まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
「生きがいについて:神谷美恵子 著」を読ませていただきました。
かつてこの本が初版された頃(1966年)の1960年代では、まだまだ「ハンセン病」という感染系の病気が不治の病として存在していました。
伝染効果は少ないものの、各地の片隅の施設に療養するために強制的に実家を離れるということがありました。
現在は療養施設に行くことはなく、治る病として病院の治療で回復するようですが、それでも、当時からの継続で高齢者となりそのまま現在も療養施設で暮らされている方がいらっしゃるようです。
この本は、そういったある1つの療養施設の当時の1950-1960年代にかけてのルポタージュの記録部分が多く、「精神科医」であった著者様がその訪問を通し、「生きがい」をたくさんの切り口から掘り下げた1冊の本になっているのです。
当初かなりのボリュームであったところを削るなどして読みやすくコンパクトにしとのことですが、それでもこの本は結構な分厚さでした。
たくさんの思いを、7年程の長期スパンに渡り詰め込まれたこの本は、命がけで綴られたものだと思います。
私の「生きがい」は何なのか
なかなか生きがいを語ることはお恥ずかしいものですが、間違いなく私の場合は「仕事」だと思っています。
若いころの20代前半くらいまでは、常にモヤモヤした煮え切らない感がずっと心にありました。
何か思い切って全力でやり切ったことがあったであろうかと振り返ると、何もかもがあれよあれとという間に自分とは違う別のペースに後からついていくのがやっとで何も自分のスタイルですべてのことを成し遂げていったという実感が無かったことへのもどかしさが思い出されます。
その転機は20代前半に訪れまして、「就職」だったと思います。
初めての勤務日(正確には入社式を含む研修期間の数日が最初)の前には、なぜかすごくやる気があふれていて、メキメキと何かよく分からないパワーみたいなのがあふれ出しそうだったことを思い出します。
それからというもの、長い仕事期間の道を歩み始めて、今現在までこの「仕事」こそが「生きがい」になっていることに気づきました。
10代の頃のあのモヤモヤ感や煮え切らない感が20代以降の仕事では全くなく、すべての仕事に対して楽しく、真剣に取り組んできたことがあります。
そうして、いつからか、「死ぬまで仕事をし続けたい」ということを自然に思うようになりました。
この「死ぬ」ということをわずかながらに意識することこそ「生きがい」につながります。
「生きる」を意識するには「死ぬ」も関わっているということです。
この本の中のハンセン病の患者様達も一度は「自殺」を考えた人も多いようです。
それくらい、死ぬことと生きること両方の境目を経験された方達なのです。
そうして、長い1995年から続いた会社員の日々から、2018年の頭で個人事業主に切り替わり、自分の裁量でずっと永続的に働き続けていけることの道に立ったのです。
その道の中で、今こうして2023年を迎えています。
過去のモヤモヤした煮え切らない10代とは全く対極にある「はっきりとした意思表示をしながらのまっすぐなスタイル」に変わっていきました。
事業者でモヤモヤした煮え切らない態度では到底事業など成り立ちません。
まずは、この道に立てていることに感謝したいです。
「生きがい」というのは、「人生をかける程の何か」だと思うのです。
あとがき
現在、自殺者の増加や希望を失い気持ちが沈む大変な状況の人が多く、現代の物があふれた時代の「虚無感」があると思います。
お金をたくさん得ることを目標にしたり、ブランド物を手にすることを目標にしてしまうことは大きな誤解ではないかと。
物もツールであり、お金もツールであるのが本当の所ではないでしょうか。
「物」とか「お金」などの物質を拠り所としてしまうことは、どれだけ集めても満たされない何かを最終的には感じてしまう、「生きがい」こそが依存するべき場所なのかなと。