最低限や普遍性こそが意外にも「かっこよさ」の根源なのではないか、着飾るコーデを見直したすっきりとまとめるコーデ【1372】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「江戸な日用品:森有貴子 著/喜多剛士 写真」を読ませていただきました。

このタイトルの「な」が「の」ではないところに著者様の思いが入った深みを感じます。

江戸後期に大衆に広がった文化、これを継承した当時開業の老舗が現在でも江戸の中心の町東京の「日本橋」で営業中。

ただ、この本も2013年に発行の本なので、そこから約10年、やはりその中で「2011震災」や「2020コロナ」を無事乗り越えることができたのかどうかというところが気にかかります。

大小規模かかわらず、2020年以降はかなりの老舗も苦戦。

そこで今、ネットで拝見しますと、この本の中の老舗の1つが元気に継続中であることを拝見。

ネットでググるとすぐに登場し発見できるということ自体、現在のネット販売の流れの波に乗っているということがまずうかがえます。

このように時代の流れにもちゃんと乗っていくということこそ、江戸の日用品文化発祥からは150年以上経過した今もなお継承できるその理由の1つ。

もう1つには、そのお店でしか買えないお品物という完全特化型になっていること。

見込み客としてはネットと何ら変わらぬ全国展開、ネットと反対のような部分を持つ実店舗ならではの存在感もよく考えた形態が非常に上手いと言えます。

ただ、その貴重な存在になったことには、品物がどんなものであったのかということこそ最も大きなこと。

このたびは、長年受け入れられるお品物の理由を考えながら「機能美」の圧倒的な価値について綴りたいと思います。

装飾はどこまでも無限、むしろその逆を行くミニマムに装飾を落とした最低限の「機能美」の魅力、これがむしろ「粋」を作っている

この「機能美」というのは重要なキーワード。

この本の中で箒(ほうき)を販売しているお店が紹介されています。

例えば、なぜ箒(ほうき)はあのような形なのか、ということは、そうなるべくしてあのフォルムになった素直な姿だからです。

もっと違う形になってしまっていたらどうだったのであろうかということを考えると、その姿は「極限」のフォルムなのです。

もうそれ以上は表現しようがない必要最低限の姿、そして、掃除をする時の「掃く:はく」という機能を十分に果たしてくれる価値があるのです。

「モノ」である以上、ファッション分野のお洋服も同じこと。

最低限の最もミニマムな姿である「貫頭衣:かんとうい」という原始的な作りのワンピースは、「粋」だと感じるのも頷けるのです。

あとがき

こうして無駄な装飾や機能をそぎ落とした最低限なシンプルさこそがかっこよく素敵であると考えられます。

現在も何百年前と変わらないその姿で存在する伝統的な日用品が、完全にそれ以上変わりようがない行き着いた極地の姿であり、同時にそのことを理解されたお品物であるということになります。

当たり前に使っているもの1つ1つを改めてよく眺めてみることも「百聞は一見にしかず」。

そして、これまで飾り過ぎて結局は混沌としてしまっていたファッション・インテリアを見直すきっかけになればと。

お洋服のコーデに悩む方は、「かっこよさ」ということがどんなことなのかを深みをもって考えてみることです(^-^)。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

イメージや想像の「のどかな風景・のんびりライフ」とは実状は違う、「モンゴルの牧畜業」の難しさの実態と食や自然の恩恵【1364】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

