大ぶりな宝石を「飾り」として浮いた付け方をしてきた過去の風習の見直し、日本人が高めるべき「自分表現」の入り混じるジュエリーの装い【313】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

かつては「成金」「マダム」よろしく、キラキラのお洋服にギラギラと大ぶりなジュエリーを付けていた時代があり、それが日本のジュエリーの装い方の特徴でもあったようです。

確かにお品1点ずつはとても豪華で素晴らしいけれども、「なじむ」とか「溶け込む」というテイストとはかけ離れていたような、ある意味「浮いた」ものとして付けられていたイメージです。

一方、「ジュエリー大国」と呼ばれるイタリアでは、多くの人々が洋服になじむジュエリーの付けこなし方ができていて、おのおののテイストで自分にしかできない表現をされているとのことです。

このたび、「成熟へのジュエリー:光野桃 著/ジュエリースタイリスト:伊藤岬」という本を拝読。

まだまだジュエリーを「モノに出来ていない」であろう我々が、この先の伸び代として、ジュエリー含むお洋服との全体コーデに「自分らしさを」取り入れていくためには。。

そもそも「自分らしい」とはどういったことなのかということをまず考える必要があると思います。

装いの全体のコーデから他の人にイメージされる「自分らしさ」こそ最重要事項

1990年以前までは、ジュエリーは地金がゴールドのものが多く、18金というとK18YGの方のことを指すくらいの観念でした。

今では18金と聞くと、「イエローゴールドなの?ホワイトゴールドなの?どっち?」と聞かねばなりません。

著者様とスタイリスト様は、イタリアでお仕事をされた機会の中で、いろいろな人と出会ったり、街行く人達のおしゃれ(いわゆるストリートファッション)を見かけたりして、多くのジュエリーの身に付け方に触れる機会を得ることになったようなのです。

そして、今までイエローゴールド一辺倒だった日本のジュエリー界に、ホワイトジュエリーという銀色や白のイメージのストーンや地金のものを雑誌のコーナーで次々に紹介。

そして、ついには、セレモニー色の強かったダイヤモンドを身近に普段着に身に着けるということが多くの人々に浸透していきました。

この方達の貢献というものはあまり表立って注目されてはいなかったかもしれませんが、実はすごく大きな影響力だっのではないでしょうか。

皆が読む雑誌の全盛期のパワーも相まって、これまで偏った層の人々しか手にしなかったダイヤモンドジュエリーがいよいよ大衆へと広がった時代の最中(さなか)で活躍されていた人達なのです。

この方達の、表現やワード1つ1つにみんながキュンと来たり感銘を受け、大衆に向けたダイヤモンドやプラチナに変わる新しいシルバーカラーの地金のホワイトゴールド文化が根付いていったのです。

そんな良い環境が整った、いろんな装いの可能性が豊富な今こそ「選択」ができる有難さがあります。

よりそれぞれの「らしさ」が生まれるきっかけが転がっている環境になったのです。

「自分らしさ」を作る要素は何なのかを紐解く

「おしゃれ」というものは、さりげないものでもあり、冒頭のような成金の宝石ギラギラの付け方では、「おしゃれ」を飛び越えてしまってそれを見る人達が引いてしまうのです。

目立ってはいるけれど、果たしてそれが「自分らしさ」になっているのか。。

いかにも無理して背伸びしているかのよう、もしくは、高い所から見下ろしているかのような感じが一定の割合生まれます。

それは「自然な装い」ではないがゆえの「違和感」なるもの。

ジュエリーは「実用的であるべき」という考え方も「なじむ」ということに繋がっていくかと思いますと、大ぶりであることの見せびらかしは、本当の意味の「自分の主張」とはイコールではないということです。

ジュエリーを洋服に溶け込ませるというこの「溶け込む」という言葉も非常に重みがあります。

小さな華奢なネックレスをはじめとする控えめなジュエリーのセットを上品なワンピースと組み合わせて、しとやかな雰囲気が作られるというのもこれも「立派な自分表現」となるという意味です。

この本の中で著者様は、「自分らしさ=いくつかのテイストのミックス」と綴っておられます。

自身でこの「ミックス」の部分を解釈してみました。

黒コーデを好む自身は、黒い色だけでなく、さらに素材はでこぼこした凹凸感のある素材に特化したアイテムを集めたり、ジュエリーをロングチェーンのネックレスにしてカジュアル感を出したりという特徴にこだわっています。

いくつかの自分ならではのこだわった部分を寄せ集めたテイストとしてコーデを作っていることに改めて気づきます。

これは、その通りいくつかのテイストが集まっていくので、他の人と全く同じということからより遠ざかりますので、「自分らしさ」がダントツということになります、

あとがき

ファッション分野には興味がないから、「自分らしさ」など表現できないのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、よく考えねばなりません。

人間が今この現代においてお洋服無しで過ごすことなどということはないわけで、おのずと「身にまとう」「身に付ける」という行為が「衣」の存在を否定できないものになっているのです。

気を付けなければならないのは、オシャレなど興味がないから何でもよいからといってTシャツの毎日を過ごす人は、その「Tシャツの毎日」という「自分らしさ」をすでに表現しているのです。

これは、「魔法のようなもの」でもあり、自然とどうしても現れてしまうものなのです。

それならば、「ちゃんと自分らしく表現していこう」と思うところに行き着きませんか。

そして、「誤解など受けないように表現したい」と思うものではないでしょうか。

「自分らしい」ということは、「自分の人生観」とイコールだと言っても大げさではないということになります(^-^)。

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