「一生物」と思わせ経年劣化で裏切る信用の喪失は取り返しがつかない、真の永続的なバッグは「素材」「作り」「使い方」を正直に意識したもの【1410】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

バッグ製作もしています傍ら、ワードローブでは昔のモデルのヴィンテージブランドバッグを置いています。

ただ、それらの内の大半が何かしらのリフォームせずしては到底今も持ち続けていることができないほどの劣化が発売年20-30年の時点でありました。

皮肉ながら良質というイメージの本革レザー製で特にそれは起こっていました。

その部分的劣化を直してでも乗り越えて持ち続けていくという選択が必要だったのです。

しかし、元の価格からはそのようにリフォームしなければならない素材を高級品に使用していることに対して非常に憤りがありました。

ただ、そのリフォーム後、ここで初めて「一生物だ」と思えてきたような気がします。

このたびは、3つの視点で、今思う「バッグ」に対しての考え方を綴ってまいりたいと思います。

「バッグ」がテーマの3つのこと、今後のバッグのニーズの研究として思うことを3つの切り口でお伝えします

1)元は高額なヴィンテージバッグ

まえがきでお話しましたように、元は高額なバッグほど部分的劣化が見られました。

多くが「内張り」「内ポケット」の劣化です。

素材が「合皮・PVC」だから最初から劣化する運命にある素材が使われているのです。

その結果、もったいない存在のバッグになってしまい、部分的な差が生まれてしまったのでした。

最初からそのようなことは分かっていたこと、むしろ布製を内張りに、ポケットに使用されていた方が劣化してしまうような素材より100倍良かったのでした。

それができなかったのはなぜか、「見かけの高級感の重視」ではないでしょうか。

製造仕立ての数年はお店に並び劣化など起こり得ないような様相を保ちます。

いかにも商業的な計算による製造計画が見て取れ、このことに対しては大変憤りがあります。

現在では、もうこれ以上ヴィンテージバッグさえも新しく購入しないほどの気持ちになっています。

集め尽くしたと言っても良いですし、そういったお品物に愛想が尽きたという気持ちもあります。

もう1つは「裏事情」などが分かってしまい、意図的に価値を付けるやり方に、「良い品物を作る」という信念や実直さの欠如を感じたからなのです。

2)布バッグの長持ちレベル

1)からの流れで、「布製」であった裏地は現在も健在の美しい姿でいられる30年物のバッグ。

表地が本革レザーで裏地に布が貼られていたバッグや元々ナイロン製で作られていたバッグは現在も長持ちしています。

布の中では丈夫さがダントツのナイロン100%はブランドバッグにも多く使われています。

ナイロンオックス(ぶつぶつの凹凸感にツヤが加わる)・ナイロンタッサー(横ボーダー状の畝が凹凸感と高級感を生む)などをバッグに仕立てた過去があります。

ナイロンは、それ自体でも目が詰まりお水をある程度はじく機能があるのですが、そこへ更に撥水加工を施すことで防水に近づく機能のパワーアップがはかられます。

とはいえ、ナイロン素材が世の中に溢れ過ぎ、よくある素材のイメージになってしまったことやそれ以上に美しい生地を見ますと、「高級感」は表現しにくいのが実状です。

布製自体は、劣化のない無加工の方が永久的になり得る素材だと思い、使い方や使う回数の工夫で本革レザーよりも弱い「傷み」のデメリットをカバーしていくご提案をしています。

1点を毎日使う使い方ではなく、3点を順番に平均的に回数を統一することでそれぞれの傷みが起こりにくくなり、結果長持ちになるという持ち方などがその1つです。

3)バッグのサイズのニーズ

ここ最近のアンケート調査(自ら行ったもの)によりますと、このキャッシュレス化が高まった時代においても、今だに大きいサイズのバッグが求められていることを知って驚きました。

人によっては価値観は分かれるところですが、お財布だけがバッグの大きさを決めるわけではないのです。

ここ近年の「読書」文化の高まり1つとっても、本を1冊バッグの中に持ち歩き移動途中で読むということを想定しますと、本1冊分の容積が必要なのです。

その他、気象状況の変化で、いつまでも暑い日々が続くと、「日傘」を持ち歩くということはお財布をはるかに上回るサイズのアイテムがバッグの中に入るということになるのです。

「大は小を兼ねる」という言葉は確かにどんな状況にも対応できる考え方なのかもしれません。

思いの他「たっぷり感の容量」のバッグに対して「価値」を置かれていると見ることができます。

あとがき

バッグを作る者として、がっかりした経験と同じようなことは決してしないことを誓っています。

模倣やコピーの企画・製作はどちらかというと「プライドを落とすような行為」だと思えてしまい、そうした製造をする自分を誇りに思えないのです。

本来は、独自の表現でなければ受け入れられなかったはずのことではないでしょうか。

品物の購入者様やユーザー様も一緒に考えなければいけないことだと思います。

「入れ物」としては今後も必要な「機能」であるバッグ。

意味や理由をよく考えた姿で残していきたいものです(^-^)。

書き手:picturesque(ピクチャレスク)

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まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説」を映画館にて観賞。

ファッション系の事業のほんの片隅に携わる者として、ファッション映画を時々観賞し、思うところをブログ記事にまとめています。

有名デザイナー様が次々に映画化、この方も世界中で有名になった貢献者。

このたびは、事業の実りと人の一生を絡めた見方で、思うところを綴りたいと思います。

1つのブランドの永続がいかに難しいかということ、実るまでも1世代のみではなかったことも衰退もある中で「継承」の大切さもある

「マリー・クワント」様の旦那様の支えが大きかったと伝えられていました。

明るくマーケティング上手な周りの支えの1つ、成功の影には自分以外の大切な協力があるのです。

旦那様が50歳代で1990年に亡くなります。

特に日本が大部分の市場であったことからだと思うのですが、最終的には事業を日本企業に売却済の現在とのこと。

ブランド存続の危機の究極な場面で、魂の領域にまでに考えた「せめてこれだけは。。」というたった1つのことは何だったのか。。考えに考え抜かれたことだと思います。

これまで長きにわたって思い続けた「精神」を他企業様によるブランド継続に託したというような形に見えました。

今までの苦労や込めてきた思いをすべてその「精神」に詰め込んだと言えます。

とても切ないですが、ブランドの存続だけを一番に選択した判断。

自分が考えてきたデザインや製作は自分で見届け管理したいと思うものですが。。

しかし、現実としてそれが受け入れられなくなった時に、終了してしまわずに、それでも続けていける方法があるのか。。

これを考えると、一見矛盾しているようですが、「手放す」ということも実は「存続」につながることがあるのです。

そんな究極な姿なのではないかと思います。

一人の人間の一生の中で物事が華やかに達成されることは本当に恵まれています。

某有名ブランド様は「前世」が靴屋。

その時代は日の目を見ることが無かった地道な靴屋としての活動で一生を終えた人物がいたということ。

そして、同じ魂が次の世代で世界的有名ブランドとなったというのも、いかに人間の一生などはかないものなのか。。ということになります。

「継承」こそが大切、その良きバトンタッチのようなものがあってこそ、長く創業当時の「精神」が続いていくのではないかと思いました。

そういった意味でも、「マリー」様の最後の選択は良い選択なのではないでしょうか。

この映画公開のおよそ半年後、ご本人がお亡くなりになっています。

あとがき

「今後こんな優れたデザイナーは生まれないであろう」などと言われ、そのロゴやブランド名のみが継承されていくことがあります。

ご本人のデザイナー様がお亡くなりになってもその後ブランド名が存続するのは、継承の1つの姿。

それは元をたどれば最初の創業デザイナー様の「魂」がいまだに生きているということなのだと思います。

継承もただの商業目的では決してこうまで続いていないはず、いつまでたっても創業デザイナー様へのリスペクトありきであるべきで、実際にそのような気持ちで継承されてほしいと思います(^-^)。