まあるいキュートなデイジーのイメージの定着がファン増大の証、売却してでも残したかった大切なものは「これまでの軌跡」ではなかったか【1180】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説」を映画館にて観賞。

ファッション系の事業のほんの片隅に携わる者として、ファッション映画を時々観賞し、思うところをブログ記事にまとめています。

有名デザイナー様が次々に映画化、この方も世界中で有名になった貢献者。

このたびは、事業の実りと人の一生を絡めた見方で、思うところを綴りたいと思います。

1つのブランドの永続がいかに難しいかということ、実るまでも1世代のみではなかったことも衰退もある中で「継承」の大切さもある

「マリー・クワント」様の旦那様の支えが大きかったと伝えられていました。

明るくマーケティング上手な周りの支えの1つ、成功の影には自分以外の大切な協力があるのです。

旦那様が50歳代で1990年に亡くなります。

特に日本が大部分の市場であったことからだと思うのですが、最終的には事業を日本企業に売却済の現在とのこと。

ブランド存続の危機の究極な場面で、魂の領域にまでに考えた「せめてこれだけは。。」というたった1つのことは何だったのか。。考えに考え抜かれたことだと思います。

これまで長きにわたって思い続けた「精神」を他企業様によるブランド継続に託したというような形に見えました。

今までの苦労や込めてきた思いをすべてその「精神」に詰め込んだと言えます。

とても切ないですが、ブランドの存続だけを一番に選択した判断。

自分が考えてきたデザインや製作は自分で見届け管理したいと思うものですが。。

しかし、現実としてそれが受け入れられなくなった時に、終了してしまわずに、それでも続けていける方法があるのか。。

これを考えると、一見矛盾しているようですが、「手放す」ということも実は「存続」につながることがあるのです。

そんな究極な姿なのではないかと思います。

一人の人間の一生の中で物事が華やかに達成されることは本当に恵まれています。

某有名ブランド様は「前世」が靴屋。

その時代は日の目を見ることが無かった地道な靴屋としての活動で一生を終えた人物がいたということ。

そして、同じ魂が次の世代で世界的有名ブランドとなったというのも、いかに人間の一生などはかないものなのか。。ということになります。

「継承」こそが大切、その良きバトンタッチのようなものがあってこそ、長く創業当時の「精神」が続いていくのではないかと思いました。

そういった意味でも、「マリー」様の最後の選択は良い選択なのではないでしょうか。

この映画公開のおよそ半年後、ご本人がお亡くなりになっています。

あとがき

「今後こんな優れたデザイナーは生まれないであろう」などと言われ、そのロゴやブランド名のみが継承されていくことがあります。

ご本人のデザイナー様がお亡くなりになってもその後ブランド名が存続するのは、継承の1つの姿。

それは元をたどれば最初の創業デザイナー様の「魂」がいまだに生きているということなのだと思います。

継承もただの商業目的では決してこうまで続いていないはず、いつまでたっても創業デザイナー様へのリスペクトありきであるべきで、実際にそのような気持ちで継承されてほしいと思います(^-^)。

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