いつから表面的な機能不足なアパレル品になってしまったのだろう、いにしえの機能中心で生まれたベルトの起源を知る【651】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ベルトには目が無い方。

これまで数多くのベルトを集めてきた過去がありました。

一度お洋服に対して異常なバランスでベルトが増え、60本に及ぶほどに。。

すべたは本革レザーですので、どれも気に入ってはいたのですが、やはりそこまでの数に及ぶと被る部分があり使用にも偏りが出ます。

そして、一時お求めの方へお譲りしまして、ミニマムに減らしての20本の現在です。

パンツのウエストの位置維持という機能よりも、装飾的に使うことが多いです。

ワンピースのウエストにあえてそのまま設置し、ウエストのカーブラインの美しさを出すことにもかなりの効果です。

このたびは、この「ベルト」の起源、いつ頃に生まれたものなのかということを調べ、当初「留め具」としての機能がどうしても必要だったベルトが誕生した背景を見ていきたいと思います。

ベルトはもともと「狩猟の採集物を吊り下げる役割」でスタートしたこと、お洋服より誕生が先であったことへの驚き

意外なことに、「ベルト」誕生は洋服より前というから驚きです。

今回、手持ちの教科書のような本からの学びです。

「’83裏地と芯地:関西衣生活研究会 発行」

’83なので、1983年(昭和57年)の家政科とか服飾関係の専門学校や大学の教科書に使われた本なのではないかという本をある時に「ヤフオク」でいただいたものです。

とても古いお品なのに内容が良く、図書館ライフの身としては珍しい手持ちの本となります。

この本の中で、裏地と芯地について書かれている中の「コラム」のような場所で載せられていたベルトについてのお話だったのでした。

原始時代というような人間がまだ服をまとわずに、動物たちを追いかけ、狩猟などをして生活していった時にベルトがすでに存在していました。

採集したものを一時的に持つ場所としては、手足が塞がっているので、動きのない場所である胴や腰の部分に吊り下げるということを考え付いて、一時キープする役割をしていたようです。

ベルトといっても現在のようなものよりかなり太ベルトであると思いますし、それが後に発展して、スカートみたいな洋服っぽくもなっていったようです。

その後、飾りを加えて装飾的なベルトになっていきます。

機能が満たされると次に装飾に対する欲を持つようになるというフェーズの変遷が興味深く、現在のファッションに通ずる部分です。

そして、狩猟などがなくなることで、道具としての機能のベルトがいったん消滅、同時に、現在のベルトの面影があるような洋服に添える装飾的なアイテムになったよう。

もともと洋服自体のような機能であった時代があったベルト。

小物である現在から想像すると、「洋服以上に主役だった」ことに非常に驚きました。

同じ洋服でもベルトをするしないでラインが変わる点がワンピースの素晴らしい点。同時にベルトも好みます。

あとがき

ベルというのは、体の真ん中に位置しています。

機能的だけをゴールとしたものなのか、それとも装飾も伴ったものなのかでは大きく違う存在となったベルト。

ベルトを中心にバッグや靴と色や素材を合わせてみるのも楽しいですし、すっきりとまとまった印象にもなります。

そういう意味で結構重要な真ん中ポジションにあるベルトは、大昔のように機能は薄れても今後もお洋服のコーデには有難いアイテムです。

ファッションアイテムでありながら特段の流行が無いところもずっと持ち続けることができる素晴らしいアイテムです(^-^)。

本来先にニーズがあって製造が来る順番、「見込み」や「予想」で製造することの甘さの徹底見直し【645】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「サスティナブル」への意識がいよいよ本格的に高まってきています。

「毛皮製造をやめた、本革に替わる素材を製造し始めている」などの情報から、もう実際にファッションブランド様が新しい時代向けの製造を始動し始めているところなのです。

結果本当にそれがサステイナブルなのかなどの深堀りはさておき、その意識・それに伴う意志表示は第一歩と言えます。

そんな高まりに触発されて、自作を改めて見返しています。

特に罰則などがない現在は自主的な活動に委ねられる、各々の製造者が呼吸するかのように意識するべき「サスティナブル」への取り組み

このたび、「グリーンファッション入門―サステイナブル社会を形成していくために:田中めぐみ 著」を3/4くらいまで拝読。

途中ながら、ここで3つの学びを咀嚼後のアウトプットでお伝えしたいと思います。

1)完全に実現は不可能、できることを等身大でする。

持続するには、そもそもこれが大切。

無理して大きく効果を出そうと前のめりではどこかでお手上げをしてしまうかもしれません、続けていくことこそがまず大切だからです。

サステイナブルに関しては、法律が敷かれているわけではないところに、各々のペースに委ねられる部分があり、それほど進んでいないと見ることもできるようです。

一人一人の意識で自らが能動的に踏み込んでいかないとなかなか進んでいかないことでもあるのです。

そして、完璧なサスティナブル商品ということが不可能であり、一部に取り込んだりなどの可能な範囲内でということになるのが現状。

ただ、それも意識は向いたことになり、一定の意味があると思います。

2)リサイクルするためのエネルギーや化学薬品が実際には必要。

リサイクルという活動自体がコストがかかるものであり、そのためのエネルギーや化学薬品の使用は無しというわけには進みません。

ただ、「環境を汚染したまま放りっぱなしよりもはるかに、リサイクルするための目的でのエネルギーや薬品は環境にやさしい」とのことです。

この点は反論として必ず湧き出てくる発言「結局何をしているのか分からないのでは。。」というような否定的な意見にも強い説得力があります。

3)「ループを閉じる」というキーワードが目指す部分。

「ループを閉じる」というのは、「製造されたお品が再び使われて、ずーっと循環していくようなイメージで、外に余剰在庫とか廃棄処分などのようにもれることがない1つのつながった枠の中で一度製造された商品が生き続けるサイクルができる」というもの。

