小規模事業者はこのハイブランド様の形態が参考になる、「自由」こそがたゆまぬ努力の時間をあたえる逆説【724】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「シャネルの戦略:長沢伸也 編著/杉本香七 著」という本を読ませていただきました。

10年以上前に書かれた本ではありますが、現在でも大変参考になる内容です。

他のハイブランド様についても、著者様が多くの研究の末、書かれているのですが、今回は、その1つのブランドとしてまずは気になる「シャネル」様の事が書かれたものを手に取りました。

なぜ1900年代にに突如として現れたかのように急成長できたのか、なぜ100年も経過した現在も人気のブランドとして継続することができているかを、他の様子を伺い見ながらではなく独自の路線を貫き通した部分があるのです。

何と言っても「シャネル」様は、他の老舗ハイブランド様と違い、「皇室御用達」などからスタートした企業ではありません。

現在の「コングロマリット傘下(参加とも言えますかね)」に対して、「自社メゾン型」で継続している位置付けにも繋がっていったと見ています。

本の著者様も綴られていたように、大いに小規模事業者もヒントになるやり方ですので、とても貴重な事業のやり方のモデルとして見ることができます。

むしろプチ業者こそが参考になる「シャネル」様の方針・価値観・考え方、一度我が事業のフィルターに通してみるとよい

いろんな特徴が書かれていますので、是非この本をご一読くださればと思いますが、このたびは、この中から、「非上場の自由」というキーワードで綴りたいと思います。

意外ですが、あのビッグな世界中の人々が知るブランド様が、大企業の証である「上場をしていない」ということです。

これにも訳があり、かえってメリットがあるのです。

もしも上場したり、株式公開がされていると、事業以外の分野からのしがらみによって事業が自由にできない点が出てきます。

我々の目には意外ですが、陰での数多くの努力や、実らない日の目を見ない期間も長いと聞きます。

そうした努力の途中段階で目立ちすぎる存在でいると、落ち目だと悪い情報を流されたり、せっかくの将来の実りの為の種まきとか、地道なコツコツとした歩みがしにくくなるのです。

そういった点で、ひっそりと影の努力が人知れずのびのびとできている点がむしろ成長に大きくつながっているのだそう。

確かに上場は「地位や名誉」を求めやすいものですが、反対に身動き取れないほどの不自由さも感じることがあるのかもしれません。

自社にとって一番大切にしたいことが何なのかを冷静に考えた末の「上場」が本来の順番なのかもしれないです。

あとがき

高い位置ですました感じのイメージであるハイブランド様も、陰の人知れぬ努力を怠らなかった結果今があることを知ります。

あぐらをかいて遊んでしまっては決していけないという「継続した成長を目指す精神」は一番見習うべきところかもしれません。

綺麗なお洋服、高価な品物をご提供されている裏には、何としてでも伝統あるブランドの継続のための日々のたゆまぬ努力があることを知りました。

事業者が毎日毎日成長を願いながら工夫を凝らし発展を目指していく姿勢など、「当たり前」のように見えてきます。

上手くいっているからと遊びほうけたら終わりなのだとそんな戒めまで感じるほどです。

ドキュメンタリーではないフィクション映画から得られるファッションビジネスの視点【719】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「日本経済新聞の夕刊」の一番最後のページに1週間に一度、新作映画の紹介のコーナーがあります。

邦画、洋画問わず映画のいち早いレビュー、記者様やライター様がすでに試写会などに参加されてか、公開の数日前に投稿されます。

ここ最近はこの情報でファッション映画を見ることが増えました。

今回は、ここ4日程前に封切りの「テーラー 人生の仕立て屋」を鑑賞。

EU離脱の危機のギリシャが舞台。

露店商があちこちにある風景が異国情緒あふれて印象的です。

このたびは、この映画から1つ「ビジネスの方向転換」という視点でこの映画の見どころとしてアウトプットしたいと思います。

元は老舗の「オーダーメイドスーツ屋」、「ウェディングドレス屋」への思い切った転換のベースの変わらぬ技術と誇り

今まで男性専用の紺・グレー・黒のような色味の世界、そしてウール素材のずっしりとした重厚感ある素材から、白やピンクの全く違ったカラーの世界、そしてレースに華やかなお花をまとったふんわりとした素材へ。。

この先続けていくためには、転換を図らねばならないという危機的状況の老舗テイラー。

父が長年名だたる人達のお誂えとして請け負ってきた型紙が残る中、時代の流れと共にその方達がどんどんこの世に別れを告げていき仕事が激減。

そして、当の父さえも病に倒れます。

そこで、その息子がどう引き継いでいったのかというのがこの映画に表現されています。

それは、思い切った女性もの、しかもウエディングドレス専門の特化型へ「シフト」したのです。

今まで、過去に固執し紳士服以外認めなかった父が、そのドレスをチェックしし、「良い仕立てだ」と。

ここに1つの答えがあります。

技術は何ら変わらないそのままで見かけのデザインや素材だけをシフトさせたビジネスの転換の仕方だったのです。

バリバリのスーツで身を包んだ男性が女性のドレスを販売、行商型で、青空マーケットみたいな空の下で採寸するその姿がコメディとして私達を笑わせてくれました。

ギャップと面白い違和感はとても微笑ましい光景であり、根底にあるものは決して譲らなかった息子の新しいビジネスの発想が多くの人をうならせます。

あとがき

事業を本当に撤退せねばならないのか、何か策はないのか。。という危機的状況のヒントになります。

ちょうど「コロナ禍」での映画であったことで、そのタイミングとしては抜群。

辞めずに続けていくためには、「シフトするだけ」という考え方は1つ引き出しとしては学べるものです。

技術などは到底短い期間で変えられるものではない不動のもの。

何かを変えて、根底にはそのままの技術がそこに存在していれば、成り立つという勇気をくれた映画です。

「0なのか100なのか」という極端な考え方ではなく続けていくための策ならば、大変嬉しいことであり躊躇せずに選択すればよいのです。

例えば、「ピアノの講師」という職業も生徒にピアノの技術ノウハウを教えるという存在からのシフトとして、癒し効果のある音楽専門の演奏や作曲などの形をヨガなどの事業者へ販売するなどの事業などを思い浮かべてみました。

