「美しさ」は目に見える形や色だけじゃない、日常に馴染み当たり前に機能し「文化」のように根付いた姿に溶け込んでいる【985】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

1か月に1度くらいの割合で図書館で本を借りています。

本は過去に本棚にストックしていた日本文学本を含む世界の文学の古本を集めたものが300冊ほどあったのですが、読み切れず嵩張り、一度手放しました。

その後は、本を所有しないということに決めています。

わずかに手元に置いている本というのは、生地の事典のようなもの5冊程度。

このたびは図書館ライフの中で、「生活の美学を探る:横川公子 編著」を拝読。

その中から共感した、日本の家の玄関の作りにスポットを当ててお話致します。

玄関の木製の段差「上がり框:あがりかまち」は、来客にお茶を差し出し、もてなす場所であった

このたびの本は、項目ごとに書き手様が違うというもので、同じ「生活の美学」の言葉を共通に、それぞれ切り口が違っている点が面白いです。

いろんな角度から美学についてのお話を聞くことで、バラエティー豊かに学べました。

この中で、古い日本家屋の作りである、「玄関」の様子に注目致します。

かつては、来客を玄関でもてなすことが多く、玄関という1つのお部屋と言っても過言ではなく、「もてなし空間」なる場所であったのでした。

実家も、やっと2023年に立て直しをしたのですが、それまでは、随分昭和の作りの家でした。

玄関もそこそこ広い空間で、タイトルのように「上がり框:あがりかまち」はしっかりありました。

実際にあの段差にお客様が腰を掛け、あの場所で会話や押印まで様々なコミュニケーション、時には契約の場所だったのでした。

昭和の玄関と聞くと、「土間」という言葉を思い浮かべ、最初はあの段差も土間の一部だと思っていたのですが、正式な土間の場所は、段差の下の面、玄関の底分全面のみを指すようです。

一人暮らしのマンションにお住まいでも、無縁ではありません。

これまで2箇所のマンションに住まわせていただいておりますが、2つとも、かつての「上がり框:あがりかまち」の名残であるような10cm程度の段差がありました。

あの段差があることこそ、お部屋と外の境界線がくっきりとしている、日本人の靴を脱ぐ習慣にリンクする場所ではないかと思うのです。

現在の新築の家屋であっても、10cm程度でも段差があることの方が多いと思います。

あとがき

「美学」などという素敵なワードは、一瞬背筋が伸びるような言葉ですが、実は、暮らしの工夫や身近な文化の集まりだと思いました。

ここ近年、身近な当たり前のことこそ大切なのではないかと目を向けていまして、余計にこの本を手に取ってみようと思ったのがきっかけです。

当たり前のことの素晴らしさは、美しさに繋がり、決して表面的な言葉ではない「美」という言葉の深みをもたらします。

何か意味があってその形や構造になったわけで、このことを知っている製造者側からユーザーへの確かな伝達が重要です。

「そうならないとどうしてもいけなかったからそうなった形」というものは、究極の場面を通り抜けてきた意味や理由の詰まった姿なのです(^-^)。

じっくり最初から最後まで一読する以外の読書方法、ぱらぱらとめくるだけ、目次からのピックアップ部分のみなど本当はルールなど無い【878】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、4冊の本を手にしました。

そのすべてをじっくり読んだわけではなく、おおざっぱな読み方も含めて、少し触れただけというようなものがほとんどでした。

それでも、一部分から知識は得られるのです。

小説などストーリーの結末が待ち遠しくて、気づいたらサクサク読んでいたというのも楽しい1つの読み方であり、1冊を隅々まで読んでいく読み方であることが多いです。

一方、読み方はそれだけではなく、目次からのピックアップの読み方やページ内のピンときた部分だけを読むパラパラ読みのような読み方もあるようなのです。

このたびは、前者の最初から最後まで一読した本と、後者の部分的な読み方を比較して、その読書の仕方の違いを体験した感想を述べたいと思います。

じっくり読んだ本は、深堀りしたい専門分野のファッション関連の本

ファッション系は得意で好きな分野なので、入り込みやすく、じっくり読んだ本に当たります。

「ビジュアル博物館 服飾:L.RAWLAND-WARNE 著」

です。

洋服の起源がどこにあるのか、などが興味深く、図鑑のようなもので、シリーズが分野別にいろいろありました。

服飾という文化をまとめた視覚的な読み方もできる本。

本来なら博物館でしか見られないような超ビンテージ級の洋服をカラー写真で掲載。

薄い本ですが、アイテムの名称などが確実に分かり図鑑のよう、洋服の細かなパーツに関して知識を深める際にはお勧めです。

じっくり読まない、パラパラとめくっただけの本やピックアップして読んだ本は、図形や物質の超専門的過ぎるほどの本

「美しい幾何学:谷克彦 著」。

この本は、ハンドメイドバッグに多角形を取り入れていて、その時はインスピレーションみたいなことで8角形を採用したのですが、他にはどんな図形があるのかなどその8角形の位置付けなども含めて読もうとした本。