これが理想のサステイナブルな商品のサイクルができている目指すべき構造。

目指すところは完全リサイクル化のループが出来上がって、取りこぼすことがないというイメージでしょうか。

とても理想的ですし、現在と大きく変わっていくスタイル。

やはり一人一人が意識せずして出来上がらない構造だと考えます。

製作するハンドメイドバッグではどう製造していくのかを考えてみた

ここ最近、ハンドメイド品に使うパーツの徹底廃止をする決意がありました。

将来いつか外れる可能性が幾分かある打ち込みの金具パーツを取りやめる決意をしたところでした。

実際、以前に自作したアイレットカン/片面ハトメの取っ手の穴が、重いものを入れてバッグを持った時の負担で、先日ポンッと外れました。

中から布をポンチでくり抜いた縫い代のゲジゲジが見え、使えないものになり、廃棄処分です。

こんな危ういお品を作っていたのかと思うと背筋がひんやり(+_+)。

長い目で見て、長く使えるお品ではなかったことの証明のような姿でした。

パーツが重さに耐えかねて外れてしまえば、ほぼそこで終了。

アイレットカン/片面ハトメをリフォームで今一度打ち込むことも、サイズがそのままではもう通用しなかったり、工夫が必要なコストのかかるリフォームが待っています。

そこにかかった余計なコストとの天秤で、結局廃棄して新しいものを購入の意向ということになり、もったいないお品だったということになるわけです。

こういうことを一切なくしたくて、シンプルでもいい、ミシンの縫いで確実に固定されたお品の方がかえって長持ちのお品だと美しい固定ステッチなどに重点を置くようになりました。

そういったことをずっと考えてきて、今の見た目のかっこよさとか、使う前だけの装飾の素敵さなどが本当に長続きするものなのかをちゃんと考えて作っていこうということを考えていたところです。

そもそも、製造を企画する時点でちゃんと作るのか・作らないのかさえジャッジするべきであり、未来が持続的ではないものは企画中止もいとわない方向で挑まねばと思っております。

ハンドメイド製作に関しては、まだまだ課題があります。

そもそも売れない物を作って在庫にわざわざすることへの見直しです。

企画も「勘」みたいなところがあって、いくつかの一部だけが注目されたりするものです。

余計な物を作ってしまっていることを反省しなければなりません。

じゃあ、「オーダーメイド」だったら必要な分だけ作るのだから良いじゃないかと思われるかもしれませんが、そうでもないのです。

なぜなら、「オーダーメイド」という商業的な構造を作るには、必ず、元の材料の調達者が必要で、生地もないのに、オーダーメイドが始まらないからです。

一見無駄が無いようにみえても、製造する構造が存在する限り、必ずどこかに前もって準備しておく「ストック・在庫」が生まれているのです。

じゃあ何にもできないではないか。。

そう考えると、本当に必要である品物意外は気軽に作るべきではないということです。

そういった企画に足を踏み入れてしまうと、儲けを追求した構造からなかなか降りることができないのです。

製作の技術を持っていても、行使するのかしないのかも本来冷静に考えるべきだったのです。

できることなどほんの僅かですが、この先に相応しい品物を作っていくということがまずその意識としてできることであり、心からそうしたいと思ってきたことです。

すぐには捨てられないような価値のあるお品物を作るということだけでもサスティナブルな意識が入ったものになると考えます。

完璧な100%サステイナブル商品というところまでいかなくとも、サスティナブルな意識を込めた商品を作ろうとすることからのスタートをまず切ることです。

できることとして、もう1つあります。

コスパの良いお買い物の仕方のご紹介をすることです。

そもそも購入するというところから物を保持することがスタートしますので、ショッピングはすごく大切になってくると思います。

軽い気持ちで品物を購入するものではないと言えます。

https://youtu.be/g2MGygFjUVQ

あとがき

前述の「ループを閉じる」というところに到達するには、例えば、古着であると、まず着たいと思うようなデザインに直すということも必要になってくるかと思います。

着る出番がないと、これまた意味がないからです。

例えばよく綴らせていただいています、「リメイク」もそれ自体は非常にサスティなブルな活動ですが、「著作権の侵害」に阻まれ、一度世に出た他社様の製造の品物は、作り変えて更なる販売や金銭を得るための発信活動でさえ問題行為となってしまうのです。

このことを解決していく方法を常に考えています。

考えたところで今は何もできませんが、出来るところから始めていまして、「リメイク」もあきらめるのではなく、自分使いの範囲にとどめる遵守をしながら、その手法に関しては「図解」で発信しています。

環境に考慮したお品が上手くサイクルするためには、「リサイクル自体がしやすい環境」なども必要になってくると思います。

サステイナブルなお品を作ることができる「環境整備」ということも並行して進めるべき今後の課題です。

アパレルに儲けを極限に追求した反動、環境破壊と人権侵害を本気で憎む【624】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ブログ記事は、YouTube動画と連動しておりまして、タイトルの末尾の同じ番号【】をブログにも採番致しております。

ブログが翌日投稿になりますので、この記事の前日がYouTubeアップの日であったというおおかたの見方です。

さらにその後、インスタグラムでも同じ番号、その次にスレッズでも同じ番号でそれぞれ少し違った書き方で投稿させていただいております。

インスタやスレッズはご覧いただく人の新たな開拓(新しい出会い)のようなもので、動画とブログにアップしたということをお知らせする機会のような使い方です。

よって、特に一番最初のYouTube動画投稿と翌日午前中のブログ投稿が主体です。

ただ、インスタやスレッズがあったおかげでYouTubeの登録者様が外国の方だったりなど大変光栄なこともある程度把握しております。

本当に皆様ありがとうございます(^-^)。

このたびは、昨日公開の映画を早速観賞、YouTubeとブログにアップさせていただいております。

観賞映画は、「グリード ファストファッション帝国の真実」。

いよいよ、「サステイナブル:永久持続性」をハイブランド様やアパレル品製造業者様の多くが意識し始め、実際に生産に取り入れてきているような昨今の中での公開は、悪しきしきたりの本当の終焉を告知したかのようで、このタイミングとして見ますとタイムリーだと言えます。

映画には、「いましめ」のようなものが入り混じり、いつまでたっても相変わらず儲けを追求して、人権などを踏みにじり続ける経営者に対する「怒りが膨れ上がった姿」もラストシーンで感じました。

大儲けの資本家の反対サイドで苦しむ低賃金、劣悪環境の労働者との差の問題

ビジネスたるもの、少ない資本から大きな儲けを追求することは基本的な考え方としてはあるもの。

しかしながらその裏側で労働賃金を極限に低く設定された交渉のもとで生み出されたその生産の結果、資本家と、労働者の裕福さの開きがあまりにありすぎるものに。

映画の中の2点の引用で、当記事にたどり着いてくださいました読み手様と共有したいと思います。

1点目は、主人公のファストファッションの経営者の部下や従業員人に対する経営者のトップの態度。

モラハラ・パワハラが問題になる現在の姿をいとも分かりやすく私たちにその様子を伝えます。

店の名前の看板1つに対してとにかく目立つような派手な色使いを強要、しかも出来上がった状態に対して後から指摘し、考案者の人格すべてを否定するような汚い言葉での罵倒。

このパターンが他の人にもなされる日常。

看板の色使いを決めるに至った持ち場の担当者の思いや、意見を聞きとり、話し合うなどの事は一切なし、ワンマン型の究極の姿です。

そんな場面が多く、別のシーンでも多く見られました。

凍り付くような寒々とした場面に唖然とする大勢の従業員対トップの彼1人との極端な「温度差」がそこにはありました。

2点目は、その提供に見合った金額のお金を払うべきタクシー代、ここでは、極端に値下げを要求。

かと思えば、自分誇示のためのパーティーの派手な演出などには多額のお金を湯水のように出費するという極端さ。

ここから、この経営者のお金の投じ方の問題が浮かびます。

ふさわしい場面に必要なだけのお金を支払っていくということを全くしていないのです。

非常に嘆かわしく、常に我欲が中心にありました。

自分が今あるのは、労働してくれている多くの従業員のおかげだとは微塵も思っていなかった人間の末路を、分かりやすい形で表現したオーソドックスな内容です。

あとがき

この映画は、ある意味「最終通告」のようなもの。

ついに、そのカードが切られた、もうそのフェーズに来たといったメッセージです。

映画の中では、分かりやすく究極な形でこれまでの悪いやり方の行き着く先を表現されていたわけですが、日常のアパレル事業の活動の中では小さいながらもこの考え方が根付いていることがあります。

世の中があれだけ性差を失くしジェンダーレス社会になっているにもかかわらず、「男尊女卑」が今だにファッション業界では残っています。

その他、実際に製造する者が、意見を言えず、とにかくきつい納期の中でひたすらイエスマンを貫かねばならない状況も。。

特にアパレル業はそういったことの大きな改善が遅れていると思います。

この原因は何なのでしょう。

かつての「ガチャマン時代」という、機織りをしていれば素材が洋服に変わりみるみる売れる良き時代があり、その栄光がいつまでも忘れられないことも1つにあるかもしれません。

あれこそが本当のアパレルの姿だと誤解をしている、そう思いたいということなのでしょう。

現在読ませていただいております生地の歴史の本においても、長い長い歴史で見てみると、布を材料に完全機会化は決してされない手仕事が必ず残る衣服の製作や生地の製造は、「大儲け」というのは本来はなかなか過去にも無かったこと。

生地の1つの素材でさえも、昔であってもある流行の波にたまたま乗ってその時は繁栄した時期が長く続いたことがあったという見方。

産地の素材1つだけとっても、衰退しそうになりながらなんとか作り続けてきたことなのです。

それなのに、洋服を作るまでの複雑な経路のアパレルの構造にもよるのですが、元の素材からスタートの部分を、表面的に見てうわべの判断で進めていく中間業者の無責任さはを感じることがありました。

儲からないなら「やめる」というのであれば、是非そうしていただきたいと思うのです。

本当にアパレルをしたかったわけじゃない、旨味を得たかったことが目的だったからです。

「多重構造の大きな怒りの塊」があの映画の中のラストのシーンで爆発しているようでした。

なぜ「銀河鉄道の夜:宮沢賢治 著」の物語があのような現実離れした世界観なのか【623】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「宮沢賢治と天然石:北出幸男 著」という本を読ませていただきました。

レンタルジュエリー業をさせていただいております勉強にと、図書館で検索して天然石関係を探っていたところ目に付いたタイトル。

かの有名な「銀河鉄道の夜」の小説に関しましては、当ブログの【365】でじっくりと年月をかけて推敲しながら記事に綴らせていただいております。

ただ、ネタバレ要素あふれる書き方をしてしまい、もしもご指摘を受けてしまう場合には対処してまいります<m(__)m>。

かなりの長文ですが、よろしければ後ほど【365】記事にもお立ち寄りいただければと思います。

このたびの本は、【365】の記事の「リライト」にも良いヒントにもなった内容の本であり、天然石を好む「宮沢賢治」様に宝石を扱う事業をしている者がわずかばかりでも繋がる部分があればと拝読。

「銀河鉄道の夜」がなぜあんなに「異世界観」を感じるのかの答えが、この本を一読すると分かってきました。

「銀河鉄道の夜」を読み解くにあたっても、このたびご紹介の1冊は重要な本だと思います。

「銀河鉄道の夜」の世界観は空想のものではない、実際に著者「宮沢賢治」様には見えている四次元の世界なのだ

「メルヘンチック」とか「ファンタジー」という印象を持っていた一読前の「銀河鉄道の夜」へのイメージ。。

しかし、実際にブログ記事【365】にも綴りましたように、あの銀河鉄道の夜の中の鉄道の旅のシーンはどこか現実味があり、「ハッ」とするような感じがしたのも不思議。

「主人公「ジョバンニ」には霊感があるのか、死後の世界を生きながらにして体験できた貴重な人物。。」などと綴らせていただきました。

この「霊感」というワード、実のところ、「宮沢賢治」様がそんなものを持ち合わせた「シャーマン気質」をお持ちだったようなのです。

そこに見える風景の中に天然石がたくさん登場するようで、見たそのままを書いたのがそれぞれの不思議な表現とかこの世のものとは思えないような風景の描写に表れているのです。

実際に「宮沢賢治」様の目には見えている、紛れもない実直な記録なのです。

あとがき

「宮沢賢治」様が見えているものというのは、もっと私達人間も自然と同化して、すべてが自然界の一部に溶け込んだ世界観といったもの。

そういう映像が、物語の描写に表れ、天然石も四次元的な姿で登場。

四次元は、お花などの姿も3次元以上にものすごく神秘的で鮮やかに見えるのだそう。

現在情報が随分増え、四次元の世界がこれまでの空想的なものから、どんどんリアルで科学的なものに感じてくるようになりました。

「シャーマン気質」を持った「霊能力者」様達がこんなに多くいたんだととても驚いております。

そんな背景をもとに、改めてシャーマン気質の「宮沢賢治」様の物語に出会ったことのご縁が少なくともあったわけです。

天然石は神秘的な感じがする。。程度には思っていまいしたが、「宮沢賢治」様は、もっと扉のさらに奥を実際にご覧になることができたのでしょう。

そのような記録が物語のどのあたりに表れているのかなどをたくさんピックアップしていただいたこの度の本は「宮沢賢治」様の他の小説の読み解きにも非常に役に立つと思います。

「おそらく、天然石に惹かれる者は、なぜか「宮沢賢治」様の小説や世界観も好きになるであろう」とのことです。

著者様も実際に天然石の石屋様なのでした。

「宮沢賢治」様も石屋になりたい願望を持っていたようで、空間の中でそこだけでもいろんなことがリンクしています。

そこをまた天然石に興味のある私が手にしたこの本との出会いのきっかけが、「天然石」だったということです。

「レンタルジュエリー」というレンタルにおいて宝石に触れる機会を持つ者が「銀河鉄道の夜」をふと読み始めたことも、さらにこのたびの本に出会ったことも考えてみれば直感のようなもので引き寄せられたと言えるのです。

このブログ記事を読んでくださったあなた様も、きっと何か繋がりがあってのことなのでしょう(^-^)。

今後は一人一人が心に留める言葉になってゆくであろう「サスティナブル」について考えた「本革レザー製品」の見直し【606】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ここ近年「サスティナブル:永久持続性」という言葉がかなり真実味を帯びてきました。

当初はある一部分の意識という領域から、ハイブランド様が、「ビーガンレザー」などと謳い、「本革である動物の革を使った商品をとりやめる、毛皮をもう作らない」など商品の根本の素材の見直しが至る所で行われ始めました。

ただ、「ビーガンレザー」というのは革の様相を少なからず残すことができるのでまずのステップとして入った領域だとは思うのですが、いわゆる「人工皮革とか合皮」なのです。

結局、言葉の一人歩きなところもあるのか、「ビーガン」という言葉が正当な感じがしますが、以前にもブログでよくアップしてまいりました記事の中でも、「合皮」は、劣化がとても早く長持ちの物では決してないので、果たしてそれが「永久持続性」なのかという矛盾も。。

そんな疑問も何かの勘違いで、本革生産よりもはるかにそこに貢献しているものなのかもしれないという期待と共に、自分でももっと知っていきたいと、1冊の本を手にしました。

この本はかれこれ10年前に書かれた本なので、そこから、急速にここ数年でもっと「サスティナブル」が叫ばれてきています。

「GREEN FASHION グリーンファッション入門 サステイナブル社会を形成していくために:田中めぐみ 著」です。

まだほんの読み始めなのですが、この度の記事は、読み始めた最初の時点での、一読後のレビューとは別の切り口で、「グリーンファッション」という分野に対して考えることなどをお伝えしたいと思います。

また、読み終わった後では新たな感想が出てくると思いますので、一読後の記事【645】に綴らせていただきます。

1点のブランドバッグのパーツごとの素材の傷みの極端な差が「もったいなさ」を生んでいた

本革の無駄を非常に感じたエピソードとなります。

誰もが知る某ブランドの、持ち手が本革レザーのナイロンバッグを使っていたことがあります。

ナイロン生地は1枚仕立ての簡単な作りなので、いずれ角のマチの部分がすれて、間もなく穴が開いてきました。

そうして、そのバッグも終了の時期かと思いきや、取っ手が恐ろしいくらいに何ともなくまっさらという状況がありました。

その時に、非常にもどかしい気持ちになり、「非常にバランスの悪いバッグだ」と思いました。

1つの商品の中で消耗度の違う材料を組み合わせてあるので、片方がダメになって使用は終了のタイミングである一方で、もう片方のパーツはまだまだ使えるというジレンマ。。

ここに非常に無駄を感じ強い「憤り」を感じてしまいました。

本革のお品が良すぎるというバランスの悪さの見方もできますし、取っ手に相応しい本体の作りになっていないという見方もできます。

こういう商品は、その場のかっこよさとか、商業用の売上を重視したその場しのぎの点が否めません。

それっきりそこのメーカーのバッグは卒業です。

このことは、後のハンドメイドバッグ製作にも教訓として活かしています。

本革レザーと生地との組み合わせが後々、使っていく中で満足できるものになるのかどうかをちゃんと考えて本革レザーなどを取り入れる必要があると思ったと同時に、「本革レザーは使わない」を実際には選択しています。

すべて本革レザー:黒。確かに素敵ですし、高級感がありますが今後は多くは作られていかないでしょう。

本革のバッグを1点作った時の値段というのは、ノーブランド様(随分失礼な呼び名ですが、ハイブランド様以外のただの言葉として致し方なく綴りました<m(__)m>)が作ると3万円程度の価値しか付かないと聞きます。

これが、ハイブランド様であると、そのブランディングが大半の価値を占めて、20万にも30万にもなるということです。

そう考えると非常に良質過ぎる素材の意味が全く分からなくなります。

更に思うのは、そこまでの良質な素材のデザインのバッグをずっと使い続けるのかどうかも。。

大半は途中で飽きたりして手放すことが多いのが物が溢れ過ぎた現在の状況ではないでしょうか。

結果コスパが悪い商品だったことになってしまうのです。

そうすると、それ相応の適度な良質さで長持ちする良い作りとのバランスでできた商品の方が無駄がないのかもしれません。

本当の意味でコスパの良い商品を追求することも、「サスティナブル」への関心の1つになると思うのです。

もうすでに存在している過去の本革レザー商品を大切にする考え方、「リサイクル」「リユース」は誰もができること

もともと古い物好き、過去の本革レザーのバッグなどはとても魅力で、1990年代前半頃のハイブランドレザーバッグを中古もので集めてまいりました。

ただ、過去の物の中にも、流行があって一癖あったり、現在では何か不格好だったりする点を補う対策がないとなかなか受け入れられません。やはりカッコイイのがファッションです。

