まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
今現在から見通す、今後の自分の未来像などというのを時々思い浮かべます。
ここ近年めまぐるしくいろいろなことが変化していていく世の中。
これまでの淡々とした毎日がだんだん変化していると感じ始め、違和感を感じ、これまでの働き方に「行きどまり」を感じた2017年末、勤務する働き方をやめ2018年から個人事業主をしながら現在に至ります。
年金など我々の頃には期待できないということも言われてはいるのですが、それよりも将来像として、「おばあさんになっても働いている」というイメージを持っています。
ずっと仕事をしていくことが、生きがいであり幸せであるというような価値観です。
ここ最近ファッションの勉強を兼ねて、ファッション史の本をたくさん読ませていただきました。
その中に、実際に亡くなる前の日まで働かれていた方がいました。
誰もが知っているデザイナー「ココ・シャネル」様。
「シャネル」様のスタイルは働く女性の先駆者的存在
ココは歌い手時代からのあだ名なので、本名は「ガブリエル・シャネル」、フランス人です。
「シャネル-最強ブランドの秘密:山田登世子 著」という本を長い日数をかけながら一読。
すごく言葉の言い回しが難しく、漢字を何度も何度もググりながら、漢字の勉強もした本です(^_^;)。
ただ、とても面白く読むことができました。
著者様は、他の本にも文献として登場するのをよく見かけるお名前。
「ファッション史家」なる人物だと思っていたのですが、どちらかというと「フランス専門の文学者」という立ち位置でいらっしゃいます説明がウィキにはありました。
では、この本の中から大変感銘を受けた部分、シャネルの成した「業(わざ)」だと思う点について書きたいと思います。
シャネルは活躍の時期が戦前の1910年頃から。
今から見るかつてのパリが舞台のデザイナー達が活躍したころのオートクチュール時代では、わりと先駆者。
途中、世界大戦も挟んでいますので、仕事をいったん中断せざるを得ず移住や亡命など激動の不安定な時代を経験された時の人でもありました。
時代背景こそがその要因であったこともあり、新しく女性が生まれ変わっていく時代でもありました。
デザイナーとして「メゾン:店舗」をパリに開店した1910年以前は、貴族たちが華やかなドレスを身にまとい、豪華絢爛といういわば見かけの表面上のすばらしさがファッションの評価となっていた時代の終焉がありました。
まだまだその名残がある中、実際そのドレスを着ている女性本人は、身動きがとりにくく、ウエストをぎゅぎゅっとコルセットで締め付け、かわいそうなことにそのコルセットの締め付けのせいで骨が損傷していまうという事態にまでなった方もいたほど、体が被害を被っていたのです。
そのような競い合いながら良きお相手に見初められることを意識するばかりの見せかけのお洋服の時代。
お嬢様が家でじっとしている時代から、女性も外へ一人で出、スポーツをしたりするような時代にもなっていく過程があり、その良き波にシャネルは自ら飛び乗ったとも言えます。
ご本人こそが働く活動的な女性としての現実を見事に同じ女性に今後の着心地のよい洋服をリアルに示しながらご提案していったという、上手い宣伝方法です。
男性の洋服からのヒントがこの人ならではのアイデアだと言える
シャネルは、男性の洋服をよく観察していたよう。
駐屯兵に出くわし、彼らがぶら下げていた、ショルダーバッグのはしりのようなバッグを応用し、かの定番の「チェーンショルダーバッグ」を生み出したのです。
両手がバッグから解放され、手が自由であることが画期的でありました。
また、そのショルダーバッグの中の構造に、携帯用の口紅が入れられる箇所を作り、機能性にすぐれているという男性的な要素を盛りこんだバッグを作っていったのです。
また、恋人の洋服をよく研究し、メンズのアイテムでしかなかったセーターやツイード素材なども男性のアイテムからの引用です。
日々、アンテナをはりめぐらし、アイデアをメンズから取り入れるといったところが全く新しかったのです。
今までに使われなかった新しい色、ベージュと黒の背景
「シャネルカラー」と呼ばれる2色があります。
それはベージュと黒。
ベージュは、かつてシャネルが生まれ育ったパリから遠く離れた村の生まれ故郷の「土」の色。
シャネルにとっては、人生の中の1ページにベージュがあったのです。
もう1色の黒は、幼少期に過ごした修道院の「シスター」達のユニフォームの黒。
かつては、喪服にしか使われていない色であったにもかかわらず、あえてこの黒色を普段着、お出かけ着に取り入れたということが画期的でした。
黒というのは、実はとても強い色、他の何色を混ぜても変化しない黒のままである最強の色なのです。
まさに、この黒に込めたシャネルの「精神の強さ」が感じられます。
身の回りからの着想を得るセンス、色でその思いの度合いを伝える、なんて素敵♪。
イミテーションアクセサリーにこめられた「ブランディング」
シャネルは、今までは、貴金属、つまり今でもとても高価な素材である18金やプラチナなどを使ったアクセサリーしか存在しなかったところへ、おもちゃのような、メッキのイミテーションアクセサリーをあえて高価格で販売しました。
この挑戦にもとても強い気持ちが込められているようです。
「豪華絢爛な貴金属を世の中からなくしてしまおう」とまで思っての企画であったよう。
と、同時に人々は、素材の良さで買うのではない、シャネルが作ったものだから特に高価な素材でなくとも振り向くのです。
そうしますと、「シャネル」様の「ブランディング」が、きらきらのダイヤモンドや真珠や貴金属に勝利したということを証明したと言えるのです。
ヨーロッパとアメリカの文化の違い
シャネルは、アメリカに特に受け入れられたと言われています。
映画の衣装の製作の依頼が多くあったことで、ハリウッドの重要なデザイナーであったヨーロッパ人です。
ヨーロッパは、もともと職人の技術がベースにしっかりないとなかなか認められない文化があるようです。
歴史を重んじ新しいことを嫌う文化がヨーロッパには根付いていました。
一方アメリカは、そういった伝統は持っていないので、ファッションは、コピーや模倣からのスタートとなるわけです。
そう考えるとアメリカ生まれの世界的なハイブランドはとても貴重です。
「カルバンクライン」、「ラルフローレン」、「ティファニー」などがアメリカ生まれの世界的なブランドの例。
ただ、アメリカ生まれは少数であり、ほぼハイブランドはヨーロッパが占めているのも事実です。
学校で洋裁を習っていない独学の人
なんとも意外なことですが、「シャネル」様は、洋裁は幼い頃修道院の授業で洋裁に触れていたことだけで、本格的には洋裁の学校へ行っていないので独学です。
1983年あたりからシャネルのデザイナーを担われている「カール・ラガーフェルド」様も同じように独学で洋裁の学校へは行かれていないようです。
そんなところも後継者として理解が深かったところに繋がるのかもしれません。
シャネルはデザイナーの粋を越えた商人
シャネルブランドの商品に関しては、初代「ココ・シャネル(本名:ガブリエル・シャネル)」時代から、コピーや模倣が後を絶たなかったようです。
このことに対する受け答えは、商人気質な考え方を持つデザイナーであったと思えます。
「むしろ真似されて偽物も広く受け入れられることこそが、反対にオリジナルであるシャネル自体のブランドの価値も上がるのだ」という考え方でありました。
真似してもし切れない本物の極致なる場所に居るのだという自信を感じます。
「むしろ、誰からも模倣されないような商品は魅力的でない」のだと。
「自分も町を歩き、その人々達からヒントを得ている」ということらしいのです。
とても、マーケットの構造を広い目でとらえた考え方だと思いました。
こうした考え方は、現在でも何かヒントになるところが見つかりそうです。
本物の宝石と偽物のプラスチックの違い
こんなエピソードも語り継がれているようです。
「住まいであるホテルの一室のアトリエに、常に本物の天然石と、偽物の天然石を並べていつも眺め、本物と偽物の意味とそこからブランドの力というものの可能性を見ていた」と言われています。
言うまでもなく本物の宝石は、ダイヤモンドにしてもルビーにしても高価で美しくきらびやかです。
でも、その高価な美しいキラキラした宝石を身にまとい、見せびらかす風潮の貴族たちのふるまいをシャネルは嫌っていたようなのです。
それに対抗して究極の魔法で人々を驚かせます。
フェイクパールに金のメッキで出来上がったおもちゃのようなネックレスにシャネルのマークを入れることで、付加価値が大変高いものに仕立てました。
こんなことに気づいたのではないでしょうか、「ブランドの価値というのは、ダイヤモンドにも勝る」ということを。。
実際どうでしょう、シャネルのマークが入っているだけで皆が群がります。
人々は、シャネルのそのブランドの価値を受け入れている証拠です。
そんなことが、現在でもずっと健在であるということがシャネルが長年常に考えてきたことの実りであると言えるでしょう。
ブランドの価値を高めることこそが一番の勝利であるということをシャネルは自分の「ブランディング」という武器で、本物の高価な宝石達に挑戦状をたたきつけたのでしょう。
メゾンでの洋服作りをしながら、ずっと持ち続けてきたテーマというか生涯をかけて追求してきたこと。
かつては苦しい幼少時代を送り裕福な生活ができなかったことへの反骨精神のようなものかも、あるいは「悔しさ」も入り混じるのかもしれません。
当のご本人しか分からないことです。
私もシャネルの魔法に引っかかっていた
上述のアトリエにある本物の天然石と偽物の石をのエピソードを知り、はっとした私でした。
全くシャネルと同じように考えていた部分があったことに気づいたのです。
こちらは、私がアクセサリーが好きで集めてきた、ペンダント、ブレス、リングの3点セットです。
ペンダントの地金は18金ホワイトゴールドでそこそこ高級です。
それにレベルを合わせることを試みて自作したフローライトという天然石のブレスレットも、わざわざ留め具を滅多に売っていないK18WG製のパーツを調達し手作りました。
3点が同じ比重のレベルであることが私がコーデで考えるバランスの1つで、色や形がそろっているだけでなく、材質も均一なレベルにしたかったという拘りです。
そこへ、なんと普通ならここへは合わせない、プラスチックリングを合わせて満足しているのです。
しかし、「シャネルマーク」がしっかりと真ん中に入ったおしゃれなリングであることがここへの仲間入りを果たした所以。
つまり、私は18金ホワイトゴールどに匹敵する価値をプラスチックという素材よりもシャネルのブランド価値に見たわけです。
もし、このプラリングがシャネルのものでないならば、決してここへは合わせなかったでしょう。
おそらく、台がK18WGで、天然石のアメジストあたりがのっているリングを合わせていたことでしょう。
これは、「シャネル」様の考えてきた本当の価値とは何かということの問いかけに共感した姿の1つ。
プラスチックのようなその辺りに転がっているような素材でも、ブランド名が入ることで、付く付加価値が強固で価値あるものであることを証明しています。
もう1つピックアップしてみました。
今度は、今や入手が容易ではないと言われている天然鼈甲(べっこう)製のバングルとリング。
これに、シャネルのモチーフのペンダントトップが付いた、ゴールドのメッキ塗りのペンダントを合わせていました。
もし、このペンダント「シャネルブランド」の物でなければ、このようなメッキをそこそこ高級な鼈甲に合わせたりしません。
レベルがペンダントだけ下がってしまい、質がアンバランスだと気になって仕方がなく、違和感を感じてしまうことでしょう。
おそらく、同じ鼈甲製のチェーンか何かのネックレスとか、何かしらの本物らしい天然素材のアイテムを合わせると思います。
ということは、このシャネルのマーク1つで、このペンダントの価値が大きく付加されて鼈甲と同等と思えるアイテムに感じているということです。
すさまじき、ブランド力だということに改めて驚いてしまいました。
シャネルのかけた魔法の渦に私もまんまと巻き込まれたということになります。
あとがき
シャネルは、商品の価値というものを、製作費や材料に置いたのではなく、自社の価値というところに置いたことがシャネル以前のデザイナーとは一線を画した点です。
実際私も、シャネルのプラスチックのリングの価値を貴金属と同等に一緒の価値としてコーデしていたことが、シャネルの狙い通りのブランディングにまんまとはまっているのです。
あとがき
世界的ハイブランドの存在の「シャネル」様が、今現在でも人を魅了しているということが、「ガブリエル・シャネル」様が長い年月をかけてこだわってきたことの実りであると私は思います。
「ガブリエル・シャネル」様が1971年になって間もなくの時期に亡くなり、しばらく「シャネル社」の事業は低迷が続いたと言われています。
その後、1983年就任の「カール・ラガーフェルド」氏がうまくシャネルブランドを継承し、再起を遂げました。
このカール・ラガーフェルド氏も2019年になって間もなく亡くなられました。
さて、シャネルブランドは今後どうなるのか。。
といったところですが、新しいデザイナー様にバトンタッチをしながら引き継がれてはいくと思います。
まだまだ創業者である、「ガブリエル・シャネル」様が築いた「ブランド」自体の地位は簡単には揺らがないと思うのです。
そういう永久的なものになりうるというのが、ブランド力のすごさだということですね。
そこに気づいた、創始者、「ガブリエル・シャネル(通称:ココ・シャネル)」様の先見の明はとてつもないものであったと思います(^-^)。