「洋服に興味なし」も立派な「主張」として装いに現れる自明、「衣」は本来着る人間の人生そのものを無言で示す手段【1385】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「闘う衣服:小野原教子 著」という本を拝読。

本来「衣服」とは何なのかということの深堀りをする時には是非手に取ってみてくださいませ。

厳しいアパレル業界で今後もお仕事をしていく決意の際に、今一度原点に立ち戻って考えることをする際などにご一読をお勧めしたいです。

この本の内容に関してはご一読の解釈に委ねるということで、当記事では「衣服の装い」をもっと重視するべきではないかという投げかけ的な内容になります。

時々「服には興味なし」という方がいらっしゃいますが、実はその「意志表示」こそ「衣」の神髄なのではないかと思うのです。

人間が服を着る生き物である以上、切っても切れない縁のようなものなのです。

人間である以上衣服を纏うことは平等に与えられた事項、同時にその人間の「人生」さえも現れてしまう自明は軽視すべきではないことを物語る

アパレル業界に携わっているほどの大のお洋服好きの方、ファッションには縁がないなどと敬遠している方、すべてが同じラインに立っているのが「装い」です。

お洋服に興味が無い人の場合を考えてみると大変分かりやすいです。

究極な大の洋服嫌いの方の例。

お洋服選びにあれこれ悩むことさえわずらわしく、そこに大切な時間が奪われることさえ苦痛。

よってお洋服は真っ黒Tシャツとデニムと決めている人がいたとします。

ではこの人がお洋服によって何も表現していないのでしょうか。。

いいえ、十分に意志表示とメッセージを伝えていることになります。

お洋服以外の事へ「情熱」を費やしたいためにお洋服にストレスをかけないミニマムさが現れた立派な「表現」なのです。

サイズ展開とカラーのくくりでグループ分けされた大量生産のお洋服は、「ファストファッション」そのものです。

この製造形態で作られたお洋服は同じ物を他の大勢の人も着ていますので差別化がはかりにくいです。

とはいえ、お洋服を着ないということは決してあり得ないので、表現を自然にしてしまっていること、この危険性をもっと真剣に考えるべきではないかと思っております。

お洋服に興味が無いから何となくでよいと思っていたら、それは危険な考え方。

他の人の目には、「ぼやけた意志表示」として誤解を招くような捉え方をされて、「曖昧な人」とまでの誤解があるかもしれないのです。

そういった意味ではお洋服は「自分の発見」というような深みもあるのです。

勘違いしがちなのは、お洋服が表面的な「飾り=余計なもの」と考えてしまうこと。

実は、その人の「生きざま」さえも表す重要なツール、軽視は禁物なのです。

あとがき

言葉で発する挨拶だけが自己紹介ではないのかもしれません。

身にまとったお洋服こそが「無言」でも、出会った人や周りの人へのメッセージとなっていることにしっかり気づくことです。

そこからが本当のお洋服への目覚めとして自分らしい装いの発見ができる岐路に立つかもしれないのです。

ヨーロッパの多くの老若男女がスナップ写真の「おしゃれ」アイコンとして取り上げられるのも、コーデそのもののテクニックや着こなしの技術だけではないようなのです。

どんな考え方を持ち、どんな人生を歩んでいるのかを映し出しているモニターのようなものが「装い」なのです。

「衣」は今後も重要な概念であるということになります。

今一度お洋服1点1点を一人の人間の写し鏡のアイテムだという見方で見つめてみて下さいませ(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

大ぶりな宝石を装飾的に浮いた付け方の過去の日本人マダム達の風習、「らしさ」溢れる馴染み溶け込む装い方への発展【313】

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「成熟へのジュエリー:光野桃 著/ジュエリースタイリスト:伊藤岬」を拝読。

かつては「成金」「マダム」よろしく、キラキラのお洋服にギラギラと大ぶりなジュエリーを付けていた人々が見られた時代があり、それが日本のジュエリーの装い方の特徴でもあったらしいのです。

確かにお品1点ずつは豪華で素晴らしいのですが、どこか「浮いた」ものに感じるのはなぜでしょうか。

そこには、「誇示」という意識が根本にあったと分析します。

「◯◯のふりをする」というような本来の自分に蓋をして大きく背伸びをした風習です。

「誇示」は、己とかけ離れたところにイメージを置く姿そのもの。

そんな点が身に着けている人物に対してジュエリーが浮いてしまう根本なのではないかと見ています。

一方、「ジュエリー大国」と呼ばれるイタリアでは、多くの人々が洋服になじむジュエリーの付けこなし方が伝統として受け継がれています。

このような姿は、おしゃれ度の高さだけでは語れない一面があると思います。

「成熟」という観点からは、冒頭の成金的な姿は「未熟」であるとも言えるのではないでしょうか。

ジュエリーが一人の人間にうまく馴染み溶け込んで映る姿が美しい、まずは己をよく知り全面的に受け入れる姿勢がそもそもの始点

「自分らしさ」はどう表現することができるのかを考えてまいります。

自分らしい表現はアウトプットの姿ですが、それ以前に自分についての理解・把握をすることが重要です。

冒頭の大ぶりジュエリーを違和感たっぷりに浮いた感じで付けてしまうのは、そもそも自分らしさに蓋をしている行為、自分を分析していないと言えます。

自分らしいジュエリーは決してそのような大ぶりではなく小さく1粒が煌めくようなアイテムだったかもしれないのです。

ということで、まずは自分分析が第一ということになると思います。

難しいことではありません、日々その時々の瞬間ごとに、自分の行動と共に己の性格を把握するだけで良いのです。

その代わり、良いも悪いも平等に受け入れなければ成り立ちません、悪い部分にも目を背けず素直に受け入れ理解する「正直さ」も必要です。

これが出来なければ、背伸びをしたような不似合いな付け方をこの先もしていくことになってしまうのです。

あとがき

意外にも、技術的なことではなくて、そもそも自分をちゃんと認めてあげるということがカギを握ると思えてなりません。

ここをしっかりと築いていった時に、素敵なコーデが出来上がってゆき、「おしゃれ」に映る結果を得ることに繋がると思うのです。

どうしてもジュエリーを付けることが「良く見せる」ということ1点にとらわれがちなのが現状。

本当はそうではなくて、本当の自分探しの結果自分を見つけた「証」のバッジみたいな姿であるとよいです。

拝読の本のタイトルの「成熟」は、そうした人間としての望ましい姿を説いたものだと解釈します。

ジュエリーがより本当の自分に近い存在になりますように。。と今後を願いながら、ここで筆をおきたいと思います(^-^)。

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