どんな事業にも「方向転換」のタイミングはあるかもしれない、その時にこれまでの「技術と誇り」を残しながら続けていく方法を探す時のヒントになりそうです(^-^)。

ハイブランド様の存在位置、「コングロマリット傘下」なのか「独立系メゾン」なのかという見方【693】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「共有型のハンドメイドバッグ」「本物志向のレンタルジュエリー」という2つの事業の事業者です。

これまで幾冊かのファッション史などを拝読の中で、必ず登場の「シャネル」ブランドの創始者「ガブリエル・シャネル(通称「ココ・シャネル」様の存在感は相当たるものです。

マーケティングの読みに関しては、かなり長けていた人物であるという印象を持ちまして、ブログ記事の【231】でご紹介させていただきましたこともございます。

「シャネルの戦略:長沢伸也 編著/杉本香七 著」を拝読。

「ガブリエル・シャネル」様が創業し、100年以上にも渡り存続のハイブランド様の事業としての見方が書かれた本です。

小規模事業者にはヒントをいただけ、勇気をいただけるような内容でした。

このたびは、目まぐるしい変革もありながら存続の2021年、そしてその後のブログ記事の手直しで書き加えリライトの2024年現在で見直した文章でもって今後の動向を見守り思うところをまとめたいと思います。

ハイブランド様同士の競争の厳しさの現状、「シャネル」ブランドが現在も「独立系メゾン」として存続の背景

現在、たとえ名の知れた伝統あるブランド様も熾烈な競争の最中におられます。

今後の生き残りをかけて。。ということになります。

その生き残りには、2つの道が残されていると言われています。

1つは、「コングロマリット」と呼ばれる、異業種が1つの同じグループの傘下に入り、グループの一員として位置付くこと。

それくらいもう自社のみの基盤では存続できないところまで来たのです。

もう1つは、これまでと同じように自社の名前そのものが会社名のような「独立系メゾン」と呼ばれる存在で継続していくこと。

いずれにしても、険しいことには変わりなく、その内部は他グループからのデザイナー様の獲得競争などとても忙しく大変な状況のよう。

「シャネル」様の位置付けは、どちらかと言うとレアな「独立系メゾン」です。

ただ、この位置付けもたやすいものではなく、今後は、もしかしてコングロマリットの方からのお誘い、自社の見の力での存続ということが決定付けられている意味では険しい道のりなのです。

同じように他の老舗ブランドで現在独立形態をとっているところも今後は分からないと言われています。

それほどに、1社だけでハイブランドを存続していくことが難しくなっている現状なのです。

実は、この本自体が少し前のもので、この本出版以降から現在までにもかなり変化しています。

コングロマリットは複数。「LVMH」が有名どころですが、各ハイブランド様はどこかに属しているという見方。

こうして見てみますと、「独立系メゾン」の注目度や決心の硬さがうかがえます。

庶民的に広がる数多くのブランド様とは対極にあるラグジュアリーさをキープすることこそが揺るがすことができない基盤です。

どちらかというと「攻めた」ことが難しく、「守る」というようなスタンスに感じられますのもこういった事情なのでしょう。

「シャネル」様がこれまで「独立系メゾン」で存続してこれた理由

他のハイブランド様が、「〇〇の御用達:ごようたし」からスタートしたという経緯がほとんどの中では「シャネル」様は特殊。

短い期間で一気に名も知れぬ帽子屋様からの飛躍、そのビジネスの手腕は創業者「ガブリエル・シャネル」にあるとともに、オーナー様が安定の「超資産家」であったからということも大きいです。

シャネル様の靴屋バッグやお洋服は高額と言えどもアパレル品。

おそらく主力のビジネスとはなっているわけではないのかもしれません。

それでも基盤の経営者の余裕から1つの「アイコン」のような形で知名度を上げる役割は「シャネル」ブランド自体にあると見ています。

ハイブランド様がこぞって「香水事業」に乗り出してきたわけですが、なぜ香水?というというところも、利益率の高さのある香水事業で他をカバーするような事情がありました。

ファッションのイメージが強いハイブランド様も本当は余裕などない現状、ビジネス存続の為には、利益率の高い商品という点を遥かに超えた、ブランディングの存在自体の位置付け、「コングロマリット」の構造がやむを得ないといった見方です。

あとがき

随分これまでのハイブランド様に対して華やかな面だけを見ていたかに気づくことになります。

ハイブランド様さえ苦戦の時。

どの事業者様も規模関係なくファッション業は大変なのです。

そう考えると、絶対的存在であらねばならない不自由さと反対にある自由さは小さな事業者ができる大きなメリットなのではないかと思えてきました。

小規模事業者がハイブランド様から学ぶことは、「模倣品」「コピー」という表面的なデザインの真似事では決してなく、むしろ、徹底した研究や良質な品物を作るための影のたゆまぬ努力をする姿勢という点であるべきだと思います。

照れて隠しておられるるだけで、ハイブランド様はた日々ゆまぬ努力をされておられたのです。

シャネル様の「独立系メゾン」型がフィットしているのは、上場していないことで良い姿を常に見せねばならないという縛りがないことにもあるようです。

たゆまぬ努力をする地道な作業を思いっきり自由にやって行けるメリットをお持ちなのです。

この点は、非常に強味だということができます。

そうしますと、出来る限り今のままで行きたいところなのでしょうが、「存続」こそ一番に大切でもあり、それを考えると常に考えながらということなのでしょう。

お品物の良さ、創業者の「真似されることは広まるということだからプラスに考える」という広いマーケットをイメージしたスタンスにはとても共感できます。

他のハイブランド様も「コングロマリット」に属してはいるものの、今後も決して楽な道のりではないと思われます。

一庶民としまして思うことは、せっかく老舗としてここまで庶民までに広まったハイブランド様の認知度なのですから、現在の「富裕層のみの品物」というスタンスではなく、多くの人に「夢」をいただけるような品物を。。と希望するところです(^-^)。

古着の中から未使用品や綺麗な物を選りすぐれば新品と同等、古着ライフ10年以上の者が語る本当の品物の価値【683】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

大切な事柄であるとブログ記事では3度目に引用させていただいた本です↓。

「グリーンファッション入門―サステイナブル社会を形成していくために:田中めぐみ 著」をこのたび読み終えました。

たくさんのサステイナブルへの試みや意識が、この本が書かれた2010年代よりもはるかに加速した昨今。

できることがたくさんあるということに気づいていきます。

このたびは、古着に対しての抵抗感が大変誤解であると感じていただき、サスティなブルに対しては一番ことが大きく動く細かい単位の一人一人が可能なこととして注目しています、「古着ライフ」の勧めを綴りたいと思います。

新品を製造されている業者様は、「新品を購入してもらわないと成り立ってゆかない」といつまで訴えることができるのでしょうか。

その新品の製造に対してちゃんとその行く末までも考えた企画をされているのでしょうか。

とはいえ、お洋服がとても大切なアイテムであることも同時にお伝えしてまいります。

今後は少ない中から最も合った1点を選ぶような選び方が大切になるのではと予測をし、今ここでスタートしておきたい1点物の見つけ方にご共感いただけると大変嬉しいことでございます。

大きく事が動くのは、消費者の行動にかかっている、一人一人今すぐ踏み出せる一歩、本当に良い物を手に入れる文化の広まりへの期待

ファッションの業界では、製造業者はこれまで、大量の洋服をはじめとする、物品を過剰に作り出してきました。

そうでなければ事業がまわっていかない事業自体の構造の事情も含みます。

そして、結果、現在そういった方式がもう成り立たなくなってきたと言ってよいのかもしれません。

この大きな転換の時期に最小限の量の製造数に大きく調整せねばならないことが望まれます。

そうすると当然、大量ということで成り立ってきた事業は過去のままでは、パンクしていくことに。。

例えば、自ら製造し、供給した洋服を、古着としてまた買い取ることでバッグし、リサイクルの循環を作り、「ループを閉じる」というような、廃棄が伴わないサイクルが出来上がるのが理想だとも説かれます。

自社の製品を責任を持って、その行く末を見届ける、これも1つの良き役割の例だと言えそうです。

そうして、先に、製造側が「サステイナブル」を強く意識した動きをしていくことで、今までのように手あたり次第ごろごろ転がっていたような安価な洋服が、数が少ないことで、高額/良質なお品となってゆきます。

この影響で、購入者側は、あれもこれも購入できないので、渾身の1チョイスを大切に、洋服を少しだけ持ちながら着まわすようになると。

そして、更に必要な場合、新品では高価すぎる場合に、古着の出番。

古き良きお品の中から、渾身の1着を有難い価格でゲット。

こんなシナリオを浮かべてみました。

古着に今まで目を向けなかった人も、そういった分野にも目を向けざるを得なくなるということに。。

小規模事業者ができることは、今後持つべきお洋服に対する「考え方」のご提案を発信することである

ハンドメイドバッグにしてもレンタルジュエリーにしても事業内容としては、ファッション関係。

今まさに、とても大きな問題と、その転換をせねばならい時期のさなかに自分もひっそりと存在しています。

1消費者でもある私ができることというのは、古き良きお品の古着をご紹介して、「こんな真新しい古着もあるのだ」とか、「古いお品というのはこのような魅力がある」、「とても作りの良い手間が込められたレベルの高さ」などの発信です。

とはいえ、古着への抵抗がある方もまだまだ大勢いらっしゃいます。

汚れている物を着たくない、質が劣るのではないか、古臭い物を着てプライドがへし折られるなど。。

そのようなことを説得していくことができるのは、そもそも、いつしか古着が新品よりもある意味魅力的な事に気づいたことがまず1つ。

その後、10年以上も古着だけのスタイルで来ているという紛れもない事実から十分な説得力というのは持ち備えていると自負。

ここ最近、洋服の量がミニマムで、クローゼットの中がとても気持ちの良い収納になったことで、気分が上がっています。

余計な量を購入しなくなったのです。

不思議なもので、こんなこと1つで随分大きく気持ちが変わるものです。

インテリが好きであったこともあり、クローゼットがすっきりすると、インテリア映えが、より一層高まったことにも感動します。

少ない洋服を着まわすことの楽しさというのが一方であるので、「少ない=だめなこと」という、固定概念は捨て、逆に素敵なことなんだということ、これにも、事業をしている者が発信して説いていくことが可能な見込みを感じます。

あとがき

こうして、見てみると、単純な話が、古着に切り替えるだけで、かなり大きな一歩が踏み出せるということです。

「サステイナブル」がもとめる最終目標というのは、「地球の本来あるべきより良い姿」ということ。

あまりにも身近なことでほんの些細なことかもしれないけれど、一人一人が簡単に始められることが大きな力を生み、大きな成果を生むのではないかと思えて仕方がないのです(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

ハイブランドからファスト系ブランドまでの4種類の分類のバッグ、迷わず「中古ハイブランド品」のコスパがダントツ【672】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

一度【669】の記事でご紹介致しました本、

「ファッショングッズプロフェッショナル事典:ジェーン・シェイファー&スー・サンダース 著/山崎真理子 翻訳」

からこのたびも引き続いてバッグの話題を引用させていただき綴りたいと思います。

もともとバッグについてのあれこれが書かれた本を探すところからのこの本との出会い。

お洋服に比べるとバッグについて書かれた本は数が少なく貴重なのかなと。

マーケットサイトのカテゴリーの分け方から見ても、バッグはお洋服と並ぶメインファッションアイテムなる位置付けだという印象です。

このたびは、バッグという大きなカテゴリーの中でも、そのブランド様やレベルによって4種にバッグを分類されている点を引用、そして自らの嗜好と照らし合わせて現在のバッグライフのスタイルをお伝えします。

大きく、4種に分けられるブランドバッグのブランドレベルの分類、自分のスタイルがどこに属するのかを照らし合わせてみました

「セグメンテーション」という言葉が使われています。

単純には、消費者のニーズは嗜好によって、似たものを集めて複数にグループを分類することです。

今回の4種にブランドバッグを分けられたのも「セグメンテーション」の結果です。

もしかして、違う著者様であったら3種だったのかもしれませんが、その点はこの本の著者様の意向ということになります。

この4種に分けるセグメント化のお話も、大きく見ると、リサーチの一部をしていることになります。

リサーチをするにあったっての手法とか見方の事が書かれている部分に登場した内容です。

よく、「ハイブランドバッグ」と呼ばれるものが有名ブランドの集まりです。

ああいったバッグメーカー様が最初に位置付けられています。

納得の分類であり、やはり「最高級」「一流」と呼ばれるに相応しいバッグであるとを解釈されているのだと思います。

マーケットを俯瞰したような見方をした時のバッグは4種。価格でいうと高い順です。

上述の「ハイブランドバッグ」というのが、「ラグジュアリーブランド」に該当、次に「デザイナーブランド」、次に、「ハイストリートブランド」、最後に、「バリューブランド」。

写真のすみに、それぞれのブランドの種類の代表的なよく知るブランド様の名前を記しました。

さて、この中の一番最初のハイブランドである、ラグジュアリーのグループの特徴です↓。

「素材のレベルが高い・技術力の高さ・デザインのレベルの高さ・威厳の高さ・長持ちである・製造場所や方法・販売方法」などに特徴があるということ。

製造場所の例や製造方法の例、販売方法の例などは具体的ではありませんでしたが、分かりやすくは、残りのハイストリートやバリューが東南アジアでの大量生産による低価格志向とは無関係のヨーロッパ内での製造であることが「MADE IN 〇〇」という原産国表示に見ることができます。

自分で勝手に途中に線を入れましたが、上のラグジュアリーとデザイナーが同じような内容なので、その他の2種とは一線を画すという点で線を引いてみました。

ただ、上の2つも互いに、実は大きくかけ離れたもので、伝統、ネームバリューなどは比べ物にならないほどの差があります。

その他、デザイン的な趣向では、「ラグジュアリー」は意外とシンプルで典型的な形だったりするモデルが多いです。

反対に、その年の流行とかトレンドを入れ込むことをスタンスとしているのが、「ハイストリート」とか「バリュー」です。

取って付けたような高級感もそれほどあるわけではないような大きなリボンのついたバッグがどこか今持つとかっこよくないのは、そこにクセが入っているからです。

クセは流行やトレンドを象徴することが多く、その時々で「メッセージ」のような役割として分かりやすくデザインに投影させているのです。

ただ、流行も、作られたほんの短い期間は斬新ですが、経年にはトレンドを盛り込み過ぎたデザインは負けてしまうと思うのです。

では、自前バッグのセグメントはどこに。。

ということですが、正解は「属していない」とも言えるのですが、それは古物だからです。

リサイクル品という限定でこのセグメンテーションを当てはめてよいなら、間違いなく一番最初の「ラグジュアリー」となります。

ハイブランド様の中古バッグの収集をこれまでしてまいりましたのも、「コスパの良さ」です。

同じUSED品なら遥かにラグジュアリーがダントツだと考えます。

あとがき

ラグジュアリーブランドというのは、圧倒的にブランディングがありますので、何を作ってもある程度受け入れてもらえるところがあるかと。

しかし、長年の血と汗との結晶と言っても過言でないほどの努力が実は隠されているのです。

本来、その点(良質な最高級の物をと志高く存続している点)が注目する部分だと思うのですが、照れておられるようで、そういったことを隠しすました姿でおられるところがまさにラグジュアリーブランド様の特徴とも言えるのです。

ライバルも多く、そこに手を抜いたら地位が転落してしまう恐怖もある中での闘いの日々なのだと思います。

ある日突然無名の小さなブランドが一世を風靡するなどということはあり得ません。

伝統あるブランド様こそ、地道に世代交代しながらも何百年と継続してきた実りが「ブランディング」という結果だと思います。

その地道という部分は、ミニサイズの規模のお店も何ら公平に与えられたタスク。

ハイブランド様から学ぶことは、むしろ華やかな現在の姿とは裏腹の、「たくさんの試行錯誤・努力・良いものを作ろうとする志」であるべきなのではないかと(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

「ファッショングッズ」という分類のバッグを例に新古関係ない品物の「価値」の見極め方を解く【669】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

バッグの本というのは比較的少ないようで、以前にも、1冊カバンの基礎知識の事が載っている本をやっと見つけて読むにとどまっておりました。

このたび、図書館の蔵書検索で、バッグ類についての学びを得られる本を探しまして、「ニッチな分野」であると解説のあった本を見つけました。

その本とは、「ファッショングッズプロフェッショナル事典:ジェーン・シェイファー&スー・サンダース 著/山崎真理子 翻訳」。

ファッションアイテム全体におけるバッグの位置付けをご教授いただきました。

決して新しい品物だけが価値があるとは限らない、過去からある「古物」も含めた全体で見る品物の「価値」とは何なのかを紐解いてまいりたいと思います。

ファッション分野で、バッグは「ファッショングッズ」という分類にあたる

ファッションというと「洋服」がダントツ品物の数・製造元の数共に多数のイメージです。

アパレル品の中に、かつては申し分程度だったバッグ・靴・ベルトは、今やディスプレイには必ず伴い、「トータルな装いのご提案」の近年です。

まだ多くの方が、お洋服のみが装いであり小物はほとんど重視しない、「ベルトは1本しか持っていない、必要ない」とまでのお話を聞いたこともあるほど日本人は小物に対して疎遠なイメージです。

話は脱線しますが、「パリジェンヌ」様のストリートファッションを拝見しますと、お洋服と同レベルにその他のバッグやベルトや靴も平均的に重視している様子を感じるのです。

本の中では、バッグ・帽子・靴・革小物というのが「ファッショングッズ」と分類されています。

本を一読後考えてまいりたいのは、「贅沢:ぜいたく」というものが何なのかという点です。

このことを深く理解すると、物の価値観がはっきりすると思います。

「贅沢」は決して悪いことだけではなく、「幸せ」に繋がる前向きな観念なのではないか

贅沢とは、「非常に限られた人だけが持っている製品を持つこと」にあります。

また、他の人が経験したことが無いことを経験することは、人とは違う本物に対する消費者の関心の高まりの結果です。

ここで「本物」という言葉が登場。

贅沢というものは悪い意味で使われることも多いですが、本来素敵なことなのではないでしょうか。

人とは違ったり、個性的であったり、1点物であることは、中古品にもその要素が詰まっているのです。

古いものだから、綺麗ではない、汚れている、などというマイナスの面のみではないわけで、反対に、価値あるものというとらえ方が前向きであり、「古物ファン」にとってはよく理解できることだと思います。

「これが私ならではの贅沢である」というフレーズが所々に登場することがあります。

「贅沢」において金銭的度合いは関係なく、一人一人の独自の価値観であり、素敵な未来や満足感や心地良さが十分に得られることを結果的に「贅沢」と呼んでよいのではないかと。

あとがき

YouTube内のお話の切り口は、当ブログとは少し違っていて、本の中身を引用した2点が中心でした。

この本は、ファッショングッズの関係のお仕事に踏み込んでいきたい人向けに書かれていまして、その手法に及ぶまで紹介されているところが、実直です。

デザイナーとして今後やっていくための「バイブル」などという活用の仕方もあるようで、実用的な面もありますが、ここにおいても一例として独自の切り開き方に落とし込むような引用が発展的。

おしみなく例が次々に飛び出して、あまり整理されていないような書き方に特徴がありますが、著者様のそういったあふれんばかりのノウハウをどんどんアウトプットしたいという熱の現れでしょうか。

いろんな本を読んでみて思うのですが、本を出版する方が必ずしも読みやすような完璧な書き方をされているとは限らないということです。

各々の情熱を1冊の本に綴り、多くの人に届けたい気持ちあっての著作です。

果たしてその本が読みやすいのか、すっきりとまとめられているのかは、読んでみて各々が感じることであり、レビューなどを拝見すると結構辛辣な分かりにくさに対するご指摘も本によっては見られることがあります。

それだけ「言論」に関しては自由があるということなのです。

自らの足りない部分をこうしてインプットさせていただけることが有難いです。

その後自分の中でまとめて、今度は新たな形で自分の言葉を使って発信して行ける循環の責務もあります。

今後も、こうした事業に関わる本も読み、そうはいってもてんで違う分野「小説」などからもその「心理の真相」とか「事象への深読み」にも着想があると思っております(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

裏地はたまたま隠れる場所に設置される生地というだけ、表地とフラットな見方で時には「主役」にもなる【657】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

あれは2019年のこと。。

生地屋様のレジの列に並んでいました。

手に持っているのは生地の反の最終、よく遭遇するのですが1反の最後は生地屋様の在庫の終わりであることも多いです。

その時に、後ろの方に「それ、何に使うの?」と聞かれました。

もしかして良いと思っていただいたのに反の最終だから欲しいと思われたのかもしれません。

そして、答えます、「バッグの裏地です」と。

そして、「裏地なんて安くて悪い生地で良いのにそのような生地を使うのは違うのではないか」とのこと。

その生地の値段は、@¥1,000(税込)/m。

生地の中では安物ではないレベルのお値段なので確かに一理あります。

マルチストライプのコットン素材でしたが、先染めではないプリントでした。

その頃から裏地も表地もフラットに見ておりましたので、そのご意見には「しきたり」や「固定観念」を思わず感じてしまいましたがかなりご意見としてはいい加減ではなく、固いもののようでした。

「裏地は裏に隠れるもので、そこそこレベルで良い」というのは、確かに分かりますが、バッグの場合はっきりと目に見える部分であり、むしろ中に物を入れる時に直接触れる部分ですのでそういった意味においては表地よりも重要な部分です。

今でもこの「表地とフラットに見る」という見方は間違っていないと思うのですが、多くのバッグはそのレジで後ろに並んでおられた方と同じ考えだと思います。

「そういうものなのだ」というのがまず一番に思うことなのかもしれません。

そんな頃、専門家による遥か昔の昭和時代の本を古本で手に取り、今でも大切に保管することになる本に出会います

そこから、裏地の役割や機能を「専門書」の教えとして学びました。

このブログ記事の最後に、裏地に対しての考え方を持ってみてくださいませ。

裏地は脇役でしかないのか、それとも主役になるのかを自分の意見だけではなく、専門書に書かれていることから答えを探してみた

少し前のブログ記事の【651】の「ベルトの起源」の内容の記事が「コラム」の中に書かれていた同じ本です。

「裏地と芯地:関西衣生活研究会 発行」、1983年製の教科書のような本。

専門学校とか大学などの服飾関係の科で使われたものではないかと想像します。

昔の本であっても裏地や芯地は姿や形が変わることが無く、とても典型的で本来の仕立てなどベーシックな部分が学べる貴重さというものを感じました

まとめますと、裏地は「縁の下の力持ち」的役割が主体となった「機能を主につかさどる存在」だと言えます。

よって、華やかにする必要が無かったりなどと思われるのかもしれません。

ただ、現在はこの本が発行されてからは40年の年月が流れ、手に取ったその後新しいタイプの考え方を持つようになったのだと言えます。

かつては裏地の大部分を占めていた「機能」、不足しているところが「おしゃれ度」の割合の少なさだったかと。

40年の間ではかなりの価値観が多種に分かれることになり、1つの同じ考え方一辺倒ではなくなってきたのです。

機能の部分は一番の基本としてこうした教科書に綴られていることを理解し、有難く受取り、あと私達が出来ることは、「美しい物に対して気持ちを満たす」価値を考えることになります。

そうすると、裏地にもおしゃれ度を入れていくということで裏地の存在も重視するのが自然に行き着いたことだと考えました。

あとがき

裏地があるおかげで、一重仕立てでは難しいバッグのデザインが上手く出来上がっていくことがよくあります。

実は、それほどまでに一重仕立ては難しい仕立てなのです。

今後製作していこうと予定を立てています黒ベースのバッグは、裏地の効果もあって黒なのに華やかさも入るテイストが作れると思っております。

ただ、レジ並んでいた方は、もしかして、「基本的な機能を重視せよ」ということを思っておられたかもしれません。

まさにこのたびのこの本の時代にハンドメイド活動真っ盛りの40歳くらいだったと予想されるからです。

その後、レジで並んだストライプ生地は、後ろに並ばれた方の助言も取り入れながら、1点のヘルメットバッグを表地に、残ったすべてを表地も裏地も両方ミニバッグに、そのストライプ生地で作ったのでした↓。

ヘルメットバッグ:裏地に選んでいた生地を表地使いに製作。
ミニバッグ:裏地に選んでいた生地を表地にも裏地にも共生地で製作。

本からの学びも得ながら、レジの後ろに並んでおられた方のご意見も違った形で受け入れました「表地にも裏地にも取り入れる」という形でこの生地の幕が下りたのでした(^-^)。

いつから表面的な機能不足なアパレル品になってしまったのだろう、いにしえの機能中心で生まれたベルトの起源を知る【651】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ベルトには目が無い方。

これまで数多くのベルトを集めてきた過去がありました。

一度お洋服に対して異常なバランスでベルトが増え、60本に及ぶほどに。。

すべたは本革レザーですので、どれも気に入ってはいたのですが、やはりそこまでの数に及ぶと被る部分があり使用にも偏りが出ます。

そして、一時お求めの方へお譲りしまして、ミニマムに減らしての20本の現在です。

パンツのウエストの位置維持という機能よりも、装飾的に使うことが多いです。

ワンピースのウエストにあえてそのまま設置し、ウエストのカーブラインの美しさを出すことにもかなりの効果です。

このたびは、この「ベルト」の起源、いつ頃に生まれたものなのかということを調べ、当初「留め具」としての機能がどうしても必要だったベルトが誕生した背景を見ていきたいと思います。

ベルトはもともと「狩猟の採集物を吊り下げる役割」でスタートしたこと、お洋服より誕生が先であったことへの驚き

意外なことに、「ベルト」誕生は洋服より前というから驚きです。

今回、手持ちの教科書のような本からの学びです。

「’83裏地と芯地:関西衣生活研究会 発行」

’83なので、1983年(昭和57年)の家政科とか服飾関係の専門学校や大学の教科書に使われた本なのではないかという本をある時に「ヤフオク」でいただいたものです。

とても古いお品なのに内容が良く、図書館ライフの身としては珍しい手持ちの本となります。

この本の中で、裏地と芯地について書かれている中の「コラム」のような場所で載せられていたベルトについてのお話だったのでした。

原始時代というような人間がまだ服をまとわずに、動物たちを追いかけ、狩猟などをして生活していった時にベルトがすでに存在していました。

採集したものを一時的に持つ場所としては、手足が塞がっているので、動きのない場所である胴や腰の部分に吊り下げるということを考え付いて、一時キープする役割をしていたようです。

ベルトといっても現在のようなものよりかなり太ベルトであると思いますし、それが後に発展して、スカートみたいな洋服っぽくもなっていったようです。

その後、飾りを加えて装飾的なベルトになっていきます。

機能が満たされると次に装飾に対する欲を持つようになるというフェーズの変遷が興味深く、現在のファッションに通ずる部分です。

そして、狩猟などがなくなることで、道具としての機能のベルトがいったん消滅、同時に、現在のベルトの面影があるような洋服に添える装飾的なアイテムになったよう。

もともと洋服自体のような機能であった時代があったベルト。

小物である現在から想像すると、「洋服以上に主役だった」ことに非常に驚きました。

同じ洋服でもベルトをするしないでラインが変わる点がワンピースの素晴らしい点。同時にベルトも好みます。

あとがき

ベルというのは、体の真ん中に位置しています。

機能的だけをゴールとしたものなのか、それとも装飾も伴ったものなのかでは大きく違う存在となったベルト。

ベルトを中心にバッグや靴と色や素材を合わせてみるのも楽しいですし、すっきりとまとまった印象にもなります。

そういう意味で結構重要な真ん中ポジションにあるベルトは、大昔のように機能は薄れても今後もお洋服のコーデには有難いアイテムです。

ファッションアイテムでありながら特段の流行が無いところもずっと持ち続けることができる素晴らしいアイテムです(^-^)。

本来先にニーズがあって製造が来る順番、「見込み」や「予想」で製造することの甘さの徹底見直し【645】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「サスティナブル」への意識がいよいよ本格的に高まってきています。

「毛皮製造をやめた、本革に替わる素材を製造し始めている」などの情報から、もう実際にファッションブランド様が新しい時代向けの製造を始動し始めているところなのです。

結果本当にそれがサステイナブルなのかなどの深堀りはさておき、その意識・それに伴う意志表示は第一歩と言えます。

そんな高まりに触発されて、自作を改めて見返しています。

特に罰則などがない現在は自主的な活動に委ねられる、各々の製造者が呼吸するかのように意識するべき「サスティナブル」への取り組み

このたび、「グリーンファッション入門―サステイナブル社会を形成していくために:田中めぐみ 著」を3/4くらいまで拝読。

途中ながら、ここで3つの学びを咀嚼後のアウトプットでお伝えしたいと思います。

1)完全に実現は不可能、できることを等身大でする。

持続するには、そもそもこれが大切。

無理して大きく効果を出そうと前のめりではどこかでお手上げをしてしまうかもしれません、続けていくことこそがまず大切だからです。

サステイナブルに関しては、法律が敷かれているわけではないところに、各々のペースに委ねられる部分があり、それほど進んでいないと見ることもできるようです。

一人一人の意識で自らが能動的に踏み込んでいかないとなかなか進んでいかないことでもあるのです。

そして、完璧なサスティナブル商品ということが不可能であり、一部に取り込んだりなどの可能な範囲内でということになるのが現状。

ただ、それも意識は向いたことになり、一定の意味があると思います。

2)リサイクルするためのエネルギーや化学薬品が実際には必要。

リサイクルという活動自体がコストがかかるものであり、そのためのエネルギーや化学薬品の使用は無しというわけには進みません。

ただ、「環境を汚染したまま放りっぱなしよりもはるかに、リサイクルするための目的でのエネルギーや薬品は環境にやさしい」とのことです。

この点は反論として必ず湧き出てくる発言「結局何をしているのか分からないのでは。。」というような否定的な意見にも強い説得力があります。

3)「ループを閉じる」というキーワードが目指す部分。

「ループを閉じる」というのは、「製造されたお品が再び使われて、ずーっと循環していくようなイメージで、外に余剰在庫とか廃棄処分などのようにもれることがない1つのつながった枠の中で一度製造された商品が生き続けるサイクルができる」というもの。

これが理想のサステイナブルな商品のサイクルができている目指すべき構造。

目指すところは完全リサイクル化のループが出来上がって、取りこぼすことがないというイメージでしょうか。

とても理想的ですし、現在と大きく変わっていくスタイル。

やはり一人一人が意識せずして出来上がらない構造だと考えます。

製作するハンドメイドバッグではどう製造していくのかを考えてみた

ここ最近、ハンドメイド品に使うパーツの徹底廃止をする決意がありました。

将来いつか外れる可能性が幾分かある打ち込みの金具パーツを取りやめる決意をしたところでした。

実際、以前に自作したアイレットカン/片面ハトメの取っ手の穴が、重いものを入れてバッグを持った時の負担で、先日ポンッと外れました。

中から布をポンチでくり抜いた縫い代のゲジゲジが見え、使えないものになり、廃棄処分です。

こんな危ういお品を作っていたのかと思うと背筋がひんやり(+_+)。

長い目で見て、長く使えるお品ではなかったことの証明のような姿でした。

パーツが重さに耐えかねて外れてしまえば、ほぼそこで終了。

アイレットカン/片面ハトメをリフォームで今一度打ち込むことも、サイズがそのままではもう通用しなかったり、工夫が必要なコストのかかるリフォームが待っています。

そこにかかった余計なコストとの天秤で、結局廃棄して新しいものを購入の意向ということになり、もったいないお品だったということになるわけです。

こういうことを一切なくしたくて、シンプルでもいい、ミシンの縫いで確実に固定されたお品の方がかえって長持ちのお品だと美しい固定ステッチなどに重点を置くようになりました。

そういったことをずっと考えてきて、今の見た目のかっこよさとか、使う前だけの装飾の素敵さなどが本当に長続きするものなのかをちゃんと考えて作っていこうということを考えていたところです。

そもそも、製造を企画する時点でちゃんと作るのか・作らないのかさえジャッジするべきであり、未来が持続的ではないものは企画中止もいとわない方向で挑まねばと思っております。

ハンドメイド製作に関しては、まだまだ課題があります。

そもそも売れない物を作って在庫にわざわざすることへの見直しです。

企画も「勘」みたいなところがあって、いくつかの一部だけが注目されたりするものです。

余計な物を作ってしまっていることを反省しなければなりません。

じゃあ、「オーダーメイド」だったら必要な分だけ作るのだから良いじゃないかと思われるかもしれませんが、そうでもないのです。

なぜなら、「オーダーメイド」という商業的な構造を作るには、必ず、元の材料の調達者が必要で、生地もないのに、オーダーメイドが始まらないからです。

一見無駄が無いようにみえても、製造する構造が存在する限り、必ずどこかに前もって準備しておく「ストック・在庫」が生まれているのです。

じゃあ何にもできないではないか。。

そう考えると、本当に必要である品物意外は気軽に作るべきではないということです。

そういった企画に足を踏み入れてしまうと、儲けを追求した構造からなかなか降りることができないのです。

製作の技術を持っていても、行使するのかしないのかも本来冷静に考えるべきだったのです。

できることなどほんの僅かですが、この先に相応しい品物を作っていくということがまずその意識としてできることであり、心からそうしたいと思ってきたことです。

すぐには捨てられないような価値のあるお品物を作るということだけでもサスティナブルな意識が入ったものになると考えます。

完璧な100%サステイナブル商品というところまでいかなくとも、サスティナブルな意識を込めた商品を作ろうとすることからのスタートをまず切ることです。

できることとして、もう1つあります。

コスパの良いお買い物の仕方のご紹介をすることです。

そもそも購入するというところから物を保持することがスタートしますので、ショッピングはすごく大切になってくると思います。

軽い気持ちで品物を購入するものではないと言えます。

https://youtu.be/g2MGygFjUVQ

あとがき

前述の「ループを閉じる」というところに到達するには、例えば、古着であると、まず着たいと思うようなデザインに直すということも必要になってくるかと思います。

着る出番がないと、これまた意味がないからです。

例えばよく綴らせていただいています、「リメイク」もそれ自体は非常にサスティなブルな活動ですが、「著作権の侵害」に阻まれ、一度世に出た他社様の製造の品物は、作り変えて更なる販売や金銭を得るための発信活動でさえ問題行為となってしまうのです。

このことを解決していく方法を常に考えています。

考えたところで今は何もできませんが、出来るところから始めていまして、「リメイク」もあきらめるのではなく、自分使いの範囲にとどめる遵守をしながら、その手法に関しては「図解」で発信しています。

環境に考慮したお品が上手くサイクルするためには、「リサイクル自体がしやすい環境」なども必要になってくると思います。

サステイナブルなお品を作ることができる「環境整備」ということも並行して進めるべき今後の課題です。

アパレルに儲けを極限に追求した反動、環境破壊と人権侵害を本気で憎む【624】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ブログ記事は、YouTube動画と連動しておりまして、タイトルの末尾の同じ番号【】をブログにも採番致しております。

ブログが翌日投稿になりますので、この記事の前日がYouTubeアップの日であったというおおかたの見方です。

さらにその後、インスタグラムでも同じ番号、その次にスレッズでも同じ番号でそれぞれ少し違った書き方で投稿させていただいております。

インスタやスレッズはご覧いただく人の新たな開拓(新しい出会い)のようなもので、動画とブログにアップしたということをお知らせする機会のような使い方です。

よって、特に一番最初のYouTube動画投稿と翌日午前中のブログ投稿が主体です。

ただ、インスタやスレッズがあったおかげでYouTubeの登録者様が外国の方だったりなど大変光栄なこともある程度把握しております。

本当に皆様ありがとうございます(^-^)。

このたびは、昨日公開の映画を早速観賞、YouTubeとブログにアップさせていただいております。

観賞映画は、「グリード ファストファッション帝国の真実」。

いよいよ、「サステイナブル:永久持続性」をハイブランド様やアパレル品製造業者様の多くが意識し始め、実際に生産に取り入れてきているような昨今の中での公開は、悪しきしきたりの本当の終焉を告知したかのようで、このタイミングとして見ますとタイムリーだと言えます。

映画には、「いましめ」のようなものが入り混じり、いつまでたっても相変わらず儲けを追求して、人権などを踏みにじり続ける経営者に対する「怒りが膨れ上がった姿」もラストシーンで感じました。

大儲けの資本家の反対サイドで苦しむ低賃金、劣悪環境の労働者との差の問題

ビジネスたるもの、少ない資本から大きな儲けを追求することは基本的な考え方としてはあるもの。

しかしながらその裏側で労働賃金を極限に低く設定された交渉のもとで生み出されたその生産の結果、資本家と、労働者の裕福さの開きがあまりにありすぎるものに。

映画の中の2点の引用で、当記事にたどり着いてくださいました読み手様と共有したいと思います。

1点目は、主人公のファストファッションの経営者の部下や従業員人に対する経営者のトップの態度。

モラハラ・パワハラが問題になる現在の姿をいとも分かりやすく私たちにその様子を伝えます。

店の名前の看板1つに対してとにかく目立つような派手な色使いを強要、しかも出来上がった状態に対して後から指摘し、考案者の人格すべてを否定するような汚い言葉での罵倒。

このパターンが他の人にもなされる日常。

看板の色使いを決めるに至った持ち場の担当者の思いや、意見を聞きとり、話し合うなどの事は一切なし、ワンマン型の究極の姿です。

そんな場面が多く、別のシーンでも多く見られました。

凍り付くような寒々とした場面に唖然とする大勢の従業員対トップの彼1人との極端な「温度差」がそこにはありました。

2点目は、その提供に見合った金額のお金を払うべきタクシー代、ここでは、極端に値下げを要求。

かと思えば、自分誇示のためのパーティーの派手な演出などには多額のお金を湯水のように出費するという極端さ。

ここから、この経営者のお金の投じ方の問題が浮かびます。

ふさわしい場面に必要なだけのお金を支払っていくということを全くしていないのです。

非常に嘆かわしく、常に我欲が中心にありました。

自分が今あるのは、労働してくれている多くの従業員のおかげだとは微塵も思っていなかった人間の末路を、分かりやすい形で表現したオーソドックスな内容です。

あとがき

この映画は、ある意味「最終通告」のようなもの。

ついに、そのカードが切られた、もうそのフェーズに来たといったメッセージです。

映画の中では、分かりやすく究極な形でこれまでの悪いやり方の行き着く先を表現されていたわけですが、日常のアパレル事業の活動の中では小さいながらもこの考え方が根付いていることがあります。

世の中があれだけ性差を失くしジェンダーレス社会になっているにもかかわらず、「男尊女卑」が今だにファッション業界では残っています。

その他、実際に製造する者が、意見を言えず、とにかくきつい納期の中でひたすらイエスマンを貫かねばならない状況も。。

特にアパレル業はそういったことの大きな改善が遅れていると思います。

この原因は何なのでしょう。

かつての「ガチャマン時代」という、機織りをしていれば素材が洋服に変わりみるみる売れる良き時代があり、その栄光がいつまでも忘れられないことも1つにあるかもしれません。

あれこそが本当のアパレルの姿だと誤解をしている、そう思いたいということなのでしょう。

現在読ませていただいております生地の歴史の本においても、長い長い歴史で見てみると、布を材料に完全機会化は決してされない手仕事が必ず残る衣服の製作や生地の製造は、「大儲け」というのは本来はなかなか過去にも無かったこと。

生地の1つの素材でさえも、昔であってもある流行の波にたまたま乗ってその時は繁栄した時期が長く続いたことがあったという見方。

産地の素材1つだけとっても、衰退しそうになりながらなんとか作り続けてきたことなのです。

それなのに、洋服を作るまでの複雑な経路のアパレルの構造にもよるのですが、元の素材からスタートの部分を、表面的に見てうわべの判断で進めていく中間業者の無責任さはを感じることがありました。

儲からないなら「やめる」というのであれば、是非そうしていただきたいと思うのです。

本当にアパレルをしたかったわけじゃない、旨味を得たかったことが目的だったからです。

「多重構造の大きな怒りの塊」があの映画の中のラストのシーンで爆発しているようでした。