まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
1990年代の終わり頃からだったと思います。
恐竜に興味を持ち、当初は最古の生物が恐竜だったなどという狭い見方(間違い)からのスタートで恐竜展などに出かけていました。
その後の2010年代のパワーストーンブーム、これらの美しいストーンは、どれもが平等に地球の歴史の証なのではないかと感じるように。。
今でも煌びやかな宝石と同等に、原石そのままの鉱物の姿のネックレスも立派な宝飾品だと見るニュートラルな見方をしています。
恐竜好きと天然石好きは決して別物ではなく繋がっていたということなのでした。
このたび、「恐竜最後の日:ライリーブラック 著/田中康平 監訳/十倉実佳子 訳」を拝読。
こうした本は幾度か目、手を取らずにはいられない魅力を感じ毎回引き付けられるのです。
当初の恐竜の存在は、長い長い地球の歴史からは後で酸素が陸地に豊富になってきたことから盛んになった生物なのだという俯瞰した見方に変わりました。
このたびは、こんな過去の生物の歴史など関係ないのだと思うことこそ大きな勘違いなのかもしれない、今があるすべての元なのだということがお伝えできればと思います。
大量絶滅の証「k/pg境界線」を乗り越えた少数派が今の人間に繋がった、「少数の生き残り」は様々な成功のカギ

「k/pg境界」というのは、恐竜が反映した時代の最後の時代「中生代」とその次の哺乳類の繁栄の「新生代」との狭間の瞬間のこと。
この瞬間は、あっという間の1秒以内であろう「隕石の衝突」を地球が被ったことにあったことで歴史的な大量絶滅が起こったという説です。
あくまでも説ではありながら多くの研究者が賛成する確かな説。
当時の繁栄を誇る恐竜類が全滅するほどの威力、自然の威力には怪物的存在でさえ叶わなかったということです。
3年間は太陽が届かない暗闇の時期が続いたそのような致命的な打撃の中、哺乳類が特に象徴的に反映に繋がる生き延びを見せたのでした。
その中の1種、ネズミのようなサルのような画像で知られる「プルガトリウス」というコンパクトサイズの小動物が人類に繋がる「霊長類」の初期の姿。
巨大な恐竜の繁栄時代にもいた哺乳類、ひっそりと陰に隠れながらも大災難を乗り越え後に生命を繋げてきたパワーを持っていたということに。。
このような自然界の生物の進化は、様々な事のヒントになるという見方をしています。
大規模であることだけが末永い繁栄ではない脆さもあるということ、小規模であっても末永い継続が可能であるということを示した1つの長年をかけた現象。
本当の「パワー」は面積・重要・強度という数値ではない別のところにあるのだということを、我々まで繋げてくれた進化が教えてくれているような気がしました。
あとがき
大量絶滅時にもなお生き延びた生き物らが、「過去を振り返りくよくよ悩む」などということをしてきたのでしょうか。
おそらく、そのような選択肢など皆無、前向きな方向一択を貫いてきたと思うのです。
「マイナス思考」は、その後の複雑な構造の人間ならではの感覚、こうしたもう1つの選択肢がある意味贅沢過ぎるのです。
人間も動物の1種であることを時々思い出すと良い、シンプルな生き様を持つ過去の生物がこのような生命線の維持を成し遂げている姿を(^-^)。