世界のいろいろな音楽を聴くことが好きです。

その中で、「ラテンミュージック」の明るく快活なメロディーやリズムが非常に好み。

もう1つ地域はもっと近い場所、「モンゴリアンミュージック」はここ最近注目している音楽です。

まだあまり知れ渡ってはいないのかもしれませんが、山岳地帯のような場所で奏でられるシンプルながら深みと響きのある音楽も神秘的で非常に惹かれます。

2022年辺りに初めて「喉歌:throat singing」という独特の歌唱法があることを知り、興味を持ちました。

一人の人間が同時に2種の声を出すのです。

1つは低めの声、もう1つは笛のような声です。

中国とロシアの間のあのモンゴルの山々や草原で響き渡るようなシンプルで美しいメロディーを是非一度聴いてみて下さいませ。

このたびは、このモンゴルの音楽をきっかけに新書の中で目に留まった、モンゴルの牧畜業の変遷と実態や課題について書かれた記録や資料的な本を拝読。

「現代内モンゴル牧畜地域社会の実態 -民主改革から改革開放初期まで- :仁欽 著」。

著者様がモンゴルの牧畜業を営んでいた地域出身であり、その実態を深堀りされ、資料や記録といった淡々とした文章から読み手にその実態を知らせようというスタイル。

特に考えや思いが述べられていることはありません。

多少読みにくいとか馴染みのない資料にある数字などの羅列のページもありますが、音楽をきっかけにこの本にたどりついたご縁として思うところを綴ってみたいと思います。

遊牧業者様達は、毎日動物とたわむれ自由な日々を送っているイメージとは裏腹に継続すら困難な実態、美しい地域があっても人が住めない理由

遊牧/移牧/放牧という少しずつ形態の違う牧畜業の中では、モンゴルが昔から行ってきた形態は「遊牧」であるそう。

つまり「遊牧民」と呼ばれる人々のスタイルの括りとなります。

これも、現在ではやはり大きく見ると衰退の一途をたどってきているとのこと。

ほとんどの人口が首都のウランバートルに集中(全体の2/3)、遊牧民の数というのはほんのわずかな貴重な人材です。

最初にこの資料的な本を読んで感じたことは、その自由で気ままなイメージとは真逆の実態があるということです。

かつては中国の影響を受け、その政策によってきっちりと統制され区分され、縦割りがなされた組織的な活動になっていると見ることができます。

見た目のイメージの広い敷地を自由に行き交うというものとは反対の、たくさんの法律によって決められた制限のある業態である縛られた事業形態なのでした。

そうはいっても、民主化という名目のもとに、これまで過去の課題を解決してきたという記録は確かにあります。

しかし、全体でみると本物の自由を手に入れたようなものではないのではないかというのが最終的な感想です。

この本のスポットが一番つらい時期(?):1950年代-1990年代後半に当てられていますので、またその後の変遷が現在も続いているかと思います。

ところで、モンゴルの遊牧民が住むテントのような白い円形の家の名前は「ゲル」。

移動式の住居ですが、あの作りがとても素敵だと思いました。

災害時の避難場所にあの作りをモデルに考えられるアイデアが記事になっているのを拝読したことがあります。

あとがき

ここからは、この本の中では書かれていなかった現在2023年の遊牧民の生活スタイルです。

YouTuber様の投稿で情報をいただきました、ありがとうございます<m(__)m>。

現在、モンゴル国内の牧畜業に携わる遊牧民は、「1割強」程の数というほんのニッチなものになってしまった様子。

牧畜の動物達の羊・馬はとてもかわいい表情をしておられました。

この地域では、ここから自分達の生活のためにお乳をいただき、時にはお肉をいただくことが生きるための食糧のルーツがくっきりとクリアで、有難くその恩恵を受けているというもの。

ネットが普及していない時代は、日本には今だに「忍者」「侍」も現存であると思っているようでした。

それほど他国の実態というのは分からないもので、表面のイメージによる固定観念が根強いものです。

せっかくの現在のネット社会であることもあり、本で読んだことを今度はピンポイント検索でネットや動画で見てみるという活動もよろしいかと思います。

このたびの資料的な記述では難しくて理解が半分以下であることを、読書後すぐにYouTube動画で検索したり、この本自体の感想があればそれもネットで拝読したりするなどの行動もよろしいかと思います(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

外国人様への説明だけにとどまらない、素晴らしい未来を作るために、日本人本人がまず自国の文化を客観的目線で眺めると良い【1353】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「日本文化の通になる スペイン語を話す人々のための日本事典Ⅰ :遠西啓太 著」を拝読。

