まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
以前の【366】のブログ記事では、「アメリカ文学入門:諏訪部浩一 責任編集」を一読、その中からすぐに読みたい1冊が決まっていました。
そして、その後読み始めた、たまたま長編であり難解であると知った「アブサロム、アブサロム!:ウィリアム・フォークナー 著」をこの度拝読。
以前も綴りましたように、アメリカ文学はその結末が必ずしもハッピーエンドではない、むしろ悲劇的であるということの象徴的なストーリーでした。
そのキーワードの1つに、「ironic:アイロニック:皮肉」があるのだと。
このたびの長編は、(確かに噂通り)複雑で分かりにくかったのですが、覚悟を決めた上で読み進め、親切な最初の人物紹介の掲載も随分役立ちました。
時折、「えーとこの人はどんな立場の人だっけ?」などとページを戻りながら読んでいきました。
不思議なもので、数行は到底途切れることが無い文章の読みにくさがあるにもかかわらず、息つく暇も無いほど物語へ吸い込まれるように、そしてむさぼるように読んでいくことになりました。
気が付けばページが進んでいるというまるで魔法のような「しかけ」を感じます。
このたびは、読み終わって考える、人種間の「差別」「否定」の根源はどこにあるのか。。の深堀りの記録です。
一人の人間の「魂の傷付き」がこうも世代を超えて一家の終焉に至る程の根強い「悪」をもたらしたことの罪深さを暴き出したように思えました。
正確な答えは著者様以外分かるものではありません。
とはいえ、こうした文学作品も1つの問題提起ととらえると自分なりの感じ方を持っても良いと思うのです。
1つその答えを見つけたような気がします。
一家の悲劇の始まりのキーパーソン、「トマス・サトペン」の幼少時代のトラウマ
この記載の前に、「ウィキペディア」を拝読。
この物語についての一定の正しい要約が掲載されていました。
サクッと物語を一読だけでは到底分かることはないこの登場人物多数の難解な物語です。
とはいえ、最初から最後までで何度も出てきたエピソードが非常にキーポイントに値する部分だと誰もが分かると思います。
「サトペン100マイル領地」と呼ばれる豪邸を作った初代の持ち主、「トマス・サトペン」は、幼少の頃、後にトラウマとなるような差別を受けました。
お遣いで訪問したお宅の黒人に、表玄関から通してもらえなかったのです。
「裏口へまわれ」という黒人による指示。
これが後の根深い「差別」の連鎖を生んでいきます。
私達の浅いイメージを覆すのが、「サトペン」が白人であったということ。
白人が黒人によってこうした差別的屈辱行為を受けたエピソードです。
私たちがイメージにあるのは、黒人が白人によって差別を受けるというものでしょう。
実はそうではなく、どんな民族も民族同士の間でこういったことがあったということなのです。
アメリカ社会の奥ではかなり複雑な人間模様が入り組み、一筋縄というものでは決してない点がとても重要です。
幼少時代に粘着してしまったトラウマが「サトペン」のその後の一生に付きまといます。
「差別」をされた者が行ったことは、同じく人を「差別」するという連鎖の悲劇でした。
そして、最初の妻に黒人の血が入っていることを後で知ったことで、「黒人への否定」が民事訴訟や離縁という形で表れます。
そうして、「考え方」が一家代々に渡り遺伝のように引き継がれ、心の奥底に浸み込んで悲劇を生む結果になってゆきます。
思えば、幼少の頃に受けたトラウマの時の近所の黒人も「差別」や「偏見」を持った考え方が完全に心に根付いていた人物だったかと。
「サトペン」に「裏口へまわれ」とまるで呼吸するように自然に発してしまった言葉だったと思われます。
たった一度「差別」に出くわしただけのわずかな瞬間でさえも、その後の根深い悲劇を生み出す恐ろしさを見た気がします。
そして、血縁関係や結婚などの縁により、長年に渡り悪いしきたりが一家のすべてに伝播していく様子を決して単純ではなく入り組んだ複雑さを孕む象徴のように、長く難解な文章でまざまざと綴っているのです。
あとがき
「差別」と「自負」は対極のような位置にあり、常に敵対しているものだと思います。
なぜ、「差別」があるのかというところは、「劣等感」の表れではないかと見ています。
本当は平等を求めているからこそ、「劣等感」という感情が湧いてきて、「そんなのおかしいよ」と伝えているのです。
それなのに、その後の方向を見間違い、されたことと同じことを別の人間に対してやってしまうのが人間。。
これが負の連鎖ともいうべき、「差別」の広がりの正にその分岐点だと思います。
では差別する側の人間に存在してしまった「劣等感」はなぜ生まれてしまったのか。。
それが、冒頭でつづりました、「魂レベルでの過去の傷付き」だと思います。
物理的な傷はやがて癒えていくのですが、「魂」が傷付くことを治すことがいかに容易な事ではないかということです。
『人間は、決して「魂」に傷を負ってはいけない、また人の「魂」に決して傷を負わせてはいけないということをすべての人種を越えた人間一人一人が考えるべきなのだ』という強い助言と戒めをある一家の崩壊の顛末とともにその根深さと恐ろしさを伝えたメッセージなのではないかと思います。