洋服の最小限生産から少数購入、古着購入への動きへの期待【683】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

【645】の記事で、本を読み始めるにあたっての発信というものをアップさせていただきました、

「グリーンファッション入門―サステイナブル社会を形成していくために:田中めぐみ 著」をこのたび読み終えました。

たくさんのサステイナブルへの試みや意識が、この本が書かれた10年程前よりもはるかに高まった昨今。

私も、自分に何かできることをと考え中です。

大きく事が動くのは、消費者の行動にかかっているのかもしれない点

ファッションの業界では、製造業者はこれまで、大量の洋服をはじめとする、物品を過剰に作り出してきました。

そうでなければ事業がまわっていかない事情も含みます。

そして、結果、現在そういった方式がもう成り立たなくなってきたと言ってよいのかもしれません。

この大きな転換の時期に最小限の量の製造数に大きく調整せねばならないことが望まれます。

そうすると当然、大量ということで成り立ってきた事業は過去のままでは、パンクしていく。

例えば、自ら製造し、供給した洋服を、古着としてまた買い取ることでバッグし、リサイクルの循環を作り、「ループを閉じる」というような、廃棄が伴わないサイクルが出来上がるのが理想だとのこと。

自社の製品を責任を持って、その行く末を見届ける、これも1つの良き役割の例だと言えそうです。

そうして、先に、製造側がサステイナブルを強く意識した動きをしていくことで、今までのように手あたり次第ごろごろ転がっていたような安価な洋服が、数が少ないことで、高額/良質なお品となる。

この影響で、購入者側は、あれもこれも購入できないので、渾身の1チョイスを大切に、洋服を少しだけ持ちながら着まわすようになる。

そして、更に必要な場合、新品では高価すぎる場合に、ビンテージなどの古着の出番。

古き良きお品の中から、渾身の1着を有難い価格でゲット。

こんなシナリオを浮かべてみました。

古着に今まで目を向けなかった人も、そういった分野にも目を向けざるを得なくなる。。

私のようなプチ事業者でもできること

私も、事業内容としては、ファッション関係。

今まさに、とても大きな問題と、その転換をせねばならい時期のさなかに自分もひっそりと存在しています。

1消費者でもある自分ができることというのは、古き良きお品の古着をご紹介して、「こんな真新しい古着もあるのだ」とか、「古いお品というのはこのような魅力がある」、「とても作りの良い手間が込められたレベルの高さ」などを発信していく役割を発信する場所としてはあると思っています。

古着への抵抗がある方もまだまだ大勢。

汚れている物を着たくない、質が劣るのではないか。。

そのようなことを説得していくことができるのは、そもそも自分が、いつしか古着が新品よりもある意味魅力的な事に気づいた時以来、10年以上も古着だけのスタイルで来たという事実から十分な説得力というのは持ち備えていると自負。

ここ最近私自身も、洋服の量がミニマムで、クローゼットの中がとても気持ちの良い収納になったことで、気分が上がっています。

余計な量を購入しなくなったのです。

不思議なもので、こんなこと1つで、大きく気持ちが変わるものです。

インテリが好きであったこともあり、クローゼットがすっきりすると、インテリア映えが、より一層高まったことに感動しております。

少ない洋服を着まわすことの楽しさというのが一方であるので、「少ない=だめなこと」という、固定概念は捨てて、逆に素敵なことなんだということ、これにも、事業をしている者自身が発信して説得していくことが可能な見込みを感じます。

あとがき

こうして、見てみると、単純な話が、古着に切り替えるだけで、かなり大きな一歩が踏み出せるということです。

サステイナブルがもとめる最終目標というのは、「地球の本来あるべきより良い姿」ということなんです。

身近なことから、少しだけの些細なことかもしれないけれど、一人一人が簡単に始められることがあるようです。

映画、「グリード ファストファッション帝国の真実」を見て【624】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ブログ記事は、YOUTUBE動画と連動しておりまして、YOUTUBE動画にアップの同じ番号【】をブログにもふっています。

ブログが翌日になるので、この記事の前日がyoutubeアップの日。

そのyoutubeアップの昨日公開でした、「グリード ファストファッション帝国の真実」というタイトルの映画を見ました。

いよいよ、「サステイナブル:永久持続性」をいろいろな作り手のメーカーが意識し始めてて、実際に生産に取り入れてきているようなこのさなかの公開はなかなかなタイミングなのかもしれません。

大儲けの資本家の反対サイドで苦しむ低賃金、劣悪環境の労働者との差の問題

ビジネスたるもの、少ない資本から大きな儲けを追求することは基本的な考え方としてはあるもの。

しかしながらその裏側で労働賃金を極限に低く設定された交渉のもとで生み出されたその生産の結果、資本家と、労働者の裕福さの開きがあまりにありすぎるものに。

映画の中で、2点を私なりの考え方にてピックアップしまして、一度この記事を読んでくださった方達とも共に考えたい件を挙げます。

1点目は、主人公のファストファッションの経営者の部下達、一緒に働いてくれている従業員人に対する経営者のトップの態度。

モラハラ、パワハラが問題になる現在で分かりやすく私たちにその様子を伝えます。

店の名前の看板1つに対してとにかく目立つような派手な色使いを強要、しかも出来上がった状態に後から指摘し、その人すべてを否定するような汚い言葉での罵倒。このパターンが他の人にもなされる日常です。

そういう色使いをするに至った持ち場の担当者の思いや、意見を聞きとり、話し合うなどの事は一切なし。

そんな場面が多く、別のシーンでも多く見られました。

もう、大勢の従業員対トップの彼1人との複数の人数対1人のこの極端な「温度差」みたいなものが、たくさん出てくるのが印象的でした。

凍り付くような寒々とした場面で、周りはそのはるか離れた温度差に唖然とします。

2点目は、当たり前に誰でもその提供に見合った金額のお金を払うところで、極端に値下げを要求するタクシーの場面。

かと思えば、自分誇示のためのパーティーの派手な演出などにはものすごいお金を湯水のように出費するという極端さ。

ここから、この経営者のお金の投じ方の問題が浮かびます。

ふさわしい時だけに必要なだけのお金を支払っていくということを全くしていないのです。

ということで、私としては、この2点のことをポイントとしてピックアップ致しました。

あとがき

この映画の内容は、ある意味、「警告」のようなもの。

このままでは大変である、今後考えていかなければいけないことです。

商品を作る時にそれに関わる全ての人や素材のことを今一度考え直し、まずは、人に対して、異常な無理のない柔らかい手当をしているのかどうかなどが特にサステイナブルの中でも最初に見直す部分としてこの映画からは受け取りました。

根本の、「姿勢」という点では、分かりやすいまでの「ゼロ」である経営者の「ずれ」といったものを見せていただきました。

まずは、姿勢からで、完全にサステイナブルというところまでが簡単なことではないにしろ、ある一部分だったり、そういった考え方の元に立つというだけでも意味があると思うんです。