まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
「百年の孤独:ガブリエル・ガルシア=マルケス 著」を拝読。
後で貼りますYouTube動画の中では、
①人物の中のキーパーソン
②代々繰り返される同じような名前の理由
③登場人物一人一人の「孤独」は一家の宿命によるもの
という3つを切り口でお話しさせていただきました。
当ブログ記事では、せっかくの2つの媒体での発信であることを活かし、切り口を新しい3つで綴ってまいりたいと思います。
1)時々登場する先祖の亡霊の存在の意味するところ
2)一家の最後の者「アンカー」ができること
3)ぼんやりと小説を読むスタイルが結果完読へ
当ブログ記事では、小説の中の出来事を我々の日常に落とし込み、必ず誰もがどこかに属している家系の中の自分の役割を見直す機会になればと願います。
近頃先祖の存在をもう少し知りたいと、この10年以内に消滅してしまうと言われている江戸時代付近の明治時代にまで遡る「原戸籍:はらこせき」を入手したいと思い始めました。
そのような気持ちが、この本との出会いにリンクしたのだと思います。
どこかの一族に生まれた皆に当てはまること。。長い家系を作る初代の人の覚悟と責任・末裔の者の見直しや使命

1)時々登場する先祖の亡霊の存在の意味するところ
「マジックリアリズム」と呼ばれる、現実と非現実をミックスした手法がたくさん使われ、読み手を随分惑わせてくれるものです。
ただここには、この手法を通した本当の目的があると思うのです。
亡くなった先祖が日常の中に溶け込むように登場していることは、この世から亡くなってもなお過去に過ごした家に縛られ相変わらずな気持ちのままであることの表れ。
そして現在残された生きている者の方も、何ら亡くなった先祖と変わらぬ生きている者らしからぬ死んだような脱落した姿を「孤独」の1つの形として分かり易く見せているのではないかと。
2)一家の最後の者「アンカー」ができること
決して年齢の順番ではないかもしれません、一家の最後の者はその後の子孫がいないことで当の本人が自覚するところとなります。
先祖代々永久に続いていくことのみを願っても、この少子高齢化のご時世には難しいこともあります。
最後の者は、先祖を敬いその存在を現実的な記録で確かめることも良いのではないかと思うのです。
お墓の存在の確認や戸籍の確認もその1つ、冒頭の「原戸籍」への興味はこのような背景から生きている者が可能な限り出来ることではないかと思ったのです。
「このような人がいたんだ」と写真で確認するだけでも、先祖に目を向けたということになると思います。
古いアルバム写真や記録などもこのデジタル時代にはかえって貴重なのかもしれません。
そして、現在高齢の家族に自分が知らない範囲のことをエピソードとして聞いておくというのも良いと思います。
そういったコミュニケーションは、「整理整頓」という物質的な行動にとどまらない重要な理解や深掘りだと思っています。
3)ぼんやりと小説を読むスタイルが結果完読へ
ところで、当「百年の孤独」は、以前に【1397】で投稿しました、「アブサロム、アブサロム!:ウィリアムフォークナー 著」からの影響を受けている作品とのこと。
大変驚いたのも、アメリカ文学の中からたった1つ選択した「アブサロム、アブサロム!」にそうとは知らず手にした「百年の孤独」が関連していたことです。
こうしたミラクルを大変嬉しく思いますし、今こうした分野に興味がある自分に寄ってきてくれたのかもしれません。
「アブサロム、アブサロム!」も同じく長編でしたし、むしろこちらの方が人物が複雑で分かりにくいような気がしました。
読む前に「よし、細かく理解するぞ!」と意気込んで力を入れて読んでしまうと、途中で脱落してしまう可能性があります。
それよりも、分かりにくい部分もそのまま「分かりにくいな」と受け入れながら、さらさらと流すように「ぼんやり」とした読み方の方が完読できます。
あとがき
初版は1967年のようなのですが、2024年に話題になっていた本で、きっかけは新聞での紹介。
図書館には当時は無かったので購入、先に図書館の返却期限のある方を優先していたら読みかけになってしまったのです。
そして2026年、読みかけの本をすべて読んでいこうと決意しこのたび完読したという経緯です。
不思議な話とも決して言えません、誰にでも思い当たる心の奥底に眠る一家のストーリーは、家族の在り方などを見直すきっかけとなる本だと思います(^-^)。

