まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
このたび「制作について:淺沼圭司 著」を拝読。
この本の1冊前に拝読の【1474】の「センスの哲学:千葉雅也 著」にも通じる内容でした。
このたびの本の方が論文的な綴り方、やや硬めですがここまでの根本への視点が価値です。
物品を作るだけではなく、コンテンツを組み立て1つのダウンロード型のパッケージに作っていくことも「制作」なのです。
このたびは、読者の私からのアウトプットで、この先に特に商業として生み出される製品への願望をお話したいと思います。
これが創造的な活動の素晴らしさ、工場の大量生産品の部品であっても「芸術寄り」になる可能性を秘めている

本の中では、多くの20世紀以前の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」様などのアーティストの例が盛沢山、著者様は最後に古い時代の人達ばかりの引用に特化していることを恐縮されていました。
しかし、それはこの本のスタイルとしてかえって「制作」の起源のような見方には良かったと思うのです。
なぜ、私が商業用の製品への願望が生まれているのかということは、大量生産における搾取構造に伴う質の悪さが問題だと感じるからです。
物を作るにあたって、「良質さ」を追求することを一番に据え置くことをせず、「儲け」を一番に据え置いた結果です。
例えば、量産のバッグの縫製は余計なステッチは最低限に省かれています。
このことで起こることは、傷みの早期の訪れなどです。
本来望ましいバランスが、見かけの最低限さで効率重視で解決されることがたくさん起こっているのだと思います。
これまでのハンドメイドバッグ活動では、こうしたことも同時に考えてまいりました。
そうして、たどり着いた自分なりの考え方が整った今、拝読したこのタイミングは非常に良かったと思います。
考え方で一番に据え置いているもの「良質さ」「おしゃれ度」は、自分では作っていないレンタルジュエリーにも落とし込んでいます。
ジュエリー同士の3点セットに組み合わせる仕事の部分は、ハンドメイドバッグの表地と裏地のコーデがスライドしたような同じ分野の作業。
これらでも製造者が生み出す1つの「創造」です。
すべてを1から作り上げなくても、材料を有難く拝受しながらそれらを活かし、その後の二次的な創造物となることも立派な制作。
絵画・小説・音楽という本の中の切り口にもあったように、誰もが大小関わらず何か1つを制作することを一人一人がお持ちであれば非常に素敵なことです。
あとがき
商業においては、どうしても資金繰りを回らせなければならないために、「良質さ」が二の次になることがほとんど。
それでも、「良質さ」をとにかく捨てないことの先には、「信頼」があると考えています。
1点物を作る者でも、複数を工場で製造する会社でも平等に与えられた「良質さ」を追求できる場所がちゃんとあるわけです。
あまり注目されないような工業部品であっても、最低限のシンプルな機能を持った「機能美」という美しさが認められるもの。。そのような製造品で溢れると良いです。
漢字の「製作」が大きく「制作」という芸術的な含みを持つ方の漢字の部分的なものと捉えました。
されど、機械的な製造品であっても「芸術的」「芸術寄り」な優れた物品にはなり得る、それもこれも人間の意識の持ち方1つが決め手なのではないでしょうか。

