仰々しさを解消し連のつなげ方を変えるアレンジもある、昭和の古物のあこや真珠ネックレスを新しい形で活かし出番を増やす方法【299】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

現在「本物志向のレンタルジュエリー」という事業をさせていただいております。

ネックレス(ペンダント)、ブレス(バングル)、リングの3アイテムを1セットにまとめてジュエリーのみのコーデをあらかじめ完了、雰囲気を作ったお洋服に合わせやすいセット組としています。

その中には、過去には真珠も多く何割かを占めているほどでした。

ただ、レンタルとしての価値は真珠があまりに低く、ショックを受けた現実がありました。

これも実際にレンタル事業をやってみて分かったことでした。

随分好みとの距離を感じ、より一層元のコレクションの感覚から抜け出すきっかけになりました。

当然お客様の意向を取り入れることが優先なので納得の上、お手入れしにくいデリケート過ぎる割には地金部分の少ない真珠は廃止へ。

それでも実は真珠の大ファン。

ということで、今後できることもあります。

真珠の装い方をご対案することなど、役割の末端ながらも真珠に関わって行ければと思っております。

あこや真珠については、天然と人工の部分が良いバランスで融合した素晴らしいお品物。

そんな真ん丸な形をしたかわいいあこや真珠について、このたび新たに知ることとなった知識と歴史をご紹介し、フォーマルだけのイメージが根強かったあこや真珠に対する新しい向き合い方をお伝えできればと思います。

あこや真珠は日本人が生み出した養殖技術で作られるもの

真珠と言えば、かの有名な「ミキモト」様や「タサキ」様が思い浮かぶかと思います。

社名である「ミキモト」というネーミングは、人の苗字そのまま「御木本幸吉」様のことです。

まだ、真珠が高価な希少性が高すぎて気軽に一般の人々が持てなかった時代に、養殖技術によって、たくさんのしかも形の整った宝飾品を作れるようになったことに貢献し、その後あこや真珠が多くの人に広がっていきます。

現在真珠をジュエリーとして装うことに関してはあまり盛り上がっているとは言えないものの、一部では真珠ファンは健在であると思いますしクラシックなアイテムです。

このたび、1冊の本を拝読。

あこや真珠について、特に真珠がどのように出来上がるかというなかなか私達が分かりにくいような構造を知りました。

「真珠 美の壺 著者:***:NHK出版」。

もともとこの本は、美の壺というNHKのテレビ番組が元なのです。

実は、この番組が開始の2006年当初よく見ておりました番組で、VHSビデオ録画をしていました。

こういった芸術系の番組は堅いイメージですが、この美の壺は、雰囲気が刷新され、身近に芸術を感じられるような番組でした。

現在ももしかして番組は続行中なのかもしれませんが、テレビを見なくなった私は現在は見ることはありません。

ところで、あこや真珠の真ん丸についてですが、あれは、もともとあの真ん丸に出来上がるのではなく、技術として真ん丸に仕上げる工程があってのもの。

そのことはぼんやり知っていたものの、具体的にはよく分かっていませんでした。

まずは、自然に何も手を加えずに出来上がる真珠の出来方をまず理解するところが近道です。

真珠はある意味、奇跡的な生物であると言えます。

貝の性質とか働きとして、持ち備えた貝殻を作ろうとする働きというところがポイント。

貝には「外套膜(がいとうまく)」という物体を覆う役割の膜を持っていて、外部から虫とか異物が混入することがたまにある時に、貝の隙間から中へ入ることがあるとのこと。

その時、貝の身は、「あ、何か来た!」と反応。

そして、持ち備えている物体を覆う外套膜を使って真珠袋という袋を形成。

つまり、貝殻を作ると同じように、混入物にも貝殻を作ろうとするのだそう。

それが真珠の正体です。

その自然構造で出来上がった真珠が真ん丸になることはめったにないわけです。

ぐちゃぐちゃの形だったり、整ったものではない。

それを創業者の御木本様が、よく研究の末真ん丸に出来上がることを目標に養殖という、人間がお手伝いする形で整った形状を実現。

自然に出来上がる異物混入と同じことを、綺麗な形状に出来上がるように人間が手を加えることの価値があります。

実際のやり方などは、真珠専門店様のブログなどに書かれていまして、どうぞプロの説明をご一読されることをお勧めしますね。

経年のビンテージあこや真珠を今着る洋服に取り入れる例

ただ、こうして、手間がかけられた美しいあこや真珠も昭和の時代に作られたものが、しっかりお手入れされなかったりすると、令和の現在では、黄ばんだり、キズなどで、質が低下したものになっていることがあります。

慶事や、弔事には、そういった黄ばみなどのあるものはなかなか気が進みませんので、やはり、真っ白な綺麗な物を付けたいと思います。

けれども、普段使いの気軽に少しだけお出かけだったり、通勤だったり、カジュアルな着こなしのアクセサリーに使う真珠は、もっと質が落ちていてもそれがかえって気軽で使い勝手が良い物です。

ということで、あこや真珠であっても、質を見分けて、シーンで使い分けるということが私のお勧めする使い方になります。

あこや真珠のネックレス:普段使いっぽく、小さなあこやも間に入れてつなげてテグスで気軽に通したもの。

このネックレスは、もう真珠自体が保管やお手入れが悪く、汗やらなにやらで質の悪いものになってしまったので残念ですが、それでも、あこや真珠という価値は変わらず健在。

留め具も質をシルバークラスプからぐんと落として、ステンレスのダルマ板やカニカンに交換。

元の豪華な作りの良いクラスプは、高級な程度の良い真珠のネックレスへ付け替えて使ったりしました。

この留め具がなじみのあるダルマ板やカニカンであることだけでも普段使いの証となります。

見る人が見ると、あこや真珠の価値を分かってくれて、カジュアルなあこや真珠の使い方を理解してもらえそう。

ということで、このような古いビンテージ物のあこや真珠の使い方のご提案でした。

シルバー925は留め具のほんのわずかな部分でも金属アレルギーに影響があるもの。

ステンレスの留め具に変えて、最大限の対応をしてみたのでした。

ロングネックレスを自作:色の悪い良質ではない「あこや」だけをあえて集めたネックレスx3本分ほどの長さ。

ロングの真珠がピカピカだと大変近づきにくいフォーマル色が高まります。

そしてお値段もとても高価。

それよりも、気軽にジーンズにさえ装えるようなロングあこやネックレスを自作。

しかも古い黄ばんだようなものがかえって良いのです。

同じような少し傷んだようなものをロングにつなぎ合わせれば、自主的にリフォームが完成。

留め具のやり方だけはそれぞれ学ばねばなりませんが、動画で分かりやすい説明もあり、最初知識ゼロからのスタートで連物だけは作れるようになったのです。

あとがき

日本人は、真珠をそのまま連の粒がそろったままネックレスという使い方を好むようで、ジュエリーとしての使い方が主流ですが、ヨーロッパの人々は、芸術品のように飾りなどにすることも多いそうです。