この本の構造そのものがユニーク。

スペイン語圏、もしくはスペイン語を話す人々向けに書かれたものなのです。

ページの左面はスペイン語、右面は同じ内容を日本語で漢字に読み仮名がふられています。

よく浮かぶ本の構造のイメージは、日本語で書かれた本を「翻訳」という形でスペイン語に直されているというものですが、それとは真逆。

その点が斬新であり、スペイン語を話す人々だけにとどまらず、私達日本人が改めて自国の文化を知る必要があると思うことから手に取ってみたのです。

当たり前の日常に目を背けがち、当然のしきたりやならわしこそが外国人を魅了する日本独自の文化だと今更ながらに気付く

詳しくは本をご一読いただきたいのですが、私達日本人は、右面の日本語をひたすら読んでいくという読み方ができます。

およそ本の半分くらいの短いボリュームの文章量ということに結果なるのですが、その文章は大変魅力的。

これほどの切れ味の良い表現に読みながら感動し、第三者に自国の文化を説明する優れた表現方法です。

使われるワードや表現に関しては、この本の著者様の技術やアイデアの集結。

大切な自国の文化を魅力的に外国人に伝えることの重要性への強い意思表示を感じます。

世界情勢が非常にめまぐるしく変化し、自国の誇りも大切になってくるのでないかと思います。

意見をはっきり持つことで、強さを示すということはどんな場面においても大切なことだと思います。

そもそもこの日本に生まれついた私達がまずは、日本の文化を知り、その良さを強みに今後良い方向へと向かえることを望みます。

そんな中で一人一人できることを自然に継続していくことが生まれた国を誇りにもつことに繋がるのではと。

例えば、我が事業の事で恐縮ですが、「ハンドメイド文化」ということで考えてみます。

他国でも、アメリカのパッチワークやイギリスのスーツのクラシックな仕立てや良質な素材などそれぞれ持ち備えておられると思います。

ただ、それぞれの特徴は違ったものであるのは当然で、日本の場合だと「作りの丁寧さ・きめ細やかさ」などに特徴があるようなのです。

細部を細かく見ていくと、どの箇所も丁寧に作られているのが日本製の特徴だと感じます。

一見見た感じの類似品も多く、海外生産の「粗さ」が見られるお品物にはがっかりすることも。。

そうしたこととは対極にある手間をそもそもかけることに苦労をいとわない「精神」なども目で見て映るものではないけれど「感じられるもの」としてあると思います。

そうしますと、商品としてこれだと提示すること以上に、「無固形」「目に映らない精神などの分野」も同時に伝えられるという可能性が眠っているのです。

あとがき

読んでいる新聞にも、週に一度くらい日本の文化を英語で表現したコーナーがあります。

そもそもその由来はどこだったのかなどを深堀りしていくと日本人でありながら初めて知ることもあります。

自国の事こそ分かり切っていると勘違いし、鈍くなっているのかもしれません。

今後はそこを掘り起こして発展へ向かい大きく飛躍していくべき時が来るような気がします。

「文化」という分野は、毎日の新聞にもそのコーナーがありますので、自然に当たり前のルーティーンとして読むタスクを導入することをお勧めしたいと思います(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

たくさんの「無形」を挙げ商業利用をイメージ、今後の事業活動を考える時のヒントになった「概念・観念」に価値を付けていくという発想【1349】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「無形資産経済見えてきた5つの壁 :ジョナサン・ハスケル/スティアン・ウェストレイク 著 :山形浩生 訳」を拝読。

現在から見ると、新書で2023年7月発行の本です。

「5つの壁」が何なのかが最後まで読んでも全くまとまりませんでしたが、大切な話題だと思います。

全く読み込めてはいない読書ではあったのですが、考えるきっかけをくれた本として感謝したいと思います。

そして、今後大切にしていきたいことでもある「無形」のものが具体的にはどんなものなのか、なぜ大切にしていきたいかを自らの言葉で綴ってまいりたいと思います。

「無形」こそ身近であり今後大切にしていきたい目に見えない宝、まずは思い浮かぶ限り集めてみるところから始め、今後の事業活動に活かせないかを考えた

まずは、「無形」に当たるものが何なのかに誰もが興味がわきます。

ここで、ネットによる情報になりますが、羅列していきます↓。

「スキル・人脈・経験・技術・ノウハウ・資格・知識・友人・家族・ブランド・信頼・口コミ心の・心の健康」などです。

どれも有形ではなく無形である表現として、「この箱の中に入っています」と示すことができないものであるものばかり。

いずれも物体ではなく「概念・観念」みたいなものでしょうか。

これらの無形の言葉こそが頻繁に日常で使われる確かな言葉であることもこうして見てみると不思議です。

身近なことこそ大切なのではないではないかと、改めて着目しました。

自らが考える「ハンドメイドバッグのノウハウコンテンツ販売:ダウンロード型」はまさに無形

そもそもこの本の「無形」というワードに惹かれたのも、無形の商品を作っていく予定があるからです。

まだ本格的に販売してご購入には至っておりませんが、間違いなく準備と予定をしていまして、いずれ、ダウンロード型のコンテンツ販売をしていくことにしています。

このダウンロード型コンテンツ、実は「壁」も感じていました。

この本の「壁」に一致するところを1つだけ理解できましたのでご紹介したいと思います。

「spill-over:スピルオーバー」というワードが出てくるのですが、この意味ですが、元の直の意味は「漏れ出す」という意味。

商業でいうと、囲い込みができ切れず独自の資産だけにとどまらず、他への流出があるため、ライバル会社やその他の分野の違う企業が思わぬ恩恵を受けてしまうもの。

「棚からぼたもち」みたいなことが起きるのです。

例えば、そのコンテンツにまとめたモデルと同じバッグを写真や出来上がりの動画だけ公開してしまうだけでも、パッと見て真似出来て商業に取り入れることができてしまうのです。

ミシン技術がある人は、見るだけでだいたいこれまでのノウハウがあるのでパッと見で分かることも多いです。

そのことを長い期間にわたってじっくり考えました結果、出した結論があります。

それは、「著作権フリー・ぱっと見の真似も良し」という、「完全共有型」にするというところに決心が行き着きました。

どのみち、私の考案など美術品級の独特のデザインではありませんでして、最も実用的な身近なデザインなのです。

共有型なので、同じデザインやノウハウはみんなが知れるけれども、誰一人として私も含めて個人の固有の資産として秘蔵するこができないという意味になります。

そうはいっても、仮に著作権を主張したところで、独自のデザインと認められる結果には到底なりはしないと予想できました。

ある意味、考案者であるピクチャレスクもユーザー様と同じ目線であるところが、お高く留まらず平等なのです。

この思い通じますかね、ピクチャレスクはある1つの役割り分担を担ったに過ぎないという意味なのです。

あとがき

この先の未来では「無形」の目には直接映っていないものをより大切にしていくべきなのではないかと思うのです。

「スキル・人脈・経験・技術・ノウハウ・資格・知識・友人・家族・ブランド・信頼・口コミ・心の健康」は、どれも大きな意味で「価値」を生み出す根底にあるものではないかと。

