「創造的である」タイプと「既定の枠組みに沿う」というタイプの2者。
前者はアイデアを巡らすが、時々真似をされてしまう。
後者は、情報探しがどうしても必要、探し回る時間がたくさん必要なのだ。
会社にもいると思う、あらかじめ出ている「答え」の場所を早期に探すタイプ。
後者は「答え」「雛形」なくしては進めていくことができないのだから致し方が無い。
このたびは、真似をされた側ができる対処と、良いゴールに行けそうな道筋をまとめてみた。
①真似された者だけが分かる独自性、共通のワードを使っていても分かる文脈内の不自然さは借り物
独自のアウトプットがいかに自然なのかの手応えの1つとして、真似をされた者から見て真似した者がピンポイントで分かってしまうということがある。
真似する者は、あちこちで情報を取りながらも完全に自分の物にし切れていない何かが残っていることがある。
そんな時に、元の考案者では気付くものなのだ。。自分の真似をしたのかもしれないと、更には第3者がこの人の真似をしているななどと分かることもある。
この両者のタイプはどうしても分かれているものなのか、それとも全員が前者になり得るのか。。これはまだ分からない。
②真似するタイプの者への僅かばかりの理解、もがき苦しみながらのその苦労に対する慈悲を持ってみる
真似された側は悔しくて損をしたかのように感じることがある。
実際に、真似した側の方が結果が良かったりするのも、この世のなんとも不条理なこととして納得できないものだ。
しかし、ここでそのような負の気持ちを抑えることも真似された側の成長のきっかけ。
真似した側を少しだけ理解しようとすることだ。
おそらく苦しかったのだろう、そうするしかもう選択肢が浮かばなかったのだろうと思ってみる。。これは慈悲の1つになる。
そうして他人の行動で自分が煽られるという、真似されること以上に愚かな状況を避けられる。
③真似された者のその後の発展
こうして、何ら正当にやってきたはずなのに損をしたかもしれないところの巻き返しの段階だ。
真似されることなど実は日常茶飯事で、商売上当たり前に起こっていること実状。
類似品が大手同士で出回るのもその1つ、あり得ることであり頻繁に起こることなのだろう。
「合戦」などしてはいけない、先駆者・アーリーアダプターは次の行動に出るのだ。
後者が真似をしたと分かったら、それを「潮時のサイン」と攻めた捉え方をする。
そして、今度は横へスライドだ。
もう過去の真似されたことは自分の手から離してもよいと思うことにするのだ。
ずっと固執して真似した者を恨み続けることこそ「停滞」を意味し、「合戦」にわざわざ参加させられるのだ。
軽やかに、別の場所で新しいアイデアを巡らせる。。もしくは、真似された前の考えを古きものとして刷新した別のノウハウの誕生にフォーカスする。
そうして、常にステップを踏みながら、どこまでもどこまでも内なるアイデアを探り出し、まっすぐと前を向いて進んでゆけばよい。
その心地は、晴れやかで希望に満ち溢れる。。もはや「真似」などという言葉すら、ふんわりとした薄い概念だと感じるようになれば良い。
「どうぞ真似してくださってOKです」のスタイルの1つは、このもどかしさを真似される側が大胆に舵切りをした覚悟がある。
それでいて、「手放す」ことを潔く決断した証である。
真似するクセから離れられない方々へ
真似することを否定するものではない。
誰でも真似から入り、自分に通して、自分独自の違うものに変えて創造しているのだから。
ただ、真似を最も気軽な近道として、他人を踏み台にしながら、そのまま自分の中から溢れ出したもののようにふるまうことが問題。
せめて、心の中で感謝し、何ならアウトプットの際にそのきっかけを元の引用と共に正直に語るべき。
誰しも他人の力を借りずして成し遂げることなどできないということ、本来の「自分一人では何もできやしない」の意味は、こんなところにもあるということ。
「皆々様のお力添えなくして、実現できなかった」という文言の深い意味ではなかろうか。


