まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
「コスプレする社会:成実弘至 著」を拝読。
この本は2009年リリース、その15年以上未来の現在では「コスプレ」は日本生まれの文化として世界中で有名になっています。
実は、「衣装・オーダーメイド・手作り」などで検索しながら古着を見つけることがあります。
オーダーメイド古着や衣装古着というのは、着続けられていないので状態が良い古着なのです。
古着ライフと言いながらも、実は未使用品に近いような状態の良さを重視している集め方。
こんな古着ライフスタイルに、少しだけ接触する点もあったことから手に取った本なのでした。
タイトルに使われる「コスプレ」は所謂「サブカルチャー」と呼ばれる分野のもの。
かつては、「メインカルチャー」である伝統的な芸術や映画や音楽との区別のような分かれ方でこの呼び名「サブカル」が生まれています。
どちらかと言うと、高尚な芸術分野とは区別されたな立ち位置的ニュアンスを感じる分け方です。
その他、アニメ・タトゥーも「サブカルチャー」の代表的な例、同じ音楽でも「レーベル」と「インディーズ」とでメイン文化とサブカルに分かれる点がこれまでの巷の判断でした。
ところが、アニメもコスプレもここまで世界的な広がりを見せつつある変化は、もはや立派な「文化」になってきているのでは。
「インディーズ」とはいえ、動画になっていれば名が知れる確率は高まることから、「レーベル」と同等に感じます。
そう見れば、メインカルチャーとサブカルチャーの境界線など頼りないものなのです。
このたびは、表面的には派手でその一時のお祭り騒ぎの時だけの価値と思われがちな「コスプレ」に対して、根底にあるものを探る回です。
なぜ面倒なお着替えを伴ってまでもコスプレにいそしむのか、なぜ傷みがあるにもいかかわらずタトゥーを刻印するのか。。そんな理由の部分に迫りたいと思います。
別物に成り切るコスプレの本当のコンセプトは自分探し、ぱっと見の強烈さが大きいほど自己認識への強い渇望が隠れる

かつてのイギリス生まれの「パンク」という音楽は、秩序ある社会を作るための「統制」や「従属」のストレスのような気持ちに対する反発から生まれ、「カウンターカルチャー」と呼ばれてきました。
ファッションブランドに関連付いた「ヴィヴィアンウエストウッド」様などは、そのデザインに「社会に対する挑発」を感じるもの、それがかっこよさであり流行であった時代がありました。
日本では、制服のアレンジとして「短ラン」や「ボンタン」をあえて売り出すアパレル店が存在していたのも、アニメのキャラクターと紐付く盛り上がりの最中(さなか)のことです。
その気持ちの根底にあるものは、「自分の証明」、「コスプレ」や「タトゥー」も共通に自分のアイデンティティーを探究する望みがあるのです。
何を支えに生きていくのか。。路頭に迷い分からなくなってしまった絶望の中の1筋の光であるとも言えると思います。
もう一人の自分に成り替わることで探しているのは、本当の自分らしさ。。特に若い世代で行われる「コスプレ」の活動は、懸命に自分を探すための能動的かつ積極的な努力の1つなのかもしれません。
あとがき
「コスプレ」などのド派手と呼ばれる装いが極まれば極まるほど、その対極にある自由への渇望や自分を知りたいという切望があるという見方ができるかもしれないのです。
前ボタンがずらりと並ぶベストを「素敵だ」と思った私。。コスプレをするまでには至らずとも、なぜそのずらりと一連に並んだ「軍服」を彷彿とさせるデザインが気に入ったのか。
もしかして、日々の戦闘態勢のような事業活動の競争に対する強い気持ちの表れなのかもしれません。
身に纏うお洋服・衣装・コスチュームすべては、意思表示のような意味合いを持つものなのだと解釈できるでしょう(^-^)。

