洋服は身体を覆い隠すためのものではなく、むしろその美しさを表現するラインなのである【212】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、衣服に関する研究を兼ね、ある1冊の本を手にしました。

それは「ファッションの哲学:井上雅人 著」です。

「哲学」という言葉がいかにも堅苦しそうですが、実は身近なものだと自身も当ブログ投稿で時々使わせていただいている言葉です。

哲学という言葉に関しては、「<なぜ>や<理由>を深堀りしたメッセージのようなもの」だと私は考えます。

作っているハンドメイドバッグにも「哲学」が入っているのです。

画家が描く絵にも、ファッションデザイナーが考えるデザインにも「哲学」が入ります。

「哲学」がより大きく頷き、賛同された時に理解が生まれ、その作品が知れ渡るのではないでしょうか。

夢中で読んでいき、分厚い本ではありますがあっという間でした。

こうしたなかなか近寄りがたい話題を分かりやすく読みやすいたっぷりの分量で伝えてくれるところに著者様の技術を感じます。

文章がとても分かりやすいので、本来は堅い内容なのかもしれませんが、そこをうまく引き込んでくれたのがとても評価できます。

洋服は身体を覆い隠すことが目的ではない、むしろ身体の美しさを表現するために必要なアイテムだということ

アプローチの方向が多角的で目次が多いのも特徴です。

その中で、次のようなところを私の学びの記録も交えながら、今度は私からアウトプット致します。

人間には関節という名の節目があるにもかかわらず、洋服を着ると、その洋服の途切れ目、例えば、スカートの裾などが脛(すね)の部分なのかどうかで、そこが重要な視覚的な節目になるというところ。

本の内容を私なりに文章にしていますのでぴったりではありませんが、そういうところに着目されていました点に最も感動を覚えました。

「ミモレ丈」などとスカートの丈に名前がつけてありますが、あのかっこよさを例に一度考えてみます。

間違いなく人間の足があってこそのスカートの存在感であり、ふんわり覆われた時の足の見え具合の割合とか、その切替えのような狭間の部分が出来上がるのです。

つまり、装いというものは「人間+洋服の組み合わせの共同作品のようなもの」なのかもしれません。

ですから、ミモレ丈ですよー、と宣伝するときには、ロング丈のスカートの写真だけよりも、モデルさんがはいてその足の見え具合などにより一層はきたくなるようなかっこいいなあと思う夢が膨らむのでしょう。

最後の章の興味深い所、「アソシエーション」の未来について

一番最後で「アソシエーション」ということを引き合いに出されていました。

今後のファッションの方向の展望のような章です。

アソシエーションは、同じ志の者が集まってことを成し遂げていくもの。

バッグも人間が使うことでやっとコーデと言えます。

それには、洋服になじむ、引き立てる、時には主役になるなど、バッグ1つでもいろいろな顔があり出番があります。

提案ということは、その品物だけでなくて、取り巻くその他との共同でコラボ的になってやっと納得してもらえるような提案になるのかなとも思います。

私がただ一人でできることは限界があります。

その他の私では担っていない役割を強力な団結力として何かメッセージを発信していくということが「アソシエーション」で出来たらよいです。

こんなことも1つの影響だったのでしょうか、現在ハンドメイドバッグを「共有型のハンドメイドバッグ」という事業名にしています。

多くの人に学びながら、自身の持っているメソッドを惜しみなくアウトプットしながら「誇れる文化」として日本特有の「ハンドメイド文化」とでもなればとても嬉しいです。

あとがき

今後も本からも何かヒントを得たいと思いますので、どんどん休むことなく読んでいきたいですね。

本をストックしていた過去のインテリアでのボリュームの多さに参ったことから、本は図書館で借りて読むことにしています。

もしかして、ファッション分野の本だけじゃない、小説にだってヒントはある、そんな多角的な見方で本も読んでいきたいものです。

そうすると、自身で持ち備えると好きな分野に偏ってしまうので、図書館は大変有難い場所です。

そして、こんな風に今後も読んだ本に関するテーマとして自身の口からアウトプットをして、知識や、スキル、ノウハウにとどまらず、読書そのものの良さまでもお伝えできればと思います(^-^)。

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