まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
スーツやコートには肩パッドが入ります。
過去に私も古着の目立ちすぎる肩パッドを取り外してカジュアルにジャケットを着用できるリフォームをご紹介したことがあります。
肩パッドが目立つ古着というのが多くの人がイメージするバブル時代の1980年代後半-1990年代前半のスーツやジャケットです。
これを今見ると何か違和感を感じ、強調されたものでない着方をしたいと思うのも時代の流れ。
むしろ現在はこの時代と対極と言っても良い時代なのかもしれません。
今回は、肩パッドのボリューム感がどんな意味をなしていたのか、そんなところを考える回になります。
バブルスーツも表面的な見方ではなく、意図されたデザインであったことに感動されると思います。
アグレッシブな戦闘服のイメージで作られたボリュームあるスーツ
実は、バブル時代のあのボリュームある肩パッドというのは、活動的な時代の象徴だと言えるのです。
たくさん働き、たくさん遊ぶといったようなアグレッシブさがその時代の肩パッドの迫力に投影されているということです。
そのように見てみると、ただ肩パッドもボリュームがあり過ぎて違和感があるというもやもやした気持ちだけではなくて、今とライフスタイルが随分違っていたのだと冷静に見ることができます。
そうして見てみると、その良き時代がお洋服の一部に形として表されているなんて、なんて素敵な事なのだろうと思えてきますね。
このように、デザインとか作りの一部にもその時の世の中を反映したような製品というのは私は、優れていると見ています。
音楽に例えてみると顕著です。
歌詞の中に今ではあまり使われない固定電話を主流にやりとりしていたような、「受話器を置く」という歌詞が出てきたり、「汽車に乗る」という何ともノスタルジックなシーンは、その歌詞を聞いただけで時代が浮かぶほどのパワーのある歌詞です。
お洋服もとても類似しています。
そのパーツにそこまで大きな時代背景が映し出され、そんな大きなことをほんの一部のパーツに入れ込んだということが素晴らしいことだと思うのです。
ということで、バブル時代の肩パッドはごっつい不必要なものという否定的な見方だけでは表面的です。
この立派なまるで鎧(よろい)を彷彿とさせるような肩に勇ましさ、ポジティブさがある時代の特徴として今でも古着に残り、私達に見せてくれるのです。
その時限りの数年間の貴重でとても素敵な時代を懐かしむことができる部分は、古着の良さの1つです。
あとがき
このたびは、肩パッドの例でしたが、もしかして、ご自身で製造をされることがあるならば、こういったことは重要なヒントになるかと思います。
良い作品、良い製品には、「哲学」が入っているものだと思います。
ただ何かの一見豪華な飾りを飾るということではなく、なぜその飾りをその場所に付ける必要があったのかなどを追求します。
そうすると、その「なぜ」という理由が見つからないものは、説得力のないお品になってしまい永久的に好まれるお品にはなれそうもありません。
そういった意味のない箇所をそぎ落として、「なぜ」がしっかり説明できるものだけしか入っていないお品というのはシンプルで何年経っても使われたり、利用されるものになっていくのではないでしょうか。
そう信じております。
ですから、「流行の波に乗るデザイン」というのもその流行の意味を解釈するところからが本来のスタートなのかもしれません。