まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
このたび「自分とか、ないから。:しんめいP 著」を拝読。
複数の東洋哲学の考え方の違いをひも解き、シンプルに面白くお伝えしてくれた本でした。
教科書などによる説明ではどこかぼやけた印象で、本質的な違いがどこなのかという分かりにくさをカバーしてくれるようなお役目に感謝。
お寺を巡り自らも修行に関わった著者様の行動も見逃してはなりません。
全ての人々のための教えと言っても良いと思う程、日常的であり普遍的なのです。
取り上げられた7名の哲学者それぞれに考え方の根本の違いがある点は、「7名の東洋哲学者のどの考えが好みですか」との投げかけをされています。
東洋哲学者ごとの考え方の違いを最も自分らしい言葉で紡ぎ出された説明、空っぽは存在感無しの無能ではない

中身が空っぽな人間ではいけない。。と思いながら知識だけを詰め込むことは、結局は中身の無い人間なのかもしれないという矛盾。
反対に、「空:くう」こそ、その人らしさを最終的に作り上げるような教えであるこの矛盾がとてもユニーク。
不思議な点であるとは思いながらも、日常の「整理整頓」を考えてみると頷けます。
ビシッと整理整頓され、余計な物を極めてミニマムに配置したお部屋を作ることで、その後に見える世界が変わるというのは自らも体験しています。
仕事場であると、物品が溢れたごちゃごちゃしていたところから、「引っ越し」と共に物を最低限に持つ姿勢の意識改革も伴い、現在では随分違った仕事場になりました。
毎日目にする風景の影響はただの風景にとどまらず、なぜか考え方の変化や新しいアイデアをもたらします。
整理整頓によって空いた部分が生み出すパワーというのは、想像を超えてゆくほどの影響力があるのかもしれません。
常に、物理的にも精神的にもすっきりとしているという状態は、「整い」として近年意識していることです。
毎日のルーティーンである、掃除・エクササイズ・ウォーキング・読書は、おそらく「整い」に繋がるものになっているのではないかと。
この本の中の「空:くう」に、このような自らの日常を重ねてみると、上述の「矛盾」も矛盾ではないと思えてくるのです。
あとがき
この本の中で取り上げられている人物「空海」様・「達磨大師:だるまたいし」様・「老子」様・「荘子」様・「親鸞」様・「法然」様・「ブッダ」様など多くの方々も、元は神的存在ではなく人間であるということが重要。
様々な逸話は神がかった存在として伝説になってはいますが、同じ人間からの教えであるということが受け取り易さです。
日常のあらゆる出来事の中で引用されていて、1つの出来事に対して真っ只中で暴れまわり混乱し自分を見失うなどということなく、冷静に俯瞰して目の前の状況を受け止めたいです。
そんな時に、東洋哲学者達の教えのフレーズを思い出すことで後押しや説得のようなことが得られるという希望を持ちました(^-^)。

