「因果応報」は善行の方の側面にもある言葉、目先の結果ばかりを追う動き方では難しい長期的スパンへの覚悟【1501】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「生き方:稲盛和夫 著」を拝読。

以前の「稲盛和夫の実学 経営と会計:稲盛和夫 著」について【1435】で投稿させていただきました同じ著者様の本です。

口コミでも随分多く広まった本。。図書館で借りたものですが本の傷み具合からもよく分かりました。

このたびは、後で貼りますYouTube内の3項目以外の「因果応報:いんがおうほう」について綴りたいと思います。

この言葉は、「悪行はいずれつけのようなものの巻き返しに代わる」というような、悪い方の報いとして語られることが多いですが、実は善行の方の側面もあるのです。

「因果応報」をまさに受けているのではないかという誰かの姿が見えた時、他人事ではないと「慈悲」の目で静かに戒めとして見届けたいものです。

間違っても決して「当然だ」「今までの行動の報いだ」などと揶揄してはいけない、自分自身への戒めでもあるかもしれないと思うべきです。

商人の望ましい有り方が綴られていた。。「我欲」と対極の「利他」を持つことができることは発展や平和につながるもの

著者様は、後に「仏門」へ入られていました。

仏教が教えてくれる大切な言葉を腑に落とし、ビジネス分野にとどまらない人間の望ましい有り方を教えていただいた本なのです。

「長い目で見る」という言葉が好きであることを過去のブログ記事でも時々お伝えしてまいりました。

「因果応報」は、良い方も悪い方も実に長期スパンで起こることのようなのです。

よって、短期的な姿勢で答えばかりを常に追い求める行動では、探索に大半の時間を費やすので、かえって時間が足りなさ過ぎると言えるのではないかと。

長い時間をかけて実らせる「覚悟」は、そもそも持っていないといけないな。。と思っています。

商業というのは「利」を追求するものであるのに、近い意味の「我欲」だらけでは立ち行かない点が混乱と勘違いを起こしているかもしれません。

本の中でも何度も使われていた「利他的」は、肝に銘じておきたい大切な言葉でした。

そう考えると、「利益」が必ずしも事業者のみのものではないと言えます。

利益からの「寄付」などは、その理解しやすい一例なのではないでしょうか。

「利益」は皆の物、従業員や家族や寄付先に分配されることの意味が奥深いのです。

あとがき

こういうアウトプットは、耳が痛過ぎてあまり多くの方には見てもらえない内容みたいです(^_^;)。

それは、多くの方々が「我」に傾向している証ともとれます。

気持ちが良い程の透明感のあるこの本、とてもじゃないけど目を背けたい程の方もいらっしゃると思うのです。

ただ、これまで多くの方々が手にされた本なのですから、著者様の考え方に倣う一員になりたいですし増えると良いです。

こうしたことの「模倣」なら本当に良い意味での真似だと思うのです。

見かけのフレーズのカッコ良さやちょっとした小手先のテクを気軽に模倣する傾向が多いのは、まさに短期的なゴールを目指す行動。

あちこちそのような大変な調査をしなければならないのも、「軸」が無いからです。

それでも、そのような方に対しては「因果応報」を当てはめてその先の悪い未来を予想して蔑むことは控えねばなりません。

「軸」が無いことの苦しさはそれもそれで相当なものであり、自分なりの「哲学」を持って歩んでいけることを僅かばかりでも願ってあげなければいけないと思い直しました。

真似されて悔しい思いをされている方も多いと思いますが、たやすく模倣をする側も苦しい思いをしていることを、少しばかりの慈悲を持ってわずかながらも理解することです。

自分が足りなかった部分はこの部分、本の内容からはやや逸れましたが、悪い「因果応報」など誰にも本当は起こらない方が良いと思う気持ちを持っていきたいと思ったところです。

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書き手:ピクチャレスク

水の惑星地球の貴重な産物花崗岩(かこうがん)、美しいジュエリーストーンが複雑なミネラル質の一部分だったという俯瞰【1500】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび「花崗岩が語る地球の進化:高橋正樹 著」を拝読。

タイトルの上部には、「自然史の窓7」と記載がありますので、シリーズ本です。

たった今ネット検索でお調べしましたら分かりました、全8巻ありすべて著者様が違います。

図書館で手にした「7」が興味がある鉱物について書かれたものだったというご縁。

ジュエリーを扱う事業においては、その元素材にもフォーカスすることにしていましす。

川下のジュエリーの姿では分からないストーリーが川上には見つかるかもしれないと手に取りました。

著者様が実際に廻った花崗岩脈の記録の本、分かり易くは書かれているものの、呼称の多さに疲労。

実に複雑な多数の石がくっついたのが岩なのです。

そこで、私としては自分なりのアウトプットの仕方として、ジュエリーになっている時の名前と花崗岩の状態の時の鉱物的な呼び名を結び付けることをしてみました。

花崗岩脈巡りのルポタージュを拝読、過去に手にした天然石ジュエリーと照合した結果複数が岩の中で交じる実態を知った

花崗岩とは「 石英(透明な灰色)・カリ長石(肌色)・斜長石(白色)・黒雲母(黒色)を主体とした深成岩(しんせいがん)」です。

花崗岩は、「ゆっくりとマグマが冷却されて出来たもので色は白っぽい」、対する玄武岩(げんぶがん)は「急速に冷却された色は黒っぽい」という違いがあることを初めて知りました。

