その美しいうねりはまるで丹後の海のよう、「丹後ちりめん」生地との出会いから興味を持って出会った「うらにし」の物語【201】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ハンドメイドバッグをコンスタントに製作しております。

これまでは、販売することを重点においての製作でしたが、現在はぐるりと方向転換。

ハンドメイドバッグを作る人との共有を目的とした、「共有型のハンドメイドバッグ」というコンセプトで製作しています。

今までの販売目的ではなかなか見えなかったこともこの共有型のスタイルにしてからは見えることも多く、良かったと思っています。

まだまだ十分に共有し切れていないですが、間違いなく一歩は踏み出したと思います。

今後も製作したものを、その原価から細かいワザまで、隅々まで引用のしがいがあるものとしてお届けできることが目標です。

さて、これまでいろんな生地でハンドメイドバッグを製作してきましたが、特にこの生地は本当に美しかったという生地が「凹凸感ある生地」です。

ジャガード、フクレ加工、風通加工などふくらんでいたり、でこぼこした様相が高級感や美しさを作ります。

その中で、「縮緬:ちりめん」もよく使わせていただいた生地です。

今回、ある1冊の本を手にしました。

それは、「丹後ちりめん物語 「うらにし」の風土と人間 :八木康敞 著」。

京都の北部の海岸寄りの地域です。

ここを、「うらにし」とざっくりと呼ばれていて、主に地方の呼び名のようなものです。

「弁当忘れても傘忘れるな」の海岸沿いの地方に言われのある昔からの言葉があります。

天候には非常に悩まされるのですが、それこそが、湿気の多い地域ならではのメリットとして「ちりめん」という収縮率のある素材が生み出されたのです。

ちりめんは、「湿気が多いと縮む」という特徴があり、湿気こそが製造に必要な環境だということです。

中央集権的な背景からその伝統産業を守ってきた歴史

ちりめんのライバルは、「西陣織」。

ちりめんは、「女工哀史」という記録にも書かれているようなよく映画になった蚕から織物を作っていく機織りの女性労働者達の低賃金での苦しい労働に重なります。

メイン職にはならないようで、副業的に女性が長時間労働をさせられ、へとへとになりながら頑張ってきた産業。

そんな時代に、「課税」が施行され、大きな農民一揆が起こっています。

今でいうブラック企業の分かりやすすぎる姿だと言えます。

一揆は反発です。そうして労働者達の権利や人権を勝ち取るべくみんなで一丸となった奮闘記。

今後のサステイナブルな時代のヒントになります。

無理強い、対等でない雇用関係というのはいずれ反発や崩壊が起きるのです。

華やかな中国から伝来の生地とちりめん生地との比較

ちりめんの製造も現在は衰退しほんのわずかしか残らない状況のよう。

私がやっと見つけた、この生地↓。

黒:ストレッチ丹後ふくれちりめん、ポリエステル/95%、ポリウレタン/5%、日本製。

「丹後ちりめん」と名乗られた生地はこれしか今まで出会っていません。

元の丹後ちりめんは絹製ですので、現代風の服地になるものです。

ポリウレタンも入っていてニットみたいな弾力性があります。

ふくれ加工もしてあるので、元のちりめんの姿からすると複合型の生地ですね。

次は、ちりめんのイメージに一番ふさわしいもの↓。

イエローベージュ:ちりめん、ポリエスエステル/100%、日本製。

まず、ちりめんと聞いてこのイメージが浮かびます。

複合型ではないシンプルなちりめんでもこのようにうねりが全体にあって美しいです。

糸の撚りが格段に多く、ハサミでカットしたその切り口の糸のほつれはめったに起こりません。

グレー:ちりめんジャガードプリント、ポリエステル/100%、日本製。

こちらは超複合型で、ちりめんに、ジャガードもプリントも両方組み合わさった豪華な素材です。

お出かけのブラウスやワンピースを思わず想像してしまう服地です。

ちりめんは、日本らしい和素材の1つですが、その他の和風な素材も元は中国から伝わってきたものです。

少し異国情緒あふれています。

・「蜀紅錦:しょうこうのにしき/しょっこうきん」・・・中国の蜀(しょく/四川省)で製作された錦(にしき)。仏壇の敷物みたいな装飾のイメージです。

・「繻珍:しゅちん」・・・繻子(しゅす)地に金銀やカラーの糸を模様で織った生地。上の蜀紅錦と同類。

・「緞子:どんす」・・繻子(しゅす)地に裏組織で模様を織った反転のようなジャガード。

・「綸子:りんず」・・・すぐ上の緞子に類似するが、もっとペタンコ(精練による)。

・「紗綾:さや」・・・上の綸子に同類。

呼び名は違いますが、それぞれ類似であったりするので、今のところはっきりした区別は私が出来ていません<m(__)m>。

ただ、これらと比較すると、「縮緬:ちりめん」はその見た目が明らかに違います。

上のキラキラした素材いくつかは金や銀などのカラーを豊富に使った装飾性がありますが、ちりめんだけは、シンプルな無地1色でもその凹凸感を表現してあり、最も素朴な織物と解釈します。

あとがき

この先、「丹後ちりめん」とはっきりと謳ってある生地にどれだけ出会うことができるのか。

おそらくわずかだと思います。

ちりめんも「ガチャマン時代」という1960年代の全盛期は過ぎた産業になってしまいました。

それでも、生地というもの自体がこの先も残っていくなら、是非この美しい特有のうねりのある粋な素材が残ってほしいと願っています。

「しなやかで強くて美しい」、そんな姿がとても素敵だからです(^-^)。

自身の「生きがい」とは。。この物資に恵まれた時代だからこそ持っていたい自分にしか持てない宝【1306】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「生きがいについて:神谷美恵子 著」を読ませていただきました。

