まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
スーツやコートには肩パッドが入ります。
ヴィンテージ古着のみでここ15年程やってきていまして、自主リフォームをすることがよくあります。
過去に古着の目立ちすぎる肩パッドを取り外し、抜け感をもってジャケットを着用できるリフォームをブログ記事にてご紹介したことがあります(【144】の記事が該当)。
肩パッドが目立つ古着は、多くの方がイメージするバブル時代の1980年代後から1990年代前半製造のスーツやジャケットです。
これを30年以上経過の今見ると違和感を感じ、強調され過ぎていると思うのも時代の流れ。
このたびは、かつてのバブルスーツと呼ばれるアイテムに際立つ肩パッドのボリューム感が何を意図していたのか、表面ではなくその「背景」を考える回になります。
バブルスーツを表面的なデザインのみで見るのではなく、何かを象徴したりメッセージを伝えるデザインであったことに感動されるのではないかと思います。
アグレッシブな戦闘服のイメージで作られたスーツの肩パッドのボリューム感、両肩のみに時代背景を映し出したバブルスーツのデザインは優れている
実は、バブル時代のあのボリュームある肩パッドというのは、活動的な時代の象徴だと言えます。
たくさん働き、たくさん遊ぶといったようなアグレッシブさがその時代の肩パッドの迫力に投影されているということです。
このように見てみると、肩パッドがただボリュームがあり過ぎて違和感があるというもやもやした気持ちだけではなく、今とライフスタイルが随分違っていたのだと冷静に見ることができます。
そうして見てみると、当時の良き時代がお洋服の一部に形として表されているなんて、なんて素敵な事なのだろうと思えてきます。
このように、デザインや構造の一部にもその時の世の中を反映したような製品というのは、優れていると見ています。
音楽にも本当にそっくりなことがうかがえます。
歌詞の中に今ではあまり使われない固定電話を主流にやりとりしていたような、「受話器を置く」という歌詞、「汽車に乗る」などという何ともノスタルジックなシーンは、その歌詞1つで時代が浮かぶほどのパワーワードです。
ということで、バブル時代の肩パッドはごっつい不必要なものという否定的な見方だけでは表面的なのです。
この立派なまるで鎧(よろい)を彷彿とさせるような肩に感じられる「勇ましさ」「ポジティブさ」が、あの時代の特徴として今でも古着に残り、私達にその名残として見せてくれるのです。
その時限りの数年間の貴重で素敵な時代を懐かしむことができる部分は、古着の良さの1つです。
あとがき
このたびは、肩パッドの例でしたが、どんな分野でも製造においては、重要なヒントになると思います。
良い製品には、「哲学」が入っているのです。
ただ何かの一見豪華な飾りを飾るということではなく、なぜその飾りをその場所に付ける必要があったのかなどを追求します。
そうすると、その「なぜ」という理由が見つからないものは、説得力のないお品になってしまい永久的に好まれるお品にはなれそうもありません。
そういった意味のない箇所をそぎ落として、「なぜ」がしっかり説明できるものだけしか入っていないお品というのは究極の姿です。
「流行の波に乗るデザイン」ということであっても、その流行の裏に隠されたメッセージを読み取り解釈するところからが本来の製造企画のスタートなのかもしれません。