それが、リフォームだったりリメイクだったりします。

一度世に出た製品というのは一流ブランド様のものだったり、名が知れていないメーカー様のものであったとしても、間違いなく自社ブランドなので「著作権」があるのです。

そうすると、なかなか簡単に、大胆なリフォームやリメイクにより作り替えなどということは「著作権の侵害」の壁があります。

この壁が何とかならないものかと常に思っています。

お洋服にしても、例えば、良質な洋服を作っていた某メーカー様が倒産してしまい、過去の在庫が残ったその在庫自体は、「破産管財人」という人物だったり「後継会社」に権利が移るようです。

現在は、「著作権」の垣根は強固なもので、解放されていないのがほとんどだと思います。

作り変えや大幅な手直しをすることは、「違反」になってしまうのです。

これは非常に大きな課題だと思っております。

洋服の古着の「リメイク」については「アイデア」のみを図解でご紹介するスタイルで発信し始めている

「著作権の遵守」の方法としましては、リメイクの「アイデア」だけを図解で発信するというスタイルです。

これなら、「著作権侵害」に当たりようがありません。

最初の製造主が著作権を解放するということなど難しい現在。

このことは、長い時間をかけて見守っていくしかありませんが、おそらく多くが自社の製造品を守ろうと「著作権を行使」されると思うのです。

もし、リメイクをOKにしてくれるブランドメーカー様や製造業者様が増えてくる未来はあるのでしょうか。

その点は引き続き「著作権の遵守」をしながら見守りたいと思いますし、「アイデア」のみを図解で発信することは続行してまいりたいと思います。

あとがき

リメイクは、一から洋服を作ることより、入り口としては、はるかに簡単に入れますので、多くのリメイク者は現れそうです。

その分、著作権の解放をする人はほとんどいないという現状ですよね。

いつしかの、2010年以前の「YouTube」様の投稿者が「がら空き」であったことが懐かしく、それほどの差だと思います。

「シャネル」ブランドの創始者「ココ・シャネル」様は、意外と、著作権に関しては寛大だった(気にしていないというスタンスかな)ようで、コピー商品がその分多く出回った時期があったようですが、そんなこと以上に有名になったという大きな財産を得ました。

「真似されていくことに逆らわず、解放することこそが結局は自分の事業のメリットになり、益になる」という「ココ・シャネル」様の見方がある意味正しかったと言えます。

ただ、一人が解放の意志を強く示しても、大勢で成り立つ会社ですので、他の人が許しません。

それぐらい、どこかでそのブランドに携わる誰かが「権利を守りたい、行使して力を示したい」という「欲」があるというのが商業の現実なのです。

けれど、その中でも別の面で問題も出てくることもあり、一筋縄でもないようで、権利を主張した方がうまくおさまる場合もあるのかもしれませんので否定するものでは決してありません。

とにかく、サスティナブルの今後を考える時に、誰もが個人単位でできそうな「リメイク」には引き続きポテンシャルを感じております。

今できる範囲のことを100%やっていくのみ。

「著作権」に阻まれスローペースでしかやれないことも当然であり、元の製造者様を一番に尊重したたえることを忘れてはなりません。

それでも足を止めないでリメイクの可能性を探してゆきたいと思います(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

宝石になる前の鉱物的位置付けを知る、ジュエリーそれぞれのストーリーを語り継げればと思う【600】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「天然石と宝石の図鑑:松原聰 監修/塚田眞弘 著」を拝読。

図鑑のような鉱物の本は、宝石に関わる者としては宝石とのストーリーを探る上で大切だと読ませていただいております。

本の中にも登場した3つの意外な興味深い点をピックアップしながら、ジュエリー集めをしていた過去の自分と結び付けてアウトプットしてまいりたいと思います。

今までの知識やイメージがいかに表面的なものであったのかを知るほどの3つの新しい学び

興味深かった3点の内容をピックアップさせていただきたいと思いますが、これまでのそのストーンとの関わりを結び付けながら綴ってまいります。

<1>エメラルドは難点の多い石、良い品物を得るにことは困難で、実際に敬遠しているストーンである

エメラルドは世界四大宝石の1つに並んでいます。

それだけ魅力的な石ではあるのですが、反面、とても扱いの難しい石だと分かります。

内包物を含みやすいので、そのままでは丈夫な宝石にならないので、加工処理によってオイルや樹脂を投入して耐久性を高めることをしての宝石なのです。

そのような手を加え過ぎたものに本当に価値はあるのか。。

それを問うた時に、「いいえ」と自答。

天然そのもののエメラルドという入手はほぼ不可能だと考えざるを得ません。

これまで、エメラルドが一部に入っていたジュエリーアイテムでさえも、占める面積はわずかなものでした。

しかしながら、フラワーの葉っぱの部分に素敵に使われ、たったわずかのかけらであってもうっとりする美しさがありますので、その良さは認めるところにあるのです。

リフォーム屋様のお話でもエメラルドの扱いが難しいというお話をよく聞きましたし、それほどエメラルドを持つことに当然積極的になれませんでした。

この事実こそが、難しいストーンなのだという実直な答えであり、包み隠さないそのままの実状なのです。

多くの人が、そのことを知り、もはや難しいストーンだという目で見ますので、反対に真贋の目も厳しく、ほぼ「あきらめ」のような状態として敬遠されているストーンだとも考えられます。

