まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
紹介されている本を読んでみるということを時々しています。
データ的には複数の人が手に取ったであろうこと、その時期の情勢に見合った内容は、たとえ過去の古い本でも見直されることから乗ってみるものです。
図書館で借りるスタイルの者が、特設場所にあったいろいろな切り口の「文化」の集まりの本の中から手にした1冊です。
「創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史:輪島裕介 著」です。
音楽を浴びるように聴くことがあり、そのジャンルは問わないため世界中の音楽を「ドラマチックなメロディー」と感じたものに特化して集めるということをしています。
その中には、演歌寄りという印象の「夢芝居」「アカシアの雨がやむとき」を入れています。
この本を読む前は、「演歌」を「歌謡曲」のような分類として考えていたのですが、それも昭和生まれの自分の目線でしかなかったということになります。
日本生まれのメロディー音階の「演歌」、他国独自のそれぞれの音楽と同じく根底には「悲哀の情念」が込められていた

かつては、「艶歌:えんか」という遊芸の場で歌われた歌として存在していた時期もあります。
当ブログ記事では、最後に貼りますYouTube動画ではお話していないことを綴りたいと思います。
反対にYouTube動画では、「流し」の存在や、現在の演歌歌手の方が古い歌を歌うことの意義などをお伝えしています。
そもそも演歌の最初の歌手は誰なの?ということについて。
明治時代の「自由民権運動」の頃、政治批判の意味合いの気持ちの吐露が最初。
「演歌師」と呼ばれる歌い手は、「添田唖蝉坊:そえだあぜんぼう」様の「ラッパ節」・「川上音二郎:かわかみおとじろう」様の「オッペケペー節」・「神長瞭月:かみながりょうげつ」様の「残月一声:ざんげついっせい」。
その歌詞の内容は「社会風刺」が色濃い、当時そのままの本音をアウトプットしたものだと思います。
戦後は、アメリカ的な文化が入り、ジャズが入ることでこうした日本独自らしさで溢れる音楽こそ、日本人に生まれた者として一度は聴いておく手はありません。
かつては、どちらかというと演歌はやさぐれた低い位置付けの世間から撥ね退けられるような存在であったとも。。
テレビ時代になった晩年に芸者時代そのままの名前で出演されていたことがある「市丸:いちまる」様を拝見。
戦後に新しいお音楽が入ってきた時の狭間のような時期の方でもあり、「市丸」様の「三味線ブギウギ」は戦後の要素がやや入ります。
お写真を拝見すると非常に美しい方、晩年のテレビ出演でもそう思いました。
こうして演歌の元の姿を知ることで、1970年代以降のテレビを当たり前に見る時代に商業的な背景の現在に繋がる演歌とはかなり違っていたと思うわけです。
歌の中の暗さは、世への失望と哀しみを歌った当時の心の内が存在している証。
商業主義的なヒット曲を目指す曲の生み出し方ではない、民の心をしっかりと刻んだ情念混じりの歌にこそある価値、そのような部分に探究を巡らせた著者様の拘りを感じます。
あとがき
冒頭の「アカシヤの雨がやむとき」は、後の歌手の複数の方々がカバーされた1つがきっかけで知りました。
古い曲は、もしかしたら忘れられてしまうのかもしれない、新しい形に発展させながらも色褪せないその歌詞と音源メロディーは歌い手によってどんどん引き継がれると良いです。
「なんでこんな古臭くて暗い歌なのに何度も聴いてしまうのだろう」。。決して太陽みたいに明るい淡々とした曲に引き付けられるばかりではないのです。
暗さは、その当時のその時の心情そのままが何十年も引き継がれてきた証。
かつてよりもはるかに裕福な現代では分からないことが、歌に残っているのです。
心のやり場の無さの表現の1つとして「歌」という文化の存在意義があるのだと思いました(^-^)。