かつてこの本が初版された頃(1966年)の1960年代では、まだまだ「ハンセン病」という感染系の病気が不治の病として存在していました。

伝染効果は少ないものの、各地の片隅の施設に療養するために強制的に実家を離れるということがありました。

現在は療養施設に行くことはなく、治る病として病院の治療で回復するようですが、それでも、当時からの継続で高齢者となりそのまま現在も療養施設で暮らされている方がいらっしゃるようです。

この本は、そういったある1つの療養施設の当時の1950-1960年代にかけてのルポタージュの記録部分が多く、「精神科医」であった著者様がその訪問を通し、「生きがい」をたくさんの切り口から掘り下げた1冊の本になっているのです。

当初かなりのボリュームであったところを削るなどして読みやすくコンパクトにしとのことですが、それでもこの本は結構な分厚さでした。

たくさんの思いを、7年程の長期スパンに渡り詰め込まれたこの本は、命がけで綴られたものだと思います。

私の「生きがい」は何なのか

なかなか自身の生きがいを語ることはお恥ずかしいものですが、間違いなく私の場合は「仕事」だと思っています。

若いころの20代前半くらいまでは、常にモヤモヤした煮え切らない感がずっと心にありました。

何か思い切って全力でやり切ったことがあったであろうかと振り返ると、何もかもがあれよあれとという間に自分とは違う別のペースに後からついていくのがやっとで何も自分のスタイルですべてのことを成し遂げていったという実感が無かったことへのもどかしさが思い出されます。

その転機は20代前半に訪れまして、「就職」だったと思います。

初めての勤務日(正確には入社式を含む研修期間の数日が最初)の前には、なぜかすごくやる気があふれていて、メキメキと何かよく分からないパワーみたいなのがあふれ出しそうだったことを思い出します。

それからというもの、長い仕事期間の道を歩み始めて、今現在までこの「仕事」こそが「生きがい」になっていることに気づきました。

10代の頃のあのモヤモヤ感や煮え切らない感が20代以降の仕事では全くなく、すべての仕事に対して楽しく、真剣に取り組んできたことがあります。

そうして、いつからか、「死ぬまで仕事をし続けたい」ということを自然に思うようになりました。

この「死ぬ」ということをわずかながらに意識することこそ「生きがい」につながります。

「生きる」を意識するには「死ぬ」も関わっているということです。

この本の中のハンセン病の患者様達も一度は「自殺」を考えた人も多いようです。

それくらい、死ぬことと生きること両方の境目を経験された方達なのです。

そうして、長い1995年から続いた会社員の日々から、2018年の頭で個人事業主に切り替わり、自分の裁量でずっと永続的に働き続けていけることの道に立ったのです。

その道の中で、今こうして2023年を迎えています。

過去のモヤモヤした煮え切らない10代とは全く対極にある「はっきりとした意思表示をしながらのまっすぐなスタイル」に変わっていきました。

事業者でモヤモヤした煮え切らない態度では到底事業など成り立ちません。

まずは、この道に立てていることに感謝したいです。

「生きがい」というのは、「人生をかける程の何か」だと思うのです。

あとがき

現在、自殺者の増加や希望を失い気持ちが沈む大変な状況の人が多く、現代の物があふれた時代の「虚無感」があると思います。

お金をたくさん得ることを目標にしたり、ブランド物を手にすることを目標にしてしまうことは大きな誤解ではないかと。

物もツールであり、お金もツールであるのが本当の所ではないでしょうか。

「物」とか「お金」などの物質を拠り所としてしまうことは、どれだけ集めても満たされない何かを最終的には感じてしまう、その何かが「生きがい」だと思うのです。

生物の進化前の化石が進化後の時代で見つかる矛盾、この意味が分かる本【1288】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「生命の大進化 40億年史 中生代編:土屋健 著」を読ませていただきました。

前編に「古生代編」があります。少し前の記事【1276】がそれに該当です。

今回の期間は、恐竜の全盛期の時代が主となる時代です。

一番多くの人が興味を持つ時代ですね。

しかし、事前に「古生代編」を読んでいると、イメージよりもはるかに深く恐竜達の周りの自然環境も重要であることが分かります。

あのような大きな生物が次々と繁殖し多種にわたる、本にもすべての絵図が掲載しきれないほどの展開で繁栄したようです。

それには、生物がグーンと成長する環境があったということです。

陸の酸素濃度が周りの植物の成長によって増えたことがまずは、生物が陸に上がっていったきっかけになります。

過去の図鑑の恐竜と現在の図鑑の恐竜が随分違う理由

常に、こうした化石の件は、近年随分と研究が進んでいるようで、時には過去の説が覆されることもあるようです。

それは仕方がないことで、遥か昔の生物をその残存として埋もれた地層の中から発見され、その数や新しい種類が出てくることで、これまでの説が変わることもあるようです。

昔の昭和の絵図では、羽毛の生えた恐竜などは見たことが無かったかと思ったのですが、現在では、羽毛は確かな証拠として出土しているようで、しかも色もある程度出てきているようです。