大きく占める成分は「二酸化ケイ素(Sio2)」、この成分は天然石の多くに含まれる基本的な成分ではないかと。

よく知るところでは、「シリカ」という乾燥剤がありますが、その姿が二酸化ケイ素にイコールで「ミネラル」の一種。

また、鉱物展が開催されることがありますが、「ミネラルショー」などと言う呼び名が付くのも頷けます。

本の中に登場する図解の中で、同じ花崗岩内部でも複数の種類の違う石が所狭しと交わり合いながら存在していました。

よって、川下の宝石の1色はほんの一部分を削り取った意図的な姿であることをイメージしました。

●石英(透明な灰色)・・・クオーツ
●カリ長石(肌色)・・・ムーンストーン
●斜長石(白色)・・・ラブラドライト
●黒雲母(黒色)・・・バイオタイト

↑こんな風に、様々な情報を参考にさせていただきながらまとめました。

上の3点は実物を目の前にして触れたことがありますが、最後の「バイオタイト」に関してはネットのお写真のみ。

クォーツの中に部分的に「バイオタイト」が混じる姿が実状のようで、そうした「入り混じり」「ミックス」の姿こそ鉱物の本来あったそのままの姿のような気がします。

あとがき

「鉱物」を更に地球規模で俯瞰した見方を教えていただいた本だと思います。

この地球上の生物なるものは3つ、「動物」「植物」「鉱物」なのです。

前者2項目はなじみ深いのですが、まさかこうした岩や石が「生物」の分類にあることが感慨深いです。

火山噴火や地震活動によって出来上がった花崗岩の現在の姿は物言わぬ姿のように見えますが、内部の成分が変化したりするとのこと。

こうして、石や岩は立派な生き物だと考えることになります。

我々はいつしか人間中心の見方一択になっていますが、恐れる地震活動も地球自体が生き物である証拠。

地球の僅かな薄っぺらな表面で貪欲に土地を奪い合い、憎しみ恨み合うことをしているのです。

そんな場所がも地球の背中に乗っているというベースがあり、「お世話になっているのだ」という見方をするのが本来なのではないかと。

ジュエリーを扱う者として、これまで出来上がった物品を大切に、その美しさを有難く拝受しながらも決して乱暴なことをしないと誓った次第です。

これまでも決してジュエリーに溺れ貪欲さを持たないスタイルではやってまいりましたが、今後も改めてジュエリーを携えていることに奢らない戒めを持ちました。

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書き手:ピクチャレスク

公式への数字当てはめの算数の学び方を改める、親が根拠を理解し解釈し直す時と小学生が初めて学ぶ時は同じタイミング【1496】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび「東大の先生!文系の私に超わかりやすく算数を教えてください!:西成活裕 著」を拝読。

きっかけは、「日本経済新聞:夕刊」を拝読の中で紹介されている本のコーナーからでした。

特に昭和時代の教科書は、なかなか教科書1冊でその根拠までも書かれていることはなく、本の厚みが増し過ぎる事情もあったのかもしれません。

確かにこのたびの本は厚みがありますが、先生と生徒との対話形式で進められ、意外なところで生徒の問いかけが核心をついているという優れもの。

このタイトルが部分的に同じシリーズ本が複数ある中で、同じ著者様は「数学」と「物理」があります。

ただ公式に当てはめてきた過去の学びをひも解く根拠中心の覚え方、板に付いた確かな理解は後のアウトプットへ

未知の世界観に苦手意識、そんな人々のために「数値のイメージ」を事前に予測する1ステップを重点的に解説されている点に特徴を感じました。

おそらくこの点こそ教科書では省略されている部分なのではないかと。

このような本がそのまま教科書ならば、勉強が楽しくなり算数が苦手などとは思わなくなるのではないかとさえ思ったものです。

教科書の厚みの制限は何のため?理解するために必要な厚みならそちらを重視するべきではないのか。。などと思います。

時計の60や12の根拠は、太陽・月・地球との回転する分量や速度にあったという点は驚くべきこと。

リズムも含む数字は、音楽・美術にまでの繋がりを持つということであり、宇宙的な学問なのです。

最初は「和・差・積・商」で表現される「+ - × ÷」の章から始まります。

この後、分数・小数点・比・割合・面積・体積。。といった具合に最も日常的に利用することもある項目だらけだったのでした。

現在でもよく使うのは「割合」「面積」など、バッグ作りの時の用尺を幅成りで型紙から換算し直すことをすることがあります。

では、バッグ作りの型紙で活用していた用尺を求めるための「割合」の計算を思い出してみます。

5パーツで成り立つ表地の用尺計算を仮定します。

型紙が、①縦35cmx横45cm(1枚)②縦25x横20cm(1枚)③縦30cmx横10cm(2枚)の場合。

0.35mx0.45m+0.25mx0.2m+0.3mx0.1mx2枚=0.1575+0.05+0.06=0.2675m2。

0.2675m2÷1.12(生地幅)=0.239m(用尺:生地幅112cmを約24cm分必要とする)。

ただ地の目の向きもありますので、少ないパーツなら横の寸法の合計をしてみる方が現実的。

0.45m+0.2m+0.1mx2枚=0.85m

生地幅112cm内に横に並べて収まるので、一番縦の長さが長い35cm分を購入すればよいということです。

先程の用尺では23.9cm分だったので、35cmを下回っているのはロスが35-24=11cmあるということです。

こうしたパーツで成り立つ製作には「ロス=無駄」が出てしまうという現実があるのです。

これが量産だと大変な量のロスが出ます。

こうしたロスは、バッグ製作では、同じ生地が集まった場合は特に「パッチワーク」で繋げてシートを作ることがよくあります。

あとがき

算数の本なのに、数字に関することはかなり現実的な事業活動にも引用できる部分があったことが驚きです。

そのようなつもりで手にした本では当初なかったのですが、かの「ピタゴラス」様の「万物は数」の名言に対しても納得できることでした。

数字は神秘的でもあり、美しいものなのではないかと思えました。

「美しい物が好き」ということであれば、決して数字にも縁がないはずはないと言えるのではないでしょうか(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

「ものづくり」に邁進する者が考えたい「制作」の根本、複数の製造品の搾取構造を見直した量産・1点物無関係な機能美【1488】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび「制作について:淺沼圭司 著」を拝読。

この本の1冊前に拝読の【1474】の「センスの哲学:千葉雅也 著」にも通じる内容でした。

このたびの本の方が論文的な綴り方、やや硬めですがここまでの根本への視点が価値です。

物品を作るだけではなく、コンテンツを組み立て1つのダウンロード型のパッケージに作っていくことも「制作」なのです。

このたびは、読者の私からのアウトプットで、この先に特に商業として生み出される製品への願望をお話したいと思います。

これが創造的な活動の素晴らしさ、工場の大量生産品の部品であっても「芸術寄り」になる可能性を秘めている

本の中では、多くの20世紀以前の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」様などのアーティストの例が盛沢山、著者様は最後に古い時代の人達ばかりの引用に特化していることを恐縮されていました。

しかし、それはこの本のスタイルとしてかえって「制作」の起源のような見方には良かったと思うのです。

なぜ、私が商業用の製品への願望が生まれているのかということは、大量生産における搾取構造に伴う質の悪さが問題だと感じるからです。

物を作るにあたって、「良質さ」を追求することを一番に据え置くことをせず、「儲け」を一番に据え置いた結果です。

例えば、量産のバッグの縫製は余計なステッチは最低限に省かれています。

このことで起こることは、傷みの早期の訪れなどです。

本来望ましいバランスが、見かけの最低限さで効率重視で解決されることがたくさん起こっているのだと思います。

これまでのハンドメイドバッグ活動では、こうしたことも同時に考えてまいりました。

そうして、たどり着いた自分なりの考え方が整った今、拝読したこのタイミングは非常に良かったと思います。

考え方で一番に据え置いているもの「良質さ」「おしゃれ度」は、自分では作っていないレンタルジュエリーにも落とし込んでいます。

ジュエリー同士の3点セットに組み合わせる仕事の部分は、ハンドメイドバッグの表地と裏地のコーデがスライドしたかのような本質は同じ作業。

これも製造者が生み出す1つの「創造」だと思うのです。

すべてを1から作り上げなくても、材料を有難く拝受しながらそれらを活かし、その後の二次的な創造物となることも立派な制作。

絵画・小説・音楽という本の中の切り口にもあったように、誰もが大小関わらず何か1つを制作することを一人一人がお持ちであれば非常に素敵なことです。

あとがき

商業においては、どうしても資金繰りを回らせなければならないために、「良質さ」が二の次になることがほとんど。

それでも、「良質さ」をとにかく捨てないことの先には、「信頼」があると考えています。

1点物を作る者でも、複数を工場で製造する会社でも平等に与えられた「良質さ」を追求できる場所がちゃんとあるわけです。

あまり注目されないような工業部品であっても、最低限のシンプルな機能を持った「機能美」という美しさが認められるもの。。そのような製造品で溢れると良いです。

漢字の「製作」は「制作」という芸術的な含みを持つ方の漢字の部分的なものであるというイメージです。

されど、機械的な製造品であっても「芸術的」「芸術寄り」な優れた物品にはなり得る、それもこれも人間の意識の持ち方1つが決め手なのではないでしょうか。

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書き手:ピクチャレスク

創造的な活動を始め歩む者向け、その後独自の特徴を知り高めるために知っておく「センス」を構成しているもの【1474】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「センスの哲学:千葉雅也 著」を拝読。

バッグ作りをしている一端の者として、改めて「センス」という概念を学んだ本になります。

いにしえの哲学者様達がここに焦点を当てた考え方を解いてこられたと思います。

2024年の本ということで、「AI」の存在も見据えた芸術品の創造の今後なども参考にしたいところです。

哲学的な話題にもかかわらず、分かり易い文章のタッチは読み進め易い本でした。

「センスが良い」というのは、これまで携わったファッション関係のお仕事の中でもよく意識されてきたフレーズです。

では、「センス」というのは言葉で表すところ、何で構成されているものなのか。。そのような伝えにくいところまでしっかり迫ったのがこの本です。

「センスが良い」と思ってもらえることへの憧れ、「センス」という抽象的な概念を構成するものはいったい何なのか

キーワードの1つに「リズム」がありました。

詳しくは是非ご一読いただいて、著者様の考えを一度受け取ってみていただければと思います。

ここでは、かつての実体験エピソードをお伝えしようと思います。

下に貼りますYouTube動画内でもお話していなかったことで、当ブログを補足的な意味合いもこめて綴ってまいりたいと思います。

何十年も前のことですが、勤務先の上司の印象に残る言葉がありました。。「仕事はリズムだ」と。

リズムという言葉の連想は、音楽と結び付けて考えることも多いですが、仕事作業と結び付けた上司の言葉が非常に興味深いものとしてずっと残ったのです。

本にも例に出されているのが、動かぬ絵画にもリズムがあるとのこと。

リズムというのは、耳に依る情報のみならず、視覚的なものから触った感触まで、複数の感覚と共に見つけられるもの。

実はピクチャレスクの現在のハンドメイドバッグやレンタルジュエリーにおいて、「コーデ」を根本の軸の部分としています。

ここにもリズムが宿ります。

組み合わせをするのも2つに限らず複数が調和した状態の全体コーデ。

この中には、「同じである」という共通事項を「リンクしている」などという表現をしたりしながら、歩調を合わせてすっきりとまとめていくことがゴールです。

はみ出さない同等な調整もリズムの1つです。

そして、見落としがちなのは「無」もリズムの1つなのだということです。

リズムのイメージの王道である音楽に立ち戻りますと、音が出ていない空白の部分もあります。

この空白である「無」もあってこその全体が美しくまとまるということを考えると、リズムを作るものが、「on」の状態だけではないということです。

絵画でも白い縫っていない部分を残すという手法があると思いますが、同じことが言えると思いました。

よって、「センスが良い」というお洋服のコーデが素敵な人は、必ずしもガンガンと責めるような強い色使いの連続だったり、派手な装飾に偏った纏い方をするわけではないということ。

攻める部分と控え目な部分が交じり合っての全体の見え方が、非常に素敵に映るという状態なのではと。

あとがき

本の中には「リズム」のみならず、もっと別の要素も絡み合う構造が詳しく説かれています。

この先、何かを作るという創造的な活動を始めるにあたって、もしくは芸術に触れる際に見る目を肥やすというような願望を持つ時、ご一読の価値があると思います。

芸術品を観賞する際には、分かろうとしないことも重要だそう、どんな有名な芸術家の方もあちこちでそのようにおっしゃっているようです。

理解しようとするのは、遠くへ突然ぶっ飛んだような見方、そうではなく、目の前にある当たり前の姿を自然そのままに受け取るだけで十分なのです。

人間は複雑な思考をしてしまう生物だと思います。

何かを見ると、その意味を考え過ぎたり、意図することを探りがちです。

確かにそのような探究も必要なこともありますが、美しい物というのは、もっとさりげないものであり、優しいもの。。そのままの姿の感じ取りでキャッチすることの大切さがあると思います(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

全くの別キャラに成り切るコスプレや体に証を刻印するタトゥー、人はどこかでアイデンティティを探し求める旅をしている【1473】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「コスプレする社会:成実弘至 著」を拝読。

この本は2009年リリース、その15年先の現在では「コスプレ」は日本生まれの文化として世界中で有名になっています。

実は、「衣装・オーダーメイド・手作り」などで検索しながら古着を見つけることがあります。

オーダーメイド古着や衣装古着というのは、着続けられていないので状態が良い古着なのです。

古着ライフと言いながらも、実は未使用品に近いような状態の良さを重視している集め方。

こんな古着ライフスタイルに、少しだけ接触する点もあったことから手に取った本なのでした。

タイトルに使われる「コスプレ」は所謂「サブカルチャー」と呼ばれる分野のもの。

かつては、「メインカルチャー」である伝統的な芸術や映画や音楽との区別のような分かれ方でこの呼び名「サブカル」が生まれています。

どちらかと言うと、高尚な芸術分野とは区別されたな立ち位置的ニュアンスを感じる分け方です。

その他、アニメ・タトゥーも「サブカルチャー」の代表的な例、同じ音楽でも「レーベル」と「インディーズ」とでメイン文化とサブカルに分かれる点がこれまでの巷の判断でした。

ところが、アニメもコスプレもここまで世界的な広がりを見せつつある変化は、もはや立派な「文化」になってきているのでは。

「インディーズ」とはいえ、動画になっていれば名が知れる確率は高まることから、「レーベル」と同等に感じます。

そう見れば、メインカルチャーとサブカルチャーの境界線など頼りないものなのです。

このたびは、表面的には派手でその一時のお祭り騒ぎの時だけの価値と思われがちな「コスプレ」に対して、根底にあるものを探る回です。

なぜ面倒なお着替えを伴ってまでもコスプレにいそしむのか、なぜ傷みを伴ってまでタトゥーを刻印したいのか。。そんな理由の部分に迫りたいと思います。

別物に成り切るコスプレの本当のコンセプトは自分探し、ぱっと見の強烈さが大きいほど自己認識への強い渇望が隠れる

かつてのイギリス生まれの「パンク」という音楽は、秩序ある社会を作るための「統制」や「従属」のストレスのような気持ちに対する反発から生まれ、「カウンターカルチャー」と呼ばれてきました。

ファッションブランドに関連付いた「ヴィヴィアンウエストウッド」様などは、そのデザインに「社会に対する挑発」を感じるもの、それがかっこよさであり流行であった時代がありました。

日本では、制服のアレンジとして「短ラン」や「ボンタン」をあえて売り出すアパレル店が存在していたのも、アニメのキャラクターと紐付く盛り上がりの最中(さなか)のことです。

その気持ちの根底にあるものは、「自分の証明」、「コスプレ」や「タトゥー」も共通に自分のアイデンティティを探究する望みがあるのです。

何を支えに生きていくのか。。路頭に迷い分からなくなってしまった絶望の中の1筋の光であるとも言えると思います。

もう一人の自分に成り替わることで探しているのは、本当の自分らしさ。。特に若い世代で行われる「コスプレ」の活動は、懸命に自分を探すための能動的かつ積極的な努力の1つなのかもしれません。

あとがき

「コスプレ」などのド派手と呼ばれる装いが極まれば極まるほど、その対極にある自由への渇望や自分を知りたいという切望があるという見方ができるかもしれないのです。

前ボタンがずらりと並ぶベストを「素敵だ」と思った私。。コスプレをするまでには至らずとも、なぜそのずらりと一連に並んだ「軍服」を彷彿とさせるデザインが気に入ったのか。

もしかして、日々の戦闘態勢のような事業活動の競争に対する強い気持ちの表れなのかもしれません。

身に纏うお洋服・衣装・コスチュームすべては、意思表示のような意味合いを持つものなのだと解釈できるでしょう(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

今立っているこの場所に一体化し溶け込んだ人間の一人という自覚、今後の移民問題は全員が熟考する必要がある【1465】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび拝読したのは、「風土:和辻哲郎 著」。

紹介されていたのは、新聞だったと思います。

私くらいの世代で「戦争」とイメージするのは、第二次世界大戦の1940年代。

この本は、それ以前の1928-1929くらいからまとめられ1935年に出版された、「戦前」と呼ばれる時期に生まれた本です。

今この古い本が意味するところは非常に大きく、過去の民俗学の専門家がいかにも大切なメッセージとしてその後の未来への懸念や警告をしてくれたようにも受け取れるほどの内容。

現在の「移民問題」に大いに通じる内容だからです。

気候や環境によって国民性は根を張りながらしっかりと作られてきた、まずは自国の特殊な部分をよく知ることから。。

多くの外国人が訪れる日本、現在の物価高背景の中での円安傾向の旅行は非常に分かり易い人々の動き。

ただ、もっと長期的な問題は人口減少であり、自国民だけでは事業者・消費者共に不足の事態で商業が成り立たなくなるということが考えられます。

外国人の労働者の手を借りながらでなければ本当にどうしようもないものなのでしょうか。

少ない人数でも成り立っていく手は本当に無いのでしょうか。

「最後の民族」というような貴重な存在は、長い長い年月の経過と共に消滅してきたことが、ある地方の古い民族の最後の人のインタビューで見ることがありました。

その表情は切なく、その土地の文化や精神を受け継いできた誇りも同時に感じたものです。

この本の中にも取り上げられていた「モンスーン」の気候の特色を持つ日本、特に台風の多さの特徴などからもアジア地域の中でも独自性を持ったものであるようです。

一方で、砂漠の地の人々の国民性、ヨーロッパの人々の国民性と異色のその他2地域を主に取り上げて比較されています。

芸術面でも、数学的配列や規則性を重んじる絵画や彫刻にその土地のヨーロッパのシンメトリーな考え方が表れます。

一方で、左右非対称でありながらも全体としての調和が出来上がった「盆栽」という芸術品の世界観は日本の独自性の表れという見方。

列を作ることが周りとの調和を重んじる日本らしい精神として映る一方、イギリスの「パブ」では、列になど並ばないことこそ文化であり、カウンターに腰かけたお客様の順番を店主の裁量で順番に平等に捌く文化があるとのこと。

必ずしも列を作り並ぶことが絶対的で世界的ではないということの1つの例です。

この本の中にあった一番印象的な部分はここ↓。

「風土がそれぞれ別物で分かれて区分されていることこそ、それぞれの特性が平和な形で活きる」という考え方です。

なるほど、混ざり合わないことこそがかえって「バランス・調和」なのだということには非常に納得しています。

あとがき

ある一定期間の海外旅行と住みつくということは「全くの別物」という程の大きな違いがあると思います。

家をかまえて住むところまでの状態は、ある意味「覚悟」のようなもの。

本当に自分が生まれ育って根付いた考え方や精神を持ったまま、他の考え方や精神に本当に馴染み切ることができるのかということ1つ。

そして、もう1つはそこにあった良き文化や精神が消滅してしまう懸念です。

「おじゃまします」「失礼します」「良き塩梅」「それとなく」。。日本語のワードの中にある良くも悪くも日本人らしさ。。決して失いたくないですね。

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生物の進化が事業活動に無関係どころかリンクする理由、生き残りの少数がその先の発展に向かう理論が全く同じ【1461】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

1990年代の終わり頃からだったと思います。

恐竜に興味を持ち、当初は最古の生物が恐竜だったなどという狭い見方(間違い)からのスタートで恐竜展などに出かけていました。

その後の2010年代のパワーストーンブーム、これらの美しいストーンは、どれもが平等に地球の歴史の証なのではないかと感じるように。。

今でも煌びやかな宝石と同等に、原石そのままの鉱物の姿のネックレスも立派な宝飾品だと見るニュートラルな見方をしています。

恐竜好きと天然石好きは決して別物ではなく繋がっていたということなのでした。

このたび、「恐竜最後の日:ライリーブラック 著/田中康平 監訳/十倉実佳子 訳」を拝読。

こうした本は幾度か目、手を取らずにはいられない魅力を感じ毎回引き付けられるのです。

長い長い地球の歴史からは、当初の恐竜含む陸地の生物の多種に渡る存在は、酸素が陸地に豊富になってきたことによるのだという俯瞰した見方に変わりました。

このたびは、こんな過去の生物の歴史など関係ないのだと思うことこそ大きな勘違いなのかもしれない、今があるすべての元なのだということがお伝えできればと思います。

大量絶滅の証「k/pg境界線」を乗り越えた少数派が今の人間に繋がった、「少数の生き残り」は様々な成功のカギ

「k/pg境界」というのは、恐竜が反映した時代の最後の時代「中生代」とその次の哺乳類の繁栄の「新生代」との狭間の瞬間のこと。

この瞬間は、あっという間の1秒以内であろう「隕石の衝突」を地球が被ったことにあったことで歴史的な大量絶滅が起こったという説です。

あくまでも説ではありながら多くの研究者が賛成する確かな説。

当時の繁栄を誇る恐竜類が全滅するほどの威力、自然の威力には怪物的存在でさえ叶わなかったということです。

3年間は太陽が届かない暗闇の時期が続いたそのような致命的な打撃の中、哺乳類が特に象徴的に反映に繋がる生き延びを見せたのでした。

その中の1種、ネズミのようなサルのような画像で知られる「プルガトリウス」というコンパクトサイズの小動物が人類に繋がる「霊長類」の初期の姿。

巨大な恐竜の繁栄時代にもいた哺乳類、ひっそりと陰に隠れながらも大災難を乗り越え後に生命を繋げてきたパワーを持っていたということに。。

このような自然界の生物の進化は、様々な事のヒントになるという見方をしています。

大規模であることだけが末永い繁栄ではない脆さもあるということ、小規模であっても末永い継続が可能であるということを示した1つの長年をかけた現象。

本当の「パワー」は面積・重量・強度という数値ではない別のところにあるのだということを、我々まで繋げてくれた進化が教えてくれているような気がしました。

あとがき

大量絶滅時にもなお生き延びた生き物らが、「過去を振り返りくよくよ悩む」などということをしてきたのでしょうか。

おそらく、そのような選択肢など皆無、前向きな方向一択を貫いてきたと思うのです。

「マイナス思考」は、その後の複雑な構造の人間ならではの感覚、こうしたもう1つの選択肢がある意味贅沢過ぎるのです。

人間も動物の1種であることを時々思い出すと良い、シンプルな生き様を持つ過去の生物がこのような生命線の維持を成し遂げている姿を(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

長い年月を経てやっと明るみになった国民性の悪しき部分、正して今後の発展と永続を願い一人一人の単位で意識したい【1455】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび同じ著者様の2冊を拝読、「仕組みという名の檻の壊し方:南原竜樹 著 と「なぜ彼女は愛されて仕事ができるのか:南原竜樹 著」です。

ここ2-3年、驚く事件ばかりですが、本当のところは明るみになっていなかっただけの隠され続けた出来事ばかりでした。

何十年という単位で、権力にねじ伏せられ声を上げられなかった実態は、日本の悪い側面だったと誰もが項垂れました。

このことを良きチャンスと考え直し、「変化の岐路」として今後に託すということが残る望みではないかと。

「マネーの虎」の「虎」様であった著者様、タイトル内の「檻:おり」というワードは、この物語では一番のキーワード。

同時にこのタイミングで読み終えました過去の「なぜ彼女は愛されて仕事ができるのか」の方にも大いに通じる部分がありました。

女性の仕事の可能性に着目し本気で信頼される女性像、過去の古い体制の職場の上司に突き付けたい程です。

当ブログ記事では、下に貼りますYouTube内で触れ足りなかった点のみを中心に綴らせていただくことに致します。

ゴールはより良き未来の日本、これまでの思い込みや古い考え方を見直す姿勢の小さな1つずつが作り上げる集合意識

では、YouTube内ではお話しそびれた点を1つこの2冊の本に通じる部分でお話したいと思います。

以前の勤務先で、確かにこれまでの効率の悪さや重複した作業をそぎ落として、スムーズに作業ができる点を目指してきたつもりでした。

それなのに、周りの人の目には「余計なことをして楽しんでいる」と映ったというギャップ。

大変悔しい思いをしたのですが、なぜなのかをこの2冊を拝読後考えたのです。

私のような年代は、昭和色が根付いていることが否めない部分もあり、「背中で見せる」というようなことが他人にも通じると思い込んでいる節があります。

ところが、実際は時代の変化と共に、人の性質も進化していて、そのような姿の捉え方をしてもらえるとは限らないことに気付いていませんでした。

「右へ倣え」の時代なら「あの背中が物語ること」を正しくキャッチしてもらえたかもしれないけれども、「ただの独り相撲」と実際は映っていたかもしれないということ。

何が欠けていたのか。。それは「言葉」でした。

ただやっている姿をだまって見せれば周りがが追従し理解するだろうというのは、実は我欲そのものだったのではないかと。

本当のコミュニケーションというのは、「言語化」から始まるものなのだと気付きます。

そして、そのクリアな「言葉」が通じてやっとその後で、他人の気持ちを推し量るようなところへ向かうのだと。

相手に通じる・通じないは、まずは「言葉」でもって確実に伝えてこそなのだという点、これが過去に欠けていて全く理解されなかった自分の至らなさでした。

「仕組みという名の檻の壊し方」の中で大きく感動した、本人すら気付いていないような潜在意識に及ぶまで南原先生がアプローチしている点。

このことは、「言葉にする」ということと並行しながら、目に見えないはずの人の「気持ち」にまで触れる重要な姿勢であると非常に感銘を受けた点になります。

常にお客様の深層心理の部分を探る商業におけるマーケティングの神髄に一致するものであり、今後の政治家にはかつての商人の存在こそ本当は必要なのではないかと思いました。

あとがき

とにかく、未だに隠し通されている本音の部分が、各地の県政などに悪影響を及ぼしなかなか進めにくくなっている様子、非常にもどかしいです。

話題をすり替えるかのように、正そうとする者がなぜか悪者に。。見ていてもどかしく悔しさまで感じてしまいます。

「既得権益」ということも、「楽な道」の1つであるがゆえ、ここに傾きがちな点が未だに残る悪しき性質、これに蓋をし続けている実態があるのです。

「短い距離で楽をして、目先のゴールを目指すスタイル」と「長い目で見て、少し遠い先のゴールを地道に目指すスタイル」。

この結果の大きな違いが今露わになっている正に真っただ中の時期なのではないかと。

自分のような小単位でもできること。。誠に単純ではありますがまずはその実態を他人事と目を背けないこと。

我が祖国でそんなことが起こっていることを恥ずかしく思うところから関わっていくべきではないかと。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

ファッションは哲学に通じるもの、均一さ重視の教育や国民性の日本では埋もれていた個性の表現の上手さへの成長【1450】

アイキャッチ画像1450

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

時々拝見するパリのストリートファッションの写真や動画。

一人一人が、その装いに誇りを持ち自分表現が上手くされていることがうかがえました。

それを、親しみのある言葉で一言で表したのが「おしゃれ」なのではないでしょうか。

特に着飾りもしない、女性がメンズライクなスラックスをボトムに、三つ揃えの1つのベストを合わせている姿がここ最近の印象的なスタイル。

街角インタビューで答えるその姿は、主義や主張を持った一人の人間の人生観を語っているかのようでした。

このたび「東大ファッション論 集中講義:平芳裕子 著」を拝読。

東大でファッションについて講義されるという記録的な出来事は、おそらく今後の日本人のファッションに対する向き合い方の変化のきっかけをもたらしたものになったかと。

新聞で取り上げられていたこの本、その紹介によって拝読できた私が今度はこうしてブログ記事でアウトプットし、自らの意見も綴ってまいりたいと思います。

人生観を映し出す程の重要なもの、これまで均一化が重視された国内で奥にしまわれていた箱が今開けられた

4日間の集中講義は、これまでのファッションの始まりから現在までの歴史を、コンパクトにまとめられ、重要ポイントなどをすべて拾い上げられていたと思います。

もし、今後ファッションについて学んでみたい、ファッション系の職場に勤務し始めた、ファッションの道への修行として専門学校への道を検討しているなどの方、是非この本をまずご一読をお勧めしたいと思います。

ただ、コンパクトにまとめられた1冊、その後の深堀りはその後の活動として読書ライフの展開をして読み続けるというルーティーンをされてはいかがでしょうか。

いろいろな切り口があった目次の中で、ファッション業にはどうしても矛盾が起きてしまうことが気になっています。

商業として成り立たせるためには、手間をかけてはいられない大量生産の事情。

それならば、その根本の大量製造スタイルこそ見直すべきなのでは。。いやいや仕事を失ってしまうからそれはすぐにできることではない。。

「サスティナブル」に是非向き合っていきたい思いを持っているにもかかわらず、実際の実現が難しい。。

かつての流行が色濃く表れてしまっている服を心地よく着ていけるデザインへと解体し、タイムレスな服への仕立て直しをしたい。。

しかし商業でこれを行って二次製作品として販売は「著作権の侵害」になる。。

こうして書いている私が実際に行き詰まりを感じていることであり、現在も「リメイク」は「図解」にとどめ、自分だけの中でおさめるちっぽけな活動の領域を越えられないのです。

ここ最近のバッグ製作のスタイルも、タイパやコスパを無視、とにかく「質の良い優れた物」を完成していくことだけに焦点を当てることにしています。

これまでハンドメイド活動を長年やってきて、結局こうしたところに行き着いていますのも素直な気持ちからのもの。

ここから思うことは、手間と時間をかけるのであれば、ファッションは芸術寄りなものになっていくはずなのです。

その逆がファストファッションであり、手間と時間を極力そぎ落とし、いかに大量の製造がコスパ良く実現できるかが根底にあります。

そのようなお品物は、価格では受け入れられますが完全に商業用の製造になります。

製造の過程は人間が行うにもかかわらず、制限や縛りの中で人間らしさが削がれ、そのビジネスモデルに心の中までも翻弄されることがあるのです。

決して「サスティナブル」な体勢などではないことは明らかです。

丁寧に真心こめて作られた物を手にした時、あるいはその後の愛着はファスト的な工業品には無い「宝」のようなもの。

極端ですが、ファッション業というのはあまりにも商業的であるといずれは破綻してしまうのでは。

こうしたところに、非常に矛盾めいたものを感じずにはいられないのです。

あとがき

東京大学でいよいよファッションが講義されたという記録、歴史的だと思います。

4日間の講義を1冊の本で拝読させていただけたこの機会と著者様に感謝申し上げたいと思います。

文化や国民性というのは根強いものがありますので、一人一人に浸透し大きな意識となって成り立つものであり簡単には変化しにくいと思います。

とはいえ、自分もそうであったように、海外から見た日本人の特性、パリの人のファッションを通じた自己表現の素敵さを知ったことは、情報が盛んになったからです。

情報に溢れた部分をうまく活かし、これまで蓋をされていた自分との向き合いがファッションを通じて国民全体に浸透していけますようにと、わずかばかりの力ながらファッションの一端の事業活動を続けてまいりたいと思います(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク