新聞の一説から、新しい形の古楽の演奏形態について知った記録【793】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

昨日読んだ日経新聞(朝刊:日曜日)の一説、「THE STYLE]ですごく興味ある話題がありましたので、感想をお話したいと思います。

ピアノやギターが生まれる前の類似の弦楽器で演奏される古楽というもの

古楽と呼ばれる音楽の分野があるそうです。

弦楽器を主に使用。

ピアノの前身、チェンバロも含みます。

今回の記事の中に素敵な形のギターみたいな弦楽器も登場してワクワクしました。

まずは、ピアノに似た感じの古楽器ですが、

・チェンバロ

・クラヴィコード

と呼ばれるようなものがあるそうです。

クラヴィコードはピアノよりも小さなものとのこと。

そして、ギターに似た感じの古楽器は、

・リュート

・シトール

というものがあるそう。

リュートは、琵琶みたいな形で。ショート丈のフォルム。

シトールは、ギターよりもスタイリッシュなとんがり部分を含んだデザインの楽器。

なぜそのような形なのかは深く調べておりませんが、ギター以外にそんなに古い楽器があったとは。。。

そして、現在も製作を一部されているそうで、その実演の機会があるそうなのです。

コロナ禍で生まれた、少人数のデリバリー演奏会

コロナ禍でいろんなコンサートや演奏会が中止になる事態が起きました。

もう大勢の人が集まる演奏会が難しくなったのです。

そこで、少人数ながら特定の場所でデリバリー演奏会というのが浮上してきているようです。

森林で行われるのがとても効果的な今回の古楽器の古楽演奏会。

森の中は、人間にとってとても心地の良い癒しの音がたくさん詰まっている宝箱のような場所であるとのお話もあるようで、そこに相まってささやくような静かめの音を奏でる楽器である古楽器の演奏がマッチするようです。

是非体験してみたいと思いました。

古い楽器の音はどんな音がするのか、ロックやジャズのに賑やかな音楽とは違った良さがあるようです。

あとがき

ロックとかジャズとても好きなのですが、ヒーリングミュージックもとても注目しています。

他の分野の音楽にはない音というのがキーであるかと思います。

ここで余談ですが、最近知った、「喉歌:throat singing」というのがあるそうで、モンゴルとか、ロシアの方の地域の共和国などの人々が発する歌声のようなメロディーがとても心地よいです。

thorat singingにも伴奏に弦楽器が使われています。

この分野の中でも地域が違うと歌の雰囲気も随分違うみたいです。

まだまだたくさん音楽の種類があるみたいですね。

今後、今回のような自然と一体化して聞くような音楽も、場所設定などで、知らなかったところかわ私達にも身近に聴けるなんていう一層素晴らしい体験が得られる可能性が高まりそうです。

新聞のシリーズものの切り抜きを集めて自分だけのコンテンツをアナログ冊子で作る例【776】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

よく、「これは、永久保存版ですねえ」などと口では言うものの、実際に永久保存している例がいくつあるでしょうか。

デジタルの時代、いつでも閲覧できる可能性が高まり、保存版という言葉が、口頭だけの文句になっているような場面も見られます。

それは、安心感というのか、コンテンツが消えてしまう可能性が薄いことが定着したからなのでしょうかね。

そんなデジタルな時代ながらも、アナログなコンテンツ作りのご紹介をさせていただくのが今回の記事です。

実際、私は未だに新聞もペーパーの状態で読んでいますし、本も何かデジタルが落ち着きません。

そんな方も結構な割合ではいらっしゃるかと思うんです。

新聞の中にある興味あるシリーズを集めて冊子を作った例

新聞の中身というのは、大きくは、「文化」とか「産業」時には「事件」だったりします。

新聞の種類にもよりますが、おおわくそういった身近な生活にかかわる内容ですね。

その中で、シリーズものも数多くあり、担当の記事の一部分を専用の記者様やライター様がコンスタントにアップされています。

結構芸能人の方などもある一定の期間担当されているのもよく見かけます。

そんな記事がわんさか集まった新聞という大きなコンテンツの中で、是非これは価値のあるものだと思ったシリーズがありまして、バラバラとある一定の期間、毎日の新聞に掲載されていた切り抜きを集めて、1つに冊子にすることを決意。

内容などは著作権の兼ね合いで一切お伝えできませんが、そういった作業の例としてのご紹介になります。

図書館でコピーしたり、実際に新聞から切り抜いた記事をA4のコピー用紙に貼り付けて、まとめて、1つの冊子にしました。すき間を確保してコピーして、右端1cmの部分に糊付けして、最後に表紙と裏表紙を糊付け。布ガムテープ(巾2cm程度)で背面を覆います。コピー代のコストは¥200程度。とてもエコノミーなコンテンツです。

これを本みたいに読んでいくのです。

自分だけのコンテンツでの利用にとどめ、人に貸したり、ましてや商業利用で内容をYOUTUBEやブログにアップは禁物。くれぐれもご注意くださいね。

自分だけのコンテンツなならでは。マーカーなども自由に引けますね。

あとがき

料理のレシピなども、例えば、このメニューを作るなら必ずこのレシピなどのストックは有効です。

ほとんど、ネット検索で、その場だけの利用のレシピであることが私も多いのですが、実際そうしてみて思うのは、あの時の味付け良かったなあ。。。などと思うことも多いということです。

もう何も保存していなかったため、行き当たりばったりのネットのあふれかえったコンテンツから同じものを探し出すことが大変。

何度も同じレシピで作り、記憶にとどめる例もカレーライスで行っていますが、何しろインドカレーのスパイスが10種近く入ったものを1つ1つ大さじだったのか小さじだったのかさえ危うくなっていきます。

しばらく作らないとそうなってしまうものです。

そうした経験からも、こういった切り抜きの冊子というのも悪くないと思っています。

デジタルの時代だからこそ溢れすぎて1回限りになってしまう可能性もあるデメリットもあるわけですね。

ということで、コストがコピー¥200程度におさまった、本よりははるかにエコノミーなコンテンツを自分で集めて作ってみるという例でした。

楽しいものです(^-^)。

自分らしさに素直に向き合い、大切にしていく人。。。あるファッションデザイナーの映画を観て【748】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

おそらく、ファッション関係の仕事に何らかの形で携わっておられる方は、この映画にご注目されているのでは。。

と思う、「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」、現在上映中です。

一切、メディアに顔を見せないということがミステリアスであると言われてきました。

引退して10年以上が経過した現在もなお伝説のファッションデザイナーとして語られます。

この映画を観て私が思う、なぜ、このように人々に広く知れ渡り続けている人なのかということを書いていきたいと思います。

なぜ引退したのかということ

まだまだお若いと思いますので、一般的に思われる引退のような年齢ではなかったかと思います。

この辺りは、デザイナーなる人がゆくゆくは直面するようなことなのかもしれないと思っています。

名が知れていない間はがむしゃらにある地点を目指して自分らしく山を登って行けた。

けれども、知名度が上がるにつれて、大手とのタイアップなどのお声がかかり、専属的に安定的にお仕事ができたことが大変喜ばしい一方で、自由というものがいろんなしがらみによって奪われ、窮屈になっていく。。

そんな中での限界とか行き詰まりを感じるものではなかろうか。

とそんな風に思いました。

結局は、自分らしい自由なスタイルを取り戻すための引退であったとそう思います。

なぜ広く人々に知られてきたのか

1つには、かつての駐車場や空き地を使ってのファッションショーという通常では考えられない場所が斬新であったりしたようですが、これが、自然の自分の思いだということ。

そういうイメージの戦略などというものではなく、人物の性格をそのまま表したような場所。

自然な自分の思いを形にした結果がそういったきらびやかなファッションショーの舞台に違和感あるマルジェラならではの素直なスタイルであったことの表現なのでしょう。

高価なビジューや素材をあしらうドレスのようなものではなく、時々リメイクなども取り入れた日常的な庶民的な感覚から生まれた作品も私たちに近い存在として感じるものなのかもしれません。

かねてから、現在のサステイナブル的な要素を取り入れていたという点なども、当時はかなり何歩か進んだものだったのでしょうが、今の時代にはまってきた、理解されてきたということもあるかもしれません。

ここ近年の展示会でもこぞって人々が詰めかけたのも時代とのマッチを感じます。

あとがき

デザイナーとか作曲家とかアーティストのような人というものは、何年も先を予見するようなことを今、先陣を切る形で表現するという部分があるようです。

その当時理解されにくくても、後になって広く知れ渡ることも。

今回の映画のマルタン・マルジェラに関しても、私も知ったのがここ数年前のことで、顔を世に出さずしても、その作品の力がじんわりと活躍して、メディアだらけの環境も相まって今後ももっと知れ渡っていくのではないかと思います。

これは自分のスタイルとは違うのだ。。。という違和感をとても大切にされている方であるなあと思います。

自由な環境でのびのびと作品を作って行けることが本当の自分自身の幸せでもあることを常に考えておられるように見えます。

そんなスタイルが私にも響きました(^-^)。

<映画>シャネルの創始者様は本当に幸せだったのか、ドキュメンタリー映画の中のその険しい表情から感じ取ったこと【737】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ここ最近、ファッション関係の映画を積極的に観るようにしています。

他の分野の映画ももちろんそこからのヒントが斬新だったりすることもあるかもしれませんが、とりあえず、ファッションに何かしら関係のあるお仕事をさせていただいている以上見ない手はありません。

今回「ココ・シャネル 時代と闘った女」を観ました。

1時間足らずの映画でショートの部類です。

見た後の何かずっしりとした重み、これこそがが私がこの映画の真の感想なのかもしれません。

自分の生い立ちなどを語りたがらなかった主人公の代りに映画が語ってくれたこと

ココ・シャネルは、その眩い成功により表部分にまずはスポットが当たります。

けれどもこの映画はむしろ、その対極にあるそうではない、知られていないような部分に注目していると言えます。

そういった意味では、さんざんこれまで映画になってきたシャネルでありますが、今回の映画化の意図が「みんなが知らないシャネル」というような部分を教えてくれるものなのかもしれません。

家庭環境に恵まれなかった辛く厳しい幼少時代のバネの跳ね返りが人生すべてというほどの強いものだった

よく、苦労した過去をバネに。。などと言われますが、まさにそういう一人が「ガブリエル・シャネル」様だと思います。

幼少期に親に見放され、修道院生活をしてきた孤児。

その辛い体験から始まり、疑問だらけの満たされない日々を自らの判断で脱出していき、成功への長い階段をすごい速さで駆け上ります。

決して、育ちの良い、気品あふれた。。。などという女性ではない、どちらかというとやさぐれたような方のタイプ。

嫉妬深くて言葉が汚い。。それでも先見の明ともいうべき、ここぞという分岐点を自分で感じ取り判断し、大きく舵を切っていく。。

この映画が1時間もない短いものであるのも、シャネルがいかに人生を精一杯全力で駆け抜けたのかという疾走感がより伝わるようです。

完全ドキュメンタリーではない部分が多いですが、シャネル様自身がマスコミにインタビューなどで語る姿は本人ですので、リアルです。

どちらかというと気ぜわしく、せかせかしたイメージのお話のし方。

途中に大きな戦争があったり、亡命などもあったりで、そんな事情からか、故郷フランスではなくスイスにお墓があるようです。

あの険しい納得していないような表情は何なのかを自分なりに解いてみた

本当のことは本人しか分からないものです。

ただ、その映画の中に出てくるご本人の表情が決して幸せに満ち溢れた笑顔ではないことがとても引っ掛かりました。

あれだけの成功をおさめていながらもなぜあのような表情をしているのか。。

功績とのあまりのギャップに私の疑問は、ますます高まりました。

考えてみれば、必ず背後に男性の力を借りた成功でもあると見て取れます。

そんな自分をどう考えていたのか。。

もし私だったら。。を考えてみたのです。

事業をスタートする時点で「自分の力で下から這い上がって行こう」と決心したある時点がありました。

とても勇気の必要な重要な決断と覚悟でした。

現在は誰でも事業を始めやすくなっています。

1900年代初頭がこんな時代ではなく、男性の力無くして成功は無かった時代ですので、何も不思議では無かったのです。

しかし、あの映画の中の本人の表情は何かに納得していない表情であると思えてなりませんでした。

インタビュー等では強気な自身たっぷりの力強い発言も多く、その功績に相応しいので何の違和感もありません。

しかし、その裏では、何か満たされていない思いがあったのだと見ています。

その辛過ぎた生い立ちへの悔恨なのか、自身の歩み方が本当に今振り返って納得できる歩み方であったのか。。

そんなことの何かに満たされない気持ちがあの表情に現れたと思っています。

私が思うには、「自分自身」なのではないかと。

創業者のシャネル様は、ファッション史の中では比較的まだ最近の方なので、ご本人の映像も少し残っているようなのです。

一度そういった映像も見て、現在も存続の一大ブランド様を作った人の本当の気持ちという視点で見てみて下さいませ。

名前だけの一人歩きもある現在では、その華々しい功績が語られることが多いですが、その生い立ちがばねになった結果であると考えると、「闇」の部分「心の奥底」の部分も間違いなくあったのです。

そういった意味で、この映画の制作者様は良きスポットにご注目されたと考えます。

あとがき

シャネルは、大きく見ると特にアメリカでは大きく支持された点もすごいものです。

他の皇室ご用達の伝統ブランド、貴族財であったアイテムを作ってきた数々のブランド様との違いがシャネルにはあります。

最初から良い位置付けに恵まれたブランド様とは違って、無名時代があり、底から登って行き、現在に至ってもそれらの伝統ある御用達ブランド様の数々と肩を並べている点が素晴らしいところだと。

それはなぜなのかというのが、シャネル自身が語りたがらなかった、生い立ちなどにも何かヒントがあるのかもしれません。

マス向けの多数の格安模倣デザインバッグと希少価値の高い少量の高級品バッグの共存の意味【730】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「ブランドの条件:山田登世子」という本を読ませていただきました。

単純な感想ではありますが、まずは、とにかく面白かった♪。

有名ブランドの例がピックアップされていたこともあるかと思います。

この本の中で、1つ、とても興味深いことを知りました。

それを今回の記事のテーマとさせていただきたいと思います。

模倣デザインあってこそのオリジナルデザインの価値アップのお話

後に貼りますYOUTUBE動画内では、今回の記事とは別の部分にスポットを当ててお話させていただいておりますので、また後でお楽しみどうぞ。

この記事では、ここから書きます内容をピックアップ致しました。

一流ブランドというものは、模倣に対しては非常に厳しい取り締まりをされているようです。

真似されることで、苦労してオリジナル商品の企画に込めた美学などが曲がって伝わってしまったり、軽々しく扱われたりなど、とにかく大切な宝である権利の侵害ということになるからですね。