文化とかお国柄の違いがあるようです。

今後は、ネックレスなどの身に着けるアクセサリーからもっといろいろな使い方に拡張していく余地がまだまだあるようです。

それに加えて、かつては女性だけのアイテムのように扱われた真珠ネックレスも今や、男性も何ら躊躇なく身に着けるところへも広がりを見せている様子です。

せっかくのあこや真珠という日本生まれの古き良き産物、新しい使い方や、新しい使い手に広がることが期待されます。

真珠のコーデも、エレガントなイメージがまだまだ強いですが、カジュアルな真珠のコーデというものが、かつてのフォーマル一辺倒とのギャップが感じられ新鮮です。

そんなコーデの例なども今後お伝えしてまいりたいと思います(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

「衣・食・住」の「衣」をあなどるなかれ、流行の波にただ乗るだけで本当の自分は映し出せない、着る者の人生をも映し出す大切なお洋服の未来【288】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「ファッション産業論:富沢修身 著」という本を拝読致しました。

これまでのファッションの業界のざっくりとした軌跡のようなことを知るという意味で読んでみました。

グラフや図が緻密、そして硬めの文章が特徴です。

おそらく、学生の参考書とか教科書のような使われ方をされているような本だと思いました。

きっかけというのが「過剰消費」にあるとのこと。

日本と世界と両方から幅広くファッション産業の変遷とか現在、今後の見通しを述べられています。

ファッション業界の全盛期というのはとうに過ぎたという寂しげな言葉も聞きながら、これまで、勤務先は20年以上アパレル業界でした。

その後、私は退社とともに個人事業主に、その後の数年間で業界がかなりの変容をとげ、コロナ禍でさらに劇的な変化が起こっています。

こういった変化の時には、過去の歴史も知る必要があり、どんな歩みをしてきての今なのかという見方が1つあります。

「サイクル型」と呼ばれるファッションの時代、一人一人が身近にできることはたくさんある

長年の古着好きですが、本格的に古着だけを着ていくというお洋服スタイルになって15年くらいの暦になりました。

「3R」の中で最も身近に感じる「リユース」品を購入するということです。

かつては、「古着好きな人」ということで珍しい存在であったかつてからは、大半の人が古着に対して抵抗がなくなったことでニッチな存在でもなくなりました。

特に珍しい存在でもなくなったことで、寂しくもあり、一方ホッとしたというか、これぞ本来の望ましい姿なのではないかと思っています。

日本人の古着というのは、結構綺麗であるという特徴を外国人が評価しているようで、「古着」という言葉に違和感を感じるほど綺麗でもったいないような良き品物が多く見つかります。

とことん着られたような古着を購入しないという選択が十分可能なほど、大半が「美品」と呼ばれるものなのです。

難しいことは考えず、とりあえず、一人一人ができることというのは、そういうもったいなさにもっと目を向けることが1つあります。

そして、変な情報にあおられ、コスパの悪い新品のお買い物をしてしまわないことも1つだと思います。

自分の目でしっかりとその良さを見極めるということがお洋服選びでそもそも個人レベルでできることです。

そうして、厳しいお話ではありますが、「安かろう、悪かろう」のお洋服の存在価値がなくなっていくべきだと思うのです。

あとがき

さて、ミシン技術が少しあるハンドメイドバッグを製作してきた私ができることは何なのであろうかと真剣に考えてきたこの数年。

1つおぼろげながら答えが出ようとしています。

それは「古着の取り入れ方の伝授」です。

古着をそのまま受け入れるには不満も一定あること、昔臭さが敬遠されることも。。

そういったもののどこを変化させれば受け入れられるに足りるところに行き着くのかを考え、その例をお伝えしていく役割を担えそうだと思い始めました。

著作権に阻まれ、なかなか紹介しづらい「リメイク」などを図解を取り入れて、著作権を侵害しないように気を付けながら発信しています。

今後もこういった活動を発展させていきたいと思っております。

ただ、元のお洋服の会社様へのいくつかのお問合せで「リメイク商業利用は不可」だとお答えいただいており、リメイク品の気軽な販売は、タブーです。

お洋服の製造元のブランド様の価値を落とすことは決してしてはいけないのです。

この「著作権」こそが、リメイクを実際に広めることの難しさだと思っています。

とはいえ、素敵な「文化」になるよう広める活動が不可能だとも思いません。

今後、これぞという手ごたえを感じたことに関しては、きちんと著作権を順守しながらお伝えの仕方を工夫し、正当な道でリメイクを考えていきたいと思っております(^-^)。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク

ボディコン服はその究極のデザイン、衣服は身体を覆い隠す目的よりもむしろその美しいラインを表現するツール【212】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

衣服に関する研究を兼ね、「ファッションの哲学:井上雅人 著」を拝読。

素晴らしいです、ファッションの本当の根底にあるものを教えていただいたと思います。

「哲学」という言葉がいかにも堅苦しそうですが、実は身近なもの、「なぜ」「理由」の部分が作り上げるものだと考えます。

着飾ることでどうしても表面的に映りがちなファッションだからこそ、本当は深みがあり、伝えたいメッセージが宿るものであるという本当の姿が隠れてしまっているだけなのです。

本当に見せているものは服のデザインや装飾ではない、その有難いツールを通じた一人の人間の特徴なのではないか

タイトルに「ボディコン」を引用させていただきましたが、ただ華やかなパーティーファッションと見るところからもう少し見方を変えてみます。

女性の身体の特徴を分かり易く惜しみなく表した究極なデザインであると見れば、非常に素敵なお洋服なのです。

ただ、日常着としてはシーンに馴染まない、ステージ衣装として引用されることが多いと思います。

しかしここが特殊、バブル時代のディスコのお立ち台は誰もがステージに立てる「ハコ」の構造、「お立ち台」は身近なステージであったところにみんなで楽しめる素晴らしさがあったかと。

衣装さながらではなく、日常着の延長であり兼用という気軽さ、お仕事着の延長もあり得ました。

さて、日常のお出かけ着において、ウエストのベルトの装着は、ベルト通しによってずれを防止する機能のパワーアップの一方で、シェイプされたウエストの美しさを見せることができます。

超ロングスカートが一番素敵なのかというのはそうとは限らない、くるぶしが見える丈の切り替わりの部分に美しさとバランスが生まれ、背丈に合わせた一番のベストポジションを探るポテンシャルの部分です。

コーデというのは、服のみならず人間の身体と共に作り上げるもの、時には黒髪を利用した黒コーデへのバランスに、ブロンドヘアーを利用したライトカラーコーデのバランスに人間の身体の一部も参加しているのです。

そのようなことに気付いているコーデの達人達は、多くのアイテムを使い過ぎずに、最低限のアイテム数で見事に「粋:いき」なコーデを完成させていきます。

「ファッション」=「おしゃれ」という考え方は敷居を上げてしまう考え方。

それよりもまず先にやることがあるのです。

それは自分を知ること、これに尽きるのではないでしょうか。

自分はどんな考え方を持っているのか。。例えば究極「服嫌い」の人。

「服嫌い」がどうしても着なければならない服の装いにその「考え方」が表れるということになります。

あとがき

「なぜ」の答えがちゃんとある製造品、必ず良い方向へと高まっていくと思います。

小さくハンドメイドを始めたということであっても、規模など関係なく同じことです。

是非「哲学」を持った「ものづくり」に取り組み、優れた文化の1役とになっていこうではありませんか(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

ミニマム時代らしい物品の収集スタイル、毎日使用する日用品に溶け込んだ物品を集めることで表現できる拘りの色濃さ【183】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ここ10年くらいの間に持っていた疑問、「なぜ集めてしまうのだろう」というもの。

そんなことが書かれた本はないものかと、「集める 理由」などと検索して能動的に本を探し求めるという本との出会い方をしました。

ヒットした1冊の本(購入しました)は、「集める人びと 蒐集の小宇宙(ミクロコスモス):瀬川正仁 著」。

この本の帯の部分に「ヒトはなぜ蒐(あつ)めるのか」という持っていた疑問そのものが書かれていたのです。

様々な分野のコレクター様達の素晴らしいお品とその経緯がルポタージュ形式で綴られます。

当ブログ記事は、最初の投稿の2020.08.15からおよそ5年後の2025.07.04にブログ記事の「手直し」の順番で、タイトルから見直しここまで綴り直しをしてまいりました。

この期間に、随分生活のミニマムスタイル傾向があり、「物を持たないことが幸せにイコールである」という1つの考え方が多くの人々に共感されました。

確かに、今から何かを集め始めることは随分減ったと思います。

しかし、過去にとことん集めてきたものが、いよいよ今になってその時には想像もしなかった影響力を発揮している場面も出てきたのです。

ミニマムスタイルとはいえ、ここは変わりのない3次元。

必ず、「物品」や「物体」が存在するわけで「物を集める」ということができる環境のままです。

このたびは、この新しいシンプルさが強調される時代の豊かさを作るものの中に、これまで集めてきたものの「影響力」も少なからずあるのではないかという側面をお伝えできればと思います。

夢中で好きな物を集めて出来上がった独特の世界観、気が付けば未来の活動や挑戦の可能性に通じるものになっている

藍染めの小花柄の食器類:使いながらの収集スタイルですので無駄とは無縁。藍色は食欲を高め飽きが来ません。

特に高価な食器ではなくても、「高額=優れた品物」という固定観念にとらわれず、パッと見て引き付けられた気持ちを大切にファンになった柄なのです。

一部「陶器市」で購入、残りはほとんどネット通販で購入しました。

「藍染め 皿 小花柄」のキーワード検索でヒットすると思います。

木製チェスト:箪笥サイズからミニサイズまで様々。引き出しに「つまみ」が突出しているデザインが好み。

これらの木製チェストも、ある一定の良質さとレベルを持ち備えた中古品です。

中古品でも非常に綺麗なものを選び抜き、必ず市場の平均価格よりもお得に入手することをモットーとしています。

究極の考えかた、「良質なお品物を極力お安く入手」というもの、木製はかえって中古品の方がレベルが高いことが多いです。

ここ近年では、ドカンと場所を占領するような家具よりも、コンパクトなサイズをいくつかに分けて設置するスタイルの方が入手にためらいがありません。

やはり、先ほどの食器類と同じで、収集した木製チェストはすべて使用中なので、集めながら使っていくというスタイルが共通です。

かつては、使わずに眺めているのみのスタイルの収集もありましたが、使いながら集めるスタイルへ動いていったと思います。

あとがき

この本の中の収集家様方は、人形や鉄道関係の物品など分野が非常にユニークでした。

そして、どの収集家様方もこの本に取り上げられ取材を受けたというだけでも、収集活動の発展の1つの姿だと見ています。

2010年代のパワーストーンブームがあって、見たこともないストーンの美しさにどんどん触れていった時期がありました。

その延長上に、現在の「本物志向のレンタルジュエリー」に通じる道がありました。

綺麗な天然石を自作したり、本当にいくつもの美しい色とりどりの天然石に接触。

今思えば、この数十年でどんどん人生が変わっていったのも、もしかして天然石に触れたせいとも考えられなくもありません。

集めてそのまま収納し、時々眺めるだけの日々だった2010年代。。

その活かし方をいよいよ2020年に気付き、「レンタルジュエリー」を開始したのです。

他愛もないジュエリーの収集がいつしか事業活動にまで発展していったのでした。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

死後の世界を理解すると腑に落ちる、「銀河鉄道の夜:宮沢賢治 著」をこのように解釈しました【365】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

たまたまネットでオンライン購読が可能であった「銀河鉄道の夜:宮沢賢治 著」。

ひょんなことから冒頭部分を読み始めて、そこから一気に最後まで。。

「銀河鉄道の夜」に関しては、多くの学生さんが読書感想文を書かれている作品だと思います。

セミロングな長さでありますこの作品、「未完の作品」だったとか。。

人のために尽くすということはどういうことなのかを究極の形で映し出す

学校の授業の場面。

先生の質問に上手く答えられないジョバンニ。

そして、その答えは分かっているのに分からないふりをして答えなかったカムパネルラ。

カムパネルラが明らかに知っている答えを自分のために答えなかったあの場面の時に、ジョバンニは、「自分もカムパネルラも悲しいと思った。。」と。

このことは、少し状況の違う別の人間が互いに同じシーンで、悲しい気持ちを共有した瞬間だと思いました。

カムパネルラという少年の、自分を犠牲にしてでも人を助けるという性格。

ここに親譲りの「育ち」のようなものを見ます。

親譲りをなぜ感じたかというのが次の場面。

ザネリが川でおぼれかけたのをカムパネルラが助け、結果帰らぬ人となった場面。

そして、そこへカムパネルラの父親がかけつけ、落ち着いた様子で、もうカムパネルラの生存が難しいだろうと冷静に語ります。

それどころか、ジョバンニに、お父さんが近く帰ってくるだろう吉報を伝えます。

自分の息子が亡くなったそのような時にさえ、他人の吉報を伝える配慮。

カムパネルラの姿勢は、おそらく父親から受け継がれた「継承」のようなもの。

この自己犠牲は、エゴで満ちた人間には是非とも知ってほしい姿。

まずは、自分の前に人の幸せを考えてあげる例が親子ともどもに感じられました。

「銀河鉄道の旅」はまさに死後の世界を分かりやすく象徴的に表現している

ところで、この物語を1つだけある「絵」で表すとしたら、銀河鉄道の旅の途中の場面でしょう。

善い行いをしていたカムパネルラの生き方そのものが評価されたような形の遠く高い宇宙の降車駅。

いろいろな人が列車に搭乗しては途中で降りていくのですが、カムパネルラのように最後の方の駅(上の方)で降りる人というその決められた片道切符が、「徳:とく」の高さを評価されたと感じます。

これは、他人のために自分を犠牲にしてまでも尽くしたという人間への高い評価をだと解釈できます。

しかし、カムパネルラは死者となった身。

やはり上の方の駅ではあっても、やがては、他の人と同じように列車を降りて銀河の闇に消えてしまいました。

ジョバンニは、この旅で一瞬だけではありましたが、何らかの霊感みたいなもののせいで死んだ後の体験に触れたことになります。

死んだ人しか知ることがない宇宙の列車の旅に参加する体験をほんのわずかの時間だけ味わったということです。

ここで「はっ!」と思うことが。。

ここ最近YouTubeで視聴させていただいた、「臨死体験」をした人のエピソード。

その臨死体験は、よく日本人の中で言い伝えられている「三途の川」のお話。

生きている間に誠実に生きてきた人は、美しく素敵な景色の場所へ行ける、その逆の人は暗い場所で心も晴れないと、そしてその場所がその先も永久なのだと。

列車の旅の途中で、二人(主人公ジョバンニとカムパネルラ)は鳥を捕らえて生業(なりわい)にしている男性に出会います。

しかも、時間が経過しても相も変わらずただ同じ場面であり、そこからの変化も発展もありません。

この男性に対してジョバンニは、「本当に心からその仕事をしたいのだろうか」と疑問を持つ場面が印象的。

臨死体験の人がこうもお話されていました、「いくら頑張って働いてきた人生であったとしても嫌々ながらその仕事をしたのでは死後はハッピーではない」と。

まさにこのことに符合。

ということで、「シャーマン」的な霊感を持っていたと言われる著者「宮沢賢治」がこの列車の停車場である駅を段階付けて示し、人生をちゃんと生きた人には高い位置の停車場で降車する切符を配布したのです。

その鳥の男の降車駅とは随分かけ離れた高い位置の駅とのその距離の意味は3次元での物理的な人生においてやってきた過去の行いの「差」。

一方それらのいずれでもない、生きているジョバンニが持っている切符はどこでも自由に行けるフリー切符。

まだ人生がポテンシャルを秘め、この先いかようにもなりうる無限の可能性があることを行き先自由のフリー切符で表現していると思うのです。

これが生きている人と亡くなった人の違い、苦しみを真正面から実体験できている3次元での「今」こそが生きている「証」であると考えざるを得ない

「ずっとこれからも旅していこうよ」と列車内でカムパネルラと誓い合いたかったジョバンニでしたが、大きく二人が違っている点は、カムパネルラは、もう生きてはいない人間であるということ。

ジョバンニにはある「生命」というものをカムパネルラはもう失ってしまった状態にあるのです。

どれだけ格の高い停車場で降車できたとて、カムパネルラには、その降車以外の選択肢はないことを「残念」とか「悲しみ」として私達読者に伝えます。

裕福ではなく、母が病気で、牛乳こそが大切な母の毎日の栄養源。

そしてそれを買うお金を作るため、小さい子供なのに大人に混じって毎日学校後に労働をするジョバンニ。

ぎりぎりの、際どい暮らし。

けれども、毎日地をしっかり踏みしめて1日1日貴重に明るく生きていることがとても力強いと感じられます。

おそらく友人たちの輪からも外れ、いじめられている様子がどの読者の目にも明らかであるけれど、そんなことは大変な1日のたくさんのタスクの中のわずかな部分でしかない。

それだけにこだわってもいられない、その前向きさはまるで宝物のようにキラキラと輝いている。。

このキラキラは、銀河鉄道の旅のはるか彼方の停車場に点在していた美しいトパーズなどの色鮮やかな天然石にリンクします。

カムパネルラの父親が教えてくれた、父がじき帰ってくるという吉報、苦しい毎日の中に舞い込んできた幸せと喜び。

ジョバンニにとっては最高の幸せです。

命の尊さ、生きているということの次元を分かりやすく、死の次元を見せることで「宮沢賢治」様はそれを示したと考えます。

生きている人は、今自分がいる次元というものが当たり前すぎて、見失っているもの。

死後の世界を旅する経験をしたジョバンニは、貴重な「メッセンジャー」的役割。

著者様の死後もそれを永遠に伝えていくには。。

物語の主人公というのは、その物語が読まれる以上、永久のもの。断然著者様よりも永久に生き続けるものです。

「宮沢賢治」様は、永久的な発信者としての任務をジョバンニに託したのではなかろうかと。

感想まとめ

列車の旅の次元が高い降車場では、美しい宝石がキラキラと輝く色とりどりの明るい世界が存在しています。

その風景こそ、いわゆる「天国」の象徴だと思えます。

そんな次元の高い降車場で降りられる人の条件を考えてみました。

1)人の気持ちに寄り添うこと・・・ジョバンニや父親の他人の心の深い部分を思いやる行動でそれを例として示している。

2)自分に誠実であること・・・貧しく辛くとも常に胸を張って明るく前向きな主人公ジョバンニが将来高き次元の駅で降りることができる可能性を鳥を捕まえる仕事の男との対比に垣間見る。

亡くなってこの3次元から姿を消した後に行くであろう銀河鉄道の降車駅を降りたって存在する場所を生前の人生の過ごし方が決めるのだということです。

人に対して嫌な態度をとったり、やりたくもない仕事を無理して頑張るなどの本当の気持ちに向き合わない生き方は、1)2)とは対極の事。。決して「あの世」では評価されないのです。

他人のことを思いやり、自分の気持ちに正直に心から納得できる行動、そしてライフスタイルを送るべき「理由」を、そうしてきた結果がどうなるのかということを次元を超えた見方でこの銀河鉄道の旅が教えてくれました。

「ツキ」のない自分の人生を嘆くなかれ、当たり前の毎日の中にあるささやかな幸せ、喜びに感謝するのだ。

人生における「苦楽」は、この世に生をいただいた者の宿命であり、様々な「苦楽」を丁寧に受け止めながら、正直に前を向いて歩いて行かれますよう。。

あとがき

何か後々心にずっしりと重みを残したこのお話。

時々、こんな風にブログで読んだ本の感想を書きます。

今回、小説が題材なのは珍しいです。

小説だけをそのまま読むとなかなか理解が難しいです。

最初にこの記事を書いた2020年8月14日投稿をその3年後の2023年7月15日、さらに2024年3月11日に手直し(リライト)しています。

まずは、読んだ後にネット上で可能な限りレビューを拝見。

その後、作者「宮沢賢治」について別の人が考察した「霊感」とか「天然石」についてのかかわりについて書かれた本も読ませていただきました。

それが<読書>カテゴリーの中の【623】の記事の投稿です。

そして、途中でも触れました、臨死体験をした方のお話を拝見したのがここ最近の2023年6月頃です。

ここで、この物語の私なりの解釈が随分まとまることになります。

ただ、こんなことも未だに引っかかったまま↓。。

それは、いじめていたリーダー的な者が助かって生き延びた、人を思いやっていた者が亡くなったという事実。。

これは何か意味するところがあるのだろうかというところです。

この世の矛盾とでもいうのでしょうか、いい人が早くなくなるみたいな。。

もう十分この世では尽くして来たからそこで終わる運命の者、まだまだ成長のしなければならない使命として、生かされたということなのかです。

それでも死後の評価は正当に下されるものなのだということがメッセージなのでしょうか。

もしかして、再びこの続きを考える時がこの先あるのかもしれません、その時はここにまた文章を書き加えることになるかもしれません。

ぱっと見の透明感あるまぶしさ、ホワイトトパーズコーデがダイヤモンドレベルに映る時【295】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

