メンズアイテムからのヒントが画期的、自身が活動的な女性のアイコン-ココ・シャネルの偉業について【231-1】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

今現在から見通す、今後の自分の未来像なんていうのを時々思い浮かべます。

ここ近年めまぐるしくいろいろなことが変化していていく世の中。

ぼんやりと未来を思い浮かべた時に、勘というか、希望というか夢というかなんとなくですが、おばあさんになっても働いているイメージを持っています。

なぜだか、ずっと仕事をしていくことが、幸せであるというような価値観を持っています。

ここ最近ファッションの勉強を兼ねて、ファッション史の本をたくさん読んでいまして、あっと思うことがありました。

その中に、実際に亡くなる前の日まで働かれていた方がいたんです。

誰もが知っているデザイナー、ココ・シャネルです。

シャネルに特化した本を読んで

「シャネル-最強ブランドの秘密」

山田登世子著

という本を読みました。

とても面白く読むことができました。著者さんは、他の本にも文献として登場するのをよく見かけるお名前。

ファッション史家さんだと思っていたのですが、どちらかというとフランス専門の文学者でいらっしゃったのですね。

では、この本の中から、大変感銘をうけた部分、シャネルの成した業(わざ)だと思う点について書きたいと思います。

シャネル自身が働く女性の先駆者

シャネルは、活躍の時期が戦前の1910年からで、今から見るかつてのパリが舞台のデザイナー達が活躍したころのオートクチュール時代では、古い人になりますかね。

途中、世界大戦もはさんでいますので、仕事をいったん中断せざるを得ず、移り住んだりしながらの激動の不安定な時代であった時の人でもありました。

時代背景こそがその要因であったこともあり、新しく、女性が生まれ変わっていく時代でもありました。

シャネルがデザイナーとしてメゾン(仕事場)をパリに開店した1910年以前は、貴族たちが華やかなドレスを身にまとい、豪華絢爛という、いわば見かけの表面上のすばらしさがファッションの評価となっていた時代。

しかし、実際の部分として、そのドレスを着ている女性本人は、身動きがとりにくく、ウエストをぎゅぎゅっとコルセットで締め付け、かわいそうなことに、そのコルセットの締め付けのせいで、骨が損傷していまうという事態にまで体が被害を被っていたのです。

そのようなお嬢様が家でじっとしている時代から、女性も外へ一人で出て、スポーツをしたりするような時代にもなっていく過程があり、その良き波にシャネルは乗ったともいえます。

自身も働く、活動的な女性としての現実を見事に同じ女性に今後の着心地のよい洋服を提案していったという、自然な形で時代の要望に応えていった業を成し遂げた人であろうかと思います。

男性の洋服からのヒント

シャネルは、男性の洋服をよく観察していたよう。

駐屯兵に出くわし、彼らがぶら下げていた、ショルダーバッグのはしりのようなバッグを応用し、かの定番のチェーンショルダーバッグのを生み出したのです。

両手がバッグから解放され、手が自由であることが画期的でありました。

また、そのショルダーバッグの中の構造に、携帯用の口紅が入れられる箇所を作り、機能性にすぐれているという男性的な要素を盛りこんだバッグを作っていったのです。

また、恋人の洋服をよく研究し、メンズのアイテムでしかなかった、セーター、ツイード素材なども男性のアイテムからの影響であるようです。

日々、アンテナをはりめぐらし、アイデアをメンズから取り入れるといったところが全く新しく、日々の暮らしが常に仕事と一体化しているように見えてなりません。

今までに使われなかった新しい色

シャネルカラーと呼ばれる、2色の色があります。

それは、ベージュと黒です。

ベージュは、かつて、シャネルが生まれ育ったパリから遠く離れた村の生まれ故郷の土の色。

シャネルにとっては、人生に密着した色の1つにベージュがあったのです。

もう1色の黒。黒は、かつては、喪服にしか使われていない色であったにもかかわらず、あえてこの黒色を普段着、お出かけ着に取り入れたということが画期的だったのです。

黒というのは、実は、とても強い色、他の何色を混ぜても変化しない黒のままである最強の色。

まさに、この黒に込めたシャネルの精神の強さが感じられます。

イミテーションアクセサリーにこめられたブランディング力

シャネルは、今までは、貴金属、つまり、今でもとても高価な素材である18金やプラチナなどを使ったアクセサリーしか存在しなかったところへ、おもちゃのような、メッキのイミテーションアクセサリーをあえて、高価格で販売します。

この挑戦にもとても強い気持ちが込められているようです。

豪華絢爛な貴金属を世の中からなくしてしまおうとまで思っての企画であったようです。

と、同時に、人々は、素材の良さで買うのではない、シャネルが作ったものだから、特に高価な素材でなくとも振り向くのです。

というよりも、むしろ、シャネル自身のブランディングが、きらきらのダイヤモンドや、真珠や、貴金属に勝るということを証明したといえます。

ヨーロッパとアメリカの文化の違い

シャネルは、アメリカに特に受け入れられたといえます。映画の衣装の製作の依頼が多くあったことで、ハリウッドの重要なデザイナーであったヨーロッパ人です。

ヨーロッパは、もともと、職人の技術がベースにしっかりないとなかなか認められない文化があるようです。

歴史を重んじ、新しいことを嫌う文化。

一方、アメリカは、そういった伝統は持っていないので、ファッションは、コピーや模倣からのスタートとなるわけです。

だからこそ、シャネルの素敵なファッションをアメリカは、大きな戦争を間に挟んだブランクがあっても、戦後にまた、引き続きシャネルブランドを受け入れたようです。

そのアメリカからの動きを見て、後から、ヨーロッパでも戦後も受け入れられたようなので、そういう世界をまたにかけた活躍は、末永く生き残っったブランドであることの背景にあるかもしれません。

シャネルは洋裁を習っていない独学の人であったこと

なんとも意外なことですが、シャネルは、洋裁は、幼い頃修道院の授業で洋裁に触れていたことだけで、本格的には洋裁の学校へ行っていないので、独学です。

そういえば、1983年あたりから、シャネルのデザイナーを担われているカール・ラガーフェルドも同じように独学で、洋裁の学校へは行っていないようです。

むしろ、こういった人が何か新しい息吹を吹き込むのでしょうか。

シャネルは正真正銘の商人であった

シャネルは、初代、ココ・シャネル(本名:ガブリエル・シャネル)時代から、コピーや模倣が後を絶たなかったようです。

このことに対する姿勢と考え方から、シャネルがいかに商人であったかということが分かります。

シャネルは、むしろ真似されて偽物も広く受け入れられることこそが、反対に、オリジナルであるシャネル自身のブランドの価値もあがるのだという考え方でありました。

全く真似しようがない、素材のとことんまでの良質さとか自信、そんなものもありましょう。

むしろ、誰からも模倣されないような商品は魅力的でないのだと、自分も、町を歩き、その人々達からヒントを得ているのだからということです。

とても、マーケットの構造を広い目でとらえ立考え方だと思いました。

ある意味商人気質な面を持ち合わせていたのでしょう。

あとがき

シャネルは、商品の価値というものを、製作費や材料においたのではなく、自分自身の価値というところにおいたことがシャネル以前のデザイナーとは一線を画した点でありましょう。

実際私も、シャネルのプラスチックのリングの価値を貴金属と同等に一緒の価値としてコーデしていたことが、シャネルの狙い通りのブランディングにまんまとはまったということでしょうかね。

では、今回はこれで終わりです。今回、後からなのですが、この記事を書いた2年後の2020年秋にYOUTUBE動画をお作りしたんです。ご視聴どうぞ(^-^)。

ありがとうとうございました。

ところで、この記事の続編として、さらに、シャネルの考えるブランディングの場面にスポットを当てた記事がもう1つ。

記事のタイトル末尾に同じ番号に-2が付けてございますので、よろしければ、【231-2】をこの記事の続編として、どうぞ。

終わり。

私がお作りしております、ハンドメイドバッグ一覧をどうぞご覧くださいませ。

こちら

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