そうすると、イメージ絵図も実際に近いものになっているみたいです。

私が知る情報では、「クビナガ竜」と呼ばれる恐竜の種類のあの首の角度も、後の研究で変わっているようでした。

それには、後の研究の中で新しい発見があり訂正されているようなのです。

進化がいかに複雑であるかを物語る、進化前の化石が進化後の時代で見つかる矛盾

「進化」もあれば逆の「退化」もあります。

不要な部分の機能がだんだんなくなっていくのです。

化石の発見は、「地層」でその年代を決めるということなので、発見された地層からその年代が決まるということ。

そうした時に、進化後の時代の地層からであったのに、進化前の体の構造であったことの矛盾が起こります。

これは、同じ時代に、進化前と進化後の2種が混在していたことによるものだそうで、とても頷けました。

これこそが真実らしいエピソードであると私は思います。

ただ単純に綺麗に順番に海から陸に上がっていったという進化のイメージでいた私ですが、そうではないようです。

海には海のままで残った生物、陸に上がっていった種もいれば、機能は海に適した機能も持ち備えて、陸と海を行き来していた生物。

見かけは陸にいる恐竜と似ているけれど、脚などの構造から、水の中で泳ぐ機能があった種など。

想像を超える複雑さがその進化の過程ではあったようです。

そこは、今までのイメージをぐんと覆すことでした。

あとがき

今は、2023年夏に差し掛かった初夏ですが、この秋には、「新生代編」が出版されるとのことです。

今から楽しみです。いよいよ私達に近い祖先が誕生してくるのかな。

以前の「古生代編」の時にも書いたと思いますが、こうして、長い長い生物の歴史を読むと、いかに、今が一瞬の瞬きのような短い時間に過ぎないことを俯瞰して見ることができます。

そうすると、毎日をしっかりと大切に過ごすことの意味をここから感じ取れます。

今回の「中生代」は「古生代」よりも随分と短いです。

恐竜やマンモスだけだが昔の生き物ではなかった、海の中の見たことのない変な形の生物こそ、最初の進化のスタート地点であったわけです。

陸より海の方が化石が残りやすいというのも少し驚きました。

それは、地層が形成されやすいのが海の底であるということだからのようです。

その時のショットがあるがままで保存されるようなイメージです。

そうすると「海」こそが本当は、長い歴史を紐解くヒントになり、まだまだ静かにそのまま気付かれずに眠っているのですね。

なんとロマンのあるストーリーなのかというのが、生物の歴史です。

今ある現在がどれだけ有難いのか、平和な環境で居られるのかなどを今一度大きく見るきっかけになりそうな本でした(^-^)。

貴重な大手企業の失敗例から私達が学べること、客観的な見方や、潮時の見極め方【1281】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「失敗は成功のもと」という格言がありますが、まさにその言葉通りのストーリーが詰まった本を読ませていただきました。

「世界「失敗」製品図鑑:荒木博行 著」です。

みんなが懐かしむ、「そういえば、あんな商品あったよね」の過去の打ち切りと共に忘れられていった企画。

長いスパンの中で、過去を振り返ると失敗であったと見る見方です。

何年がかりかでの結果であることもあり、当初は成功と思われた商品も、その後の早期の衰退によって結果失敗であったと見るというような、ぱっと見は分かりにくいものもありました。

どれも大手メーカー様のケースです。

大手は大量に行き渡ることを実現したレバレッジ効果こそが売上の増大であり、収益であり成功です。

それを企画段階から予測して、絶対に爆発的に広がるお品を考えていくところの難しさとハイリスクを知りました。

こうした大手様のケースから、小さな事業者も学べることがあるのでしょうか。

大いにあると思います。

固定観念や慢心、そして思い込みなどで見逃しがちな客観性と潮時を早期に感じ取るフラットな考え方の重要さ

失敗例の中で特に印象的なのは、大手様ですでに名声があるため、他社では失敗しているにもかかわらず、自社では上手くいくと信じてしまう点でした。

そこをいかにフラットにゼロベースで考えられるかも重要ですが、なかなか名声ある大手企業では苦手な事なのかもしれません。

常に謙虚に、そして、事前の反対や反論の声にも耳を傾ける柔軟な姿勢もとても大切であり、それを無視し、聞き入れなかった結果の失敗はどこでも起こりうることだと思いました。

そして、スタートしても、早いうちに潮時を感じ取るその素直さと言いますかそうした気持ちも大切なのだと思いました。

せっかくここまで来たのだからとどうしても何とかしたいと思ってしまい、悪化した状態を継続してしまうことも多かったようです。

「引くに引けない」という言葉があるように、実際に歯車を回し始めてしまうと簡単にストップできないのですね。

そういった点で規模が大きい事業はリスクがあると思いますが、成功すればリターンは莫大ということです。

小回りが利くような小規模では、急旋回を切ることも可能であることをここから読み取ると良いと思います。

それが得策かもしれないのに、規模が大きいゆえに引くわけにはいかない辛さがあるわけで、いかようにも方向転換できるのであれば、それはむしろ無駄や損を生み出さないことへもつながるかもしれません。

とにかく、この失敗の寄せ集めの図鑑的なこの度の本は貴重です。

あとがき

結局は、実直な気持ちの大切さがあるとも言えます。

何か引っかかりがあり、納得していないのに続けていく必要が無い場合早期に決断することも1つの策です。

それが、何かのしがらみや縛りでしにくい環境を考えると大変辛いことではあると思いますが、小規模ではそれが不可能ではないというところをもっと把握する必要がありそうです。

変化の多いこの先の世の中で、その時々のタイムリーな判断というのは重要ですね。

そして、変な固定観念やしがらみこそ天敵です。

長い長い生物と地球の歴史を俯瞰した時、私達の現在の毎日がいかに一瞬であるか、そしていかに貴重なのかを考えさせられた本【1276】

まえがき

「人生は長い」という言葉がありますが、地球の歴史から見た私たちの人生などほんの一瞬の光の矢のようだと思えます。

もともと恐竜とか鉱物に興味があるためその興味から、「生命の大進化 40億年史 古生代編:土屋健 著」が新聞で紹介されているのをきっかけにこの本をこの度読ませていただきました。

この「古生代」という時代は、恐竜のような風貌の生物がいよいよが誕生し始めているところで一区切りされていて、次の中生代へとつながっていきます。

主に、この古生代は水の中で暮らした生物ばかりです。

まだ空気中の酸素の濃度が高くなかったという自然環境もあったことで、水の中からのスタートが生物の進化の始まりの時点だと言えます。

「中生代」のバージョンは続編のように同じシリーズとしてあるようです。

ところで、この古生代というのは、過去の生物の中では、恐竜より古い所がまた更なる謎も多くミステリアスであるわけですが、細かな〇〇紀という期間がたくさん分かれていて、変化も多かったようです。

そう考えるととても大切な時代だと思えます。

今回は、この本の中で私が感動した部分をほんのひとつまみに過ぎませんが、ピックアップしてお話させていただきたいと思います。

そして、この本を読み終わった後に私が今思うことをまとめてみたいと思います。

生き物は地球そのものの自然環境があってこその存在であるということが分かるエピソード

古生代のある時代に、現在に発見される骨や甲羅のような硬い出土パーツからの想像で、「こんなような形の生き物がいました」とされるその様相が、とてもユニークで興味はそこからが入り口になることが多いです。

その古生代の時代に、硬い骨のような物質でできた生物が多くいたことが予想として出てきました。

その硬い骨のような物質というのは、水の中の成分によって形作られたものであり、水の中の成分がそのある時代には濃度が濃かったからそのようなかたまりにまでなったのだという点です。

海水もどんどん年月を経てその性質が変化していきますので、それに伴いそこに住む生き物も様相が変化していったとのことです。

そう考えると、いかに、地球の自然の姿が生物に影響を及ぼしているかが分かります。

自然の恵みや自然のある姿が生物を進化させていったということなのです。

そのような分かりもしない昔のことを追求する本当の意味

本にも書かれていますが、現在掘り出されて発見される化石などから過去の生物を予想することは、後に正しくないと覆される場合もあるようです。

それは仕方がないことで、仮説や想像でしか、実際に遥か先である今掘り出される化石などの現物的証拠からは本当のことの解明が難しいからです。

生物は、決して骨や甲羅のような硬い部分だけでできているわけではなく、筋肉、内蔵、血液なども多くを占めています。

当然ながら、そういった柔らかいものは消耗し、溶けて消えていきますので、残るのは硬い部分だけとなるのです。

それでも、残った硬い部分を集めて考察された結果、現代の技術でシュミレーション画像として、このような生物であった、もしくは、ロボットを作り歩く動きをシュミレーションすることでイメージが膨らみます。

この本の中でもQRコードによってWEB上の動画に到達できるページが設けられていました。

さて、こうして現存のかけらを寄せ集め、想像し、はるか昔を予測していく研究が常に行われているわけですが、こうした研究の意味を私なりに考えてみました。

1つは、やはり、現在の地球の生態系と人間が暮らす今というのが、その生物の歴史から見ればほんの一コマであること。

しかし、この1コマかもしれない今こそが奇跡とも呼べるような貴重な時間なのであるということです。

それを考えると、この今を過ごすことができている私達は「感謝」という言葉を思わずにはいられません。

もう1つは、この先の地球の行く末です。

過去がいろんな自然の変化があったことで生物がそれに翻弄され影響されていったことから、今後の地球や私達生物がうまく過ごしていけるためには。。。

を考えるヒントになりはしないか。。

そんなことを考えました。

人間は、地球ではその存在感や力が大きいですが、その他の一生懸命ひたむきに生きている生き物たち、動物達のことを思いやること。

権力を利用して弱い生物をいじめることなど到底あり得ないことだという考え方。

ますますそういった今を見直すきっかけに間違いなくなりました。

あとがき

私はうさぎさんが好きなのですが、ここ最近YOUTUBE動画やインスタグラムを拝見していて、ネコや犬のかわいらしさにも注目しています。

「多頭飼い」は現在の1つのキーワードであると感じています。

人間の暮らしの1世帯の中に種を越えた兄弟が存在し、それぞれ「思いやり」や「手助け」の場面を見るたびに感動しています。

そして、こう思うのです。

「なんて人間は自分勝手で正直じゃないんだろう」と。

動物達は、みな心がまっすぐです。

とてもシンプルで、ご飯が大好きで、寝ることも遊ぶことにも全力です。

そのミニマムな欲求に対してとても感動します。

もしかして、動物達から学ぶことこそ、今現在の人間達に必要な事なのかもしれません。

ある一人の人間の気持ちの移り変わりとそれに伴う決意や行動の変化を他人がどこまで理解できるのか。。「惜別:せきべつ」を読んで【1269】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

常に読書を共にしているライフスタイルを始めて、数年が経過しました。

事業への何かヒントにとファッション関係の本が中心ですが、やはり本も多分野を読むことがかえって意外な発見などもあるかと、ここ最近は分野をそれほど絞りません。

そんな中、ある新聞の1コーナーにあの「太宰治」著の作品の中から「惜別:せきべつ」が紹介されていました。

よし、小説行ってみよう!。

そうして、このタイミングと気分の高揚の時でなければ機会を失うかもと図書館で数冊借りた本の中でも優先的に読み始めたのです。

短編小説というほども短いものではないですが、それほど長くもなく、その他の6作品と一緒に1冊の本にまとめられた途中のページです。

何も欲を出さずとも、この「惜別」だけをとりあえず読もうということで、他の作品は読んでいません。

こんなピックアップ形式の読書も自分スタイルとして時々あります。

では、今回読ませていただいた本、「惜別:太宰治 著・・・太宰治全集8 小説7:筑摩書房」を読んだレビュー的な内容をお届けしたいと思います。

ネタバレというようなことにはほとんど触れません。

何を伝えたかったなどは分かるすべもない、ただ一人の人間の心の移り変わりと行動の変化がミステリアスに描かれていた

あくまで、私が感じた受け止め方であります。

何が伝えたかったということは著者様本人しか分からないかもしれません。

文学小説全般の良さかもしれませんが、人の心の奥の神髄に迫る部分が素晴らしいです。

それでも、謎は残ります。

主人公が親友の大きな気持ちの変化をどの時点で、何がきっかけでそのような決意をしたのかを探す場面が印象的でした。

それほど大きな出来事でもないように感じますが、時代は戦時中。

その戦時中ならではの背景や1国の方針が一人の人間をこうも揺さぶるのかということなのか、その答えがとても大きな背景にあると私は見ました。

そして、読み終わった最後に、再び最初の場面に戻ってみました。

この最初の場面で主人公が心を良くしなかった気持ちになったのはなぜなのか。

どの読み手も一度はそこを振り返りたくなるのかもしれません。

他人が一人の人間の心の奥の気持ちをどこまで理解できるものなのか。

そんな疑問を提示されたかのように感じます。

完全に分かるものではなく、本人しか分からないことなのかもしれません。

打ち解け合い、多くを語り合った親友であっても本当の気持ちの核たる部分に関しての理解、それは到底簡単なことではない、それほど人間の心の奥行きというものは計り知れないものなのかもしれません。

あとがき

小説の投稿は私にとっては正直、難易度高めです。

以前には【365】で、「銀河鉄道の夜:宮沢賢治 著」のレビューを投稿していますが、こちらもかなり手直しと長い時間をかけた文章になりました。

有名な小説こそかえって難しいですし、多くの人がレビューされていることも意識してしまいます。

ただ、今回は、そのような大変過ぎた過去の投稿から数年が経過し、そうは言っても読んだのは私自身であると。

私なりの捉え方で投稿させていただこうと、そのまま思ったことを書いてみました。

小説内の文章が昔の表現であることと、漢字も古い漢字であるところが少しひっかかりますが、それも過去の文章の味です。

文章が1文終わるまでに何行もあるところも現在の読みやすさを意識して書かれた表現と違って、これも昔の小説ならではの味わいだと思います。

あまり読むことがないのですが、今回はレアな回で小説を読んだ投稿、それが太宰作品とは(^_^;)。。

映画にしても本にしてもきっかけが新聞の紹介であることが多いです。

もし、今後何か小説の紹介があれば、またその小説を読むことがありそうです。

そういったきっかけでもなければ、なかなか自らは、大文豪様の作品のどれをピックアップするのかさえ分からないですので紹介作品であるというのはかえって助かります(^_^;)。

今後のアパレルを考えるためには過去のアパレルを知ることである、かの有名な老舗やデザイナーが語る貴重な裏舞台【1263】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

アパレルが今後変わる時に来た、変わっていかなければならないという過去で一番の危機、変化の時です。

そんな重要な時期だからこそ、今、この本を読んでおきたいと手にした本です。

「20世紀日本のファッション トップ68人の証言でつづる:大内順子(インタビュアー)/田島由利子(ライター)」を読ませていただきました。

とっても分厚い本で、4cm程の厚み。

ところが、もう面白くて面白くて次々に読み進めてしまうほど。

気が付くと、年代別の日本のファッションの草創期1950年代の芽吹きからどんどん読み進め、1980年代後半の低迷期でページの最終をむかえます。

ファッション史なるものは、世界的に見れば、フランスがその聖地と言えます。

1900年のパリ万博の大きなウェーブはかなりそのきっかけになったかと。。

では、日本はその頃はまだまだ着物を着ていた人も大半。

着物からお洋服に変わっていき、戦前と戦後でも大きく生活が変わる中で、あまり表立っては語られていないような、戦前の老舗アパレル会社が生まれる様子などもこの本では興味深く知ることができました。

この会社はもとは、こんな前身であったのだという点などあまり知られていないことが分かるのも、この本の構成が、該当会社様やデザイナー様本人が語られたインタビュー記事の集まりであるという構成だからです。

他人が語ることよりも、本人自身が語ることのリアルをここに見ることができます。

戦前にも繊維メーカーやアパレルの老舗は芽吹き始めていた

その昔江戸時代、「奢侈禁止令」というものが発令され、贅沢を禁止されるとい命令が下されることがありました。

その奢侈(しゃし)の対象になった素材は、「絹」です。

ここから、絹:シルクがいかに高級な素材であることが計られますね。

戦前に、「これからは洋服の時代だ」ということがテーマになり始めていたようで、この戦前にアパレルが芽を吹き始めていたと言えます。

やはり「百貨店」の出現がデザイナー様とのタイアップで洋服の広がりに大きく貢献したといえますが、戦前は呉服店の形であったりなどして、その前身がすでにあったようです。

大衆にに広まるには、百貨店などの集客型施設の存在あっての恩恵もあったのですね。

1960年代は、アパレルは伸びていく一方で、少しアイデアを出した企画が飛ぶように売れたという、この「飛ぶように売れる」というフレーズが1960年代にはマックスで、現在では使いたくても使えないフレーズになってしまいました。

聖地パリと日本人デザイナー様との結びつきのきっかけ

現在でも有名デザイナー様達は、「文化服装学院」出身であることが多いです。

ここがいわゆるプロのデザイナー様の登竜門とも言えるのかもしれません。

ここ近年有名デザイナー様達が続々とお亡くなりになってしましたが、あの方達は、最初は、パリの「メゾン:洋服会社」で従業員として働くことがきっかけであるという道をたどられていることも多いようです。

いきなり電光石火のごとく現れて、スターになるというデビューの仕方とは少し違うようです。

そうして、多くの日本人がパリのメゾンで働くことをきっかけにその後、そのファッション文化を日本に持ち込んだり、世界的に活躍されたパリ生まれのデザイナーとして引き続き活躍されたりしました。

それが遠く離れたヨーロッパと日本の老舗ブランドとの結びつきの最初の頃の場面だと思いました。

あとがき

今回、戦前から芽吹き始めていた日本のアパレルということと、聖地パリとの結びつきのきっかけの部分の2つだけをピックアップして、私なりの言葉で書いてみました。

まだまだ他にもお伝えしたいことはあったのですが、項目も多く、ここまでです。

ジュエリー関係の事業をしている私としては、ジュエリー部分も少し登場していたので興味深く読めましたが、お洋服に絞って今回は投稿してみました。

その他、「ライセンス事業」はより大衆にブランドが広まったきっかけだと思います。

有名な海外の老舗ブランドのロゴのお洋服が百貨店で購入できるのは、ライセンス事業の商品であることも。。

それも昭和の時代までが全盛期であり、現在は、もうその面影はあまり残っていません。

そうして、アパレル全盛期というのは1960年代をもって下降線をたどっていったのですね。

では、今後はどうなっていくのか。しかし、完全になくなってはいかない「洋服」。

ではどんなやり方で残って行けるのか。

そんなとっても難しすぎることを私のようなプチ事業者でも一人一人が自分の事として考えていかねばなりません。

大きな形態過ぎると大量生産が破綻しているのだから小さく続けていくことも1つのヒント。

そうなると全く無関係ではないわけで、今後を考えるにあたって、過去のこういった「日本のファッション事業」の変遷を集約した、しかもご本人が語られる貴重な情報の集まりを一読せずにはいられません。

師に習い、弟子に伝授、自身で決めた1つの道をじっくりと歩んだその画業への一意専心のライフスタイル【1228】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、本を1冊読ませていただきました。

「木島櫻谷(このしまおうこく) 画三昧への道:実方葉子 著」です。

本も、特に分野をしぼらずに、ピンと来た読みたいという直感で図書館で借りています。

この本は、1年前の出版の本であり比較的最近の新書になります。

こうして、目まぐるしい変化の現在は、新書が空いていればまずはそこから探していきます。

図書館の本も人気ですので、新書はほぼレンタル中ですが、時々タイミングよくこうして出会えることもありますし、1年後であると比較的借りやすくなります。

ライフスタイルの望ましいすっきりとした形から学べること

子供のころから、親の知り合いの師なる方の元で修行をしたところからのスタートです。

そして、その後先生の元を卒業して、今度はご自身が画家のコミュニティーの中では牽引役。みんなに教えていく立場に立たれました。

そんな中でもいろんな賞を受賞していき実力が評価されていきます。

そして、その名実とともに、財閥様からお屋敷の一角の美術品として屏風を描く専属の職業としての人生を送られていきます。

いわゆる御用達(ごようたし)なるお仕事です。

ヨーロッパの老舗のハイブランド様の創業当初からの実りに似ています。

そこには、決して華やかではない、日課として昼間はスケッチへ出向き、夜は執筆(漢文や詩のようなこと)もされており、淡々としているように見えて、実はひたすら画業への没頭をしたライフスタイルであったと言えます。

学業に関しては、商業科の学生時代にその内容に興味を持てず退学されていたようです。

広い分野の一般的な学業ではなく、自身の1つのことに時間をかけていくことを選択したのだと思います。

楽しくないことはやらない。。

これは、非常に強い意志であり、人生としては無駄がないとも言えます。

とても自分の気持ちに実直な若者であったと言えます。

そんなところは、道が外れたかのように見られたこれまでの考え方から、現在の2023年では、結構受け入れられている考え方です。

私のような「団塊ジュニアの世代」の者くらいまでは、まだまだ昔の、「こうするべき」「こうしておくべき」ということで、学業はなんとなくそれなりに毎日学校へ通っていくのが当たり前だという感覚でした。

しかし、よく考えると、本当にその学びは自分の将来にとって必要な事なのかどうか。。

これに納得した上でどれだけの若者が登校しているでしょうか。

動物の絵の目のまなざしに注目

画家としての生涯の中では比較的若いころの作品に、動物が多く登場。

これらの動物は、和風なタッチの絵の写実的で硬い印象のイメージとは裏腹に、ひときわ特徴が際立ちます。

どの動物も目が優しく、かわいい。

実物以上にそのまなざしは表情があり、とってもゆたかで、まるで人間と何も変わらないくらい。

その目に「人間味を注入したのではなかろうか」とも思えてきます。

美術館へ出向いたかのような価値

確かに実際の絵は壮大ですので、美術館へ出向くことの価値は大きいです。

しかし、こうした画集+美しい文章の解説付きの本、しかも絵がカラー、ここでこの本の著者様の活躍が見られます。

文章が非常に美しく洗練されています。

この中で、1つキーワードなる言葉を見つけました。

この木島櫻谷様の絵のテイストを一言で表したような言葉、「瀟洒:しょうしゃ」です。

意味は、「あかぬけしていて、すっきりしている」というものです。

類似の言葉に、「粋:いき」があります。

こちらも、意味としては、同じ、「あかぬけしていて、すっきりしている」ということなのですが、少し違うようです。

英訳では、「粋(いき)=chic」であるのに対し、「瀟洒(しょうしゃ)=elegant」になるのです。

シックとエレガントとの違いは、ファッションにも通じるところがあり、とても興味深いです。

全く同じではないのかもしれませんし、ほぼ同じなのかもしれません(^_^;)。

あとがき

私が現在させていただいている事業は、「ファッション分野のあるほんの一端」です。

「これしか分からないから」、「これしかできないんだ」、ということでもそれをとことん追求していけば、ひたすら没頭していけば良いのだということを教えてくれるこのたびのある画家様のライフスタイルを見せていただきました。

その代わり、やるからには中途半端にはやらないのだということも忘れないことです。

そういった意味で、他の人の為にも、自分の為にも人生を無駄なく過ごしていかれたように見えます。

画家様の本も、絵そのものだけではなくて、なぜその絵を描いたのかなどというところまで分かると「ある一人の人生の歩み方」などにつながることを発見できるのかもしれません。

もうテレビを見なくなって久しいですが(現在持っていません)、テレビも美術番組に関しては、「絵に人生が投影されている」ところにスポットを当てられています。

そういった番組は長寿ですし、面白いし見る価値大です。

「同じ・類似」はAIがすでに担当し始めている、では、「違う・差別化」をAIが上手く表現できるのか【1226】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

以前にも読んだことがある分野、「行動経済学」はマーケティングには非常に役立つ人間の行動を研究した学問とのことです。

今回は、そういったことも一緒にチームになった研究者様達の記録、「買いたがる脳 なぜ、「それ」を選んでしまうのか? :デイビッド・ルイス 著/武田玲子 訳」を読ませていただきました。

脳の未知の分野を探るような「ニューロマーケティング」というものです。

おそらく、テレビなどで脳に何か機械を付けて、行動をした時の温度とか心拍数を測るような実験はご覧になったことがあるかもしれません。

そういった実験や検証から脳のどの部分が実際の「買い物」の時の反応に関係しているのか、ということなどから、購買するに至るための人間の体内で起きている反応を調べるということです。

すごい試みですね。

脳がいかに未解明の部分もまだまだ多いかというようなこともあようです。

この本の中の項目で登場していました、「ビッグデータ」というものの活用についても書かれていまして、今回は、この辺りを私が思っていることを交えて記事にしていきます。

本の中の「ビッグデータ」と関連して、よくある「おすすめ」について思うこと

私には、こんな疑問があります↑。

YOUTUBEでも、「関連動画」というものが評価されたりすることもYOUTUBEをやっている人は皆さまご存知です。

いかに関連付くかというのがテーマであるといってもよいYOUTUBEの文化を見ます。

けれど、人と同じような類似動画に対して、自身の満足度はありません。

やはり、差別化された特有のチャンネルにしたいのです。

そうすると、テーマが、「差別化とか特異」ということも重要だと思っています。

こういったことをYOUTUBE様によくアンケートでお伝えしていまして、みんながやっていないことをやると視聴してもらえないというジレンマに苦しむ自分の思いをお伝えしてあります。

そして、もう1つの例としましては、マーケットサイトで購入後に、「あなたの購入した商品と同じ商品を他の人も注目しています」というもの。

「は?」と思います。

もう購入後なので、一足遅いメッセージなのはどういった意味があるのだろうと。

私が購入したお品と同じ物を他の人が購入することには私は興味が無く、反対に、他の人が購入したからと言ってそれに揺さぶられて私も購入したいと思うことはあまりないタイプなのです。

いかにそういった推奨の内容が実際の人物にマッチしていないのかの現実の1つを自身が体験しています。

やはり、それは、上述のように「同じ、類似」というベースがあっての単純な機能だと思っています(かなり辛辣(^_^;))。

しかし、有難いこともあります。

購入前に、探しているお品と類似のお品が登場してくれる推奨というのは、候補が増えますから、もしかして、自分が見つけられていなかった範囲にあったお品を漏らさずに網羅してくれているようで、素晴らしいです。

とまあ、私としては、この本を読みながら、このようなことを考えたわけです↑。

あとがき

今後、「ニューロマーケティング」が一気に加速していくこともあるのでしょうか。

購買意欲を悪い方向で使われてしまうことにも気を付けねばならないと思っています。

商品を売れることばかりに力を入れていくと、変なサブリミナル効果にはまって本当は欲しくないものを購入させられたなどは、後から後悔することがあれば、信頼は失い、その時限りの購入ということになります。

一番は、本当に欲しい人へ欲しいものをお届けするベストマッチを目標にするべきなのだと思います。

それを機械的に変なトリックでいざなうということには少々疑問です。

上手くこういった研究が利用されることが望ましいと思います(^-^)。

自身のオウンドメディア(ホームページ)を持つ者にとって必須事項、得意不得意関わらず一読したいランディングページの本【1222】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、WEB技術の本を一読させていただきました。

「ランディングページ 成果を上げる100のメソッド:(株)ポストスケイプ 著」です。

今年、2023年に入ってから、私も遅い取り掛かりではありましたが、ランディングページを作ってA/Bテストなるものもさせていただいております。

そのA/Bテストも当然の事項としてこの本にはよく登場しています。

当然だというのに、今までやっていなかったことがお恥ずかしいです。

今回の記事では、このA/Bテストにもポイントを置き、勘違いしがちなA/Bテストのやり方と本来の相応しいやり方とを比較していきたいと思います。

そして、ただ1つの最も重要なキーワードを挙げるとすれば、私としては、「コンバージョン」という用語です。

いわゆる「成約」です。商業にとって、これこそがお客様が行き着いてほしい場所です。

このゴールにどれくらいスムーズにホームページ訪問者様をお迎えできるかのあれこれの工夫が100の手法となって紹介されているわけです。

A/Bテストのありがちな勘違い、1項目だけの違いに絞るところがポイント

私がこの1月の頭で行ったA/Bテストは、少し我流も織り交ぜていますが、ブログの1記事をランディングページそのものに仕立てたものです。

最終的にはレンタルジュエリーのお申込みフォームが設置。

一番最初の入り口は、ジュエリーの着用シーンの素敵さを「プチ小説」で表しました。

Aはマルチカラーのジュエリーのセット。職業として使用する主人公はラジオのパーソナリティのお仕事の女性です。

Bはダイヤモンドジュエリーのセット。友人のホームパーティーに参加するお仕事以外の娯楽での使用のシーンで、こちらも小説の主人公は女性。

そして、その小説がある程度の所で終わってからは、全く一緒です。

ただ、タイトルも変え、最初の小説のシーンも違い、ジュエリーの種類も違うというのはもしかして本来のA/Bテストの1項目だけの違いを付けて比較することには当てはまらないかもしれません。

この1か月の手ごたえとしては、AよりもBが手ごたえを感じています。

その手ごたえというのも、ただワードプレス内の解析ツールのPVを拝見しただけでの手ごたえですので、細かな調べによるものではなくぼんやりしたものです。

とこんな感じで、この本を読む前にやっていたことでもあり、まるで確かな結果は得られなかった試みですが、A/Bテストは続行し続けていくべきものだと書かれていました。

Bが現時点ではまだ3週間程ありますので、この本で学んだ技術を何かしらこの2月で引用して調査できればと思います。

A/Bテストもわずかな違いだけを作ってひたすら、その差を見つけていくというところがとても地道な作業だと思います。

ただ、このやり方が今でもずっと引き継がれていることはその効果が絶大だとも言えます。

大きくコンバージョン数に影響するようなケースの場合、少しの改善でコンバージョン数がぐんと上がるその変化は大きいです。

そして、広告を多く投じているような場合は。その広告に対する費用分の見返りを得るという考え方でいうと力が入るのも当然ということになります。

よっていかにこの地道な作業が確かで大切なのかということになります。

郵便局様の「タウンメール」という葉書チラシ

一度、ハンドメイドバッグの宣伝として、郵便局様が運営の「タウンメール」という葉書でランダムにある地域に数多くのチラシを投函していただける広告を利用させていただいたことがあります。

日本全国のある地域に同じ内容のチラシを500通郵便局様にポスト投函していただいたことがあります。

こういった広告の種類もあるのです。

広告の中にURLなどのQRコードを設けて記載しておくと、その後のお取引につながるかもしれません。

アナログ気味な葉書形式ですが、中身は実店舗などのお店ではなくて、WEBでの事業である点がアナログとデジタルのミックスで新しい感じがします。

ハンドメイドの時は、東京のある一区画でやってもらいましたが、日本全国どこでも良いというのが郵便局様ならではです。

自分で配布しようとすると近所になってしまいます。

本当に近所様が自身の事業のお客様に合致したタイプの方達なのかというところも考えないとあまり意味がないです。

近所というのはむしろ、美容室や飲食店が最寄りが便利で利用しがちですので、その場合は自分で配布がエコノミーだと思います。

ただ、プロの配達業者でないと、苦情をいただくことになりかねません。ご注意を。

まだ、レンタルジュエリーでは「タウンメール」はトライしていません。数をハンドメイドの時よりも1000世帯など2倍くらいに増やしていずれやっていきたいと思っています。

どこの地域に配るのかということも、今回の本による解析ツールでホームページのご訪問者様の地域のデータなどを参考に出来るということも可能のようです。

あとがき

100の方法がきっちりと配分よくページ2ページ分となったこの本の構造がとても読みやすいです。

いかにもぎっしりで読めそうもないと思ったのですが意外や意外、どんどん読み進めていける本でした。

こういったWEB技術の事を書いた著者様(この本では会社名になっていました)は、この本の作りでさえも100のメソッドを駆使した読みやすい本に仕立てあげるということをされたのだと思います。

とても不思議ですが、字も細かいのになぜか読みやすいのです。

ホームぺージというものをお持ちの方というのは、何かしらホームぺージで伝えたいことがあり、そこへお客様を集めたいわけですので、規模の大小関係なしにご一読をお勧めしたいです。

特に異常に専門分野過ぎるということも全く感じませんでしたので、これで基本的な内容なのだと思います。