まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
「タオルを擦り切れるまで使う」というフレーズ、その続きは「タオルが擦り切れても使う」です。
このたびは、擦り切れが目立ってきたおよそ10年来のフェイスタオルを最も単純にリフォームしてまいります。
縁が擦り切れていても真ん中が健在ならば完了ではないという判断です。
古い物を大切する素敵さは、傷みをそのまま放っておかない修繕による「優しさ」を伴うものだということがお伝えできればと思います。
ほつれたまま使用するからみすぼらしく映るに過ぎない、丁寧な補修によるフェイスタオルの縁の落ち着きに感じる「優しさ」


なぜコスパが悪いと感じたのかと言いますのも、他のタオルとの比較です。
「MCM」様や「FENDI」様は20年はゆうに超えていきます。
よってこの時点では他のタオルよりも傷みが早いと感じ、擦り切れの縁を補修することで今後も気持ちよく使っていくということを考えました。
「擦り切れ」「ほつれ」という姿自体、部分的に起こっているに過ぎない事を指しているのです。



あとがき

日用品を使う側も丁寧に長持ちする意識で使わせていただくと同時に、製造者様側も良質な日用品をご提供していただきたいと望みます。
過去の贈答品におけるブランド品の未使用デッドストックの作りは非常に良く、こうしたお品との出会いによってコスパの厳しい見方が自然に身に付きました。
新調するサイクルのために、買い替えを促す商業形態のパソコンやスマホ関係に対しても決して納得できるものではありませんが、可能な限り安易に買い替えはしないスタイルです。
遥か昔の着物の消耗の仕方としては、「着物→面積の狭いアイテムへの仕立て直し→小物へリメイク」といった経路をたどって末永く持ち続けられていたようなのです。
時代は変われど、この精神・考え方は素晴らしい、是非とも引き継ぎながら今後もその素敵さを今後もお伝えできればと思います。
確かな記録としてお伝えするには、10年来・20年来などと具体的な数字で示してまいりたいと思います。
新調を頻繁にするような表面的なかっこよさ、本当にかっこよいのかどうかということを問いたいのです。
