突然会社を立ち上げるなど逆にリスク、好きなことの小さな「活動」の継続こそが一番敷居が低い事業の始め方である【1332】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

いよいよ会社へ勤務することで100%一生安泰と自信を持って言える時代ではなくなってきました。

国内トップと呼ばれる企業ですら「終身雇用」の崩壊を示唆。

一人一人が本気で一生の仕事の仕方を考え直す機会がやってきました。

そのような中、これまでタブーであった「副業」も良しとされる方向へ見直されたり、本業だけでは成り立たなくなる不安が多くの労働者に押し寄せました。

。。と、こんな重い内容がよく書かれていますが、自分の一生を他人に100%依存する考え方が本当に正しいのかという根本のところを本来考えてくるべきであったと気づかされます。

見方によっては、勤務先の風潮などにどっぷり染まるスタイルではなく、自分が舵をとれるスタイルにできるチャンスとも言えます。

このたびは、そんな今までと違った状況が押し寄せても、何らひるむこともないのだというとっておきの考え方をご紹介したいと思います。

ニッチな内容であっても好きなこと、得意な事を大切にしていく勧め

私の場合で恐縮なのですが、ハンドメイド(スタートは2007年頃)とジュエリー集め(スタートは2015年頃)という2つの趣味が元々ありました。

それを会社員で勤務している経理事務の仕事とは別に、帰宅後や休日にやってきました。

いずれも、当時は、こんなささいな趣味は、海で帆を張ったウインドサーフィン(一時期あこがれていました:1995年頃)やツーリング(一時期バイクに乗っていました:期間2002年-2018年)に比べたら超インドアであるし趣味でもないなあと思っていました。

それが、現在は、ハンドメイドとジュエリーを事業にしていくことを考え活動中です。

とにかく好きなことや得意なことは、末永く続けていくことこそ一番のポイント。

そんな中で、「やっぱ違うわ」と思った瞬間はやめることも大変良き学び。

続けたことに対して違和感を感じて離れるわけですからちゃんとした理由あっての事なのです。

無理やり続けるのではなくて、あくまで正直な気持ち、「心地良さ」や「喜び」に素直に従った決断を大切にします。

もっと昔の話をしますと、小さいころ(5歳くらいから)ピアノを習っていて、「ピアノの先生」になる夢などを小さい時の「夢」に書いていたと思います。

しかし、その後どんどん変わっていきました。

特に練習をたくさんしてこなかったピアノの腕前には到底自信も持てず、ある時期にレッスンを「やめる」という決断をしました。

不思議なのですが、その後「音楽」そのものが逆にすごく好きになりました。

ものすごくロックを聴くようになったのです。

ピアノはクラッシック一辺倒だったしばりがありました。

それに対して自由なメロディーが紡がれたような真逆のロックがとても新鮮でした。

現在だと世界の神秘的な民族音楽(モンゴルの音楽が今は特に好きです)をよく聴いています。

人は変化するものだと思います。

あまりに固定観念にしばられて、「この場所にいなければいけない」と思ってしまうと何も生みだされないまま虚しく時間だけが経過していってしまうことがあります。

「この場所を離れること」も結局は、最もベストな選択をする一歩になってくることがあるのです。

最初から意気込んで「よし、会社作るぞ」とスタートする人も多いですが、その後で、思うような理想とかけ離れた「売上ゼロの毎日」の現実に落胆を味わうことになります。

事業を始めた人が誰でも通ることだと言われています。

そこを乗り越えることができる理由ということに、「好きな事」「得意な事」というのがあります。もしくは、「特異な事」の方の漢字でも良いかもしれません。

あの「イチロー」元メジャーリーガー選手が2019年に引退された際に、次世代の子供達へ向けたメッセージをお話されていたと思います。

その中に、「好きな事でないと乗り越えられない時がある」という言葉がありました。

あれだけ長い間好きな野球に熱を燃やし結果も継続してきたご本人の口から出たリアルな言葉だと思いました。

スタートは敷居を低く、好きな事や得意な事を「活動」として継続していくことで十分である

事業を始めるとか会社を興すなどはとっても敷居が高くずっしりと重い重圧で押しつぶされそうになってしまいます。

最初からそんな風に考えなくてよいのです。

いつかそのタイミングだと感じたときに、会社にする「手続き」をするだけのことで、もっと大事なのは、そのタイミングまでの間、もしかして長い長い期間になるかもしれないその大切な時間を「活動」に費やすこと。

何も難しいことではなく、自然な事であり、好きな事を追求していく中で、深堀りするために本を読んで研究を深めたり、アイデアを出して考案したことをまとめたり仲間と話し合ったりすればよいだけです。

そうした、ほんのささいな活動の積み重ねが、ある時、同じような志や趣味の人と共有する中で何か新しい活動が生まれたりなどしたきっかけで「発展」していくのです。

あらかじめ何か大きな成果を期待するでもなく、とにかく好きな事を「活動」としてやめずに当たり前のルーティーンとして毎日やっていくという、とっても自然で特に大きなパワーが必要ないことだと思うのです。

あとがき

「個人事業主」と「会社」の違いも時に比較することがありますが、前者はこれも後者よりも敷居が低く、「活動」が実り始めたころに行く次のステップとしてはお勧めです。

「趣味や特技の活動」→「個人事業主」→「会社」というステップです。

ただ、このご時世、大規模過ぎることが事業継続の足かせになることもあり、コンパクトな柔軟性こそが強みだと考えると、「個人事業主」と「会社」の選択や会社の規模の限度なども多角的に考えることをお勧めします。

今回のお話は、事業活動の原点である「活動」の軌跡とその継続に重点を置いた考え方です。

たっぷりお金のある人が投資として突然会社を作るということであれば、敷居の高い所へぴょんと飛び跳ねてもとりあえず始められると思います。

ただ、結局、「末永く続けていける事業活動なのか」ということになると、その後の努力も計り知れないのです。

そうなると、最初に持っている「現金」というのはあくまで「ツール」だと言えます。

お金を「手段」として使った「事業活動の実り」が本当のゴールであることを現在も今後も意識していくことになります(^-^)。

その時々のひらめきを大切に、事業にしていった「ハンドメイドバッグ」と「レンタルジュエリー」について、そのきっかけを振り返る【1031】

まえがき

こんにちは、picturesque(ピクチャレスク)です。

現在「ハンドメイドバッグ」と「レンタルジュエリー」を事業として活動中。

今後発展できるよう、努めている最中ではあるのですが、一度、事業になる前の始めたきっかけの時期を振り返る回としまして、ここでお話したいと思います。

いつぐらいからハンドメイドバッグを作り始めたのか、そのきっかけは何だったのかなどです。

当時の製作品などはほとんど写真すら残っていないのですが、わずかに使わせていただいたものが何の傷みもなく残っている姿をとらえ、何とかご紹介できるアイテムも登場しますので、どうぞご一読を。

「ハンドメイドバッグ」も「レンタルジュエリー」もきっかけは現状の行き詰まりにあったことが共通

2018年が「個人事業主」スタートです。

「ハンドメイドバッグ」のみで2018年スタート、その2年後の2020年に「レンタルジュエリー」を開始したのでした。

ただ、今振り返ると、突然始めたのではなく、それ以前には活動的な動きがあったわけで、そのような黎明期のような時期を振り返りたいと思います。

2007年製のポーチ:特殊なサイズ感のお店では売っていないようなニッチさが売り。真ん中の巻き薔薇が特徴。

こういった一重仕立てのポーチや今でいうエコバッグのようなA4縦のようなデザインを「ヤフオク」「楽オク(現ラクマ」で販売していた当時でした。

2020年の「本物志向のレンタルジュエリー」のラインナップ。もともとヴィンテージ物。K18YG製です。

先にハンドメイドバッグをスタートしたように思っていましたが、今から振り返るとジュエリー集めも重なる時期が多かったと思います。

ハンドメイドバッグは、前もって事業にしようとしましたが、ジュエリーはただ集めているのみの時期が続いていて、レンタルスタートは2020年のことです。

ハンドメイドバッグを作ることをスタートしたきっかけは、勤務していた仕事ライフの中で行き詰まりというか、今後もこうして勤務していくことがいずれ行き詰まる予感から、何か1つ「とりえ」のようなものを持ちたいと始めたものです。

当時の現状にはとても失望していまして、希望のイメージ通りに技術が身に付けられなくて、とてもとても悔しかったことがありました。

技術を持ち備えていなことがよくなかったと、能動的に行動を起こし、2010年辺りに「日商簿記の2級」を取得。

仕事に前向きに取り組みたい勢いみたいなことが、あまり良い存在ではいられなくなったというようなことかと思います。

実際に行動に移した「退職」は、もっともっと後の2017年のことなので、随分年数がかかってしまいました。

仕事を辞めて自分でやっていくことは、とてつもなく勇気の必要な事だったのです。

そうして、万全に準備が整ったわけでもない状況の中、行きどまりにぶち当たるような形で2017年に会社を退職しています。

「早期定年だ」というような気持ち、もう会社員生活とはここで決別となったのでした。

しかし、自分でお仕事していくことは昔からの夢ではあったわけで、「いずれやればいいや」で今まで来ましたが、その「いずれ」がついには、年齢が上がり2017年辺り(44歳でした)ではもう時間が無いかも、今しかないのかも。。ということになったわけです。

ただ、そのタイミングも必然なのかもしれません。

例えば、「個人事業主」になった後も、「買掛金、未払金」の消込をして、きちんと正しい残高にしてあることも、この経験が無いと何らちぐはぐで間違いだらけの帳簿になっていたかもしれないからです。

ジュエリーの方は、上述のようにずっと長い間集めているだけでした。

ハンドメイドバッグを始めたころの2007年時点では、一般的な手持ち量でしたが、その後の2010年代のパワーストーンブームで一気に収集の加速度が増していったと思います。

パワーストーンブームもあって、連に自作したりもしていたものが、2020年開始のレンタルジュエリーの当初はたくさん残っていました。

現在は、そういった自作品はレベルが低すぎて廃止しています。

登場する地金が少なく(一応留め具は18金でしたが)、ただのパワーストーンをテグスに通しただけなのです。

それほど前向きに攻めるような形で決断していった事業主スタートであったわけでもなかったのですが、しかし、「違和感」を節目において感じることは大切です。

体勢は整ってはいませんでしたが、その転機のような時期を感じ取ったことが正解、「引っ掛かりの気持ち」や「心境の変化」は大切に汲み取るべきだと思います。

「相変わらず」というのが安心できて良いような気がしますが、変わるべき時には勇気を出して変わっていかなければいけないということです。

そうでなければ、今のこのブログを書いている状態にすらなかったと思います。

そして、これも大切↓。

つまづきは、事業の中でもありました。

ハンドメイドバッグは飛ぶように売れ続けないと事業として成立しないのが現状。

どの事業者様も同じだと思います。

技術が上がったにもかかわらず、なかなかそれも伝わらないという行き詰まりがあり、もう1つの事業の「レンタルジュエリー」は大切な存在となったのでした。

ただ、「ハンドメイドバッグ」は続けていきますので、コンテンツ制作などにシフトしながら活動を続けていきます。

二種類の別のことをしているかのようですが、同じファッション分野である2つのこと。。

それぞれに同じ分の熱を注いでやっていくことができると毎回再確認をしていますので、この2つということが望ましい形なのです。

あとがき

ということで、2010年周辺は、今から思うと、遊んでばかりで何も考えていない過去だったわけでもなく、結構新しいことを始めてきていたようなのです。

ここでまとめますと、長く続けていることというのは、今すぐではなくても将来に別の形で活きることがあるから大切にし続けていくことをお勧めしたいです。

続けているということは、自分に最も合っていたり楽しかったり好きな事であるわけで、結局続かなければ何も残らないのであり、まずは永続が大切なのです。

なかなか長年かけて培ったものを追い抜くことは難しい、だからこそ続ければ続けるだけ意味があり、それが武器や強みになるのですから(^-^)。