かつて会話の中で話し手自身の言葉ではないことを感じ取った経験は確かな違和感、借り物のような言葉の扱いの不自然【1503】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「言葉の魂の哲学:古田徹也 著」を拝読。

こうしてブログ記事・YouTube動画・SNS投稿の発信者としての言葉選びに対する責任と意味を今一度確かめ直したいという気持ちがあって手にしたものです。

このたびは、本の中で述べられていた「違和感は受動的にやってくる」という点について実体験を交えながら綴ってまいりたいと思います。

共通の意味とされている言葉であっても、使うタイミングや位置など、それぞれのまたとない1点物のような存在であることこそ「自分の言葉」なのだということをお伝えできればと思います。

言葉の奥行きや文脈内の配置で背景や感情を感じる、発信する言葉に対する責任と言葉選びに対して改めて襟を正したい

言うのは無料。。その場で言えるだけのことを言っておきたいなどと言う考え方は、言葉をぞんざいに扱っているかもしれないのです。

思い出すところ、過去の会話の中で「あれ?自分の言葉じゃないな。」と思った違和感がありました。

まさにこの「違和感」こそ、本の中で解説されていた「目に見えぬ存在があちらからやってきて、その言葉の相応しさを教えてくれる」ということに合致していました。

実際のその時の状況を思い出してみると、目には映らぬ背景がぼんやりと映し出され、その人物に他の人物が言ったことを反復して発していたと思えたのです。

一見分からないように、言葉自体は自分が発したような文法通りに構成されていました。

しかし、受け取った側はその正しい文法以上に背景が透けて見えてしまったという貴重なエピソードです。

つまり、「言葉」というのは著者様の表現の「多面体的構造」という様々な表情を持つということ。

言葉それ自体を越え、背景や過去の出来事までもうっすらと映し出すもの、これを「陰影」と表現されていました。

実際に体験した会話の中の「他の人の言葉ではないか」というのが陰影の部分、決して言葉そのものとして語られることなどなかった「裏」の部分がまるでストーリーのように分かってしまった出来事です。

そのようなことから、タイトルの「魂」が付記されている意味に対して納得。

実はそれほど本の中には「魂」という言葉は登場していませんが、1読者は受動的に受け取った違和感の正体がこんなとろにあるのではないかと受け取ったのです。

1つの言葉の中には、意味が複数あり、様々な状況に使えることが多いものです。

しかし、その複数の中の1つの意味として利用したとしても、言葉を使う背景や文脈は同じ言葉を同じ意味で使う他の人物とは別物なのではないでしょうか。

共通の言葉でありながらも、人間一人一人が違うように言葉もそれぞれ違った姿として映るもの、これこそ正しい使われ方がされたという証拠なのかもしれません。

あとがき

「言葉」は「日常にいとも自然な姿でその存在が無いかのごとく溶け込んでいる状態が望ましい使われ方をしている」ということも述べられていました。

ネットのカッコイイ言葉をあちこち拾い集めてくっつけたタスクが、いかに不自然で支離滅裂なのかは、おそらく「違和感」として読み手に影響を与えてしまうと思います。

小難しい哲学的な本のようにも捉えられてしまいがちですが、本当は最もシンプルなもので、「相応しい言葉を丁寧に選択しながら、自分の言葉で語ることの大切さ」を説いておられるのだと思います(^-^)。

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