まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
おそらく、ファッション関係の仕事に何らかの形で携わっておられる方は、この映画にご注目されているのでは。。
と思う、「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」、現在上映中です。
一切、メディアに顔を見せないということがミステリアスであると言われてきました。
引退して10年以上が経過した現在もなお伝説のファッションデザイナーとして語られます。
この映画を観て私が思う、なぜ、このように人々に広く知れ渡り続けている人なのかということを書いていきたいと思います。
なぜ引退したのかということ
まだまだお若いと思いますので、一般的に思われる引退のような年齢ではなかったかと思います。
この辺りは、デザイナーなる人がゆくゆくは直面するようなことなのかもしれないと思っています。
名が知れていない間はがむしゃらにある地点を目指して自分らしく山を登って行けた。
けれども、知名度が上がるにつれて、大手とのタイアップなどのお声がかかり、専属的に安定的にお仕事ができたことが大変喜ばしい一方で、自由というものがいろんなしがらみによって奪われ、窮屈になっていく。。
そんな中での限界とか行き詰まりを感じるものではなかろうか。
とそんな風に思いました。
結局は、自分らしい自由なスタイルを取り戻すための引退であったとそう思います。
なぜ広く人々に知られてきたのか
1つには、かつての駐車場や空き地を使ってのファッションショーという通常では考えられない場所が斬新であったりしたようですが、これが、自然の自分の思いだということ。
そういうイメージの戦略などというものではなく、人物の性格をそのまま表したような場所。
自然な自分の思いを形にした結果がそういったきらびやかなファッションショーの舞台に違和感あるマルジェラならではの素直なスタイルであったことの表現なのでしょう。
高価なビジューや素材をあしらうドレスのようなものではなく、時々リメイクなども取り入れた日常的な庶民的な感覚から生まれた作品も私たちに近い存在として感じるものなのかもしれません。
かねてから、現在のサステイナブル的な要素を取り入れていたという点なども、当時はかなり何歩か進んだものだったのでしょうが、今の時代にはまってきた、理解されてきたということもあるかもしれません。
ここ近年の展示会でもこぞって人々が詰めかけたのも時代とのマッチを感じます。
あとがき

デザイナーとか作曲家とかアーティストのような人というものは、何年も先を予見するようなことを今、先陣を切る形で表現するという部分があるようです。
その当時理解されにくくても、後になって広く知れ渡ることも。
今回の映画のマルタン・マルジェラに関しても、私も知ったのがここ数年前のことで、顔を世に出さずしても、その作品の力がじんわりと活躍して、メディアだらけの環境も相まって今後ももっと知れ渡っていくのではないかと思います。
これは自分のスタイルとは違うのだ。。。という違和感をとても大切にされている方であるなあと思います。
自由な環境でのびのびと作品を作って行けることが本当の自分自身の幸せでもあることを常に考えておられるように見えます。
そんなスタイルが私にも響きました(^-^)。