実は、現在のYouTubeやブログの<ジュエリー>というカテゴリーができる、もっと以前の2016年の1月から1年間程、初めてのユーチューブを100動画くらいジュエリーの内容として投稿し続けていたことがあります。

非常に短い3分以内の動画であり、カメラも小さなものでかろうじてMOVIE機能があったからできました。

当ブログスタンドのワードプレス様で作らせていただいたホームページスタートが2018年3月ですので、それよりも2年前のことです。

それがYouTubeのを始めるきっかけだったのでした。

YouTubeの方がブログ投稿よりも2年早くスタートしていたということになります。

「Canon社製:パワーショット」で撮影した100投稿近くのアクセサリーコーデの動画です。

まだまだ本格的なジュエリーとは言えないまでも、3点を1セットに組み合わせてあらかじめコーデしやすいまとまりになっているところが、現在と変わっていない点です。

チャンネル名は「アクセサリーの部屋」。

当時私がとてもやりたかったジュエリーコーデの発信だったのでした。

しかしながら、画像の粗さや音量が極端に小さ過ぎ、1年経過の2017年頃すべて削除してしまいました。

さて、このたびジュエリーの知識を得るという目的を持って、「エレガンスの経済学 ジュエリーへのいざない :芹澤信子 著」を拝読。

この本からは「情報発信の大切さ」を学びました。

ジュエリーについての歴史、構造、素材のノウハウについてはもうすでに出ている情報でありまして、専門の方達から多数発信され尽くしています。

ですから、このたびは、アイデアと工夫からお伝えできる情報というものをお届けしたいと思います。

ダイヤモンドと洋服のコーデは簡単なように見えるが、没個性的になりがち、意外に難しい透明ストーン

ダイヤモンドはカラーとしては控えめだと思います。

ダイヤモンドもよほど石が寄り集まって密集した高価なティアラとかネックレスはとてつもない輝きを放つのでインパクトがあります。

しかし、普段私達が少しお出かけに身に着けるようなダイヤモンドは、少し華やかなものでも1-2ctくらいまでです。

それがまたあっさりして感じが良いともいえますが、色のついた天然石に比べてダイヤモンドはそういったカラーの主張はしにくいものです。

透明は、万能のようで洋服とのコーデのイメージがわきにくいのです。

例えば、紫色の系統のワンピースの時にアメジストのペンダントを下げるのが色がリンクして、効果が発揮されやすいものですが、ダイヤモンドは無色なので、どうコーデしていいかピンと来ないということです。

それは、考え方によっては。白に必ず合うものであったり、どんな色のお洋服にも大丈夫であったりするとも言えるからこそ、「なぜ」の理由の部分が素敵なコーデのカギを握ると思っています。

ダイヤモンドとホワイトトパーズがどちらかがぱっと見では分からない、透明のストーン同士の素敵なコラボも視野に入れる

さて、この写真をご覧くださいませ。

どちらがダイヤモンドでどちらがホワイトトパーズか、この写真で分かりますでしょうか。

左:925台にパヴェホワイトトパーズ、チェーンはステンレス。右-ダイヤモンド1ct、K18WG台。

お値段は、左のホワイトトパーズはペンダントトップだけで、¥6,400だったと思います。

そして、右のダイヤモンドのテニスブレスは、大特価ということで¥30,000でした。

地金アップのここ数十年の中の第一段階の2010年辺りのことです。

この時は、もうすでに地金が上がり始めていた頃でしたので、このお値段でもかなりのお買い得品だと思ったものです。

地金アップとダイヤモンドの価値上昇での世間のざわつきの影響も大きく、高価な物なんだという固定観念が生まれ、¥30,000均一がいかにお買い得品かというところに心理がいざなわれました。

もしかして、ジュエリーに長けた人は、「テニスブレスという形にしていることこそがダイヤモンドである可能性が高い」と導き出されて判断されたかもしれません。

結果的に、その予想が正解になることは多いです。

ホワイトトパーズをこうして散りばめたセッティングの品物自体がレアだと思います。

このアイデアは「日本宝石センター」様のもの。

広告が楽しい通販の会社様です。

この左側のホワイトトパーズのトップですが、ダイヤモンドの代替になると思いました。

ホワイトトパーズというのは、透明な石なので色合わせだけで考えれば、同じ天然石ですし、ダイヤモンドと同じようなものなのです(ダイヤモンドファンには怒られそうですが。。)。

それをあえて、アラベスク調のデザインでこのようなスクエアペンダントにエレガントにおしゃれに作ってあると、まさかホワイトトパーズなどとは考えられにくく、ダイヤモンドに映ることでしょう。

ホワイトトパーズとダイヤモンドの違いが遠目で見たときに分かるのかどうか。

。。そう簡単ではないと思います。

ダイヤモンドは元々希少価値の高いストーンという定義でありながら、実際に集まるところには宝石としてたくさん見ることができますから実は普遍的なストーンなのではないかという「まやかし」があります。

ただ、こちらの考え方も見逃せません↓。

台の地金については、このシルバー925台だからこそのホワイトトパーズということ。

先程のジュエリーに長けた方なら台の作りでダイヤモンドのテニスブレスなんだと判断するのと類似の判断の仕方です。

ダイヤモンドに925台ではどうしてもレベルが釣り合いませんので、製造者様はほとんどが18金やプラチナの高級地金を設置します。

商業的な「読み」としては、希少価値の高いストーンであるダイヤモンド+高級地金で高級品らしい価格を実現できるのでこの組み合わせの方がメリットがあるのではないでしょうか。

925にダイヤモンドではダイヤモンドをたたえることができない、もしくは、ダイヤモンドの価値が925によって落とされるのです。

それほどダイヤモンド自体に「ブランディング」があるのではないかと思うのです。

それ相応のストーンと地金の組み合わせのレベルがあると考えると、もとは、トパーズとダイヤモンドの価値の差も知っていなければなりません。

ホワイトトパーズは、きらめきもありますので、十分に宝石と呼ぶレベルの天然石だと思います。

では、最後に宝石のそもそもの価値の違いも考慮したジュエリー同士のコーデをご紹介します。

他のアイテムと一緒にコーデする時の地金やストーンのレベルの合わせ方

上述のホワイトトパーズのペンダントトップとダイヤモンドのテニスブレスの2つのアイテムをどう他のアイテムと組み合わせてセットで使うかを見ていただきたいと思います。

ホワイトトパーズペンダントのコーデ:台がシルバー925で半貴石のイメージのくり抜きバングルも追加。

チャロアイトは天然石の中では、それほど高価な石ではないです。

よって、親しみを持って気軽に付けられる旅行などに向いたようなレベルの組み合わせです。

次はダイヤモンドのテニスブレスの方です↓。

ダイヤモンドテニスブレスのコーデ:留め具や台はすべてK18WGで統一。連のストーンのカットも宝石質。

連のネックレスでさえ、細かい留め具の部分がK18WGで設置してあります。

これは、ダイヤモンドテニスブレスが入っているので、それに合わせたランクに他のアイテムを合わせているのです。

透明が地味だと感じ、セットでコーデする他のアイテムにカラーの補助として色付きを持ってきます。

以上、2種類のレベルの違いを組み合わせで作ることができるという例でした。

あとがき

今一度、冒頭のYouTubeを初めて投稿した100投稿近くの「アクセサリーの部屋」というチャンネルのお話へ。。

ジュエリーの組み合わせをセットにしたご紹介の動画でしたが、この度のように親しみやすい925台のものや、18金の地金の高級ラインのものが様々でした。

その当時は集めているだけでしたので、ちょっと気持ち的に「ゆるい」ところがあり「自分のものだからこれでいい」などと思っていたところがありました。

その後2020年夏にスタートした事業としての「本物志向のレンタルジュエリー」。

この言葉通り、「本物」を「とことん」追求したコンセプトがありまして、開始当初からは随分あれこれ内容を改良してまいりました。

そうして、その後は925のものはすべて廃止、連物のネックレスやブレスも廃止、くり抜きバングルなども廃止、ハイブランドのコスチュームジュエリーもすべて廃止ということで、高級地金にダイヤモンド他「宝石」と呼ぶにふさわしい本格派ジュエリーだけを厳選するスタイルとなりました。

もし、各々で個人的に集める以外の入手しにくいジュエリーのご利用の際には、購入せずにレンタルでご着用できるということになります。

なかなか自分では集め切れないようなアイテムを選りすぐって集めたものに発展していきましたので、ご満足いただけるのではないかと(^-^)。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク

メンズアイテムからのヒントが画期的、ご本人が活動的な働く女性のアイコンだった「ココ・シャネル」の偉業について【231】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

今現在から見通す、今後の自分の未来像などというのを時々思い浮かべます。

ここ近年めまぐるしくいろいろなことが変化していていく世の中。

これまでの淡々とした毎日がだんだん変化していると感じ始め、違和感を感じ、これまでの働き方に「行きどまり」を感じた2017年末、勤務する働き方をやめ2018年から個人事業主をしながら現在に至ります。

年金など我々の頃には期待できないということも言われてはいるのですが、それよりも将来像として、「おばあさんになっても働いている」というイメージを持っています。

ずっと仕事をしていくことが、生きがいであり幸せであるというような価値観です。

ここ最近ファッションの勉強を兼ねて、ファッション史の本をたくさん読ませていただきました。

その中に、実際に亡くなる前の日まで働かれていた方がいました。

誰もが知っているデザイナー「ココ・シャネル」様。

「シャネル」様のスタイルは働く女性の先駆者的存在

ココは歌い手時代からのあだ名なので、本名は「ガブリエル・シャネル」、フランス人です。

「シャネル-最強ブランドの秘密:山田登世子 著」という本を長い日数をかけながら一読。

すごく言葉の言い回しが難しく、漢字を何度も何度もググりながら、漢字の勉強もした本です(^_^;)。

ただ、とても面白く読むことができました。

著者様は、他の本にも文献として登場するのをよく見かけるお名前。

「ファッション史家」なる人物だと思っていたのですが、どちらかというと「フランス専門の文学者」という立ち位置でいらっしゃいます説明がウィキにはありました。

では、この本の中から大変感銘を受けた部分、シャネルの成した「業(わざ)」だと思う点について書きたいと思います。

シャネルは活躍の時期が戦前の1910年頃から。

今から見るかつてのパリが舞台のデザイナー達が活躍したころのオートクチュール時代では、わりと先駆者。

途中、世界大戦も挟んでいますので、仕事をいったん中断せざるを得ず移住や亡命など激動の不安定な時代を経験された時の人でもありました。

時代背景こそがその要因であったこともあり、新しく女性が生まれ変わっていく時代でもありました。

デザイナーとして「メゾン:店舗」をパリに開店した1910年以前は、貴族たちが華やかなドレスを身にまとい、豪華絢爛といういわば見かけの表面上のすばらしさがファッションの評価となっていた時代の終焉がありました。

まだまだその名残がある中、実際そのドレスを着ている女性本人は、身動きがとりにくく、ウエストをぎゅぎゅっとコルセットで締め付け、かわいそうなことにそのコルセットの締め付けのせいで骨が損傷していまうという事態にまでなった方もいたほど、体が被害を被っていたのです。

そのような競い合いながら良きお相手に見初められることを意識するばかりの見せかけのお洋服の時代。

お嬢様が家でじっとしている時代から、女性も外へ一人で出、スポーツをしたりするような時代にもなっていく過程があり、その良き波にシャネルは自ら飛び乗ったとも言えます。

ご本人こそが働く活動的な女性としての現実を見事に同じ女性に今後の着心地のよい洋服をリアルに示しながらご提案していったという、上手い宣伝方法です。

男性の洋服からのヒントがこの人ならではのアイデアだと言える

シャネルは、男性の洋服をよく観察していたよう。

駐屯兵に出くわし、彼らがぶら下げていた、ショルダーバッグのはしりのようなバッグを応用し、かの定番の「チェーンショルダーバッグ」を生み出したのです。

両手がバッグから解放され、手が自由であることが画期的でありました。

また、そのショルダーバッグの中の構造に、携帯用の口紅が入れられる箇所を作り、機能性にすぐれているという男性的な要素を盛りこんだバッグを作っていったのです。

また、恋人の洋服をよく研究し、メンズのアイテムでしかなかったセーターやツイード素材なども男性のアイテムからの引用です。

日々、アンテナをはりめぐらし、アイデアをメンズから取り入れるといったところが全く新しかったのです。

今までに使われなかった新しい色、ベージュと黒の背景

「シャネルカラー」と呼ばれる2色があります。

それはベージュと黒。

ベージュは、かつてシャネルが生まれ育ったパリから遠く離れた村の生まれ故郷の「土」の色。

シャネルにとっては、人生の中の1ページにベージュがあったのです。

もう1色の黒は、幼少期に過ごした修道院の「シスター」達のユニフォームの黒。

かつては、喪服にしか使われていない色であったにもかかわらず、あえてこの黒色を普段着、お出かけ着に取り入れたということが画期的でした。

黒というのは、実はとても強い色、他の何色を混ぜても変化しない黒のままである最強の色なのです。

まさに、この黒に込めたシャネルの「精神の強さ」が感じられます。

身の回りからの着想を得るセンス、色でその思いの度合いを伝える、なんて素敵♪。

イミテーションアクセサリーにこめられた「ブランディング」

シャネルは、今までは、貴金属、つまり今でもとても高価な素材である18金やプラチナなどを使ったアクセサリーしか存在しなかったところへ、おもちゃのような、メッキのイミテーションアクセサリーをあえて高価格で販売しました。

この挑戦にもとても強い気持ちが込められているようです。

「豪華絢爛な貴金属を世の中からなくしてしまおう」とまで思っての企画であったよう。

と、同時に人々は、素材の良さで買うのではない、シャネルが作ったものだから特に高価な素材でなくとも振り向くのです。

そうしますと、「シャネル」様の「ブランディング」が、きらきらのダイヤモンドや真珠や貴金属に勝利したということを証明したと言えるのです。

ヨーロッパとアメリカの文化の違い

シャネルは、アメリカに特に受け入れられたと言われています。

映画の衣装の製作の依頼が多くあったことで、ハリウッドの重要なデザイナーであったヨーロッパ人です。

ヨーロッパは、もともと職人の技術がベースにしっかりないとなかなか認められない文化があるようです。

歴史を重んじ新しいことを嫌う文化がヨーロッパには根付いていました。

一方アメリカは、そういった伝統は持っていないので、ファッションは、コピーや模倣からのスタートとなるわけです。

そう考えるとアメリカ生まれの世界的なハイブランドはとても貴重です。

「カルバンクライン」、「ラルフローレン」、「ティファニー」などがアメリカ生まれの世界的なブランドの例。

ただ、アメリカ生まれは少数であり、ほぼハイブランドはヨーロッパが占めているのも事実です。

学校で洋裁を習っていない独学の人

なんとも意外なことですが、「シャネル」様は、洋裁は幼い頃修道院の授業で洋裁に触れていたことだけで、本格的には洋裁の学校へ行っていないので独学です。

1983年あたりからシャネルのデザイナーを担われている「カール・ラガーフェルド」様も同じように独学で洋裁の学校へは行かれていないようです。

そんなところも後継者として理解が深かったところに繋がるのかもしれません。

シャネルはデザイナーの粋を越えた商人

シャネルブランドの商品に関しては、初代「ココ・シャネル(本名:ガブリエル・シャネル)」時代から、コピーや模倣が後を絶たなかったようです。

このことに対する受け答えは、商人気質な考え方を持つデザイナーであったと思えます。

「むしろ真似されて偽物も広く受け入れられることこそが、反対にオリジナルであるシャネル自体のブランドの価値も上がるのだ」という考え方でありました。

真似してもし切れない本物の極致なる場所に居るのだという自信を感じます。

「むしろ、誰からも模倣されないような商品は魅力的でない」のだと。

「自分も町を歩き、その人々達からヒントを得ている」ということらしいのです。

とても、マーケットの構造を広い目でとらえた考え方だと思いました。

こうした考え方は、現在でも何かヒントになるところが見つかりそうです。

本物の宝石と偽物のプラスチックの違い

こんなエピソードも語り継がれているようです。

「住まいであるホテルの一室のアトリエに、常に本物の天然石と、偽物の天然石を並べていつも眺め、本物と偽物の意味とそこからブランドの力というものの可能性を見ていた」と言われています。

言うまでもなく本物の宝石は、ダイヤモンドにしてもルビーにしても高価で美しくきらびやかです。

でも、その高価な美しいキラキラした宝石を身にまとい、見せびらかす風潮の貴族たちのふるまいをシャネルは嫌っていたようなのです。

それに対抗して究極の魔法で人々を驚かせます。

フェイクパールに金のメッキで出来上がったおもちゃのようなネックレスにシャネルのマークを入れることで、付加価値が大変高いものに仕立てました。

こんなことに気づいたのではないでしょうか、「ブランドの価値というのは、ダイヤモンドにも勝る」ということを。。

実際どうでしょう、シャネルのマークが入っているだけで皆が群がります。

人々は、シャネルのそのブランドの価値を受け入れている証拠です。

そんなことが、現在でもずっと健在であるということがシャネルが長年常に考えてきたことの実りであると言えるでしょう。

ブランドの価値を高めることこそが一番の勝利であるということをシャネルは自分の「ブランディング」という武器で、本物の高価な宝石達に挑戦状をたたきつけたのでしょう。

メゾンでの洋服作りをしながら、ずっと持ち続けてきたテーマというか生涯をかけて追求してきたこと。

かつては苦しい幼少時代を送り裕福な生活ができなかったことへの反骨精神のようなものかも、あるいは「悔しさ」も入り混じるのかもしれません。

当のご本人しか分からないことです。

私もシャネルの魔法に引っかかっていた

上述のアトリエにある本物の天然石と偽物の石をのエピソードを知り、はっとした私でした。

全くシャネルと同じように考えていた部分があったことに気づいたのです。

シャネルのブランド戦略の読みが成功していること
シャネルのプラスチックリング:ペンダントやブレスはK18WGと天然石のコンビ。

こちらは、私がアクセサリーが好きで集めてきた、ペンダント、ブレス、リングの3点セットです。

ペンダントの地金は18金ホワイトゴールドでそこそこ高級です。

それにレベルを合わせることを試みて自作したフローライトという天然石のブレスレットも、わざわざ留め具を滅多に売っていないK18WG製のパーツを調達し手作りました。

3点が同じ比重のレベルであることが私がコーデで考えるバランスの1つで、色や形がそろっているだけでなく、材質も均一なレベルにしたかったという拘りです。

そこへ、なんと普通ならここへは合わせない、プラスチックリングを合わせて満足しているのです。

しかし、「シャネルマーク」がしっかりと真ん中に入ったおしゃれなリングであることがここへの仲間入りを果たした所以。

つまり、私は18金ホワイトゴールどに匹敵する価値をプラスチックという素材よりもシャネルのブランド価値に見たわけです。

もし、このプラリングがシャネルのものでないならば、決してここへは合わせなかったでしょう。

おそらく、台がK18WGで、天然石のアメジストあたりがのっているリングを合わせていたことでしょう。

これは、「シャネル」様の考えてきた本当の価値とは何かということの問いかけに共感した姿の1つ。

プラスチックのようなその辺りに転がっているような素材でも、ブランド名が入ることで、付く付加価値が強固で価値あるものであることを証明しています。

もう1つピックアップしてみました。

シャネルのブランド戦略の読みが成功していること
シャネルの金メッキペンダント:バングルやリングは天然鼈甲(べっこう)。

今度は、今や入手が容易ではないと言われている天然鼈甲(べっこう)製のバングルとリング。

これに、シャネルのモチーフのペンダントトップが付いた、ゴールドのメッキ塗りのペンダントを合わせていました。

もし、このペンダント「シャネルブランド」の物でなければ、このようなメッキをそこそこ高級な鼈甲に合わせたりしません。

レベルがペンダントだけ下がってしまい、質がアンバランスだと気になって仕方がなく、違和感を感じてしまうことでしょう。

おそらく、同じ鼈甲製のチェーンか何かのネックレスとか、何かしらの本物らしい天然素材のアイテムを合わせると思います。

ということは、このシャネルのマーク1つで、このペンダントの価値が大きく付加されて鼈甲と同等と思えるアイテムに感じているということです。

すさまじき、ブランド力だということに改めて驚いてしまいました。

シャネルのかけた魔法の渦に私もまんまと巻き込まれたということになります。

あとがき

シャネルは、商品の価値というものを、製作費や材料に置いたのではなく、自社の価値というところに置いたことがシャネル以前のデザイナーとは一線を画した点です。

実際私も、シャネルのプラスチックのリングの価値を貴金属と同等に一緒の価値としてコーデしていたことが、シャネルの狙い通りのブランディングにまんまとはまっているのです。

あとがき

世界的ハイブランドの存在の「シャネル」様が、今現在でも人を魅了しているということが、「ガブリエル・シャネル」様が長い年月をかけてこだわってきたことの実りであると私は思います。

「ガブリエル・シャネル」様が1971年になって間もなくの時期に亡くなり、しばらく「シャネル社」の事業は低迷が続いたと言われています。

その後、1983年就任の「カール・ラガーフェルド」氏がうまくシャネルブランドを継承し、再起を遂げました。

このカール・ラガーフェルド氏も2019年になって間もなく亡くなられました。

さて、シャネルブランドは今後どうなるのか。。

といったところですが、新しいデザイナー様にバトンタッチをしながら引き継がれてはいくと思います。

まだまだ創業者である、「ガブリエル・シャネル」様が築いた「ブランド」自体の地位は簡単には揺らがないと思うのです。

そういう永久的なものになりうるというのが、ブランド力のすごさだということですね。

そこに気づいた、創始者、「ガブリエル・シャネル(通称:ココ・シャネル)」様の先見の明はとてつもないものであったと思います(^-^)。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク

バッグを作る者としてそもそも知っておきたい「かばん」の歴史、先人の道理が製作品に継承されたクラシックなバッグへ【219】

アイキャッチ画像219

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

幼少期の昭和時代の、ポーチも小さな巾着袋、リュックも巾着仕様であるナップサックと、同じ絞るタイプが大半だったようなお買い物シーンを思い出します。

今日、ファスナーのバッグへの引用によってデザインが広く展開され、絞るタイプはデザインの1つという立ち位置に。。

このたび「新かばん・バッグの商品知識:エフ ワークス(株)発行」を拝読。

ハンドメイドバッグ活動をこの先も永続的に行うにあたって、出来るだけ早めに知っておきたい事はその歴史や変遷。

どこかで誰かが最初に閃いたその貴重なアイデアは、おそらくどうしても必要な最低限の構造であり、そのミニマムさに製作のヒントがあると見ています。

作るバッグは、クラシックさが残るいにしえの「閃き」が残るものでありたいと思うようになりました。

最もクラシックな形のバッグの分類を知り、手持ちのデザインと見比べながらこの本を一読。

見かけの輝きに惑わされない、奥に眠る本来のバッグの存在意義についてちゃんと考えたいと思ったのでした。

「区分」がありシーンや果たす役割が分かれていたかばんの最もクラシックなデザイン、歴史と共に把握しバッグ製作に活かす

そもそもバッグが最初に生み出された形は巾着のような形だったといわれているところから始まります。

バッグの起源:漫画でも登場していた白い巾着袋にコインを詰め込むイメージは、最も原始的なバッグの形。

その昔、商品の売買は、今日のようにお金を介してのものではなく「物々交換」、互いにほしい物を自分の持っているものと交換する形の取引でした。

当然こういった取引はいずれ困難や矛盾に直面します。

そもそもそれぞれの物の価値に優劣が生まれ、交換するには理論としても心理としても不公平に感じてしまうのでした。

いずれ、物同士の交換は行き詰まり終焉を迎えます。

そして、互いに公平な取引として「お金」という仲介ツールが生み出されたのです。

このことで、面倒で不合理な物々交換ではなく、お金を払うことで品物をスムーズに受け取れるようになりました。

さらにお金を得た側はそのお金で他の欲しい品物を得るというように、お金の誕生により商品の売買がより潤い社会が発展していった。。紀元前1000年頃のことです。

その頃、地中海東部のギリシャ諸都市やギリシャの植民地で、お金を入れて持ち運ぶための入れ物が使われていたとの記録があるようなのです。

それは、当時描かれたであろう壁画のような絵から巾着袋のうような袋であったと。。

これがどうもバッグの「最初の形」、とてもロマンに溢れます。

手持ちの様々な種類のバッグ:これらはすべて「区分」のどこかに当てはまるはずです。

「(社)日本鞄協会」様の定める、「日本標準商品分類」の中の「かばん類」というコードにおいては、「コスメボックス」(右上から2つ目)は「トレインケース」に属し、「バニティバッグ」(右下)は「タウンバッグ」の中に入ります。

同じコスメ分野のケースとして使用しているこの2つが実は違う分類であったことは、この本を拝読で知った意外な部分。

次に、最も現実的なシーンである、バッグの持ち方のいろいろを集めてみました。

①手提げ②クラッチ(かかえ)③背負い④肩掛け⑤吊り下げ⑥引く/転がすです。

出張や旅行には近年定番の「キャリーバッグ」は⑥に該当、小さなウエストポーチのようなバッグは⑤に寄ったイメージ。

そして、何といっても2010年代後半から町を行き交う人々が高い確率で「リュック」というデザインのスタイルが占めていきます。

まだ2018-2019年の頃はショルダーバッグを好む人も多かったと思ったのですが、2020年頃から一気にその光景が変わったことを確かにこの目で確認しています。

近年の健康志向からも、左右の身体のバランスをとったリュックのショルダーは片方に寄るアシンメトリーなショルダーよりも望ましい姿だと納得します。

あとがき

これまでたくさんのバッグを持ってまいりましたし、製作の方もたくさんのバッグを作ってまいりました。

どれもそれ1つですべての要望を満たすものは実現しにくいのがバッグです。

それでも「万能」を何とか考えてここ最近に至った2デザインがこのようなもの↓。

ミニマムデザインの2種のバッグ:左はエコバッグで一重仕立て、右は裏地付きナップサック。

この本の拝読でバッグの歴史・バッグの分類を知ったことで、より今後製作したいデザインの選択がしやすくなると思います。

得意な分野、好きな分野を追求する時に同じ分野の歴史や歩みを知ることはきっと今後の方向性が見える1つの良き体験であると考えます(^-^)。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク