいのです。

表面のパッケージを見ることが多いお酒ですが、裏面の「産地」を見ても判断がつくことがあるという例です。

あとがき

「決してあきらめない」という姿勢は勇気をもらえます。

現在継続できている老舗会社様こそ、試行錯誤や努力に人生を注ぎ込んできているのです。

長い目で見ると、今は成果があまり感じない少しずつの事でも意味があることだと信じています。

すぐに結果を求めるのも大変おこがましいことで、それだけの存分な努力をしていくことを伴うものだと思うのです。

自国の伝統生地、衰退しないためには文化として馴染みある形で一人一人に広がれば良い【758】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、一気に4冊連続で、産地品である生地についての本を拝読。

1)「糸がつむぐお話 一宮のまちと繊維産業:末松グニエ 文(あや) 著」

2)「糸がつむぐお話Ⅱ~尾州ツイード~:末松グニエ 文(あや) 著」

3)「大島紬誕生秘史:重村斗志乃利 著」

4)「ヨーロッパのテキスタイル史:辻ますみ 著」

1)の地域に3)の地域の方が視察に訪れるような場面もあり、生地発祥の当初はそんな風につながりもあったのだということが驚きでした。

このたびは、得に1)2)については自身の住んでいる地域の近隣であり、これまで繊維分野にたくさん触れてきたことで今後のアイデアみたいなものを考えてみました。

世界からも注目されているハイブランド様御用達の傾向もある「尾州ウール」に関して、3)の大島紬に関して、4)の海外の生地に関してをそれぞれ、自身の言葉で、今思うことをまとめたいと思います。

「尾州ウール」の可能性・・・1)2)

どうしても、お洋服で言うと「冬」をイメージしがちなウール。

重いイメージから季節が限定され、実際にも重衣料に向くような素材ではあると思います。

しかし、受け取る私達も、変なイメージをいったん取っ払い、もっと取り入れ方を広げるということが今後の存続と広がる可能性を生むのではないかと考えます。

黒生地だとウール100%だったとしてもバッグには違和感もないですし、以前にウール100%でバッグもを作ったことがありますがとても使いやすかったです。

ウールは保管すると虫が好み穴が開いたりすることが多いので、常に使うものに取り入れるのも1つの手ではないかと思います。

「季節感」も時として使用時期の縛りをもたらしてしまうので、使用機会が減ってしまうとも考えられます。

今後は、お洋服で数が多い綿/100%、ポリエステル/100%など共に毛/100%であってもフラットに見る目というものが受け取る我々にも大いにあることが望ましいかと。

「大島紬」の美しい柄を出すための「絣筵:かすりむしろ」の手間のかかり具合・・・3)

通常の織物との違いが「大島紬」にはあり、手間がかけられた芸術的な素材。

「締め機:しめばた」という機械に糸を交差させてその後の「染め」作業後美しく柄が出るための「絣筵:かすりむしろ」を作るそう。

この本の読みやすい点は、解説形式をうまく物語と溶け合わせた綴り方である点。

ノウハウ的な硬い説明のみだとなかなか新しい知識として浸透してこないのですが、当時にタイムスリップしたかのように昔話になっているところが忘れられない1冊となりました。

この本の中で熱心に「図案」を考える姿がありました。

やはり、必ず柄はどこかの誰かが考えたもの、「著作権としては無し、もしくはグレーゾーン」の着物の柄とも言われているようですがこうして一読すると、いやはや芸術品のようだと思えてくるのも確か。

「シノワズリ」という呼び名は、貴族の時代のヨーロッパから見た「中国」の芸術品のテイストのこと

17世紀中頃から貴族の間で、他国のテイストを楽しむ文化が栄えた中に、「中国風」のテイストが「シノワズリ」という名前で呼ばれていたそう。

これも模倣の1つで、フランスの独自の解釈によるもの、山などの風景画やボタニカルな花柄などの陶磁器へと製造された文化があったのでした。

他国のテイストはあこがれるもので、我々がヨーロッパのテイストにあこがれるように、互いに新しい感覚に対して興味があり惹かれるのです。

ただ、あくまで呼び名であり、その定義は曖昧ですが、日本の伝統的和柄も元は中国から伝わったところから始まっていまして、中国は他国に多大な影響を与えていたのだと思います。

いかにもヨーロッパ生まれと思えるような柄も、実は中国のテイストの模倣や引用によって取り入れられたきたこともあること、日本にも伝わった中国生まれの柄などの事を考えますと、中国の影響力は多大です。

あとがき

古い本であっても、産地の素材の本は不変の内容であることで一読の価値もあるものも多いです。

ただ、読みやすさなどは近年の活字離れへの工夫として読みやすくなっているところも感じます。

品物を製造するには必ず材料が必要。

すべての始まりは材料の選択にあり、生地のバッグを作るのだと特化していてもその中でどの生地なのかという特化においては、このたびの4冊連続の拝読がとても参考になりました。

3)の大島紬だってバッグにすることができるのです。

ただ、着物として作られたものを解体するのか解体などしないそのままの姿こそが良いのか、はたまたお洋服にした方が柄が広いままで使えるのかなど考えるところは多数。

「リメイク」もむやみに解体して作業する前に、こうした元の背景も一度考えた上での判断が良いと思います。

実際に着物を購入したものの、あまりに美しくて、解体できずにリメイクを躊躇している方のお話をうかがったことがあります。

それは、素晴らしい柄で作られた品物に手を加えることへの躊躇だと思います。

「伝統を守る」とか「産業の継続」ということがどういうことなのかを製造者側だけでは足りなく、受け取る側も同時に考えてみるきっかけはこういった本の良さだと思います。

これを読んだ自身もこうしてアウトプットすることでどなたかに記事を読んでいただいて何を感じたのか、どんな意見を持ったのかというように連鎖してゆけばよいと思いました。

どうぞ、このたびの記事を一読いただいた後に、どんなことを思ったのかというところに注視してみてくださいませ(^-^)。

必ずしもハッピーエンドとは限らない、むしろ対極な「苦味」のある結末こそが心揺さぶる「アメリカ文学」らしさ【366】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「翻案:ほんあん」というのは、元は小説だったりしたストーリーに脚色を加えて映画化されたりすることです。

例えば自身が好きなのは、「松本清張」様の「ミステリー」のドラマ仕立て。

このたびは、いくつかが映画化されてきた作品を含む「アメリカ文学」についての案内本のご紹介です。

この本を一読で読みたい本が決められるのではないかと手にした本です。

それは、「アメリカ文学入門:諏訪部浩一 責任編集」という本。

執筆者様はそれぞれの項目で多数に渡りまして、合計14名が掲載、3名の編集委員様とともに代表の編集責任者様を筆頭に出来上がった多くの力の集結の本。

学生様の「卒業論文」の手引書のようなものとして元は書かれたのではないかと推測します。

多民族が集まるアメリカは、かつては「メルティング・ポット・・・多文化が溶け合って融合」と呼ばれ、ここ近年では、さらに、「サラダ・ボウル・・・多文化がそのまま共存」という表現が生まれています。

多民族が集結するアメリカならではのまとまり方なのだと。

そして、そのそれぞれの作品も、時代ごと著者様ごとに様々であるところが1つに偏らないところに複雑さと深さが見られます。

それぞれの著者様1名のに対して2ページずつに渡り載せられた活躍の時代の様子の写真付きの書物です。

アメリカ文学本のどれを読もうかと興味を持ったその入り口の時点では、まず御一読をお勧めしたい本でした。

最後が決してハッピーエンドではない「モヤモヤ感」や「灰色の気持ち」の正体は、「ironical:アイロニカル:皮肉」にある

テレビドラマや映画においても、最終結末が必ずしもハッピーエンドではないことがあります。

「アメリカ文学」においては、そんな結末のストーリーの集結と言えるのかもしれません。

実際に短編集を読んだ過去に、とても「苦味」を感じたものでした。

なぜそのような気持ちになるのかというのが、より辛く暗い実態を象徴的に映し出している、もしくは、正直に映し出しているからなのでしょう。

そのことが分かりやすく伝わり、何度も映画化されている「The Great Gatsby:F・スコット・フィッツジェラルド 著」。

あの、「華麗なるギャツビー」のことです。

「目指した夢は幻のようなものでしかなかった」という締めくくりがかえって、実態を映し出しているかのようで、とても切ない気持ちになるのです。

今後読みたい本が決まる、「アブサロム、アブサロム!:ウィリアム・フォークナー著」について

最後まで読み終わったところで、早速読みたい本のタイトルが決まってきました。

それは、「アブサロム、アブサロム!:ウィリアム・フォークナー 著」です。

比較的長編であり、「上巻」「下巻」に分かれている出版社様のものもあります。

図書館にあったタイプは、この上下に分かれている片手サイズの単行本でした。

もう、この記事を綴っている時点ですでに読み始めております。

タイトルだけで2度も「アブサロム、アブサロム」と繰り返し、果たして文中にこの言葉がどこで出てくるのだろうか、ちゃんと出てくるのだろうか。。

この「アブサロム」はどんな意味なのか、呪文なのだろうか。。

ワクワクしながらの読み始めとなりました。

なぜこの本を非常に多くの作品の中で選んだのかは、特にはっきりとした理由はありません。

ただの直感であり、それも出会いだと思っております。

その他興味のあるユニークなタイトルとして、「宙ぶらりんの男:ソール・ベロー」。

どんな男の様子を描いてこのタイトルなのか、背景は何なのか興味がわきます。

きっかけは何でもよいかと。

とにかく惹かれたものを素直に読んでみるところが入り口なのでしょう。

あとがき

意外な事なのですが、「読書」は最も心を静める「ストレスを軽減するもの」だとのこと。

「賑やかにどんちゃん騒ぎをするこでは決してない」のが意外です。

このたびは、直接無関係にも思える分野の本ではあったのですが、分野を特に絞り過ぎないところもむしろポイントにするようになりました。

読書ライフを取り入れてこれで5年以上が経過。

図書館で借りていくスタイルが非常にぴったりと合いました。

「新書」もチェックしていますが、ほとんどがレンタル中。

かなり「アメリカ文学」の歴史でもここ最近にまで及んだSF小説なども含まれていて、ミュージシャン「ボブ・ディラン」様も「ノーベル文学賞受賞者」という位置付けから掲載がありました。

情報の更新が目まぐるしいここ近年では「新書」の良さがあります。

目を引くものは分野問わずチェックすることを心がけています。

物語の中に、「何を伝えたかったのか」を読みとるということは、現実的には人間の行動から読む心理とか、なぜそうしたのかの理由などを読み取ることに通じるものがあります。

決して、小説がその読み手に何も関係が無いということはなく、むしろ同じ人間として大いに関連することなのです。

地球の覇者である現在の人間に必要な事、「感情」を持つ他の動物達に寄り添い気持ちを汲み取る態度【1391】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「生命の大進化40億年史 新生代編:土屋健 著」を拝読。

この本はシリーズ物で全部で3冊。

このたびの「新生代編」はいよいよ生物の進化が人間に及ぶ一番新しい年代で締めくくられシリーズが完結されました。

どの年代も本当に面白かった。

「古生代編」は水の中からのスタートで海中心の生物の誕生、「中生代編」は恐竜全盛期の時代を含む陸地の変化と共に生きた生物の時代、そしてこのたびの「新生代編」では、進化が複雑に絡み哺乳類の全盛期とも呼べる現在につながる時代です。

40億年という長い間では、最初の頃は非常にゆっくりなペースだったと感じましたが、このたびの3冊目の「新生代編」だと急激に変化が激しくなっているところが特徴です。

気の遠くなるような長い長い年月のほんの少しの間に私たちが今存在しているということを改めて思うことになります。

このたびは、現在では家族の一員という姿がよく見られる他の動物との共存の仕方として、地球の覇者となった権力ある人間としてのふるまい方をつつましやかに、そしてどんな恩恵を他の動物から受けているのかをしっかりと考えるという課題をもってこの記事を綴ることに致します。

他の動物と相応しい共存の仕方を考え、小さな動物の「気持ち」を考える

毛でおおわれた頑強な牙を持つマンモス。

マンモスの体すべてが人間が生きるために利用できるパーツがそろっていたことで効率の良い材料という事情のようでした。

肉は「食」に、骨は「武器や道具」に、毛は「防寒用の衣類」にと1頭で様々な暮らしの恩恵にあずかっていたということになります。

そうしなければ人間が生きのびてはいけなかったということです。

現在は多分野に材料があり、「ビーガン」と呼ばれ動物の肉を食べなくても生きていける選択もあり、趣味嗜好の違いとして食べ物の選択ができます。

そんな恵まれ、満たされた現代の地球上で人間は一番の「覇者」と呼んでも良いかと。

だからこそ、権力を乱用するべきではなく、つつましやかな態度であるべきだと思います。

「あいつは虫一匹殺せない男でねえ。。」というフレーズがよく小説や映画の中で出てくることがあります。

虫ですら「生き物」であるからむやみにその生命を奪うことをしないという「優しい」人柄を表現したフレーズです。

体のサイズは関係がなく、単純な構造であっても「意志」や「気持ち」や「感情」を持っているのが生き物なのではないかと。。

あとがき

今やペットも家族の一員で、何ら人間と同じような暮らしぶりなのだと思うことがあります。

確かに脳の構造も違うので、子供のようなものかもしれませんが、それでもその可愛らしさに受ける恩恵があり、「癒し」はまず一番のことだと思います。

いつもかわいらしさで自分達人間の気持ちに「GIVE」をしてくれているのだから、ペットから得た「TAKE」を更に「GIVE」へと還元するべきだと思います。

そして、今どんなことを思っているのか。。など、言葉を話すことが無い性質の動物に対してその「気持ち」の部分を汲み取る態度がとても重要なのだと思います。

現在拝聴していますペットの数々の動画などもまるで人間のような感情を持ち、人間に似た習性を垣間見ると、人間も動物も「平等」であるべきだと教えてくれているかのようです。

ましてや、「暴力や虐待」などはもってぬ他であり、大変罪深きことなのだということになります。

日常生活から事業まで、あらゆることの達成や成功のベースは「正直さ」にあるのではないか【1390】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「あきらめるって素晴らしい:石川孝一 著」を拝読。

記事を書いている時点では、半年程前に発行されたばかりの、図書館の新書検索の中で出会ったことがきっかけです。

著者様は目が不自由であられますが、多くの人に勇気を与えるようなパワーを感じました。

このたびは、一読させていただいた中で、自身が受け止めたことをこの記事にまとめたいと思います。

今目の前にあることを全力でやり抜くこと

とにかく、一歩踏み出す行動力が素晴らしく、スピード感あふれます。

会社経営、政治への参加などみんなが目で見て分かるような大きなことを何ら目の不自由さが信じられない程。

全体を通して、今を懸命に過ごされている様子がうかがえました。

その時に言うべき主張はその時にという実直さはとても共感、「タラレバ」ほど煮え切らない後味の悪いことはありませんから。。

その時々の精いっぱいが、後を振り返った時に軌跡となって道をしっかりと踏みしめてきたのだと分かります。

そこにあるものは「誠実さ」、まぎれもない自分自身へのものだということです。

納得いかないことは都度「主張」を堂々とされたところなどは、良い意味で日本人離れしておられます。

なぜ「あきらめる」というタイトルが入っているのか

「あきらめる」ということを「素晴らしい」と結んであります。

ここが、著者様らしさのすべての根源だと思えます。

常に活動的で考え方は非常に前向きなのです。

随分と目に関しては、試行錯誤があり、海外へも渡航しながら1つの目標(治癒)をめざされた時期があったのです。

この「あきらめるって素晴らしい」という文言は、何もご自身の身体上の事だけを指したものでは決してなく、会社経営もされてきた社長様でありますから、人生すべてにおける事項に対しての言葉だと思うのです。

ここで、私自身の「あきらめたこと」にも重ねてみました。

それは、個人事業主スタート時に始めたハンドメイドバッグの製造と販売。

これが、思うように成果が出ず、ハンドメイドバッグの「人気」みたいなものを十分に得られませんでした。

そうして、2022年後半辺りから切り口なるものを変え、「作り方ノウハウのご提供」というところを目指し始めました。

きらびやかな「ハンドメイド作家」のようなことを目指す道を「あきらめた」のです。

その他、自身の人生においても考えてみれば、随分多くの「あきらめ」がありましたが、これは、「重い荷物を手放す」とも考えられるのです。

その先にあるのは、なんと「新しい未来」。

よって、「あきらめる」という言葉が否定的な言葉ではなく、「素晴らしい」と語った著者様に大いに共感した点があったのでした。

まず一番に「自分」に対して常に正直でありたい

「Honesty」という曲がとても好きです。

「正直さは、世の中の多くが偽りだましだましの中では非常に孤独を感じるものであるけれど、これこそが最もこの世で大切にしたいものだ」と解釈した歌。

人の波に流されて、いつしか見失っていた「正直さ」は本来誰に対して正直であるべきだったのか。。

それは、「自分自身」に対してなのだと思います。

あとがき

一人の人生は1つのみ。

そして、長い目でみた地球の歴史を考えれば、ほんの一瞬の光の矢のような短い期間でしかないのです。

その期間に奇跡的にここに姿を現し、悩み考えることができる素晴らしさを、むしろ毎日有難く思うべきなのです。

途中の「失敗」などは、それも懸命な毎日の中でのものなら、あって当然であり自然のものなのです。

一瞬ごとの人とのやりとり、すべての活動や行動に対して、精いっぱいを尽くしたものであるのかが本当の意味での「評価」のようなものではないかと思います。

正直でいることが心がすっきりとして気持ちが良い毎日を送りながら、ひたむきに丁寧に一歩ずつを歩まれますよう(^-^)。

「洋服に興味なし」も立派な「主張」として装いに現れる自明、「衣」は本来着る人間の人生そのものを無言で示す手段【1385】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「闘う衣服:小野原教子 著」という本を読ませていただきました。

本来「衣服」とは何なのかということの深堀りには貴重な本だと思います。

厳しいアパレル業界で今後もお仕事をしていく決意の際に、今一度原点に立ち戻って考えることをする際などにご一読をお勧めしたいです。

そして、今後の衣服との向き合い方や取り入れ方を考えるきっかけとしては是非お勧めの本でございます。

この本の内容に関してはご一読の解釈に委ねるということで、ここでは「衣服の装い」をもっと重視するべきではないかという投げかけ的な内容になります。

時々「服には興味なし」という方がいらっしゃいますが、実はその「意志表示」こそ「衣」の神髄なのではないかと思うのです。

人間である以上衣服を纏うことは誰もが共通する事項、同時にその人間の「人生」さえも現れてしまう自明

私のワードローブ:クローゼット無しなのでアパレルハンガーラック150cmにオールシーズンをぎっしり。

おそらくお洋服コーデが得意なアパレル業界勤務歴(事務でしたが。。)が長い大の洋服好きな自身のワードローブにも特徴があります。

たまたま私はお洋服が好きなのですが、その分野は黒ベースといった偏りがあります。

この偏りは他人からは違和感のあるラインナップに映ることもあるかもしれませんが、これこそが自身の着たい洋服でしかないのも事実なのです。

ここ近年より正直に本当に気に入ったものだけを選ぶようにしていますので、どれも渾身の1点ずつになります。

では、冒頭のようにお洋服に興味が無い人の場合を考えてみます。

とても究極な大の洋服嫌いの方の例。

お洋服選びにあれこれ悩むことさえわずらわしく、そこに大切な時間が奪われることさえ苦痛。

よってお洋服は真っ黒Tシャツとデニムと決めている人がいたとします。

ではこの人がお洋服によって何も表現していないのでしょうか。。

いいえ、十分に意志表示とメッセージを伝えていることになります。

お洋服以外の事へ「情熱」を費やしたいためにお洋服にストレスをかけないミニマムさが現れた立派な「表現」なのです。

均一なファストファッションアイテムは何者なのかが伝わりにくい危険

サイズ展開とカラーのくくりでグループ分けされた大量生産のお洋服。

ファストファッションがその代表です。

この製造形態で作られたお洋服は同じ物を他の大勢の人も着ていますので自身ならではの差別化がはかりにくいです。

とはいえ、お洋服を着ないということは決してあり得ないので、何かしらの表現を自然にしてしまっていること、この危険性をもっと真剣に考えるべきではないかと思っております。

お洋服に興味が無いから何となくでよいと思っていたらちょっと危険なのです。

他の人の目には、「ぼやけた意志表示」として誤解を招くような捉え方をされてしまうかもしれないのです。

そういった意味ではお洋服は「自分の発見」というような深みもあるのです。

勘違いしがちなのは、お洋服が表面的な「飾り=余計なもの」と考えてしまうこと。

実は、その人の「生きざま」さえも表す重要なツールなのです。

あとがき

言葉で発する挨拶だけが自己紹介ではないのかもしれません。

身にまとったお洋服こそが「無言」で出会った人や周りの人へのメッセージとなっていることにしっかり気づくことはとても重要なことだと思っています。

そこからが本当のお洋服への目覚めとして本当に自分らしい装いの発見ができる岐路に立つのではないかと。

ヨーロッパの多くの老若男女がスナップ写真の「おしゃれ」アイコンとして取り上げられるのも、コーデそのもののテクニックや着こなしの技術だけではないようです。

その人がどんな考え方を持ち、どんな人生を歩んでいるのかを映し出しているモニターのようなものが「装い」なのです。

どうでしょう、「衣」がやはり今後も重要な概念であると思えてきますね。

今一度お洋服1点1点を自身の写し鏡のアイテムだという見方で見つめてみて下さいませ(^-^)。

燃えるような赤いショールは強い決心の象徴、不登校・離婚・事業継続など様々な課題と対峙する1家族が織りなすストーリー【1376】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

よく新聞やネットで紹介されている本を読んでみることがあります。

豊富に紹介されているのですが、「図書館派」の自身は、図書館にその紹介の本が存在している場合というところに絞り、借りる本を決めます。

できるだけ多分野から、多角的にいろんなことを考えるために、事業のファッション関係に絞り過ぎず、時々関係ない分野の本も読むことも。。

このたびは小説です。

きっかけは、「ホームスパン」というキーワード、繊維分野の事業が背景ということで手にすることにした本です。

「雲を紡ぐ:伊吹有喜 著」。

主人公の祖父が営む、羊(ひつじ)の毛を有難くいただいて、ウールのショールに織りなす製造の小規模事業が背景です。

主人公から見た目線、両親一人一人から見た目線、祖父から見た目線など、小説の語り手が時々変わるところも本の構造としてはユニークでした。

本当の意味の事業の継続の瞬間

「親の跡を継ぐ」ということが昔ながらにして自営業では必ず直面すること。

ミュージシャンの子供が、反発して長い間音楽には手を付けなかったのに、最終的には親と同じ音楽の道を行くことにした例。

お寺さんが跡を継ぐことに反発して若い頃家出をし、長いこと経った後帰ってきて、新しいお寺さんの形を作り継承していった例。

そういったことを後から振り返るととても不思議であり、何か別の力が働いていたかのようです。

「輪廻:りんね」という仏教用語があると思うのですが、なぜかこの言葉が浮かびました。

この小説の中では跡を継がなかった主人公の父と反対に、主人公は自ら惹かれるように東京から東北まで出ていったのです。

出ていった娘を心配し、父や母も後を追います。

そうして、離れ離れの一族が集まる機会が出来ました。

その惹かれた何か見えないパワーのようなことがきっかけでこのストーリーが展開。

自身も、母がミシンを使い洋服を作っていた、刺繍の機械でワンポイント刺繍のロット生産の受注をしていたファッションに関わる分野の仕事をしているのを見ていました。

また、小学生の頃に自宅に鉄の足踏みミシン(レトロなやつ)があり、学校のぞうきんを縫う機会、運動会のハチマキを作る機会、家庭科の作業などをきっかけに縫製に触れる瞬間がありました。

それ以外でもふと思い立って勝手にロックミシンを触ったり、変な使い方でしたが、ロックの縫いの固定でそれとなく生地をつなげてポーチを作ったりなどしました。

特に、引き継ぐようにとかそんなことは全く無かったのですが、振り返ってみれば同じ業種で仕事をする今があることも事実。

こういった目に見えないつながりは「輪廻」だと思えます。

10代というのは、すごく影響を受けやすい年齢。

まだ何も方向性が決まらずとも、1つの事に対する印象や感動が思いの他根強い。

大きくなってからもそのきっかけを覚えているくらいの衝撃的な場面であることも多いと思うのです。

ある意味、小さい頃というのは多感でアンテナが繊細に働いていて、いろんなことをキャッチしやすいと言えます。

自宅にあった足踏みの鉄のミシンは、リズムに乗らなければ糸が切れてしまう感覚的な難しさがありました。

現在のコンピューターミシンとは違うのです。

そのコツを何となく、ぞうきんを作る中で得ていったという記憶です。

その時、横には祖母がいました。

あとがき

製造する「モノ」には、いろんなストーリーが宿るものです。

今後は、大量生産の構造が何とか持続できるアパレル業者はほんの一握りだと思われます。

1つの品物が高価であっても、そこに込められる哲学やストーリーが価値となるわけで、やみくもに儲け主義に走っただけのやり方はどんどん破綻していっています。

従来のアパレルが行き詰まったことを繰り返しても何の意味もなく、作り方そのものさえ見直す時です。

なぜそれを作るのか、本当に時間をここに裂いてでも作る意味が本当にあるのか、このことさえじっくり問う必要があると思います。

製造する意味のないアパレル品は見直す必要があると思います。

SDGsにもヒントになる部分もあるこの小説でした。

「洒脱:しゃだつ」と「瀟洒:しょうしゃ」が全くの別物とも思えない、互いにある共通の部分は「すっきり」している点【1374】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

高校生の頃、ファッション雑誌を見てお洋服のランナップをそろえていく夢を描いていました。

1980年代後半に読んだ「nonno」は、夢がいっぱい詰まっていたワクワクの読み物だったのです。

目を凝らしむさぼるように写真を見ていく中で、時々街角の一般の人のコーデも紹介されているコーナーがありました。

もしかして現在の読者モデルさんに近いかもしれませんし、たまたまその時に通りかかった「おしゃれさん」であったかもしれません。

当時の私は、写真も見ていたのですが、細かい字も見ていました。

その写真に対する雑誌編集者様のコメントです。

その中で印象的でありたくさん登場していたキーワードに、「すっきりとまとめられている」という言い回しがあったことを記憶しています。

この言葉こそが、「粋:いき」や「洒脱:しゃだつ」が現れているコーデであると言えます。

余計な飾りは付いていない、その代わり、ところどころの小物使いが差し色になっていて、互いに小物同士のカラーもリンクしていたコーデでした。

このたびは、ファッション史や新聞や雑誌の書物によく登場する「洒脱:しゃだつ」という言葉と、同じ「洒」という字が入るもう1つの熟語である「瀟洒:しょうしゃ」を比較してみたいと思います。

定義としては別物とされているようなのですが、じゃあ全くの別物なのかというと共通する部分があると私は思っております。

洒脱さはメンズファッションに見つけやすい

「洒脱自在:遠山周平 著」を一読。

この中で、興味深いメンズのスラックスのタックについて書かれている部分がありました。

目次が、アイテム1つずつで配置された分かりやすい本の構造です。

その中に当然パンツも登場で、前タックの意味は「デザイン」ではなく「機能」なのだということです。

されど、そのタックのみの美しさは多くのスラックス好きが認めるところであり、自身もタック入りのスラックスがとても好きです。

こういうパーツというのは、「機能美」と言ってよろしいかと思います。

必要な最低限の機能そのままを表したデザインだということなのです。

そのミニマムさがかえって美しいのであり、とても素敵なことである、その素敵さ=機能美と解釈しています。

実際に着用するユーザー側というのは、むしろ、この美しいデザインに注目しているのですから、元の「動作による人間の身体の変化に対応した機能」を知らない人だっているのかもしれないです。

特にメンズファッションは衣服の伝統を受け継いで大きく変化しておらず、普遍的なアイテムも多いので、「洒脱さ」を発見しやすい分野だと思います。

洒脱と瀟洒の違いはどこなのか

洒脱と瀟洒の定義の根本的な違いは曖昧:洒脱=chic、瀟洒=elegantで違いのニュアンスをまずは感じ取ります。

この記事を書くにあたって、ネットでそれぞれの意味を調べるも共通するのは、「垢抜けてすっきりとしたさま」という点。

ただ、洒脱と瀟洒は別物であるということも思います。

英語の力を借りると少し分かりやすいです。

洒脱=chicなので、chicの意味の「粋:いき」は、「洒脱」に等しいと考えて良いかと思います。

一方で、瀟洒は、絵画にもその解説で本に書かれているのをここ1年以内の読書で見ています。

動物の絵や自然の絵を描かれた画家の作品の本でした。

そこにも「洒脱は粋とは違う」と明言されていたと思います。

では、答えのはっきりしていないこの2つの言葉を別の言葉を引用しながらそのテイストの違いとして書いてみたいと思います。

「瀟洒:しょうしゃ」=elegantということですが、このエレガントは、自身のイメージでは、レースとかドレスのフォーマルの場面でのしとやかな佇まいの場面に相応しいお洋服をイメージします。

そこへカジュアルテイストの抜けた感じの装いはあまり当てはまらないかと。

それに対して、「洒脱:しゃだつ」は、カジュアルな決してフォーマルな場面には向かない素材でできたお洋服でも、スッキリとまとまっていればありうることだと思うのです。

そう思うのも、英単語の、elegantが瀟洒に等しいということが正解であるというならばということですが。。

ただ、その読んだ絵画の本も、著者様の考え方であるにすぎないとすると、果たして正解かどうかは言い切れません。

では、共通の部分ですが、「すっきり感」で良いかと思います。

上の図の交わる部分にあるテイストです。

共通していない部分は、瀟洒の方だと、例えば、外も気軽に歩けないようなロングドレスがあったとして、それは野暮ったさもあると見れますので、交わる部分には入らず、瀟洒の領域からもはみ出したものなのかもしれません。

一方、同じドレスでも、すっきりとして、外へも気軽に行けるような歩きやすいドレスだったとしたら、「瀟洒」の領域には入っているのかもしれません。

じゃあ、そのドレスが、「chic:シック」であると言えないのかというと言えますので、「洒脱感あるドレスだ」などと言っても良いのでは。。もうこうなるとはっきりと定義することが難しいです。

ほぼ類似の意味の言葉同士なのかもしれません。

そうすると、図はもっと重なったものになり、共通の部分が多くなるのかな↓。

「洒脱」と「瀟洒」の共通部分がほとんどだという見方。

ここまでです。

これからもこの2つの言葉は書物では登場するかと思いますので、引き続き考えていきたいと思います。

あとがき

結局うまくまとめることができませんでした。

「洒脱:しゃだつ」と「瀟洒:しょうしゃ」はかなり共通の部分もあります。

自身の考えとしては、比べれば比べる程近い観念であると思えて来まして、2つ目の図のように最終的な共通部分が大部分の円の重なりをイメージしています。

今後も、芸術作品とか本や図鑑や新聞の解説に登場するこの2つの言葉に是非注目してみて下さい。

もしかして、今までのお洋服の見方が変わるなど、わずかなきっかけにでもなればと思います。