ブランドバッグ1つとってみても、そのブランドバッグの「ブランド」ってバッグのどの部分?となると、必ずしもロゴマークの部分だけとは言いきれません。

しっかりとミシンを踏み込んだ「縫い」であったり、丁寧に作業された様子が全体の雰囲気として「良質だ」と感じるものです。

そうすると、その「縫い」の部分には、ひょっとして、「技術やスキル」が見えないところで入り込んでいたり、「良質」なバッグであることで、後のバッグ製造業者の「信頼」につながっていく1つの過程であったりもします。

末永い事業の継続やその後の発展も「目に見えない無形の力」こそが本当の意味では、実は「原動力」なのかもしれません(^-^)。

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書き手:ピクチャレスク

その美しいうねりはまるで丹後の海のよう、「丹後ちりめん」生地との出会いから興味を持って出会った「うらにし」の物語【201】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ハンドメイドバッグをコンスタントに製作しております。

これまでは、販売することを重点においての製作でしたが、現在はぐるりと方向転換。

ハンドメイドバッグを作る人との共有を目的とした、「共有型のハンドメイドバッグ」というコンセプトで製作しています。

今までの販売目的ではなかなか見えなかったこともこの共有型のスタイルにしてからは見えることも多く、良かったと思っています。

まだまだ十分に共有し切れていないですが、間違いなく一歩は踏み出したと思います。

今後も製作したものを、その原価から細かいワザまで、隅々まで引用のしがいがあるものとしてお届けできることが目標です。

さて、これまでいろんな生地でハンドメイドバッグを製作してきましたが、特にこの生地は本当に美しかったという生地が「凹凸感ある生地」です。

ジャガード、フクレ加工、風通加工などふくらんでいたり、でこぼこした様相が高級感や美しさを作ります。

その中で、「縮緬:ちりめん」もよく使わせていただいた生地です。

今回、ある1冊の本を手にしました。

それは、「丹後ちりめん物語 「うらにし」の風土と人間 :八木康敞 著」。

京都の北部の海岸寄りの地域です。

ここを、「うらにし」とざっくりと呼ばれていて、主に地方の呼び名のようなものです。

「弁当忘れても傘忘れるな」の海岸沿いの地方に言われのある昔からの言葉があります。

天候には非常に悩まされるのですが、それこそが、湿気の多い地域ならではのメリットとして「ちりめん」という収縮率のある素材が生み出されたのです。

ちりめんは、「湿気が多いと縮む」という特徴があり、湿気こそが製造に必要な環境だということです。

中央集権的な背景からその伝統産業を守ってきた歴史

ちりめんのライバルは、「西陣織」。

ちりめんは、「女工哀史」という記録にも書かれているようなよく映画になった蚕から織物を作っていく機織りの女性労働者達の低賃金での苦しい労働に重なります。

メイン職にはならないようで、副業的に女性が長時間労働をさせられ、へとへとになりながら頑張ってきた産業。

そんな時代に、「課税」が施行され、大きな農民一揆が起こっています。

今でいうブラック企業の分かりやすすぎる姿だと言えます。

一揆は反発です。そうして労働者達の権利や人権を勝ち取るべくみんなで一丸となった奮闘記。

今後のサステイナブルな時代のヒントになります。

無理強い、対等でない雇用関係というのはいずれ反発や崩壊が起きるのです。

華やかな中国から伝来の生地とちりめん生地との比較

ちりめんの製造も現在は衰退しほんのわずかしか残らない状況のよう。

私がやっと見つけた、この生地↓。

黒:ストレッチ丹後ふくれちりめん、ポリエステル/95%、ポリウレタン/5%、日本製。

「丹後ちりめん」と名乗られた生地はこれしか今まで出会っていません。

元の丹後ちりめんは絹製ですので、現代風の服地になるものです。

ポリウレタンも入っていてニットみたいな弾力性があります。

ふくれ加工もしてあるので、元のちりめんの姿からすると複合型の生地ですね。

次は、ちりめんのイメージに一番ふさわしいもの↓。

イエローベージュ:ちりめん、ポリエスエステル/100%、日本製。

まず、ちりめんと聞いてこのイメージが浮かびます。

複合型ではないシンプルなちりめんでもこのようにうねりが全体にあって美しいです。

糸の撚りが格段に多く、ハサミでカットしたその切り口の糸のほつれはめったに起こりません。

グレー:ちりめんジャガードプリント、ポリエステル/100%、日本製。

こちらは超複合型で、ちりめんに、ジャガードもプリントも両方組み合わさった豪華な素材です。

お出かけのブラウスやワンピースを思わず想像してしまう服地です。

ちりめんは、日本らしい和素材の1つですが、その他の和風な素材も元は中国から伝わってきたものです。

少し異国情緒あふれています。

・「蜀紅錦:しょうこうのにしき/しょっこうきん」・・・中国の蜀(しょく/四川省)で製作された錦(にしき)。仏壇の敷物みたいな装飾のイメージです。

・「繻珍:しゅちん」・・・繻子(しゅす)地に金銀やカラーの糸を模様で織った生地。上の蜀紅錦と同類。

・「緞子:どんす」・・繻子(しゅす)地に裏組織で模様を織った反転のようなジャガード。

・「綸子:りんず」・・・すぐ上の緞子に類似するが、もっとペタンコ(精練による)。

・「紗綾:さや」・・・上の綸子に同類。

呼び名は違いますが、それぞれ類似であったりするので、今のところはっきりした区別は私が出来ていません<m(__)m>。

ただ、これらと比較すると、「縮緬:ちりめん」はその見た目が明らかに違います。

上のキラキラした素材いくつかは金や銀などのカラーを豊富に使った装飾性がありますが、ちりめんだけは、シンプルな無地1色でもその凹凸感を表現してあり、最も素朴な織物と解釈します。

あとがき

この先、「丹後ちりめん」とはっきりと謳ってある生地にどれだけ出会うことができるのか。

おそらくわずかだと思います。

ちりめんも「ガチャマン時代」という1960年代の全盛期は過ぎた産業になってしまいました。

それでも、生地というもの自体がこの先も残っていくなら、是非この美しい特有のうねりのある粋な素材が残ってほしいと願っています。

「しなやかで強くて美しい」、そんな姿がとても素敵だからです(^-^)。

「生きがい」、この物資に恵まれた時代だからこそ持っていたい宝、著者様はこの本に対する情熱と執念をもってそれを示したと思う【1306】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「生きがいについて:神谷美恵子 著」を読ませていただきました。

かつてこの本が初版された頃(1966年)の1960年代では、まだまだ「ハンセン病」という感染系の病気が不治の病として存在していました。

伝染効果は少ないものの、各地の片隅の施設に療養するために強制的に実家を離れるということがあり、当時の正確な情報の少なさ・固定観念・横一列に並ぶ同じ考え方などが差別を生んでしまったと思います。

現在は療養施設に行くことなどの必要はなく、治る病として病院の治療で回復するようです。

それでも、当時からの継続で高齢者となりそのまま現在も療養施設で暮らされている方がいらっしゃるのです。

それほど根深い簡単には変えられない事態を作ってしまった苦い歴史です。

ある1つの療養施設の当時の1950-1960年代にかけてのルポタージュの記録部分が多く、「精神科医」であった著者様がその訪問を通し、「生きがい」をたくさんの切り口から掘り下げた1冊の本になっているのです。

当初かなりのボリュームであった内容を削り読みやすくコンパクトにしたとのこと、それでも実際の完成は結構な分厚さでした。

たくさんの思いを、7年程の長期スパンに渡り詰め込まれたこの本は、命がけで綴られたものだと思います。

一人一人が自分の「生きがい」を問うことをお勧めしたい、この先の困難を乗り越えていくにあたっては最後まで残るものだからだ

なかなか生きがいを語ることは恐れ多いものですが、ピクチャレスクの場合は「仕事」だと思っています。

若い頃の10-20代は、常にモヤモヤした煮え切らない感がずっと心にありました。

何か思い切って全力でやり切ったことがあったであろうかと振り返ると、何もかもがあれよあれとという間に自分とは違う別のペースに後からついていくのがやっと。

何も自分のスタイルですべてのことを成し遂げていったという実感が無かったことへのもどかしさが思い出されます。

その転機は20代前半に訪れまして「就職」だったと思います。

初めての勤務日(正確には入社式を含む研修期間の数日が最初)が近づくにつれ、なぜかすごくやる気が溢れ出していたことを思い出します。

それからというもの、長い仕事期間の道を歩み始めて、今現在までこの「仕事」こそが「生きがい」になっていることに気付いています。

10代の頃のあのモヤモヤ感や煮え切らない気持ちは、仕事の楽しさを味わい、真剣に取り組むことに替えられていきました。

そうして、いつからか、「一生仕事をし続けたい」ということを自然に思うようになりました。

「死ぬ」ということをわずかながらも意識することこそ「生きがい」につながります。

「生きる」を意識するには「死ぬ」も関わっているということです。

本の中のハンセン病の患者様達は一度は「自殺」を考えた方も多いようです。

それほどに、死ぬことと生きることの紙一重の状況にあった際どい経験された方達なのです。

その貴重な記録を、長い年月をかけながら綴り上げた著者様のこの軌跡まるごと、「生きがい」を身を持って読者に伝えたお姿なのではないかと考えます。

あとがき

現在、自殺者の増加や希望を失い気持ちが沈む大変な状況の人が多く、現代の物があふれた時代の「虚無感」が影響することがあると思うのです。

お金をたくさん得ることを目標にしたり、ブランド物を手にすることを目標にしてしまうことは大きな誤解。

物もツールであり、お金もツールに過ぎないのが本当の所ではないでしょうか。

「物」「お金」などの物質を拠り所としてしまうことは、どれだけ集めても満たされない何かを最終的には感じてしまう。

「生きがい」こそが本来依存してよい、依存すべき場所なのではないかと思うのです。

ピクチャレスク-山田絵美-ブログラスト
書き手:ピクチャレスク

生物の進化前の化石が進化後の時代で見つかる矛盾の理由を教えていただいた、恐竜のイラストが年々変化してきたのも研究の成果【1288】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「生命の大進化 40億年史 中生代編:土屋健 著」を拝読。

前編に「古生代編」がありますが、少し前の記事【1276】でその読書記録を綴らせていただいております。

このたびの期間は、恐竜の全盛期の時代が主となる時代。

一番多くの人が古い生物に興味を持つきっかけとなるのが恐竜であることも多いと見ています。

事前に「古生代編」を拝読、周りの自然環境こそが新しい動物が生まれることに起因しているということがうかがえます。

陸の酸素濃度が周りの植物の成長によって増えたことがまずは、生物が陸に上がっていったきっかけ。

スピード感をもって恐竜が成長した環境があったのです。

過去の図鑑の恐竜と現在の図鑑の恐竜のイラストが随分違う、その後の化石の発見によって不明点がクリアになったり覆されることもある

昔の昭和の絵図では、羽毛の生えた恐竜などは見た記憶がなかったと思ったのですが、現在では、羽毛は確かな証拠として出土している、しかも色もある程度出てきているのです。

例えば、「クビナガ竜」と呼ばれる恐竜の種類のあの首の「角度」も、後の研究で変わっているようでした。

後の研究の中で新しい発見があり訂正されているのです。

2002年の「幕張メッセ」で開催の「恐竜博2002」に3時間も列に並びながら入館した記憶。。懐かしい思い出です。

「進化」もあれば逆の「退化」もあります。

不要な部分の機能がだんだんなくなっていくのです。

化石の発見は、「地層」でその年代を決めるということなので、発見された地層からその年代が決まるということ。

そうした時に、進化後の時代の地層からであったのに、進化前の体の構造であったことの矛盾が起こります。

これは、同じ時代に、進化前と進化後の2種が混在していたことによるものだそうで、非常に頷けました。

これこそが真実らしいエピソードであると思います。

ただ単純に綺麗に順番に海から陸に上がっていったという進化のイメージでいたのですが、実際はそうではない複雑さを感じています。

海には海のままで残った生物、陸に上がっていった種もいれば、機能は海に適した機能も持ち備えて、陸と海を行き来していた生物。。

見かけは陸にいる恐竜と似ているけれど、脚などの構造から、水の中で泳ぐ機能があった種など。。

想像を超える複雑さがその進化の過程ではあり、今までのイメージを覆すことでした、大変面白いです。

あとがき

以前の「古生代編」の時にも書きましたが、こうして、長い長い生物の歴史を知ると、いかに今が一瞬の瞬きのような短い時間に過ぎないのかということを考えます。

毎日をしっかりと大切に過ごすことの意味をここから感じ取ることがあります。

「中生代」は「古生代」よりも随分と短いです。

恐竜やマンモスだけだが昔の生き物ではなかった、海の中の見たことのない変な形の生物こそ、最初の進化のスタート地点であったわけです。

陸より海の方が化石が残りやすいということ少し驚いています。

それは、地層が形成されやすいのが海の底だからという理由、その時のショットがあるがままで保存されるようなイメージです。

「海」こそが本当は、長い歴史を紐解くヒントになり、まだまだ静かにそのまま気付かれずに眠っているのではないでしょうか。

なんとロマンのあるストーリーなのかというのが、生物史。

今ある現在がどれだけ有難いのか、平和な環境で居られるのかなどを今一度大きく見るきっかけになりました(^-^)。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク

身近な小さな事柄から大きな事件までにも及び「交渉」は解決への大きな一歩、そこには「損」の許容と貫き通したい「得」が入り混じる【1282】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「どんな相手も納得させるデキる人の切り返し術 ~難しい局面でも優位に立てる勝利法則~ :弁護士 石丸幸人 著」という本をを拝読。

著者である弁護士様自らが返済関係の業務に当たられてきた経験の中で磨かれた技(わざ)が詰め込まれます。

その技というのは、「交渉」における優位性を勝ち取るためのもの。

意外と身の回りの事柄は、「契約」や「交渉」を経て現在にたどり着き落ち着いていることが多いものです。

その豊富さからは、「交渉」ノウハウは非常に大切なのではないかと思いました。

道具/ツールというような物体ではない「観念」であるからこそより貴重であり、人間らしいワザなのではないかと考えます。

日常に多数存在する人間関係には交渉的な要素が多く含まれる、ビジネス・人間関係などのコミュニケーションに役立てたい「交渉術」

小さなことでも大きなことでも友人関係にさえ役に立つ部分がありました。

よろしければ、ご一読を。

ドラマで出てくるような緊張感ある場面も出てきますが、著者の弁護士様は私達が考えると難しそうな金融業者の取り立ての方との折衷の経験も数多くあり、そこも究極です。

この本を読み終わって考えたことをここから綴ります↓。

個々の場面でのその時の切り返し術は大変有難いものですが、こういった技術は結局は、より良き人間関係や人とのコミュニケーションを円滑にしてくれるものだと思います。

契約や交渉は一人のことではなく、必ず相手・相手方と言った風に双方が関係する事柄です。

自らの本来のあるべき立場からは明らかに当方の正しさが100%だと思ってはいても、相手があることで「妥協」や「譲歩がどうしても出てきてしまいます。

確かに妥協することは悔しいですが、解決を一番に考えた時には、100%の中で妥協することが自らの心情で許容できる部分と、決してできない最後まで貫き通したい部分を分けることも必要です。

相手にそのような背景を知らせる必要はありません。

「ここを妥協するから代わりに〇〇してくれますか」という方向へ持っていくと、1つ「得」をとることができませんか。

諺(ことわざ)の「損をして得を取れ」がありますが、この言葉そのままにドラマチックには行かないことも現実にはあります。

それでも、自分が妥協する点に関しては、必ず相手からも妥協をしていただく点を引き出し解決への一歩へいざなうということです。

究極、別の部分同士の交換になっても、一方に偏った損得が解消できていれば有りなのでは。。

あとがき

最後にそもそもこういった視点も必要だと思うというお話を↓。。

人は固定観念や縛りや括りに惑わされがちだと思います。

その交渉以前に、「そもそもその交渉自体をするべきなのか」ここも大切だと。

交渉の中では、ある程度決まってきてしまうことや、どうしても「譲歩」が出てしまします。

よって、「話し合い」という点においては、もっと俯瞰的に見ると、交渉する土俵自体が不利になる場合は、交渉自体しないことも選択肢には有ります。

特に、相手から持ち掛けられた場合はそうです。

それも、1つの「技:わざ」だと思います(^-^)。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク

「しがらみ」「固定観念」は、状況変化の局面の「潮時の見極め」を逃してしまうかもしれない、常日頃の「フラットな見方」「自由度」の大切さ【1281】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「失敗は成功のもと」という格言がありますが、まさにその言葉通りのストーリーが詰まった本を拝読。

「世界「失敗」製品図鑑:荒木博行 著」です。

多くの方が懐かしむ、「そういえば、あんな商品あったよね」の過去の打ち切りと共に忘れられていった企画もの。

長いスパンの中で、過去を振り返ると失敗であったと見る見方がされています。

何年がかりで判明した結果であることもあり、当初は成功と思われた商品も、その後の早期の衰退によって結果失敗であったと顧みる分析の仕方もありました。

どれも大手メーカー様のケースです。

大手様は大量に行き渡ることを実現したレバレッジ効果こそが売上の増大であり、収益であり成功。

それを企画段階から予測、爆発的に広がるお品になるよう狙っていく難しさを知りました。

こうした大手様のケースから、小さな事業者も学べることがあるのでしょうか。

大いにあると思います。

見逃しがちな潮時は、「固定観念」「慢心」「思い込み」などによる客観性の欠如が原因、外から自社を見た目線も持っていたい

失敗例の中で特に印象的なのは、大手様である存在感によりすでに名声があるため、他社では失敗しているにもかかわらず、自社では上手くいくと信じてしまう点でした。

そこをいかにフラットにゼロベースで考えられるかも重要ですが、なかなか名声ある大手企業では苦手な事なのかもしれません。

常に謙虚に、そして、事前の反対や反論の声にも耳を傾ける柔軟な姿勢も大切であり、それを無視し、聞き入れなかった結果の失敗はどこにでも起こりうることだと思いました。

そして、スタートしても、早いうちに潮時を感じ取るその素直さと言いますかそうした気持ちも大切なのだと思いました。

せっかくここまで来たのだからとどうしても何とかしたいと思ってしまい、悪化した状態を継続してしまうことも多かったよう。

「引くに引けない」という言葉があるように、実際に歯車を回し始めてしまうと簡単にストップできないのです。

そういった点で規模が大きい事業はリスクがあると思いますが、成功すればリターンは莫大ということです。

小回りが利くような小規模では、急旋回を切ることも可能であることをここから読み取ると良いと思います。

それが得策かもしれないのに、規模が大きいゆえに引くわけにはいかない辛さがあるわけです。

とにかく、日々の失敗事項こそ貴重であり、考え方によっては「資産」なのです。

あとがき

結局は、実直な気持ちの大切さがあるとも言えます。

引っかかりがあり納得していないのに続けていく必要が本当にあるのだろうかと、早期に決断することも1つの策。

しがらみや縛りでジャッジが遅れるもしくはできない環境こそ「リスク」と考えねばなりません、小規模事業では本来思い切っての決断こそ強味なのです。

変化の多いこの先の世の中で、その時々のタイムリーな判断というのは本当に重要です。

変な固定観念やしがらみこそ天敵なのです。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク

長い長い生物と地球の歴史を俯瞰、一瞬の光の矢のような今目の前のタスクや出来事に対し、100%の姿勢で丁寧に対応していくことの大切さを思う【1276】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「人生は長い」という言葉がありますが、長い長い地球の歴史から見れば、私達の人生などほんの一瞬の光の矢のようだと思えます。

もともと長い間恐竜や鉱物に興味があったことで、昔の地球の状態などには関心がありました。

このたび「生命の大進化 40億年史 古生代編:土屋健 著」が新聞で紹介されているのをきっかけに拝読。

この「古生代」という時代は、最初の生物を知ることができ、恐竜のような風貌の生物がいよいよが誕生し始めているところで一区切りされていてこの1冊が終わっています。

次の恐竜全盛期を含む「中生代」へ、更には人間が誕生する「新生代」へと全3冊が繋がっていくのです。

主に「古生代」は水の中で暮らした生物ばかり。

まだ空気中の酸素の濃度が高くなかったという自然環境もあったことで、水の中からのスタートが生物の進化の始まりの時点だと言えます。

ところで、この古生代というのは、過去の生物の中では、恐竜より古い所がまた更なる謎も多くミステリアスであるわけですが、細かな「〇〇紀」という期間がたくさん分かれていて、区切り目が豊富でした。

もし、好きなように時代にワープできるのならば、是非生物の誕生の周辺のこの時代に行ってみたいと思うことがあり、どうも「海」に惹かれるのです。

昔の地球を知る意味はここだと思う、恵まれた現在であるがゆえ忘れている過去や未来ばかりに逃避し「今」を懸命に生きること忘れていることの見直し

古生代のある時代に、現在に発見される骨や甲羅のような硬い出土パーツからの想像で、「こんなような形の生き物がいました」とされるその様相、姿が非常にユニークで興味はそんなところからが入り口になることが多いです。

「古生代」では、硬い骨のような物質でできた生物が多くいたことが予想として出てきました。

その硬い骨のような物質というのは、水の中の成分によって形作られたものであり、濃度が濃かったある時代からそのような生命体にまでなったのだという点です。

海水もどんどん年月を経てその性質が変化していきますので、それに伴いそこに住む生き物も様相が変化していったらしいのです。

そう考えると、いかに、地球の自然の姿が生物に影響を及ぼしているかが分かります。

自然の恵みや自然のある姿が生物を進化させていったということなのです。

本にも書かれていますが、現在掘り出されて発見される化石などから過去の生物を予想することは、後に正しくないと覆される場合もあるようなのです。

それは仕方がないことで、仮説や想像でしか、実際に遥か先である今掘り出される化石などの現物的証拠からは本当のことの解明が難しいからです。

さて、こうして現存のかけらを寄せ集め、想像し、はるか昔を予測していく研究が常に行われているわけですが、こうした研究の意味はどんなところにあるのかを考えてみました。

現在の地球の生態系と人間が暮らす今が、生物の歴史から見ればほんの一コマであること。

しかし、この1コマかもしれない今こそが奇跡とも呼べるような貴重な時間なのであるということです。

それを考えると、この今を過ごすことができている私達は「感謝」という言葉を思わずにはいられません。

そして、この先の地球の行く末です。

過去が様々な自然の変化があったことで生物がそれに翻弄され影響されていったことから、今後の地球や私達生物がうまく過ごしていけるためには。。

を考えるヒントになりはしないか。。

そんなことを考えました。

人間は、地球ではその存在感や力が大きいですが、その他の一生懸命ひたむきに生きている生き物たち、動物達のことを思いやること。

権力を利用して弱い生物をいじめることなど到底あり得ないことだという考え方。

ますますそういった今を見直すきっかけになりました。

あとがき

うさぎが好きなのですが、ここ最近ネコ・犬・鳥・カエルに及ぶまで、そのかわいらしさに注目しています。

人間の暮らしの1世帯の中に種を越えた兄弟が存在し、それぞれ「思いやり」や「手助け」の場面を見るたびに感動しています。

そして、こう思うのです。

「なんて人間は自分勝手で正直ではない生き物なのだ」と。

動物達は、皆心がまっすぐ、シンプルで、ご飯が大好きで、寝ることも遊ぶことにも全力です。

そのミニマムな欲求に対して非常に感動しています。

もしかして、動物達から学ぶことこそ、今現在のエゴに溢れた我々人間達に必要な事なのかもしれません。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク