プロフィール

ようこそこちらへご訪問いただきました、誠にありがとうございます(^-^)。

私は、「個人事業主」のpicturesque(ピクチャレスク)と申します。

この英単語は屋号、名前の漢字をちょうど表したような表現だったので採用させていただきました。

「共有型のハンドメイドバッグ」と「本物志向のレンタルジュエリー」という2つの事業名のお仕事を自分で作りました。

当ホームページは、「エックスサーバー」様のレンタルサーバーを利用させていただくことをベースに、「ワードプレス」様というブログソフトウェアのコンビで作らせていただいたものです。

WEB技術には大変疎いのですが、必要最低限のことだけを何とか調べながらの飾りっ気のないホームページです。

「スタイリッシュでカッコイイ」というようなHPではないかもしれませんが、それでも、「きちんと伝わる」ことを軸に置いた「オウンドメディア」にしていきたいです(^-^)。

「このままでは将来が危うい」と感じた時に出会ったものが「仕事」だった

10代は総じて、なかなか自己主張が苦手な性格、モテもせず冴えない田舎者。

「何か取柄がなければ、これは大変なことになる。。」という妙な危機感を持っていました。

そのようなタイミングで「就職」がやってきます。

それはそれは燃え滾るような熱を持った社会人生活がスタートしたのは、バブル崩壊の数年後でした。

ただ、テキパキとそつなくお仕事をこなす同期メンバー達にはかなり劣っていたスタートだったかと。

それでも毎日をその時の精一杯をその瞬間ごとに驚いたり悔しかったりなどいろいろな場面に出くわし、よく巷では目安とされる3年が経過。

この時の先輩がこれまでの先輩の中では今考えても一番、きちんとした会社というスタイルの中でも私にとって最も大切な「自由」の余地を下さった素晴らしい先輩です。

そして、「営業事務」担当として、本当はそれほど仕事ができるわけでもない自分を盛り立ててくれた「カリスマ上司:会社内ではめちゃ大物」に感謝したいと思います。

。。とこんな風に、お仕事が中心のライフスタイルになっていきました。

その会社が入社7年後に倒産、2002年のことでした。

その後、アパレルとは違う分野の金属系の商社の派遣社員で「営業アシスタント」という職で3か月程お世話になりましたが仕事がさっぱりものにもできず、退職と共に派遣社員もやめました。

このことから助言できることがありまして、面接にたとえ受かっても、お断りが出来る権利がありますので、直感で「違うな」と思ったらやめることです。

この直感は見事に当たっていまして、この3か月は本当に長いものでした。

心の中に正しい正解があるのに、行動に起こせない縛りに負けて3か月も過ごしてしまったのでした。

自分の気持ちと違うことをしなければいけない環境こそ「間違い」だとはっきりと思うべきなのです。

その後は「他人からの承諾」と「自らの納得」を別々に考えることの大切さを重視。

当時は以前の会社が倒産した直後、焦りもあり面接に受かることがゴールのように感じてしまっていたのでした。

たまたま一部分を評価していただいただけであり、本当に心から望むことなのかを考えたらやめておくという選択も「自由」の真の姿、「気持ち」を必ず優先することです。

事業者はその方針・スタンスをはっきりと「YES・NO」で示していくことが非常に重要、結局はそれが「自分軸」→「事業者軸」というものなのでしょう。

この頃から、「決められたことを忠実にこなす」というということが、苦しく好まないという性質に気付き始めます。

これができるということは非常に組織の中での活動に長けており、1つの才能のようなものだと思うので、自分には欠けている部分なのかもしれません。

人それぞれの向き・不向きによる役割りの違いに過ぎないと見ることもできます。

ただ、ここも大切、雇って下さった会社に勤務する間は必ず感謝の気持ちを忘れないことです。

おそらく7年勤務の会社が「倒産」という理由だったことで長く続けてきたことを評価して下さったのだと思います。

いつ放り出されるかも分からないというほど究極の場合も0%ではないのが雇用される側の人間なのです。

2003年春から今度は「経理事務」としてご縁をいただいた、その後14年間お世話になった会社が最後の勤め先。

その途中で「簿記2級」も取得、このきっかけは後の「個人事業主」で大変役に立ったことです。

資格自体の特権そのものよりも大切な事は、会社内でその資格をどう活かしたのか、もしくは、どこがテキストや試験と違う現実の部分なのかという俯瞰した見方。

2017年末の退職まで、長くお世話になり過ぎ随分ご迷惑をおかけしてしまっと思います(その勤め先もその後は閉業)。

それ以降初めて、本当にゼロから作っていく時点に立ったのでした。

営業1つ取ってきたことすらなかったわけで、常にドキドキ・ふわふわ・ヨロヨロしてしまいかなりためらいましたが、本当に事業主の道へ入った入口だったと思います。

現在「個人事業主」の数年が経過して思うことは、「一生仕事をしていく決意」が固まったこと。

2つの事業活動は、おばあさんになっても続けられるであろうイメージを持ったもの。

これからも末永い人生を、多くの方が喜ぶように事業活動に精進する日々を送っていきたいと思います。

今後事業を担っていきたい方へのメッセージとしては、こんなところ↓。

世の中には、まだケアが行き届いておらず、がっかりしている人や困っている人がいる。。

そこがどこなのかに気付き、自分がそのカバーの役割りを担えないかを考えていくことではないかと考えます。

「商業」は人のために尽くす姿勢で行うべきなのではないかと。

ピクチャレスク・・・名前:山田絵美/生年月日:1973年3月2日生まれ/血液型:O型。