けれども、模倣されるという時点で、もはや、される側の価値も同時に認められたということになります。

この妙な矛盾がとても興味深いことです。

もし、模倣品のない高級品の希少価値の高いお品だけだとすると、こうも注目されるかどうか。。。

やはり、真似されるお品があってのかつての貴族に向けた職人技の高級品の価値が浮き立つというもののようです。

結局は、マスに広がるということが一番の発展だということになります。

元々品数が少ない、いや、少なくしかどうしても作れない高級ブランドもマス向けな模倣品と共に生きる運命のようなのです。

すごい矛盾なのですが、それが実体のようで、その辺りは大変学ぶに値する部分になりました。

では、YOUTUBEを貼りますが、YOUTUBE内では、ハイブランドが永続し続けてきているその理由をお話させていただきました。

長きにわたる培った伝統を守るだけではない何かがあるのです。

あとがき

今回の本の著者さんは、とても優れた文筆家といった印象です。

以前にもシャネルについての本を読ませていただきました。

文章のタッチが時折ダイナミックな点が特徴あります。

他にもいろいろお伝えしたいこともあるのですが、特定のブランド名無しで、私のようなハンドメイドバッグを作っているプチ業者であっても必ず持っている「ブランド」というものがある事業主さんには何かのヒントが得られればという視点で今回の記事とさせていただきました(^-^)。

ハンドメイドバッグを作っている者が一流ブランドに学ぶ拘りと技術について【724】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

今回、「シャネルの戦略:長沢伸也 編著/杉本香七 著」という本を読ませていただきました。

10年以上前に書かれた本ではありますが、現在でも大変参考になる内容です。

他の一流ブランドについても、著者様が多くの研究の末、書かれているのですが、今回は、その1つとしてまずは私が一番気になるブランドということで読ませていただきました。

むしろ私達のようなプチ業者こそが参考になるシャネルの方針、価値観、考え方など

この本から、私がいくつかピックアップしまして、メモをしてあります。

今回、その印象に残ったシャネルの方針に大変感銘を受けた部分だったり是非同じようにトライしてみたいことなどをご紹介したいと思います。

まず、ここでお伝えしたいのは、プチ業者が大きな有名一流ブランドを参考になどとレベルが違い過ぎると思われるかもしれないですが、実はそうでもなさそうです。

まず、1点目。

1)非上場、株式非公開の事業形態であることです。

とても意外ですが、あのビッグな世界中の人々が知るブランドさんが、大企業の証である上場をしていないということです。

これにも訳があり、メリットが大きいようです。

もしも上場したり、株式公開がされていると、事業以外の分野からのしがらみによって事業が自由にできない点が出てきます。

私たちの目には意外ですが、シャネルという企業は、陰での数多くの努力とか、実らない日の目を見ない部分の努力の期間も長いと聞きます。

そうした努力の途中段階では、目立ちすぎる存在でいると、落ち目だと悪い情報を流されたり、せっかくの将来の実りの為の種まきとか、地道なコツコツとした歩みがしにくくなるのです。

そういった点で、ひっそりと影の努力が人知れずのびのびとできて、とても向いている形態のようです。

2)オーナーは、シャネル社自身ではなく、資産家のヴェルタイマーであること

シャネル社とは言え、経営者は別にいらっしゃいます。

別で馬とか高級品の事業も手掛けるヴェルタイマー一族。

大きな資産家をバックに持つことで安定感のある会社でいられるわけです。

アパレル業だけでは、なかなか難しいところを、他で多くの収入のあるヴェルタイマーはシャネルに翻弄されることが無いという強く安定の経営者みたいです。

頼もしいですね。それもこれも、信頼関係のもとということになりますので、通常は相手にもされない分野であったかもしれないファッション関係の事業でありながらも、そこが資産家に見初められたのだということですね。

3)香水事業はアパレルの資金源

どの一流ブランドも香水事業を持っていますね。

あれには訳があって、香水事業こそが一番利益が出せる分野であるようなのです。

とても意外です。

そうして、香水事業で得た資金源をアパレル事業の方の投資に使えるというものです。

この事業の仕方にはヒントが詰まっています。

香水でなくとも、1つの分野だけでは難しい事業をどうしてもやりたい場合に、他の利益が多くあげられる事業も行うことで全体を安定的にしていくというもの。

いかに1品だけを商売にしていくことがリスクなのかが分かる例です。

このようなビッグブランドでさえ、多角的な部分がある必要があるということの証明になります。

4)創始者亡き後の目覚ましい発展

創始者がなくなると衰退するものが常。シャネルの場合、引き継ぎ役が大変優れていました。

その一人が、「カールラガーフェルド」。

彼も惜しまれながら、2019年になって間もなく亡くなりました。

この方のシャネルブランドの引継ぎ方が非常に良かったために、シャネルが、新しい形で引き続き発展できたことにも大きく貢献したようです。

古いものを守っていては衰える、思い切って捨てて、ベースにある価値観とか、スタイルのみを残し、それでも変化し続けていく。。。

創始者、ココ・シャネルの価値観を、シャネルブランドに携わるメンバー全員がきちんと理解して、大切に継承しているといったことが徹底的です。

5)基本的な事を地道にやり続けていく

こういったことは、大変学びになります。あんな良い地位にあるブランドでも、これを怠れば奈落の底ということを肝に銘じているのです。

よく、ビッグスターが影では努力しているのだという話がありますが、同じです。

ビッグになればなるほど、その座を狙うライバルも負けてはいませんので、それ以上に上回る大きな要が必要です。

それは、明日や明後日に花咲くものではなく、過去から長い時間をかけた磨いてきた技術であったり、研究であったりというもの。

長い月日は、ライバルが今焦ったところで、何か魔法のようなテクニックで追い越せるものではないのです。

それほど時間をかけるべきところにかけてきた重みというものの力はどんなものにも勝るものであるということです。

6)創始者ココ・シャネルの名言、「ファッションは消えゆくもの、スタイルは残るもの」という考え方

大変分かりやすい文言です。

よく分からなくなってしまいがちな、ファッションとスタイルの違い。

これが根本的に違うものだということです。

表面的な浅いファッションに対してスタイルは奥深いです。

私は、スタイルって、「らしさ」なのかなあと思っていますが、らしさはブランドの力を高めるには大切な部分です。

あとがき

お客さんを呼び込むマーケティングにもきめ細やかな工夫があったようです。

まるで、一人一人に訴えかけるような仕組み。

そういった表にはなかなか出ない影の地道な活動が結果としては大きな成果を生むようで、数字にもつながっていったようです。

そして、その一人一人に訴えかけるような仕組みというのも、無駄のないように、引っかかるべき相手に到達するような工夫とのこと。

ひたすら、メルマガを、見てもいない人に送り続けるという技術があるようです。

他数の内の一定の割合の幾人かに届く情報の事業手法もなるほどとうなずけます。

送る相手を多くすればするほど、ある一定の割合という数も比例して増えるので、いかに多くの相手に送るかということになるかと思います。

しかしながら、メルマガを開けもしない人には無意味です。

届く人が多くなる分、届かない人も多くなるというものです。

そういったこととは逆の、届くべき人をあらかじめ選定しながらのアプローチというものをしているそうです。

現在のネット社会ならではの前者に比べて一見、効率が悪そうなことですが、長い目で見れば、信頼とか喜びに繋がることかもしれません。

こういったきめの細かいことを大手のシャネル社がやっていることに驚きます。

やはり、一番最初の、非公開企業ならではの可能なやり方なのだと思うと、すべてをシンプルに、余計なことはそぎ落とし、ブランドの発展だけに集中できる体勢というものもちゃんと作ってこれたことが現在の存続の結果に出ているのでしょう。

ファッション映画を見てそこから得たもの-「テーラー 人生の仕立て屋」【719】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

新聞の夕刊の一番最後のページに1週間に一度、新作映画の紹介のコーナーがあります。

邦画、洋画問わずちょっとしたレビューを記者がすでに試写会などに参加されてか、公開の数日前にアップされます。

ここ最近はこの情報で見ることが多くなりました。

主にファッション関連の内容であれば見ておきたいと必ず記事に目を通しています。

今回は、ここ4日程前に封切りの「テーラー 人生の仕立て屋」を見ました。

EU離脱の危機のギリシャが舞台。

露店商があちこちにある風景が異国情緒あふれて印象的です。

今回は、この映画から3点程ここが良かったというMY名場面なるシーンをネタバレしすぎずにご紹介させていただきます。

「テーラー 人生の仕立て屋」の見どころ3シーン

3シーンがきりの良い数字なので3シーンをピックアップさせていただきます。

YOUTUBE動画内では、1つにしぼっていまして、全体的にといった感じで1点です。

まず1つ目です。YOUTUBE動画内でも1つだけとすると。。ということの、苦境の状態でありながらも、高級スーツ作りにずっと長年携わってきた主人公の身のこなし、所作、ふるまい、佇まい、すべてが落ち着いた、どこか自信に満ち溢れたぶれない何かを感じさせるシーンがところどころにありました。

苦境により廃業寸前で、差し押さえによりバラバラに壊れた作業場の散らかったちりやほこりを、ポケットのお洒落なチーフを取り出してそれをふきん代わりに使うようなシーン。

これぞチーフの究極の使い方であることを紹介しているような場面。

商品の使い方の研究という面で何かアパレル業の者達にはキュンとくるものがあるかと思います。

長年の沁みついた職人の本能や魂がそうさせたような自然なそのシーンが印象的に映ります。

次に、差し押さえのショックから病に倒れた父親が古くからのニーズの少なくなってしまったスーツの型紙を病み上がりながら印付けをする場面。

人生をかけて仕立ての仕事をしてきたことを見せてくれる場面です。

そんな古くからのやり方や方向性を変えずにそのまましがみついていく父親も仕事場ではきちんとしたスーツを着こなしながらの作業で、これも職人魂の1つ。

息子である主人公が方向転換を図ってレディースに移行していることをうわさで聞きつけていて、一目息子の新しい企画を見せてもらう。

それはウエディングドレス。

今まで男性専用の紺、グレー、黒のような色味の世界から、白やピンクの全く違ったカラーの世界へ。。

そのドレスをチェックした父親が最後に一言、「良い仕立てだ」と。

そのお品自体の仕立ての良さを褒めただけではない。

今後こちらの方向で行くと決めてたのであろう息子の方針に太鼓判を押してくれた瞬間だと思いました。

3つ目の印象的なシーンは、お隣のご夫婦の娘の存在。

小学生くらいですかね。

この映画の中でこの子供の存在感は意外に大きい。

おもちゃのタクシーのミニカー(娘の父親はタクシーの運転手)と、露店商のリヤカー付きの乗り物(主人公)を衝突させて、ある答えをそこに打ち出します。

それは彼女の心からの意思表示だと思います。

とここまでです。

あとがき

あっという間の時間でしたが、この映画の中のギリシャがEU離脱の危機に瀕した苦境は、現在のコロナ禍の状況に何かヒントになる部分もあるかもしれません。

事業の面から見てみると、紳士服の高級スーツ路線でやってきた伝統は守りたい父の考え方も分かるが、この先を本気で考えていかざるを得ない主人公としては、ここでの方向転換の決断の時。

その決断の速さが一瞬で、お客様のニーズをすぐに取り入れてもう翌日には現実化してみるスピード感。

仕立てという大きなくくりではそのまま技術を使える商品がスーツと同じく高級なレベルであるウエディングドレスに変わっただけと考えれば、無駄のない方向転換の仕方であることがヒントに。。

この作品がどこかコメディチックに感じるのは、いかにもメンズのスーツを作っている風貌のお堅いイメージの主人公が女性のふんわりとフリルの付いたエレガントなドレスと交わる姿が意外性があってユニークな点。

これまでのジェントルマンなイメージとのギャップがある事業であっても、本当にお客様が求めていることに対応していく視点から見れば、その見た目の違和感どうこう以上に大切なものがもっと深い部分にあることを分かりやすく、視覚的に見せてくれているかのよう。

希望をくれる良い映画でした(^-^)。

ハイブランドの存在位置、コングロマリット傘下なのか独立系メゾンなのか【693】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

以前に、シャネルブランドの創始者「ココ・シャネル」、本名、「ガブリエル・シャネル」さんについての本を読んで、マーケティングの読みに関しては、かなり長けていた人物であるという印象を持ちました。

そのお話は、記事番号の【231-1】と【231-2】でご紹介させていただきました。

一応、カテは<事業>にしてあります。

今回は、その創始者を含むお話や、現在と今後のこのブランドについて書かれた、「シャネルの戦略:長沢伸也 編著/杉本香七 著」を読み始めの時点でいったん記事をアップしたいと思います。

同時にYOUTUBE動画もお作りしました、下の方へ貼ります。

現在、たとえ名の知れた伝統あるブランドも熾烈な厳しい競争の最中にいます。

今後の生き残りをかけてということになります。

その生き残りには、2つの道が。。

1つは、コングロマリットと呼ばれる、異業種が1つの同じグループの傘下に入り、グループの一員として位置づくこと。

もう1つは、これまでと同じように自社の名前そのものが会社名のような独立系メゾンと呼ばれる存在で継続していくこと。

いずれにしても、険しいとのことで、その内部は、他グループからのデザイナーの引き抜きなど、とても忙しく大変な状況のようです。

それで、今回のこの本の「シャネル」の位置付けは、現在、独立系メゾンです。

結構納得できるものではあるのですが、今後は、もしかして、コングロマリットの方からのお誘いとか、そんな可能性もゼロではないようです。

同じように他の老舗ブランドで現在独立形態をとっているところも今後は分からないと言われています。

目まぐるしく変わっているのですね。

実は、この本がそこそこ前のもので、この本出版以降現在までにもかなり変化しているのです。

あとがき

今回は、これだけです。

シャネルについての本を読み始めるにあたって、その現在の位置づけのようなことを見てみました。

また、この本を読み終わった後に記事をアップさせていただきますね。

洋服の最小限生産から少数購入、古着購入への動きへの期待【683】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

【645】の記事で、本を読み始めるにあたっての発信というものをアップさせていただきました、

「グリーンファッション入門―サステイナブル社会を形成していくために:田中めぐみ 著」をこのたび読み終えました。

たくさんのサステイナブルへの試みや意識が、この本が書かれた10年程前よりもはるかに高まった昨今。

私も、自分に何かできることをと考え中です。

大きく事が動くのは、消費者の行動にかかっているのかもしれない点

ファッションの業界では、製造業者はこれまで、大量の洋服をはじめとする、物品を過剰に作り出してきました。

そうでなければ事業がまわっていかない事情も含みます。

そして、結果、現在そういった方式がもう成り立たなくなってきたと言ってよいのかもしれません。

この大きな転換の時期に最小限の量の製造数に大きく調整せねばならないことが望まれます。

そうすると当然、大量ということで成り立ってきた事業は過去のままでは、パンクしていく。

例えば、自ら製造し、供給した洋服を、古着としてまた買い取ることでバッグし、リサイクルの循環を作り、「ループを閉じる」というような、廃棄が伴わないサイクルが出来上がるのが理想だとのこと。

自社の製品を責任を持って、その行く末を見届ける、これも1つの良き役割の例だと言えそうです。

そうして、先に、製造側がサステイナブルを強く意識した動きをしていくことで、今までのように手あたり次第ごろごろ転がっていたような安価な洋服が、数が少ないことで、高額/良質なお品となる。

この影響で、購入者側は、あれもこれも購入できないので、渾身の1チョイスを大切に、洋服を少しだけ持ちながら着まわすようになる。

そして、更に必要な場合、新品では高価すぎる場合に、ビンテージなどの古着の出番。

古き良きお品の中から、渾身の1着を有難い価格でゲット。

こんなシナリオを浮かべてみました。

古着に今まで目を向けなかった人も、そういった分野にも目を向けざるを得なくなる。。

私のようなプチ事業者でもできること

私も、事業内容としては、ファッション関係。

今まさに、とても大きな問題と、その転換をせねばならい時期のさなかに自分もひっそりと存在しています。

1消費者でもある自分ができることというのは、古き良きお品の古着をご紹介して、「こんな真新しい古着もあるのだ」とか、「古いお品というのはこのような魅力がある」、「とても作りの良い手間が込められたレベルの高さ」などを発信していく役割を発信する場所としてはあると思っています。

古着への抵抗がある方もまだまだ大勢。

汚れている物を着たくない、質が劣るのではないか。。

そのようなことを説得していくことができるのは、そもそも自分が、いつしか古着が新品よりもある意味魅力的な事に気づいた時以来、10年以上も古着だけのスタイルで来たという事実から十分な説得力というのは持ち備えていると自負。

ここ最近私自身も、洋服の量がミニマムで、クローゼットの中がとても気持ちの良い収納になったことで、気分が上がっています。

余計な量を購入しなくなったのです。

不思議なもので、こんなこと1つで、大きく気持ちが変わるものです。

インテリが好きであったこともあり、クローゼットがすっきりすると、インテリア映えが、より一層高まったことに感動しております。

少ない洋服を着まわすことの楽しさというのが一方であるので、「少ない=だめなこと」という、固定概念は捨てて、逆に素敵なことなんだということ、これにも、事業をしている者自身が発信して説得していくことが可能な見込みを感じます。

あとがき

こうして、見てみると、単純な話が、古着に切り替えるだけで、かなり大きな一歩が踏み出せるということです。

サステイナブルがもとめる最終目標というのは、「地球の本来あるべきより良い姿」ということなんです。

身近なことから、少しだけの些細なことかもしれないけれど、一人一人が簡単に始められることがあるようです。

ハイブランドからファスト系ブランドまでの4種類の分類のバッグの中で私が常に参考にしたいグループは?【672】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

先回の読書カテの記事に続いて、同じ、

「ファッショングッズプロフェッショナル事典:ジェーン・シェイファー&スー・サンダース 著/山崎真理子 翻訳」

を引き続き読書中。

今回もこの中から、ブランドバッグの分類について書かれていた点を引用、そして、ハンドメイドバッグを作る私が最も参考にしたい部類をお話させていただきたいと思います。

大きく、4種に分けられるブランドバッグ

「セグメンテーション」という言葉が使われています。

単純には、消費者のニーズは嗜好によって、似たものを集めて複数にグループを分類することです。

今回の4種にブランドバッグを分けられたのもセグメンテーションの結果です。

もしかして、違う著者さんであったら3種だったのかもしれませんが、その点はこの本の意向ということになりますので、それに沿ってお話してまいりますね。

この4種に分けるセグメント化のお話も、大きく見ると、リサーチの一部をしていることになります。

今回リサーチをするにあったっての手法とか見方の事が書かれている部分に登場した内容です。

よく、「ブランドバッグ」と呼ばれるものが有名ブランドの集まりですね。あれが最初に来ます。

マーケットを俯瞰したような見方をした時のバッグは4種。価格でいうと高い順です。

上述のハイブランドのブランドバッグというのが、「ラグジュアリーブランド」、次に「デザイナーブランド」、次に、「ハイストリートブランド」、最後に、「バリューブランド」です。

写真のすみに、それぞれのブランドの種類の代表的なよく知るブランドさんの名前を記しました。

イメージが浮かびやすいですね。

さて、この中の一番最初のハイブランドである、ラグジュアリーのグループの特徴です。

素材のレベルが高い、技術力の高さ、デザインのレベル、威厳の高さ、長持ちである、製造場所や方法、販売方法。

このようなところに特徴があるということです。

最後の方の製造場所の例や製造方法の例、販売方法の例などは具体的ではありませんでしたが分かりやすくは、残りのハイストリートやバリューが東南アジアでの大量生産による低価格で質の劣る商品であることと比べると全く違うということです。

私は、自分で勝手に途中に線を入れましたが、上のラグジュアリーとデザイナーが同じような内容なので、その他の2種とは一線を画すという点で線を引いてみました。

ただ、上の2つも互いに、実は大きくかけ離れたもので、伝統、ネームバリューなどは比べ物にならないほどの差があるんです。

実際にハンドメイドバッグ製作に参考にしたいブランドはどのセグメントのものなのか

ここからは、私のハンドメイドバッグとの絡みのお話になります。

製造者としては、デザインの研究によくマーケットの商品を参考にしてその手法を学んだりすることがあります。

この4種の中で、私は、ラグジュアリーを参考にしています。

例えば、丁寧に縫う、というミシンの技1つとっても、そのレベルが、低いのか、ほどほどなのか、あっと言わせるほどの美しさなのかということでも、ラグジュアリーはダントツです。

どんな作業でもとことんのMAXな程度でラグジュアリーは出来上がってきます。

ハイストリートとかバリューは、大量生産なので、生産コストを下げるために、省略する部分などが出てきて、手間をかけることというのをしていないことが多いです。

このひと手間、ふた手間の積み重なりで出来上がるお品に大きな違いが出るのは当然といえば当然のこと。

技の件だけでなく、アイデアとかデザイン、すべての項目に関して、ラグジュアリーは、ものすごいレベルで作っていると言えます。

ということで、よくよく考えたら、良いお品を目指すために、このラグジュアリーの内容の深みに注目するのは当然だと私は思っています。

そこそこの技術で作られたお品を参考にすることでラグジュアリーらしさのある商品が生まれるかというというと、そんなはずはありません。同じか、もしくはそれ以下だと思うんです。

会社やお店の規模はちっぽけでも、商品自体はレベルの高いものを目指すということは後の発展を夢見ることができるのかなあと考えています。

ということで、私がハンドメイドバッグに参考にしているのは、このラグジュアリーのお品だけということになります。

他の分野のお品を参考に探すことは今までしていません。

ただ、自分が使うということになると、デザイナーブランドもかなりのレベルだと思います。

ビンテージものの中で見つけるバッグは、デザイナーブランドのお品は、とても素敵で、今でも状態良く、丁寧に作られたものである様相がはっきりします。

たとえば、経年でも型崩れが起こっていない様子だったりすることから思うのが、良質な証拠として経年でどの状態でいられるかというのも、レベルを測る良きものさしであるといえるかもしれないということです。

その他、デザイン的な趣向では、ラグジュアリーって意外とシンプルで典型的な形だったりするものが多いです。

そんなあたりも、私のデザインしたい形にしっくりくるというのもあります。

反対に、その年の流行とかトレンドを入れ込むことをコンスタントにしているのが、ハイストリートとかバリューです。

よく、安くて、大きなリボンのついたバッグがどこか今持つとかっこよくないのは、そこにクセが入っているからです。

作られたほんの短い期間は斬新ですが、経年にはそういったトレンドを盛り込み過ぎたデザインは弱い。

その一瞬一瞬だけで販売していって受け入れてもらう手法なので、お品は丈夫でもなかったり、素材が良質でなかったりしてもそこにはコストをかけないという方針だからなのですね。

あとがき

ラグジュアリーブランドというのは、圧倒的にブランディングがありますので、何を作ってもある程度受け入れてもらえるかと思ってしまいますが、そこを良質な最高級の物をと志高く存続している点が注目する部分だと思います。

きっとライバルも多く、そこに手を抜いたら地位が転落してしまう恐怖もあるかと思います。

ある日突然無名の小さなブランドが一世を風靡するなんてことはあり得ません。

けれども、伝統あるブランドだって地道に世代交代しながらも何百年と継続してきた実りがブランディングだと思うので、その地道という部分は、私達のミニサイズの規模のお店も注目するに値する点だと思います。

いろんな試行錯誤、努力、良いものを作ろうとする志などが結局一番大切だと考えます。