しかしながら、図形は必ず数学の分野の式が入ってきてその羅列みたいに感じで、じっくり読むことに早くもお手上げ。

パラパラとめくるだけにとどめました。

少し興味のありそうな場面に目を止めて読んでみるのみといった読み方です。

それでも手に取って本を開けることをしなかったこととの違いは随分なものだと思います。

目を止めたヶ所というのがそもそも頭に入りやすいような興味あるポイントだと思うので、そんなワガママな読み方もよいのではないかと。

過去に歴史的な有名学者様達が証明してきたことが図形のスタートとなっています。

建築の分野に利用されることも多く、建築に引用されている形などの例がとても興味深いです。

2019年の本なので、読書離れをある程度意識し、見やすく分かりやすいはずです。

書庫内の古い本も一度手にしてみましたが、どれも見ることさえためらうような文字と図の羅列で、キャッチ―ではなかったです。

本も、全体的には分かりやすい読み物となって読まれるよう工夫されてきた変遷が見て取れます。

そして、「新しい物質の科学 改訂2版 身のまわりを化学する:鈴木孝弘 著」。

2つの科学と化学を使い分けたタイトルが興味深いです。

この本ではピックアップ形式で、「宝石」の事が書かれているコラムの部分1ページと、「繊維」についての生地の章のみピックアップして読ませていただきました。

「図解 ねむれなくなるほど面白い化学のはなし:科学評論家 大宮信光 監修」。

↑最後は、この本です。

タイトルが大変ワクワク感がありますが、とても身近な様々なことを集めていて、Q&A形式の書き方なので持っている疑問にも当たるものもあった親しみやすい本です。

「カーナビはなぜあんなに良い働きをしてくれるのか」などとても身近な例ばかりの集まりです。

後半の3冊は、ほとんど読んでいないような感じもしますが、目を通したり、ピックアップして一応目を通したのです。

・ぱらぱらとめくってピンと来た箇所だけじっくり読んでみる

・目次を見て興味のある章だけ読む

以上の読み方が部分的な読み方の例で実際に読んでみた読み方でした。

このいい加減そうな読書の「部分的な読み方」、実は考え方によっては「受け身ではない読み方」と言えます。

自らスポットを当てて能動的に読んでいると言えませんか。

あとがき

結局のところ、その先に、1つでもアウトプットできるくらいの知識として何か得られるものがあれば、どんな読み方でも構わないのだと思います。

こう思ったらどうでしょう、本もそうですが、すべての情報に対して、「インプット」したものは、いずれ何らかの機会に「アウトプット」するということを。

そう考えたら、アウトプットがあることで、更なるよいインプットという循環もでき、日々の生活、更には人生までに及んで良い流れが出来てくるのではないかと思います(^-^)。

複数の可能性の「パラレルワールド」から1つを選択してきた姿が紛れもない「今」、過去の栄光や未来への不安よりも大切なのは「今」という瞬間【843】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

現在「日本経済新聞」の夕刊のみを定期購読中(休刊日のみ朝刊)。

このデジタルの時代にも新聞と本は紙ベースを継続。

実際に本自体の紙製の感触も「味わい」として価値を置いていまして、アナログならではの特別な瞬間のような気がしています。

新聞と言えば、朝刊も夕刊もそれぞれ一番最後の面の一番下に小説が掲載。

およそ1年間くらいの期間の連載になっています。

2021年の大部分、夕刊に「ワンダーランド急行:萩原浩 著/タケウマ 絵」が掲載されていたのでした。

毎回真ん中に1つ「挿絵」入りという点が字がぎっしりの単行本との違いで、これまた新聞特有の構造ではないでしょうか。

このたびの物語は、歴史小説などとは違った親しみやすさが確かにあります。

タイトルに惹かれて手にしてみたという能動的なケースとは違い、新聞の連載は割と受動的。

新聞を読み終わった最後のあの位置に配置という意味もあり、だからこそ特別な機会だとも言えるのです。

「バックトゥザフューチャー」や「仁」のようなタイムスリップが軸、複雑なパラレルワールドの存在が意味するもの

過去に戻ったり、未来を見たり。。これは永遠のロマンかもしれません。

映画やドラマではそれが再現されていて、とても魅力ある場面切替になっています。

このたびの連載も、この「タイムスリップ」というのが軸になっています。

ただ、パラレルワールドの数の豊富さも特徴。

もやっとしていたタイムスリップの構造しかイメージが無かったこれまでに、パラレルワールドの仕組みみたいものの解釈を伝えてくれました。

そして、ところどころに盛り込まれる「格言」のような強い文章が印象的でした。

全体には、とても読みやすい文章で、洒落も効いていて、身近な題材もふんだんに盛り込まれている、ワクワク感のあるストーリ―でした。

なぜあの結末だったのか、ハッピーエンドでもなさそうな結末に思うこと

こういった連載物というのは、新聞の最終日にストーリーの完結を合わせていかねばならないのだと大変さをふと思いました。

第三者がどうこう心配することではありませんが(^_^;)。

最後の場面は、「あれ?」というのが率直です。

これは、ハッピーエンドなのか、それとも。。

あとがき

読書は、2018年個人事業主スタート時点から図書館へ通いながらファッション分野の勉強を兼ねて、服飾関連を中心に読み始めてきました。

その後、他分野からのヒントというものも、大いにあるということを知ります。

幅広く、あえて特定せずに読書をすることがかえってヒントを得やすいものです。

さて、このたび連載を読んで1つ思ったことがあります。

今あることのありがたみとか感謝というのは、別の世界を見て気づくことも大いにあるのかもしれないということです。

不思議な体験をした主人公は、とても貴重な経験をした一人。

ありふれたかのような日常は、実は自らが作ってしまっているもの。

素晴らしい日常になるのも、淡々としたつまらない日常になるのも「今」を懸命に常にひたむきに100%を行動していく本人次第なのだと。

フォーカスするべき場所は、過去の栄光や未来への不安ではなく、「今」という瞬間なのではないでしょうか。

当たり前のことにこそ感謝し、良いも悪いもしっかりと「今」をまずは素直に受け止めることの大切さを考えるきっかけをいただきました(^-^)。

ブランディングはマーケティングの更に上のフェーズ、長い時間をかけて築き上がった結果的なものなのではないか【838】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、気になる「ブランディング」ということに目を向け、1冊の本を手にしました。

2020年に初版の「必ず成果につながる商品ブランディング実践講座:村尾隆介 著」です。

この分野に長けている著者様ならではの本の構成がまずはユニーク。

ほぼ半分のみが文字、残りはイラストです。

いかに「キャッチ―さ」というものが大切かをこの本でもって証明してくれているかのよう。

お恥ずかしながら、売れてもいない段階で「ブランドネーム」を作り、更にRマーク(特許取得済み)まで入れていた早期の浅い理解だったのでした。

しかし、後に「ブランドネーム」など付いていなくても、その品物を見ただけで分かってもらえるような「観念」のようなものがブランディングなのではないかと思うようになります。

このたびは、この本の中にも紹介されていた「プレリリース」と「オウンメディア=自社HP」というブランディング手法について触れ、今の思いを綴ってみたいと思います。

まずは自社のフェーズをよく理解すること、身の丈に合わないような背伸びな間違った投資をする判断をしない冷静さも持っていたい

この本は、テクニックをそのまま真似して実践できるようにそもそも書かれているので、利用させてもらいやすい本だという印象でしたし、著者様もきっとそのつもりでしょう。

よく、本を読んだって直接効果はないということを聞いたことがありますが、そういったことに対する著者様の挑戦でもあるかのようにも見えたのでした。

とにかく、今後「ブランディング」を高めていきたい時点にあたってはまず一読はお勧めできます。

よく聞く手法も含め、いろんなブランディング手法をとにかく洗いざらい教えてくださっていると思います。

その中で、2点の事柄を引用させていただきながら、思うこととしてまとめたいと思います。

1つは「プレリリース」という方法です。

有名ではない者には縁のないような言葉だと思いがちです。

よく、映画とか大手の有名な企業が新商品をプロデュースした際に行われることで、メディア各社への伝達をするというもの。

ただ、これも、あながち縁遠いものでもないことが、自らの逆オファーで郵送などしてメディア各社にお伝えするというやり方です。

メディア各社というのは、「マスコミ」様とか「テレビ局」様。

巷で有名になってきたところを、お声がかかるのだと思っていましたが、実際は、逆に自らがお願いするという作業であり、メディアの発信の影響力に頼むという手法であることに驚きました。

ただ、無名の者が相手にされるかどうかというのは、75社中1社ご縁がある程度の少ない割合とのこと。

ここがもともと有名であることが有利な実態かもしれませんので、そこそこな知名度が前もって必要だと思えて仕方がありません。

あながち、「向こうからお声がかかるものだと思っていた」ということも間違いではないのかもしれません。

もう1つは、外国への販路を拡大していきたい場合について。

かつての伝統的な手法としては、見本市でお取引をスタートさせていくというのが定番であったようです。

しかし、現在は、「オウンメディア」という自社ホームページを充実させることで、ネットを通じて検索により見つけてもらうオファーのいただき方ができるということ。

考え方によっては、大手でも小さな企業でも、自社ホームページを持てることは同等です。

よって、昔からのしきたりのような妙な、有利/不利な敷居の高過ぎる条件が無く、非常に新しく平等なものだと思いました。

ただ、自社ホームページ内に、お買い物用のカートが当然設置されていて、お支払いも融通の利く、「クレジットカード」、海外用には「ペイパル」などのお支払い機能を準備しておくのが鉄則となるよう。

外国への販路は、そういった入金の面の「ルート」がそれほど豊富ではない現在です。

そして、「鎖国なのか」というほどの海外への発送手段の少なさを先日も知り、なかなか海外への販売も簡単なものではありません。

製作のハンドメイドバッグなどは、いつか海外の方へもお届けしたいと夢見ています。

あとがき

ブランディングは、ただロゴを作ることではないということがこの本を読んでよく分かります。

商品のパッケージ1つ1つに込める「言葉使い」自体の細かな工夫も大いに影響するということです。

とりあえず、今できることは、わずかながらも、他のライバル業者様達との差別化です。

「共有型のハンドメイドバッグ」や「本物志向のレンタルジュエリー」のネーミングに表れていませんかね!?。

これもほんの一部の小さな「ブランディング」になるのかもしれません。

違うデザインを新たに作ったとしても、「その特徴であればあの会社の新デザインなのでは。。」と思ってもらえれば成功です。

音楽の分野で、「もしかしてこの旋律はこのミュージシャン様の曲では。。」と思ったらそうだったみたいに(^-^)。

日常に転がる当たり前からビジネスが生まれる、同じコトやモノ、ヒトをも違った角度から眺めるための先入観や固定観念の除外【821】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

事業へのヒントに出会えればと、図書館で借りるスタイルの読書ライフの中で、マーケティング方面の本を時々取り入れます。

このたび「サイレントニーズ:ヤン・チップチェイス/サイモン・スタインハルト 著/福田篤人 訳」を拝読。

「行動観察:デザインリサーチ」のお仕事をされている著者様による本です。

マーケティング探究の1つで、人間の行動の特性などの研究のような分野。

日常の当然のように成り立っている部分を自分の視点であらためてとらえ直し、「なぜ」ということを追求していく人間の行動観察の分野を調査するというお仕事。。これを「デザインリサーチ」と呼ぶのです。

内容はなかなかのぎっしりと詰まった海外を渡り歩いた著者様ならではの豊富な実体験が本の厚みに表れます。

お客様は決してはっきりとした言葉で分かりやすく伝えてくれるわけではない、ほとんどが事業者側の「読み取り力」なのではないか

ここからは、自らのアウトプットになります↓。

「フィードバック」という言葉がありまして、実際に商品をご利用いただいた感想のようなものです。

レビューに記載された文字通りの言葉をいただけることも1つの「フィードバック」に違いないのですが、こうも思うのです↓。

むしろ、本当の気持ちは、心の奥にあるままで半分も伝え切れていないものなのではないかということです。

レビューの言葉そのものの裏にある気持ちこそが本当のフィードバックなのだと思います。

また、言葉には出さずしても、メールでのやりとりの中での「雰囲気」みたいなものもフィードバックにイコールと言うほどに重視するべきではないかと思っております。

実際にそうして「本物志向のレンタルジュエリー」をその名にふさわしい「本格派」に近づけていったのですから。。

決して、「このネックレスはレベルが低いから替えてほしい」などとはお客様は一言も言っていません。

にもかかわらず、そのような声が聞こえたかのような「感じ」を「物言わぬフィードバック」として受け取ったのです。

あとがき

いくつかの「顧客満足度」の要素のようなものがこの本の中に挙げられていましたが、その中にやはりありました、「信頼」という言葉です。

この言葉がとても好きで、会社員時代からずっと重視してまいりました。

日常のあらゆる事象の中でこの言葉の重要性があちこちうごめいていることを実感しています。

そう考えると、日常生活の何気ない1つ1つが整っていることも、事業のより良い方向に間違いなくつながってくるのだと思います、「日々の過ごし方こそ、事業活動の姿に表れる」ということです(^-^)。

新聞の一説より。。音楽と演奏シーンの組み合わせで生まれる新しい価値観、森林の中で演奏される「古楽」の演奏形態【793】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

先日一読させていただきました日経新聞(朝刊:日曜日)の一説、「THE STYLE]ですごく素敵な話題がありましたので、感想を綴りたいと思います。

古楽器がご紹介されていまして、その演奏と音色の素敵さが、組み合わせる演奏場所によって価値が高まるという事例でした。

コロナ禍でコンサートやライブが中止の中、間を確保しながら少人数が集まる形態はこの事象があってこそ生まれたアイデアだと言えるのかもしれません。

ピアノやギターが生まれる前の類似の弦楽器で演奏される「古楽」というものはどんなものなのか

「古楽:こがく」と呼ばれる音楽の分野があるそうです。

弦楽器を主に使用、ピアノの前身「チェンバロ」も含みます。

「クラシック」という分野は皆が知る音楽ですが、現在では希な19世紀以前の古い時代の古い楽器で演奏されるものを「古楽」と呼ぶようです。

記事の中に素敵な形のギターみたいな弦楽器も登場、初めて見るような形ではあったのですが、現在によく見る弦楽器と少し面影が似ていることもあり、形や音色が「木」が放つ自然な音色というような聞こえが特徴です。

実際に、YouTube動画の検索で楽器を演奏されている方の様子をアップされている動画が見つかり、その音色を聴くことができますので、とりあえず名前をご紹介しておきたいと思います。

まずは、ピアノに似た感じの古楽器ですが、

・チェンバロ

・クラヴィコード

と呼ばれるようなものがあります。

クラヴィコードはピアノよりも小さなもの。

そして、ギターに似た感じの古楽器は、

・リュート

・シトール

というものがあります。

「リュート」は、琵琶みたいな形で、ショート丈のフォルム。

「シトール」は、ギターよりもスタイリッシュなとんがり部分を含んだデザインの楽器。

ギター以外にそんなに古い楽器があったとは、初めて知ったことです。

そして、現在も一部では製作をされているそうで、その実演の機会があるのです。

コロナ禍で生まれた、少人数の「デリバリー演奏会」、音楽が演奏シーンによって価値が高められるヒントになる

コロナ禍でいろんなコンサートや演奏会が中止になる事態が起きました。

もう大勢の人が集まる演奏会が難しくなったのです。

そこで、少人数ながら特定の場所でデリバリー演奏会というのが浮上。

森林で行われるのがとても効果的な古楽器の古楽演奏会。

森の中は、人間にとってとても心地の良い癒しの音がたくさん詰まっている宝箱のような場所であるとのこと。

そこに相まってささやくような静かめの音を奏でる楽器である古楽器の演奏がマッチするようです。

是非体験してみたいと思いました。

古い楽器の音は実際にはどんな風に聞こえるのか、ロックやジャズの音楽とは違った良さが発見できるかもしれません。

あとがき

ヒーリングミュージックにも注目しています。

他の分野の音楽にはない音の運びのようなものを感じることがあります。

ここで余談ですが、最近知った、「喉歌:throat singing」。

モンゴルとか、ロシア近隣の地域の共和国などの人々が発する歌声のようなメロディーがとても心地良く聞こえました。

「thorat singing」にも伴奏に弦楽器が使われています。

この分野に絞っても、更に地域が違うと歌の雰囲気も随分違うことが、ある程度聴き比べるほどに「mongolian music」にはまることで知っていきました。

まだまだたくさん音楽の種類が世界中にはあるのだと思います。

このたび新聞に掲載の自然と一体化して聞くような音楽も、今までその存在すら知らなかったところから、そういった演奏シーンを通じてもより知られていき、認知度が広がっていく可能性を感じます。

その音楽がどこで奏でられるのかで確かに随分印象が変わると思います。

「組み合わせ」ということのヒントにもなりました(^-^)。

あくまで自分のみの利用、このデジタルの時代に新聞の切り抜きを集めアナログ冊子を作って読んだ、あるファッションデザイナー様のコラム【776】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

よく、「これは、永久保存版ですねえ」などと口では言うものの、実際に永久保存している例がいくつあるでしょうか。

デジタルの時代、いつでも閲覧できる可能性が高まり、保存版という言葉が、口頭だけの文句になっているような場面も見られます。

それは、安心感というのか、コンテンツが消えてしまう可能性が薄いことが定着したからなのでしょうか。

そんなデジタルな時代ながらも、アナログなコンテンツ作りのご紹介をさせていただくのがこのたびの記事です。

実際、未だに新聞もペーパーの状態で読んでいますし、本も何かデジタルが落ち着きません。

よって、保管はしないが紙ベースで読める「図書館」の利用をさせていただいております。

その図書館、実はあるフロアには新聞のコーナーもあります。

ある時、ふと新聞の「コラム」を切り取り、「冊子にまとめたい」と思うことがありました。

少し手遅れだったのが、古新聞として使用済みの分もあったので、すべてを集めるということをするには記事が無い部分があったのです。

その際に、足りなかった「回」の分だけを図書館の新聞とコピーを利用させていただき追加して全記事を集めるという体験をしたのです。

新聞の中にある興味あるシリーズを集めて冊子を作った例

新聞の中身というのは、大きくは、「政治」「経済」「文化」「産業」「社会(事件)」などの細かい生地が寄り集まって出来上がっています。

新聞の種類にもよりますが(「日本経済新聞」の夕刊を購読)、おおわくそういった身近な生活にかかわる内容ですね。

その中で、シリーズものの「コラム」も数多くあり、それぞれの記事の一部分ずつを担当のライター様がコンスタントにアップされて新聞が埋まっているのです。

結構芸能人の方などもある一定の期間担当されているのもよく見かけます。

そんな記事がわんさか集まった新聞という大きなコンテンツの中で、是非これは価値のあるものだと思ったシリーズがありまして、ある一定の期間、毎日の新聞に掲載されていた切り抜きを集めて、1つに冊子にすることを決意。

内容などは著作権の兼ね合いで一切お伝えできませんが、そういった作業の例としてのご紹介になります。

ある有名ファッションデザイナー様のコラムでした。

図書館でコピーしたり、実際に新聞から切り抜いた記事とのミックスでA4にまとめて、1つの冊子にしました。

すき間を確保してコピーして、右端1cmの部分に糊付けして、最後に表紙と裏表紙を糊付け。

布ガムテープ(巾2cm程度)で背面を覆います。コピー代のコストは¥200程度。とてもエコノミーなコンテンツです。

これを本みたいに読んでいきました。

自分だけのコンテンツでの利用にとどめ、人に貸したり、ましてや商業利用で内容をYouTubeやブログにアップは禁物。

その辺りは「著作権遵守」ということで、自分で楽しむ範囲に限られた行為となります、くれぐれもご注意くださいね。

自分だけのコンテンツなならでは、マーカーなども自由に引けます。

その内容が自分が著作者のものが結局は「本の出版」ということにつながるのだと考えたら。。現在は本の出版の間口は決して狭いものではないようです。

ところで、ここまでの事をした理由は、やはり、新聞のコラムのデザイナー様が超ビッグな人物だったからなのでした。

「Yoji Yamamoto」様です(^-^)。

あとがき

料理のレシピでいうと、このメニューを作るなら必ずこのレシピなどのストックは有効です。

ほとんど、ネット検索で、その場だけの利用のレシピであることが多いのですが、実際は、あの時の味付け良かったなあ。。などと同じメニューでありながらレシピそれぞれが別物である思うことも多いということです。

パソコンのブックマークには何も保存していなかった場合、行き当たりばったりのネットのあふれかえったコンテンツから同じものを探し出すことが大変。

何度も同じレシピで作り、記憶にとどめる例もカレーライスで行っていますが、何しろインドカレーのスパイスが10種近く入ったものを1つ1つ大さじだったのか小さじだったのかさえ危うくなっていきます。

しばらく作らないとそうなってしまうものです。

そうした経験からも、こういった切り抜きの冊子というのも悪くないと思っています。

デジタルの時代だからこそ溢れすぎて1回限りになってしまう可能性もあるデメリットもあるわけです。

ということで、コストがコピー¥200程度におさまった、本よりははるかにエコノミーなコンテンツを自分で集めて自分用のみに作ってみるという例でした。

この自作の冊子が後の考え方や意向に影響を及ぼす程のきっかけが詰まっているのであればなおさら、この作業も意味があったと言えるのかもしれません(^-^)。

あるファッションデザイナーの映画、自分らしさに素直に向き合い大切にしていく人の最終決断【748】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

おそらく、ファッション関係のお仕事に何らかの形で携わっておられる多くの方がこの映画を興味深く観賞されたのではないでしょうか。

「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」を観てまいりました。

一切、メディアにお顔を見せられないということがミステリアスであると言われてきた「マルジェラ」様。

引退して10年以上が経過した現在もなお伝説のファッションデザイナーとして語られます。

この映画を観て考えました、なぜこのように人々に広く知れ渡り続けている人なのかということの本質を綴りたいと思います。

なぜまだまだ活躍が望まれるような時期に早期引退をすることになったのかということを感じ取った

年齢や健康のことではない引退であることはだれの目にもそう映ったと思います。

この辺りは、デザイナー様がゆくゆくは直面するようなことなのかもしれません。

名が知れていない間はがむしゃらにある地点を目指して自分らしく山を登って行けた。

知名度が上がるにつれて、大手とのタイアップなどのお声がかかり、専属的に安定的にお仕事ができたことが大変喜ばしい一方で、自由というものがいろんなしがらみによって奪われ、窮屈になっていくということです。

そんな中での限界とか行き詰まりを感じたのではなかろうか。

自分らしい自由なスタイルをもう一度すべてをリセットして取り戻すための引退であったと思えて仕方がありません。

引退後でもなお語り継がれる存在であり、広く人々を惹き付けた存在になった理由を考えた

1かつての駐車場や空き地を使ってのファッションショーという通常では考えられない場所が斬新であったりしたようですが、これが、自然の自分の思いだということ。

イメージの戦略などというものではなく、人物の性格をそのまま表したような場所。

自分の思いを実直に形にした結果がそういったきらびやかなファッションショーの舞台に違和感ある「マルジェラ」様ならではの心のままのスタイルであったことの表現。

高価なビジューや素材をあしらうドレスのようなものではなく、時々リメイクなども取り入れた日常的な庶民的な感覚から生まれた作品も我々に近い存在として感じるもの。

かねてから、現在のサステイナブル的な要素を取り入れていたという点なども、当時はかなり何歩か進んだものだったのでしょうが、今の時代にはまってきた、理解されてきたということなのかもしれません。

ここ近年の展示会でもこぞって人々が詰めかけたのも時代とのマッチを感じます。

あとがき

デザイナー・作曲家などのアーティストは、何年も先を予見するようなことを今、先陣を切る形で表現するという部分があります。

その当時理解されにくくても、後になって広く知れ渡ることも、亡くなった後にたくさん聞かれる音楽は多くの人が知るところ。

このたびの映画の主人公「マルタン・マルジェラ」様の存在も、知ったのがここ数年前のことです。

顔を世に出さずしても、作品の力が活躍して、メディアだらけの環境も相まって今後ももっと知れ渡っていくのではないかと思います。

「これは自分のスタイルとは違うのだ」という違和感をとても大切にされている方だという印象です。

自由な環境でのびのびと作品を作って行けることが本当の自分の幸せでもあることを最終的に見直し引退を決断されたのだと思います。

アーティストも随分儚いもの、商売付いてしまうととたんに縛られ退いてしまう方向に向かうことがあるなんて。。いやはや無常なことです。

ただ、間違いなくファンは知っているかと、儲けや商売よりも我々に作品を通じて常にメッセージを投げかけていたことを。。

滅多に微笑まない人だ、ドキュメンタリー映画の中のその険しい表情から感じ取った「不服」【737】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ファッション関係の映画を積極的に観るようになりました。

他の分野の映画も、もちろんそこからのヒントが斬新だったりすることもあるかもしれませんが、ファッション関係のあるお仕事をさせていただいている以上見ない手はありません。

今回「ココ・シャネル 時代と闘った女」を鑑賞。

1時間足らずの映画であり、ショートの部類です。

見た後の何かずっしりとした重み、この重い気持ちこそがこの映画から感じたことでした。

自分の生い立ちなどを語りたがらなかった主人公の代りに映画が語ってくれたこと

「ガブリエル・シャネル(通称「ココ・シャネル」)は、その眩いまでの成功によりたくさんのスポットライトを浴びてきたかと思います。

しかし、この映画はむしろ、そのウラハラの、知られていないような部分に注目していると言えます。

これまで随分多く映画の題材にもなってきた「シャネル」様でありますが、このたびの映画化の意図が「みんなが知らないシャネル」というような部分を伝えたかった点にあったのかもしれません。

家庭環境に恵まれなかった辛く厳しい幼少時代のバネの跳ね返りが人生すべてというほどのものだった

よく、「苦労した過去をバネに。。」などと言われますが、まさにそういう一人が「ガブリエル・シャネル」様だと思います。

幼少期に親に見放され、修道院生活をしてきた孤児。

その辛い辛い体験から始まり、疑問だらけの満たされない日々を自らの強い決断をいくつか突破しながら脱出していき、成功への長い階段を迅速に駆け上ります。

決して、育ちの良い気品あふれた。。などという雰囲気ではない、どちらかというとやさぐれたようなタイプ(と思ってしまいました汗)、嫉妬深くて決して言葉使いが綺麗とは言えません。

先見の明ともいうべき、ここぞという分岐点を自分で感じ取り判断し、大きく舵を切っていくという手腕はこれまでスポットライトを浴びてきた部分で多くの人々から評価されています。

この映画が1時間もない短いものであるのも、「ガブリエル・シャネル」様がいかに人生を精一杯全力で駆け抜けたのかという疾走感がより伝わるよう。

完全ドキュメンタリーではない部分が多いですが、本人がマスコミにインタビューなどで語る姿はリアルです。

どちらかというと気ぜわしく、せかせかしたイメージのお話のし方なのです。

途中に大きな戦争があったり、亡命などもあったりで、そんな事情からか、故郷フランスではなくスイスにお墓があるようです。

あの納得していないような表情は何なのかを自分なりに解いてみた

本当のことは本人しか分からないものですし、特に幼少の頃のことは隠し通していたとのこと。

隠して語りたがらなかったところに答えがあるような気がしています。

その映画の中に出てくるご本人の表情が決して幸せに満ち溢れた笑顔では決してないことがとても引っ掛かりました。

あれだけの成功をおさめていながらもなぜあのような表情をしているのだろう。

功績とのあまりのギャップに疑問は、ますます高まります。

「たった一人で時間をかけて下から這い上がっていくタイプ」なのか「他の人の力を借りながら迅速に登っていくタイプ」なのか。。いずれも同じ成功という結果です。

「手相占い」にも運命線がどの位置にあるのかで、その両者が分かれるとのことがよく語られます。

どちらでも同じゴールなら良いですし、力を借りた人に感謝して「ありがとう、おかげ様で。。」という言葉や気持ちがあればたどる運命が違った道順だっただけ。

運命を切り開いたのは良き人物との出会いや素晴らしい直感などです。

幼少の頃の疑問、「なぜ親は自分を捨てたのだろう」という解決ができないまま、その子供の時の強い疑問を持ったまま大人になっていってしまったという点が非常に悲しく、心の奥の未解決部分だったかと。

そのことを忘れるかのようにがむしゃらにお仕事されていったのかもしれません。

現在も存続の一大ブランドを作った人の本当の気持ちという視点で少しだけのぞいてみました。

名前だけの一人歩きもある現在では、その華々しい功績が語られることだけが多いですが、その生い立ちがバネになった結果であると考えると、「闇」の部分「心の奥底」の部分も成功と同じくらいの対極にある真っ暗闇なのだと。

そういった意味で、この映画は重要なスポットにご注目されたのではないかと思います。

あとがき

「シャネル」ブランドは、特にアメリカでは大きく支持された点も誇らしき功績。

他の皇室ご用達の伝統ブランド、貴族財であったアイテムを作ってこられた数々の「ハイブランド」様との違いが「シャネル」様にはあるのでした。

最初から良い位置付けに恵まれたブランド様とは違って、無名時代があり、底から登って行き、現在に至ってもそれらの伝統ある御用達ブランド様の数々と肩を並べている存在感の維持が素晴らしいところ。

当の本人が語りたがらなかった隠し通した幼少期の不遇時代。

現在のここまでのファンの多さとブランドの継続をどこかで見守り、どうぞ「微笑み」を浮かべてくださればと思います(^-^)。

少量の希少価値の高い高級バッグと共に多数の普遍的な格安バッグが同時に存在する理由の発見【730】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「ブランドの条件:山田登世子」を拝読。

単純ながら「とにかく面白かった♪」という第一声です。

「有名ブランド」様の例がピックアップされていたことでイメージもわきやすかったです。

本の一読により、1つとても興味深いことを教わりました。

その知識から思うことや考えを自らの言葉をもってまとめたいと思います。

模倣デザインあってこそのオリジナルデザインの価値が高まる、このことをオリジナルデザイン考案者は心の奥底でどう思うのだろうか

「一流ブランド」様、「模倣」に対しては非常に厳しい取り締まりをされているようです。

真似されることで、苦労してオリジナル商品の企画に込めた美学などが曲がって伝わってしまったり、軽々しく扱われたりなど、とにかく大切な宝である「権利の侵害」の際まで波が打ち寄せられるからです。

しかし、模倣されるという時点で、模倣される側の価値も同時に認められたということにもなるのです。

この妙な矛盾がとても興味深いことです。

もし、模倣品のない高級品の希少価値の高いお品だけで、こうも注目されるのかどうかです。

それはやはり、模倣品のマスへの広がりにより、本家の存在価値が改めて認められるということだと思います。

元々品数が少ない、いや、少なくしかどうしても作れない高級品もマス向けな模倣品と共に生きる運命のようなのです。

恐ろしいまでの矛盾なのですが、それが実体のようなのです。

ただ、取り締まりが厳しい所からは、高級品の製造側・企画側からすれば大変迷惑なことだと考えているのでしょうし、広く広がることに一番に価値を置いているわけではないと言えます。

そのプライドと気高さこそが高級品を作る「ハイブランド」様の姿でありスタンスでもあるのです。

よって、高級品と模倣品の共存は相容れないスタンス同士でありながらも共存として成り立っている自然の姿をとても不思議な現象だと見ています。

では、YouTubeを貼りますが、動画内では、アメリカや日本がハイブランド様の販売先になった理由をお伝えしています。

世界を股にかけて広がった理由に、長きにわたる培った伝統を守るだけではない別の「読み」があったのです。

あとがき

今回の本の著者様は、とても優れた文筆家といった印象です。

以前にも「シャネル」ブランドについての本を読ませていただきました。

文章のタッチが時折ダイナミックな点に特徴があります。

いかに「ハイブランド」と「その他のブランド」が大きく違う点なのかが分かります。

激しい位置付けの開きがあり、その極端なまでの差こそが互いの事業が成り立っている隠れたバランスなのではないかといった見方をしています。