<2>ムーンストーン、ラブラドライト、サンストーンは同じ仲間

以前からムーンストーン、ラブラドライト、サンストーンいずれも実際に持ったことはございましたが、この3つを別々に考えてきました。

同じようにクリームがかったような様相が確かに共通だったと今思えば似ていました。

今回の本で、これら3つが、同じ「長石類:ちょうせきるい」という鉱物の仲間だということを知り、驚きました。

それぞれ、違いは細かくはあるものの、大まかには同じ仲間だったというところが意外、考えてみたこともなかった新しい知識でした。

鉱物の括りは、出来上がったジュエリーの括りと比べると大きくかけ離れているギャップがあるのです。

どちらが本来の姿を現しているのでしょうか、宝石は「商業色」が入るので人気を取るためのまとめ方がされることも多い。

どのストーンをもフラットに一括りするところに鉱物の本来の姿が映し出されるのです。

世界四大宝石のエメラルドも、鉱物「ベリル」の仲間は、「アクアマリン」や「モルガナイト」の「半貴石」と呼ばれるストーンなのですから。。

<3>トルマリンに電気が帯びる理由は、結晶の両極が違う+(プラス)-(マイナス)であるから

トルマリンは別名「電気石」と呼ばれています。

なぜ電気が関係あるのかというところです。

それは、結晶の両極が性質が異なるから、+と-の性質を互いに持ち、電気を帯びる性質になるというもの。

トルマリンのカラー展開が美しいことには目を向けていましたが、そういったストーンが持つ性質の面でも他と違う特徴があったことが新しい学びです。

トルマリンは13種ほども展開があり、トルマリンという名前もグループの総称であり、1つのストーンを指すだけの名ではないのです。

種類が豊富なだけ成分の違いもそれぞれなのだということになります。

あとがき

お洋服も表面的なところではなく、素材の糸の撚り方に及ぶ細部まで追求するとその背景やストーリーが見えることがあります。

例えば、「ミックスツイード」という素材がなぜ美しい溶け込むようなカラフルさなのかは、その糸は撚糸(ねんし)の時にもやっと細かい糸がすでにミックスカラーになって1本の糸を作るからなどの例もここ最近の読書からの学びです。

やはり手間がかけられた良質なものを選ばないとなかなか奥が深いものではないのです。

多くの人々に良さを知ってもらうという本当の意味は「良質さ」「優れた点」を製造側が伝えることにあるのでしょう。

ジュエリーにもファスト的な量産品が見て取れます。

そういった壊れやすく間違っても「良質」とは言えない部分の懸念がある(実際に破損の過去がございました)品物とのはっきりとした差別化を明示することはとても重要です。

こうして知った鉱物に関する新しい知識は、宝石になった時のご紹介の時にはドラマチックなストーリーと共に語ってまいりたいと思います(^-^)。

ここまでの「粋」なファッションアイコンはただ一人、めったに真似をしない私が真似た程の突き抜けたセンス【598】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

【589】の記事でも綴らせていただきましたが、「ケイト・モス」様のファッションがとても好きです。

このたびは、その熱い気持ちが1冊の本を手にすることになります。

「KATE MOSS STYLE:ANGELA BUTTOLPH 著・天野智美 訳」を拝読。

豊富な写真付きで、複数の記者様の言葉で書かれた文章も非常に面白い本。

【589】の記事では、読み始めたスタートの頃に、いち早く記事に綴りたく、本を読み始めの入り口にあたって本とは関係の無い切り口からお話させていただきました。

このたびは、実際に本を読み終わりましたので、本を読んだ上で改めて綴らせていただきたいと思います。

普遍的なTシャツも高級なドレスも「フラットな目」で見ている

「ケイト」様からはかなり遠い位置におりますので、スナップ写真をネットで見るだけの情報しかありませんでした。

よって、その素敵なドレスやワンピースがまさか古着であるとは知ることができませんでしたが、このたびの本でそれがクリアになりました。

もやっと、その時代を超越したようなデザインに感じてはいたものの、実際にも貴重な昔のお品物だったということ、これがとても意外でした。

「ケイト」様は、選ぶお洋服に対して、おそらく「フラットな目」でその優れた点を軸に見ておられると感じます。

かつての女優様がお召しになったという高級服も含まれるに違いないのですが、独自の表現でそのイメージを新しいものに生まれ変わらせている様子もうかがえます。

結局は、ステージ衣装級のお品であるドレスと普段着っぽいTシャツが平等にフラットに考えられているのです。

お洋服に優劣を作らない、エレガントなのかカジュアルなのかさえその別をフラットな目で見ていると思えます。

このことは「哲学」に通じることであり「メッセージ」なのです。

あとがき

そんな「ケイト・モス」様ですが、こんなジレンマ的な状況に違和感を感じました↓。

今までは、自分ならではの、他の人から抜きん出たファッションコーデをしてきてここまでに至りながら、その後の活躍で、ブランド「トップショップ」を通じて、同じ洋服をたくさんの人に届けるというビジネスに携われていたこと。

人とは違うファッションであるはずが、人と同じファッションを提供するお仕事をする。。

ここに、今までの良さである他の人よりも抜きんでる独自コーデをご提案をどうしていくのかという点です。

これは1意見に過ぎませんが、「スタイリスト」として独立した自分のポジションは常に持っていた方が今までの独自のコーデというものを持ち続けることができるのかもしれないと思いました。

余計なお世話でしかないのですが、「働き方の工夫」がキーワードであり、おそらくなのですがご本人が一番気づいていることではないかと思います。

商業はどうしても、多数の人に届けることでレバレッジを利かせて多くの利益を追求するという目的になってしまいがちです。

そうすると、根底の部分の独自のスタイルの提案がしにくいのではと思ったのです。

この点は、「マルタン・マルジェラ」様に通じるところがあります。

早くに引退されてしまったことの陰に、商業主義への失望と本来の自分の取り戻しがあったのではないかと映画「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」で感じた感想です。

今後も好きなファッションを続けていくためには、今までの独自の軸は必ず最後まで持っていてほしい、場合によってはその過程として、商業的な関係を断ち切ることも必要なのだと思いました。

今後も多くの「ケイトコーデ」を拝見したいです、ありがとうございます「ケイトモス」様(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

カラーコーデが理解しやすい書き方の図鑑を拝読、自らのアウトプットで単純な「色相環」を常に持つことの推奨【465】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスクです。

緊急事態宣言も解除し、図書館へ本を返却に。。

緊急事態宣言中は、延長が無期限に可能で、リスキーな中の返却をご容赦願えるという措置をとっていただいたようで、ずっと手元にあった読み終わった数冊を数か月ぶりに返却。

そして、また新たに新規に数冊借りました。

その中で、早速読んだ本をこのたびご紹介します。

カラーに関する図鑑のような本であり、お洋服から、インテリアまでいろんな身近なことに役に立つと思います。

特別なファッション分野の事柄ではない身近な事柄というところがご共感いただける部分ではないかと。

もし、引用できるところがあれば是非取り入れてみてくださいませ。

色彩の図鑑というような堅苦しいものではないところが魅力の薄手の本から学ぶ、色の体型的な見方

図鑑というと分厚いイメージですが、とてもコンパクトに1cm以内であることが手に取りやすい本です。

「THE SUPER COLOR COLLECTION-スーパ―カラー配色図鑑:千村典生(Michio Chimura)著」です。

カラーのお話であると出てくるであろう専門用語をあえて身近な言葉で表現してある点などがとても良かったです。

全体が図鑑となっているので、最初から最後までカラーのイラスト解説で終わりを迎えます。

知らず知らずに、差し色とか類似色などという言葉を使っていますが、それが全体で見てどういう位置関係にあるのかなど、新しい見方ができます。

あとがき

2024年のブログの手直しを現在致しておりまして、当ブログ記事の順番が回ってきました。

かつてのYouTube動画内の四角い色相環はブログ開始当時の2018年に作ったもの。

あまり上手ではなかったので、この度手直しの際に丸型で同じように作ってみたのが上の図です。

常にこの図を頭に思い浮かべるか意識すると、非常に単純なタイプの図ではあるのですが、色に対する見方を俯瞰することに役立ちます。

よく本で語られる「類似色」は隣同士、「補色」は対角線上にある位置の色に当てはまります。

この度の本は、この分かりにくい言葉の「補色」を「反対色」と置き換えて綴られています。

敷居を低くカラーの分野に興味を持ってもらうための著者様の工夫が見られます。

そしてカラーにも名前がそれぞれにふられています。

「カラーについての拘りや工夫などおしゃれな人のただの趣味ではないか」と思われるかもしれません。

ところが、身近に必ずカラーの付いた何かを自分の意志で購入し配置しているその姿こそ「自明」のことであり、何もない空虚以外はちゃんとカラーコーデをしていることになるのです。

侮ってはいけません。

お洋服にもかかわることですが、カラーの使い方や趣味嗜好、すべてを含めて人間である以上選択をしている事実があるのです。

ということは、その結果そこに表れるテイストというのは、色を選びすぐり決断したその人の「生きざま」までを表すことになりませんか。

そうしますと、人生の一部に「色の選択」も関わってくるというとても重要な「観念」だと言えます。

書き手:ピクチャレスク

「行動経済学」の本から型通りに実行することに対する躊躇の理由、種明かしが分かった時の「信頼」の喪失の懸念【387】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび「行動経済学」という分野の本を拝読。

「不合理な地球人:ハワード・S・ダンフォード著」です。

もとは昔からの長きにわたる「経済学」という分野では、「人間は常に合理的な志向で買い物をする」という考え方がベースだったようですが、実際はいろんなことに惑わされるなどして、結果不合理な答えを多くの人が選択しているという実態。

これは、もう合理的ではない部分があるということの証明であり、その部分を解明していく学問的な分野が新しく近年生まれた「行動経済学」に当たります。

この本の中では、「行動経済学」を「経済学と心理学との融合を試みた学問」ととらえられています。

この解明しにくく、白黒はっきりしていない実態こそが現実であるということだと思います。

心理が関係すると通常合理的な考え方ではありえない選択をしたり行動をしてしまうようで、それこそが人間らしいリアルな姿なのだということになります。

このたびは、この本による「集客」の技術を3つご紹介しながら、思うところをまとめたいと思います。

不合理を利用したお客様を多く呼び込むテクニックx3点

①「価格差別」

同じ商品でも、高い値段でも買ってくるれる人には高い値段を付け、安い値段しか買わない人には損しない限りで安い値段で売ると売上を最大化できるというもの。

これはヤフオクで拝見したことがあり、同じ商品でも価格が変えてあるのを見たことがあります。

ここには少し疑問もあります。

別の「ハコ(サイト)」でこれを行わねば、見破られると反対に信頼を失う可能性があると思いました。

すでにヤフオクの出品者の人は、私に見つかっているわけで、「あーあ、こんなことしてるんだ」と思ったものです。

それがこういう種明かしなのだとは知りませんでしたが、あまりクリアなイメージはなかったので好印象では決してないということです。

私がもし自分の事業にこのことを取り入れるとしたら。。

これを考えてみました。

全体として大きくとらえます。

商品にラインを3つ程もうけます。高価格帯、中価格帯、低価格帯と。

そして、価格同士にそこそこ開きを入れて、購買層の違いがある商品としてラインナップをはかるというものです。

さすがに同じ商品を違う値段というのははばかられます。

私が購買者だったら見つけてしまうと思います。

「同じ商品」という部分を、「同じテイスト」ということにテクニックを少しスライドしました。

やはり、本のように本当にまともに全く同じ商品を違う値段で販売しないと意味がないのでしょうか。。

なかなかその気にはなれませんでした。

②「デフォルト効果」

この例として分かりやすいのが、販売サイトの購入時のボタンで、チェックを外すのかそのままなのかという場面にです。

ここにまさに利用されているようです。

「人間は、最初の状態のままで維持したい傾向にあるという性質があるようで、その後メルマガを受け取りたい方はチェックを入れてください」、よりも、「メルマガはこのままだと配信されることになりますが、必要ない人はチェックを外してください」、の方が、結果はチェックが入ったままということに結びつきやすいとのこと。

なるほど、最初にチェックを入れてあるのは、このことだったのです。

メルマガとか案内とかアプローチはほとんど興味がなく(自分の求める内容とずれていることがとても多いという理由)、常にチェックを外しています。

しかし、実際は、多くの人がチェックを外さず結果アプローチを受けることになっている実態があるようなのです。

つまり、効果が出ていると実証されている手法のようです。

③「おとり」

とても怖い言葉ですが、これが一番面白いと思われるのではないでしょうか。

売れない商品を売れるようにする得策のようで、人間の心理には、「真ん中を選ぶ性(さが)」というものがるとのこと。

売れない商品をあえて、真ん中の価格帯に据える。

そして、それより安い商品、高い商品を設置。

そうすると実験結果から真ん中の売上を得ることができたというものです。

なるほど。。ただここで疑問です。

真ん中を選んでもらうために、わざわざ設置した低価格、高価格の商品の行方は。。

そこにこめられた商品に対する信念は。。

などが不明確で突っ込みたくなりましたし、分かりにくかったです。

感想のまとめ

これを教科書にその通り実行するには、私がちょくちょく記載したような疑問も生まれます。

あくまでもテクニックの究極な形として分かりやすく表現されているのでしょうけれど、実際にそのまま利用というのも露骨すぎて見破られそう(^_^;)。

まともにコピーする引用の仕方はまずいと思います。

自分の中のフィルターに通して、アレンジしてこういったテクニックを少し含んだ独自の対策が望ましいのではないかと思いました。

あくまで、本の内容に関しては、「提案」であり「引用」であるべきだと。

ということで、とても面白いとは思いましたが、あまりまともに受け止め過ぎず、最後まで客観的でいようという気持ちを持ちながら読んだものになります。

おそらくそんなつもりで書かれたのではないかとさえ思います。

あとがき

事業では、「信頼」とか「信用」ということが一番だと思います。

こうしたことが本当に信頼や信用を損ねないのか。

お客様とのより良い関係を築けるのかというところは常に同時に意識したいものです。

今回3点ほどのピックアップでしたが、いろいろもっと内容が詰まっていて、お伝えしきれませんでした。

よろしければ、この本をご一読をお勧めします(^-^)。

書き手:ピクチャレスク

宝石ブランド様が人知れず行ってきた陰に隠れた工夫は、他の追従をものともしないこだわりや個性にある【337】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「華麗なる宝石物語:桐生操 著」という本を拝読。

宝石にまつわるエピソード的な貴族の物語と、宝石ブランド様の創業秘話などを知りました。

この本から学べることは、「商品が広く知れ渡るための努力のようなもの」です。

どのブランド様も何もせずにただの運でトップの座に至ったわけでは決してないことが分かります。

現在の「成功」に至った軌跡の出発点が意外、最初から未来を予想して最も最短の方法で歩もうと念入りに計画されたものでは決してなかったということです。

長い長い歴史と歩みがあったことを知り、結局大切なことは何なのかを綴りたいと思います。

それぞれのブランド様の成功の理由は何だったのか

前半部分の宝石にまつわる物語も非常に面白くて引き込まれて夢中になって読んでしまいました。

後半部分の宝石ブランド様の創業のきっかけや当時の様子などもとても興味深いストーリーでした。

特に後半では、現在でも固定ファンの多く付いた老舗宝石商様の成功の理由というものを知りました。

他の事業のヒントにも必ずなると思いましたのでその点に特に注目してみたいと思います。

まず、誰もが知っている「ティファニー」様。

創業は、骨董品や文房具を扱う小さな雑貨店からのスタートのようです。

とても意外です。

「ティファニー」社はアイデアというところにとても個性があったようです。

アイデアというのはデザインのアイデアではなく、商品を売り出して広めるためのアイデアです。

次は、「ヴァン・クリーフ&アーペル」様。

周囲が石を見せることに注視したアイテムを作っていたのに対し、デザインを主軸にすえたことが新しかったとのこと。

そして、「モーブッサン」様。

新しい時代でも伝統の重みを入れ込むが、伝統といっても古さを感じさせるものではない現代にマッチしたものという拘りを入れ込んでいるようです。

そして、「ハリーウィンストン」様。

石本来の美しさを活かすべく、石だけが見えるデザインを技術によって実現。

そして「ブルガリ」様。

いつでもどんな場所にでも付けていけるジュエリーを目指したということです。

それぞれのブランドには、特有の拘りや個性があるのです。

昔は、高貴な人のみが身に着けるものだったジュエリーが、こういったブランド様の多くが大衆に広まるように購入しやすくする工夫とか、日常的なジュエリーというものを考えていったからこそ今では身近に感じられるアイテムになることができたのだと思います。

もちろん、ブランド様によっては、高貴なイメージを保ちたいということであえて安く入手できるようなお品は提案していないところもあるのかもしれません。

だんだんと多くのブランドが伝統的な高級品のラインも保ちつつ、一部のラインとして、購入する人の層を広げるために日常的なジュエリーを提案してきているという時代の変化も含めた流れがあることは、もっと隅々まで名を知られる時期に来たのだということでしょう。

この広く知れ渡るということについては、どの事業にとってもヒントになることです。

「どこの誰もが知っている」ということこそがそのブランドの成功の証ということなのかなと思います。

あとがき

宝石を扱う「宝石商」である有名な宝石ブランド様達。

それぞれ独自の特徴を世の中へ広めることに成功した現在がみんながよく知るブランドであるということにつながった証。

「宝石」自体の美しさだけを頼みの綱としていることが決して見られない、自社で展開する工夫がありました。

ここから学べることは、どんな事業でも材料の質の良さとか取引先などに依存していることがいかにまだまだ足りない状態なのかが分かります。

独自の「身を粉にする」までの努力と研究や工夫とアイデアが「多くの人への広まり」を実現しているのです。

その1つには、時代の変化と共に共通する「庶民が持つジュエリー」というポイントだったわけです。

「本物志向のレンタルジュエリー」で目指すところも、たとえ製造業者ではなくても自社ならではの努力と研究や工夫とアイデアが必要なのです。

レンタルは元は品物が存在しているわけですが、1つには「組み合わせのご提案」というところが独自の工夫になります。

セットになったジュエリーはpicturesque(ピクチャレスク)しかできないことであり、そこに強くこだわっています。

まだまだ思うように実現できてはいませんが、とても素晴らしい姿を見せてださいましたこのたびの本に感謝です<m(__)m>。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク