創造的な活動を始め歩む者向け、その後独自の特徴を知り高めるために知っておく「センス」を構成しているもの【1474】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「センスの哲学:千葉雅也 著」を拝読。

バッグ作りをしている一端の者として、改めて「センス」という概念を学んだ本になります。

いにしえの哲学者様達がここに焦点を当てた考え方を解いてこられたと思います。

2024年の本ということで、「AI」の存在も見据えた芸術品の創造の今後なども参考にしたいところです。

哲学的な話題にもかかわらず、分かり易い文章のタッチは読み進め易い本でした。

「センスが良い」というのは、これまで携わったファッション関係のお仕事の中でもよく意識されてきたフレーズです。

では、「センス」というのは言葉で表すところ、何で構成されているものなのか。。そのような伝えにくいところまでしっかり迫ったのがこの本です。

「センスが良い」と思ってもらえることへの憧れ、「センス」という抽象的な概念を構成するものはいったい何なのか

キーワードの1つに「リズム」がありました。

詳しくは是非ご一読いただいて、著者様の考えを一度受け取ってみていただければと思います。

ここでは、かつての実体験エピソードをお伝えしようと思います。

下に貼りますYouTube動画内でもお話していなかったことで、当ブログを補足的な意味合いもこめて綴ってまいりたいと思います。

何十年も前のことですが、勤務先の上司の印象に残る言葉がありました。。「仕事はリズムだ」と。

リズムという言葉の連想は、音楽と結び付けて考えることも多いですが、仕事作業と結び付けた上司の言葉が非常に興味深いものとしてずっと残ったのです。

本にも例に出されているのが、動かぬ絵画にもリズムがあるとのこと。

リズムというのは、耳に依る情報のみならず、視覚的なものから触った感触まで、複数の感覚と共に見つけられるもの。

実はピクチャレスクの現在のハンドメイドバッグやレンタルジュエリーにおいて、「コーデ」を根本の軸の部分としています。

ここにもリズムが宿ります。

組み合わせをするのも2つに限らず複数が調和した状態の全体コーデ。

この中には、「同じである」という共通事項を「リンクしている」などという表現をしたりしながら、歩調を合わせてすっきりとまとめていくことがゴールです。

はみ出さない同等な調整もリズムの1つです。

そして、見落としがちなのは「無」もリズムの1つなのだということです。

リズムのイメージの王道である音楽に立ち戻りますと、音が出ていない空白の部分もあります。

この空白である「無」もあってこその全体が美しくまとまるということを考えると、リズムを作るものが、「on」の状態だけではないということです。

絵画でも白い縫っていない部分を残すという手法があると思いますが、同じことが言えると思いました。

よって、「センスが良い」というお洋服のコーデが素敵な人は、必ずしもガンガンと責めるような強い色使いの連続だったり、派手な装飾に偏った纏い方をするわけではないということ。

攻める部分と控え目な部分が交じり合っての全体の見え方が、非常に素敵に映るという状態なのではと。

あとがき

本の中には「リズム」のみならず、もっと別の要素も絡み合う構造が詳しく説かれています。

この先、何かを作るという創造的な活動を始めるにあたって、もしくは芸術に触れる際に見る目を肥やすというような願望を持つ時、ご一読の価値があると思います。

芸術品を観賞する際には、分かろうとしないことも重要だそう、どんな有名な芸術家の方もあちこちでそのようにおっしゃっているようです。

理解しようとするのは、遠くへ突然ぶっ飛んだような見方、そうではなく、目の前にある当たり前の姿を自然そのままに受け取るだけで十分なのです。

人間は複雑な思考をしてしまう生物だと思います。

何かを見ると、その意味を考え過ぎたり、意図することを探りがちです。

確かにそのような探究も必要なこともありますが、美しい物というのは、もっとさりげないものであり、優しいもの。。そのままの姿の感じ取りでキャッチすることの大切さがあると思います(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

全くの別キャラに成り切るコスプレや体に証を刻印するタトゥー、人はどこかでアイデンティティを探し求める旅をしている【1473】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「コスプレする社会:成実弘至 著」を拝読。

この本は2009年リリース、その15年先の現在では「コスプレ」は日本生まれの文化として世界中で有名になっています。

実は、「衣装・オーダーメイド・手作り」などで検索しながら古着を見つけることがあります。

オーダーメイド古着や衣装古着というのは、着続けられていないので状態が良い古着なのです。

古着ライフと言いながらも、実は未使用品に近いような状態の良さを重視している集め方。

こんな古着ライフスタイルに、少しだけ接触する点もあったことから手に取った本なのでした。

タイトルに使われる「コスプレ」は所謂「サブカルチャー」と呼ばれる分野のもの。

かつては、「メインカルチャー」である伝統的な芸術や映画や音楽との区別のような分かれ方でこの呼び名「サブカル」が生まれています。

どちらかと言うと、高尚な芸術分野とは区別されたな立ち位置的ニュアンスを感じる分け方です。

その他、アニメ・タトゥーも「サブカルチャー」の代表的な例、同じ音楽でも「レーベル」と「インディーズ」とでメイン文化とサブカルに分かれる点がこれまでの巷の判断でした。

ところが、アニメもコスプレもここまで世界的な広がりを見せつつある変化は、もはや立派な「文化」になってきているのでは。

「インディーズ」とはいえ、動画になっていれば名が知れる確率は高まることから、「レーベル」と同等に感じます。

そう見れば、メインカルチャーとサブカルチャーの境界線など頼りないものなのです。

このたびは、表面的には派手でその一時のお祭り騒ぎの時だけの価値と思われがちな「コスプレ」に対して、根底にあるものを探る回です。

なぜ面倒なお着替えを伴ってまでもコスプレにいそしむのか、なぜ傷みを伴ってまでタトゥーを刻印したいのか。。そんな理由の部分に迫りたいと思います。

別物に成り切るコスプレの本当のコンセプトは自分探し、ぱっと見の強烈さが大きいほど自己認識への強い渇望が隠れる

かつてのイギリス生まれの「パンク」という音楽は、秩序ある社会を作るための「統制」や「従属」のストレスのような気持ちに対する反発から生まれ、「カウンターカルチャー」と呼ばれてきました。

ファッションブランドに関連付いた「ヴィヴィアンウエストウッド」様などは、そのデザインに「社会に対する挑発」を感じるもの、それがかっこよさであり流行であった時代がありました。

日本では、制服のアレンジとして「短ラン」や「ボンタン」をあえて売り出すアパレル店が存在していたのも、アニメのキャラクターと紐付く盛り上がりの最中(さなか)のことです。

その気持ちの根底にあるものは、「自分の証明」、「コスプレ」や「タトゥー」も共通に自分のアイデンティティを探究する望みがあるのです。

何を支えに生きていくのか。。路頭に迷い分からなくなってしまった絶望の中の1筋の光であるとも言えると思います。

もう一人の自分に成り替わることで探しているのは、本当の自分らしさ。。特に若い世代で行われる「コスプレ」の活動は、懸命に自分を探すための能動的かつ積極的な努力の1つなのかもしれません。

あとがき

「コスプレ」などのド派手と呼ばれる装いが極まれば極まるほど、その対極にある自由への渇望や自分を知りたいという切望があるという見方ができるかもしれないのです。

前ボタンがずらりと並ぶベストを「素敵だ」と思った私。。コスプレをするまでには至らずとも、なぜそのずらりと一連に並んだ「軍服」を彷彿とさせるデザインが気に入ったのか。

もしかして、日々の戦闘態勢のような事業活動の競争に対する強い気持ちの表れなのかもしれません。

身に纏うお洋服・衣装・コスチュームすべては、意思表示のような意味合いを持つものなのだと解釈できるでしょう(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

今立っているこの場所に一体化し溶け込んだ人間の一人という自覚、今後の移民問題は全員が熟考する必要がある【1465】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび拝読したのは、「風土:和辻哲郎 著」。

紹介されていたのは、新聞だったと思います。

私くらいの世代で「戦争」とイメージするのは、第二次世界大戦の1940年代。

この本は、それ以前の1928-1929くらいからまとめられ1935年に出版された、「戦前」と呼ばれる時期に生まれた本です。

今この古い本が意味するところは非常に大きく、過去の民俗学の専門家がいかにも大切なメッセージとしてその後の未来への懸念や警告をしてくれたようにも受け取れるほどの内容。

現在の「移民問題」に大いに通じる内容だからです。

気候や環境によって国民性は根を張りながらしっかりと作られてきた、まずは自国の特殊な部分をよく知ることから。。

多くの外国人が訪れる日本、現在の物価高背景の中での円安傾向の旅行は非常に分かり易い人々の動き。

ただ、もっと長期的な問題は人口減少であり、自国民だけでは事業者・消費者共に不足の事態で商業が成り立たなくなるということが考えられます。

外国人の労働者の手を借りながらでなければ本当にどうしようもないものなのでしょうか。

少ない人数でも成り立っていく手は本当に無いのでしょうか。

「最後の民族」というような貴重な存在は、長い長い年月の経過と共に消滅してきたことが、ある地方の古い民族の最後の人のインタビューで見ることがありました。

その表情は切なく、その土地の文化や精神を受け継いできた誇りも同時に感じたものです。

この本の中にも取り上げられていた「モンスーン」の気候の特色を持つ日本、特に台風の多さの特徴などからもアジア地域の中でも独自性を持ったものであるようです。

一方で、砂漠の地の人々の国民性、ヨーロッパの人々の国民性と異色のその他2地域を主に取り上げて比較されています。

芸術面でも、数学的配列や規則性を重んじる絵画や彫刻にその土地のヨーロッパのシンメトリーな考え方が表れます。

一方で、左右非対称でありながらも全体としての調和が出来上がった「盆栽」という芸術品の世界観は日本の独自性の表れという見方。

列を作ることが周りとの調和を重んじる日本らしい精神として映る一方、イギリスの「パブ」では、列になど並ばないことこそ文化であり、カウンターに腰かけたお客様の順番を店主の裁量で順番に平等に捌く文化があるとのこと。

必ずしも列を作り並ぶことが絶対的で世界的ではないということの1つの例です。

この本の中にあった一番印象的な部分はここ↓。

「風土がそれぞれ別物で分かれて区分されていることこそ、それぞれの特性が平和な形で活きる」という考え方です。

なるほど、混ざり合わないことこそがかえって「バランス・調和」なのだということには非常に納得しています。

あとがき

ある一定期間の海外旅行と住みつくということは「全くの別物」という程の大きな違いがあると思います。

家をかまえて住むところまでの状態は、ある意味「覚悟」のようなもの。

本当に自分が生まれ育って根付いた考え方や精神を持ったまま、他の考え方や精神に本当に馴染み切ることができるのかということ1つ。

そして、もう1つはそこにあった良き文化や精神が消滅してしまう懸念です。

「おじゃまします」「失礼します」「良き塩梅」「それとなく」。。日本語のワードの中にある良くも悪くも日本人らしさ。。決して失いたくないですね。

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書き手:ピクチャレスク

生物の進化が事業活動に無関係どころかリンクする理由、生き残りの少数がその先の発展に向かう理論が全く同じ【1461】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

1990年代の終わり頃からだったと思います。

恐竜に興味を持ち、当初は最古の生物が恐竜だったなどという狭い見方(間違い)からのスタートで恐竜展などに出かけていました。

その後の2010年代のパワーストーンブーム、これらの美しいストーンは、どれもが平等に地球の歴史の証なのではないかと感じるように。。

今でも煌びやかな宝石と同等に、原石そのままの鉱物の姿のネックレスも立派な宝飾品だと見るニュートラルな見方をしています。

恐竜好きと天然石好きは決して別物ではなく繋がっていたということなのでした。

このたび、「恐竜最後の日:ライリーブラック 著/田中康平 監訳/十倉実佳子 訳」を拝読。

こうした本は幾度か目、手を取らずにはいられない魅力を感じ毎回引き付けられるのです。

長い長い地球の歴史からは、当初の恐竜含む陸地の生物の多種に渡る存在は、酸素が陸地に豊富になってきたことによるのだという俯瞰した見方に変わりました。

このたびは、こんな過去の生物の歴史など関係ないのだと思うことこそ大きな勘違いなのかもしれない、今があるすべての元なのだということがお伝えできればと思います。

大量絶滅の証「k/pg境界線」を乗り越えた少数派が今の人間に繋がった、「少数の生き残り」は様々な成功のカギ

「k/pg境界」というのは、恐竜が反映した時代の最後の時代「中生代」とその次の哺乳類の繁栄の「新生代」との狭間の瞬間のこと。

この瞬間は、あっという間の1秒以内であろう「隕石の衝突」を地球が被ったことにあったことで歴史的な大量絶滅が起こったという説です。

あくまでも説ではありながら多くの研究者が賛成する確かな説。

当時の繁栄を誇る恐竜類が全滅するほどの威力、自然の威力には怪物的存在でさえ叶わなかったということです。

3年間は太陽が届かない暗闇の時期が続いたそのような致命的な打撃の中、哺乳類が特に象徴的に反映に繋がる生き延びを見せたのでした。

その中の1種、ネズミのようなサルのような画像で知られる「プルガトリウス」というコンパクトサイズの小動物が人類に繋がる「霊長類」の初期の姿。

巨大な恐竜の繁栄時代にもいた哺乳類、ひっそりと陰に隠れながらも大災難を乗り越え後に生命を繋げてきたパワーを持っていたということに。。

このような自然界の生物の進化は、様々な事のヒントになるという見方をしています。

大規模であることだけが末永い繁栄ではない脆さもあるということ、小規模であっても末永い継続が可能であるということを示した1つの長年をかけた現象。

本当の「パワー」は面積・重量・強度という数値ではない別のところにあるのだということを、我々まで繋げてくれた進化が教えてくれているような気がしました。

あとがき

大量絶滅時にもなお生き延びた生き物らが、「過去を振り返りくよくよ悩む」などということをしてきたのでしょうか。

おそらく、そのような選択肢など皆無、前向きな方向一択を貫いてきたと思うのです。

「マイナス思考」は、その後の複雑な構造の人間ならではの感覚、こうしたもう1つの選択肢がある意味贅沢過ぎるのです。

人間も動物の1種であることを時々思い出すと良い、シンプルな生き様を持つ過去の生物がこのような生命線の維持を成し遂げている姿を(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

長い年月を経てやっと明るみになった国民性の悪しき部分、正して今後の発展と永続を願い一人一人の単位で意識したい【1455】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび同じ著者様の2冊を拝読、「仕組みという名の檻の壊し方:南原竜樹 著 と「なぜ彼女は愛されて仕事ができるのか:南原竜樹 著」です。

ここ2-3年、驚く事件ばかりですが、本当のところは明るみになっていなかっただけの隠され続けた出来事ばかりでした。

何十年という単位で、権力にねじ伏せられ声を上げられなかった実態は、日本の悪い側面だったと誰もが項垂れました。

このことを良きチャンスと考え直し、「変化の岐路」として今後に託すということが残る望みではないかと。

「マネーの虎」の「虎」様であった著者様、タイトル内の「檻:おり」というワードは、この物語では一番のキーワード。

同時にこのタイミングで読み終えました過去の「なぜ彼女は愛されて仕事ができるのか」の方にも大いに通じる部分がありました。

女性の仕事の可能性に着目し本気で信頼される女性像、過去の古い体制の職場の上司に突き付けたい程です。

当ブログ記事では、下に貼りますYouTube内で触れ足りなかった点のみを中心に綴らせていただくことに致します。

ゴールはより良き未来の日本、これまでの思い込みや古い考え方を見直す姿勢の小さな1つずつが作り上げる集合意識

では、YouTube内ではお話しそびれた点を1つこの2冊の本に通じる部分でお話したいと思います。

以前の勤務先で、確かにこれまでの効率の悪さや重複した作業をそぎ落として、スムーズに作業ができる点を目指してきたつもりでした。

それなのに、周りの人の目には「余計なことをして楽しんでいる」と映ったというギャップ。

大変悔しい思いをしたのですが、なぜなのかをこの2冊を拝読後考えたのです。

私のような年代は、昭和色が根付いていることが否めない部分もあり、「背中で見せる」というようなことが他人にも通じると思い込んでいる節があります。

ところが、実際は時代の変化と共に、人の性質も進化していて、そのような姿の捉え方をしてもらえるとは限らないことに気付いていませんでした。

「右へ倣え」の時代なら「あの背中が物語ること」を正しくキャッチしてもらえたかもしれないけれども、「ただの独り相撲」と実際は映っていたかもしれないということ。

何が欠けていたのか。。それは「言葉」でした。

ただやっている姿をだまって見せれば周りがが追従し理解するだろうというのは、実は我欲そのものだったのではないかと。

本当のコミュニケーションというのは、「言語化」から始まるものなのだと気付きます。

そして、そのクリアな「言葉」が通じてやっとその後で、他人の気持ちを推し量るようなところへ向かうのだと。

相手に通じる・通じないは、まずは「言葉」でもって確実に伝えてこそなのだという点、これが過去に欠けていて全く理解されなかった自分の至らなさでした。

「仕組みという名の檻の壊し方」の中で大きく感動した、本人すら気付いていないような潜在意識に及ぶまで南原先生がアプローチしている点。

このことは、「言葉にする」ということと並行しながら、目に見えないはずの人の「気持ち」にまで触れる重要な姿勢であると非常に感銘を受けた点になります。

常にお客様の深層心理の部分を探る商業におけるマーケティングの神髄に一致するものであり、今後の政治家にはかつての商人の存在こそ本当は必要なのではないかと思いました。

あとがき

とにかく、未だに隠し通されている本音の部分が、各地の県政などに悪影響を及ぼしなかなか進めにくくなっている様子、非常にもどかしいです。

話題をすり替えるかのように、正そうとする者がなぜか悪者に。。見ていてもどかしく悔しさまで感じてしまいます。

「既得権益」ということも、「楽な道」の1つであるがゆえ、ここに傾きがちな点が未だに残る悪しき性質、これに蓋をし続けている実態があるのです。

「短い距離で楽をして、目先のゴールを目指すスタイル」と「長い目で見て、少し遠い先のゴールを地道に目指すスタイル」。

この結果の大きな違いが今露わになっている正に真っただ中の時期なのではないかと。

自分のような小単位でもできること。。誠に単純ではありますがまずはその実態を他人事と目を背けないこと。

我が祖国でそんなことが起こっていることを恥ずかしく思うところから関わっていくべきではないかと。

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書き手:ピクチャレスク

ファッションは哲学に通じるもの、均一さ重視の教育や国民性の日本では埋もれていた個性の表現の上手さへの成長【1450】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

時々拝見するパリのストリートファッションの写真や動画。

一人一人が、その装いに誇りを持ち自分表現が上手くされていることがうかがえました。

それを、親しみのある言葉で一言で表したのが「おしゃれ」なのではないでしょうか。

特に着飾りもしない、女性がメンズライクなスラックスをボトムに、三つ揃えの1つのベストを合わせている姿がここ最近の印象的なスタイル。

街角インタビューで答えるその姿は、主義や主張を持った一人の人間の人生観を語っているかのようでした。

このたび「東大ファッション論 集中講義:平芳裕子 著」を拝読。

東大でファッションについて講義されるという記録的な出来事は、おそらく今後の日本人のファッションに対する向き合い方の変化のきっかけをもたらしたものになったかと。

新聞で取り上げられていたこの本、その紹介によって拝読できた私が今度はこうしてブログ記事でアウトプットし、自らの意見も綴ってまいりたいと思います。

人生観を映し出す程の重要なもの、これまで均一化が重視された国内で奥にしまわれていた箱が今開けられた

4日間の集中講義は、これまでのファッションの始まりから現在までの歴史を、コンパクトにまとめられ、重要ポイントなどをすべて拾い上げられていたと思います。

もし、今後ファッションについて学んでみたい、ファッション系の職場に勤務し始めた、ファッションの道への修行として専門学校への道を検討しているなどの方、是非この本をまずご一読をお勧めしたいと思います。

ただ、コンパクトにまとめられた1冊、その後の深堀りはその後の活動として読書ライフの展開をして読み続けるというルーティーンをされてはいかがでしょうか。

いろいろな切り口があった目次の中で、ファッション業にはどうしても矛盾が起きてしまうことが気になっています。

商業として成り立たせるためには、手間をかけてはいられない大量生産の事情。

それならば、その根本の大量製造スタイルこそ見直すべきなのでは。。いやいや仕事を失ってしまうからそれはすぐにできることではない。。

「サスティナブル」に是非向き合っていきたい思いを持っているにもかかわらず、実際の実現が難しい。。

かつての流行が色濃く表れてしまっている服を心地よく着ていけるデザインへと解体し、タイムレスな服への仕立て直しをしたい。。

しかし商業でこれを行って二次製作品として販売は「著作権の侵害」になる。。

こうして書いている私が実際に行き詰まりを感じていることであり、現在も「リメイク」は「図解」にとどめ、自分だけの中でおさめるちっぽけな活動の領域を越えられないのです。

ここ最近のバッグ製作のスタイルも、タイパやコスパを無視、とにかく「質の良い優れた物」を完成していくことだけに焦点を当てることにしています。

これまでハンドメイド活動を長年やってきて、結局こうしたところに行き着いていますのも素直な気持ちからのもの。

ここから思うことは、手間と時間をかけるのであれば、ファッションは芸術寄りなものになっていくはずなのです。

その逆がファストファッションであり、手間と時間を極力そぎ落とし、いかに大量の製造がコスパ良く実現できるかが根底にあります。

そのようなお品物は、価格では受け入れられますが完全に商業用の製造になります。

製造の過程は人間が行うにもかかわらず、制限や縛りの中で人間らしさが削がれ、そのビジネスモデルに心の中までも翻弄されることがあるのです。

決して「サスティナブル」な体勢などではないことは明らかです。

丁寧に真心こめて作られた物を手にした時、あるいはその後の愛着はファスト的な工業品には無い「宝」のようなもの。

極端ですが、ファッション業というのはあまりにも商業的であるといずれは破綻してしまうのでは。

こうしたところに、非常に矛盾めいたものを感じずにはいられないのです。

あとがき

東京大学でいよいよファッションが講義されたという記録、歴史的だと思います。

4日間の講義を1冊の本で拝読させていただけたこの機会と著者様に感謝申し上げたいと思います。

文化や国民性というのは根強いものがありますので、一人一人に浸透し大きな意識となって成り立つものであり簡単には変化しにくいと思います。

とはいえ、自分もそうであったように、海外から見た日本人の特性、パリの人のファッションを通じた自己表現の素敵さを知ったことは、情報が盛んになったからです。

情報に溢れた部分をうまく活かし、これまで蓋をされていた自分との向き合いがファッションを通じて国民全体に浸透していけますようにと、わずかばかりの力ながらファッションの一端の事業活動を続けてまいりたいと思います(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

事業者の正直さが報われる時代へ、本質の未熟さを潜め装飾的な言葉で結果へ導くマーケティングの衰退【1447】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび「ウソはバレる:イタマール・サイモンソン/エマニュエル・ローゼン 著 /千葉敏生 訳」を拝読。

タイトルだけでは様々なことに当てはまるように思えますが、実はマーケティングの本なのです。

しかし、様々なことに当てはまるということも大いに言えること。

マーケティング分野で起こっていることがこのご時世で起こっていることに非常にリンクしているようなのです。

マーケティング分野の大まかな定説の流れとしては、一番最初は「人間は最も合理的に購買をする」という見方だったよう。

ところが、その後「行動経済学」のたくさんの研究の中で、「不合理」というワードが登場。

人間は時々判断を誤ることがあり、その「不合理」こそにヒントがあるというような見方です。

これまで拝読の過去の本には、こうした「不合理」を軸とした内容が研究データや例と共に説かれたものがほとんどでした。

このたびの本は、2016年発行の本であり新しい時代に入った「ネット購入こそ購買スタイルの主流」という程の現在に通じる時期の幕開けの時期のもの。

マーケティング分野の研究家様が共同で綴られた、今後の未来を見通した内容だと思います。

情報の増量がもたらしたものは隠しきれない実態や本当の姿、良い意味で本来あるべき姿勢で行うマーケティング

これまでの技術を駆使したようなスタイルの「盛る表現」や「まやかし」のようなことが見破られてしまう時代に入ったことをこの本のタイトルが示唆。

謳い文句に惹かれて購入の品物が実は貧弱だったという後から知る真実、こういったことが起こりにくくなったことです。

その1つが購入直前に確認できる「レビュー」なのです。

こうした他者様によるフィードバックをまさに購入の検討をひかえた別の人物が知ることができることは、失敗のない購入に繋がります。

過去のマーケティングテクニックの中で、大きく利用されてきた「不合理」が起こりにくく、最も合理的な判断に近づくことが出来るということになります。

そのことを、過去には同じように技術的なマーケティングに目を向けてきた著者方ご本人が気付き、時代の移り変わりをこの本を持ってアウトプットして下さったということになります。

あとがき

総して、いくら商品の未熟さを隠しても結局はバレてしまうのだということであり、正直さがいよいよ主役になれる時が来るのではないかと考えます。

本来そうあるべきなはずなのですが、商業というのは「我欲」でもあると見ておりまして、これまでのような「とりつくろい」はどうしてもあったことなのです。

しかし、今後は第3者による事実の暴露によって隠しても隠しきれないということなのでしょう。

そういった面では非常に良い時代になると感じています。

この事象ってどこかで聞いたことがないでしょうか。

そうなのです、この数年過去の長年に渡る隠された悪習や文化がめくられ、表に姿を表してきている事件が立て続けに起こっているではありませんか。

同じことが、マーケット分野でも起こっているのは、紛れもない「情報の増加」に依るところが大きいのです。

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書き手:ピクチャレスク

自作の”超”短編小説「分身」、いつものブログ記事投稿と同じスタイルの1,800文字程度で仕上げた不思議な物語【1444】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたびは、いつものブログ投稿文字数と同等数で非常にミニマムな小説を綴ってみました。

分身

この話は、生涯に渡り未解決の不思議な出来事。

これまで語ってこなかった不思議体験だ。

もしかしたら、誰にでも類似のことが起こっているものなのかもしれないが、同じ内容を他人と分かち合ったことはこれまでにはない。

気持ちの運びが、打ち明ける期を熟したと考えこの辺りで語ってみようと思う。

あれは確か1990年代後半だったかと思う。

学生時代の友人との集まり、男女が混じった風景の記憶から合コンのようなものだったかもしれない。

会も盛り上がり、後半へ差し掛かる頃の席移動のような時のことだった。

友人の一人があることに気付く。

「ねえ、あなた(男性)Yukari(私)ちゃんのことばかり見てない?」と。

大勢が集まる中、気になる女性の方をちらちら見るなんて当たり前のことではないか。

それほど不思議な行動でもないようにも思える。

しかし、その男性は興味深い答えをした。

「昔の彼女にそっくりなんだよ」と。

「あー、そうなんだね。よほど似ているんだね、何かあまりにも見てるから。。」と友人。

「そう、驚くほどにね」とその男性。

いやいや、人の記憶など当てにはならないものだ。

長年の様々な情報の出入りで、似てないものも似てくるものであると。

***

そんな何気ない出来事からおよそ数年後だったかと思う。

この時のシチュエーションが非常に薄く、ただ覚えていることが1つだけある。

それは、「また同じだ、何でこのように何回も自分にそっくりな人がこの世に存在するのだろう」と思った気持ちだけが残っている。

それこそ私の記憶が当てにならないものであり、そんな風に思ったような出来事が本当にあったのかさえ何十年も経過の今は曖昧だ。

ただ、これだけにとどまらなかったのが更にその後の2017年のこと。

場所は帰りの地下鉄の中。

降車駅は終点駅であり、全員が降車するべく降車口に向いていた。

そして、扉が開く数秒前のことだ。

ある女性が話しかけてきた。

「鈴木さんですよね」と。

私の苗字は「高橋」、彼女の勘違いだ。

「いいえ違います、高橋です」と私。

本名を告げる必要もないものだが、これが私らしさだ。

本当に違うのだということを、本名を告げることでより鈴木さんではないことをさりげなく強調したのだった。

と、その時だ。

その女性は、間違っていたことを認めずがっかりした様子で立ち去った。

まるで私のことを鈴木さんだと信じて疑わない様子だったのだ。

ここに私は引っ掛かりを感じた。

普通なら「あ、ごめんなさい」と勘違いだったことを認めることが多いのではないか。

そして、そもそも「鈴木さんですよね」という自信に満ちた言い方にも疑問があったのだ。

「ひょっとして鈴木さんですか?」との大きな違いである。

そして、何よりも彼女の表情が忘れられない。

「何てつれない態度をするの?みずくさいわね」という表情だった。

私が否定してもなお鈴木さんだと思い込んでやまない納得していないあの表情にこそ現実味を感じるのだ。

それからしばらく、このことが引っ掛かった。

もしかして、私に本当にそっくりな人物が存在しているのではないかと。

この時に、例の過去のことを思い出していた。

元の彼女に似ていて驚いていた男性について、そしてその後の曖昧な記憶の「何度かこういったことが起こっている不思議」に考え込んでいた記憶を。。

このダメ押しのような2017年を最後に、同じような体験はもう起こっていない。

しかしながら、この頻度は、1人の人生においてはなかなかのものではなかったか。

おそらく今後も未解決のままであろう。

ただ、テレビなどの「ヤラセ」や「ドラマ」ほど練り上がったものではなく、非常にさりげないしパンチもない。

これまで人に話してこなかったのはそんなところに理由がある。

そして、こうも考えてみた。

人間のイメージというのは、都合良く書き換えられるものであり、確かに今でも記憶に残るこの不思議体験こそ本当に実際にあったことなのかさえ証明がつかない。

勝手に私の脳内で作り上げられた虚構だったかもしれないと。

***

あれから更に10年後の今はこう思っている。

そっくりな風貌であっても魂は独自のもの、どこかで自分と生き写しのような人が自分が知らない誰かと関わっているということがその証拠だ。

そこには自分は居ないけれども遠く離れたここで、似ているという良きご縁を感じながら、分身の人生を応援しようと思う。

*** 終 ***

あとがき

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今後もコンスタントに増やせて行ければと思います。

どんな小さなことでも、これまで自分の中にとどめてきたことをアウトプットする素晴らしさ、心よりお勧めしたいです(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

公共の場ではすでにしっかり使われている、物言わぬ色が伝える重要なメッセージ・色を通したコミュニケーション【1441】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

2025年というこの年が何か特別に感じるのも、ハンドメイド製作スタイルに初の試みを取り入れ、思う存分に納得するまで表地と裏地の組み合わせを検討したからです。

2024年末頃から集め始めた新たなるハンドメイドバッグ活動の生地、この上半期は収集のみで終わったと言っても良いです。

そして、自然な気持ちの動きを大切にしながら、いよいよ後半は製作へ移っていくのだとこの5月中旬から製作を始めています。

さて、そんな生地収集の最中に手に取った本があります。

「なぜこの色が売れるのか:ミミ・クーパー+アーリーン・マシューズ/宮崎伸治 訳」を拝読。

マーケティング的な切り口からのカラーの解説と言えます。

その内容の中で、2つの興味深い引っ掛かりを自らの言葉と考え方を盛り込みながらこのたびお伝えしたいと思います。

今後、色に対する接し方がより何か良い影響をもたらすものになるきっかけになればと思います。

色は人間の心理を映し出す信号みたいなものなのだろう、日常の多くのライフラインが色でメッセージを発信している

親しみやすいところでいうと、注意喚起の看板が黒x黄色であること、子供用のおもちゃの色が原色カラーであることなど。

黄色と黒の強いコントラスト効果も相まった看板は誰の目にも留まるのです。

また、幼い年齢においては、原色カラーが心が躍るという幼児性に合った興味をそそるような商業的な意味も含めた物品のカラー、おもちゃ屋さんのロゴや看板も同じです。

大人になるにつれて、非常に曖昧な中間色を好むようになったことで、大人への階段を上り始めた証のようなものになるのです。

①商品購入の決め手は「カラー」が大きく占めている

商品の色の販売の仕方をどうするのか、多色をそろえながらラインナップを豊富にするのか、それとも売れ筋の黒色に特化した色濃いスタイルにしていくのか。。

販売側はそうと知れば、カラーを重要視して取り揃え方を考えるものなのです。

2025年ピクチャレスクのバッグ用の生地は、真っ白からパステルカラー、中間色を経て紺色、茶色、黒へとたくさんのカラーを盛り込みました。

このような取り揃え方はこれまでしたことが無いほどの徹底ぶり。

黒に特化したり、白に特化したりというスタイルよりも、まず製作者の私が心から楽しめる方ということでカラー展開を豊富にする選択をしました。

ここまでとことん色を並べ、初めての真っ白にも手を付けた点は2025年が特別な製作年であることの1つです。

②流行色は決して「ヤラセ」や「仕掛け」ではない、自然な人間の心理が生み出すもの

流行色がアパレル業界のどこかで意図的に作り出され押し出されたものであるような印象は私も持っていました。

確かに流行として広がりを見せ始めたころからはそれぞれの企業がこぞって流行色であることを認識し、強くディスプレイなどに打ち出すことはあると思います。

ただ、著者様によれば、そういったことはない、あくまでも自然なものであるとのこと。

では、何がどう生まれてそうなるのかは、「心理」「感情」「飽き」などの気持ちが次へのステップの動きとして現れるというようなこと、「ファッションスタイルの流行」の原理に類似のものだと思いました。

あとがき

色はその美しさを愛でるためのもの、装飾的であり絵画に通じるところが多くの方が考えることであり、私もこれまではそう思ってきました。

しかし、ちゃんとあったじゃありませんか、色も「機能」を持っていたということを。

色1つ選ぶにしても、なぜその色を選択したのかの理由がしっかりあれば、お品物1点ずつが非常に奥深いものになりメッセージ性を込めた物品になると思います。

「置物」「人形」であっても同じで、そこに置いているだけであってもその存在自体がメッセージを発しているということなのです。

製造者はこのことを知っているべきであり、そこがお品物1つの本当の意味での広がりの第一歩なのでしょう(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

WEB上の小技が効かなくなる、「クッキー規制」によって個人情報のより強い保護の背景で見込み客に出会うすべ【1440】

アイキャッチ画像1440

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

当ホームページも含め、自社ホームページを持っている商業者は、「プライバシーポリシー」という項目が設けられているかと思います。

ここに個人情報の利用の正当な使い方を誓っているわけです。

そして、ここ近年WEB投稿が最も盛んになった背景と共に、「クッキー規制」というユーザー様のホームページ来訪の際の足跡の分析を規制する動きが高まったということです。

「制限を設ける」ということであり、とことんまでも解析できなくなったと考えてよろしいかと思います。

ピクチャレスクのようなWEBに疎いタイプは馴染みが無いのですが、こうした分野の専門のお仕事も間違いなくあるはずで、これまでのようなことが出来なくなり頭を悩ませている広告業者様の姿を想像。

このたび、「クッキー規制を乗り越える!新しいデジタルマーケティングの本 :野村総合研究所 広瀬安彦 著」を拝読。

主に広告でのアプローチに役立っていた「クッキー」が得られなくなることで広告のスタイルに変化が出てくることにもなったということです。

すでに、インスタでは投稿に馴染むような広告で毎日溢れかえり、今までよりも個人の方の投稿が探しにくくなったところまで来ていると実感。

では、商業者はこぞってインスタの広告を利用するのか。。インスタの広告も随分レッドオーシャンではないのかと。

当投稿では、ノウハウ云々ではなく、今後のWEB発信全体の有り方が変わっていく様子を本の中の「小技の消滅」の部分を中心に綴ります。

本来発信するということが我欲の為であったことが多かったこれまで、本当の望ましい有り方に見直す動きを感じたことをお伝えできればと思います。

表面的なワードのみではなく内容で評価していただければ。。クッキー規制・AIのチェックによる小技抑制の動き

本当に自らの思いを読み手に伝えたくてブログを書いているライター様がどれだけいるのでしょうか。

特に2010年代が顕著で、ブログを書くことイコール「アフィリエイト」をしているというスタイルがWEB上を占めていたような気がするのです。

初めてブログを書き始めた2018年初頭、右も左も分からない中、時間をかけながらなんとか当「ワードプレス」スタンドにお世話になりながらホームページを開設。

その最初の頃は掲載したブログ記事のWEB上での映り方などの客観的な見方すらできず、多くをネット上の情報に頼っていました。

その中で複数の方が、ブログタイトルなどの「html」の手動の書き換えを推奨し、SEO対策としてWEB上で上位に来るようなテクニックとして紹介されていたのでした。

投稿生地のタイトルを決めたら、自然に出来上がる「html」のままの表示でそのような作業などしないものだと思っていました。

しかし、あまりにも複数の方々がそのテクニックを紹介しているので、非常に引っ掛かりがあったものです。

結局、私はその効果もよく理解できず、呑み込めなかったのでやりませんでした。

こうしたことについては、現在では、AIによるチェックで下位に引き下げられる評価となるようです。

つまり何も手動でいじる必要は無かったということで正解だったのです。

いつの時代もやや狡めのテクニックでもって競争の中を勝ち抜く手法が生み出されるもの。

その他、フリマサイトなどでも今でも見られるのが、惹き付けられやすいハイブランド名を無関係なお洋服の出品にハッシュタグとして付けるという行為。

上述と類似のテクニックではないかと思います。

やはり根底にあるのは、「楽をして早くゴールを得たい」という考え方に基づいたものでしょう。

こちらに関しても、「クエリ」の正当さ(検索したワードにヒットした通りの内容になっているか)などもAIによって分かっている現在なのだそう。

あとがき

「誠実さ」もある程度AIが判断できる最初の一歩なのでしょう、良い意味でAIが使われているのではないかとこの部分に関しては考えます。

あの時、2018年に小技情報を信じて実際に実行しなくて本当に良かったと思っています。

おかげ様で、2018年当初の拙いブログの文章も、2025年でも「手直し」を加えながら当時の苦労や考え方の未熟さをそのまま認めながら今でも残すことが出来ています。

「ワザ」を駆使する前に、発信に対してはやはり実直でありたいと思ってやまないのです。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク