ある一人の人間の気持ちの移り変わりとそれに伴う決意や行動の変化を他人がどこまで理解できるのか。。「惜別:せきべつ」を読んで【1269】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

常に読書を共にしているライフスタイルを始めて、数年が経過しました。

事業への何かヒントにとファッション関係の本が中心ですが、やはり本も多分野を読むことがかえって意外な発見などもあるかと、ここ最近は分野をそれほど絞りません。

そんな中、ある新聞の1コーナーにあの「太宰治」著の作品の中から「惜別:せきべつ」が紹介されていました。

よし、小説行ってみよう!。

そうして、このタイミングと気分の高揚の時でなければ機会を失うかもと図書館で数冊借りた本の中でも優先的に読み始めたのです。

短編小説というほども短いものではないですが、それほど長くもなく、その他の6作品と一緒に1冊の本にまとめられた途中のページです。

何も欲を出さずとも、この「惜別」だけをとりあえず読もうということで、他の作品は読んでいません。

こんなピックアップ形式の読書も自分スタイルとして時々あります。

では、今回読ませていただいた本、「惜別:太宰治 著・・・太宰治全集8 小説7:筑摩書房」を読んだレビュー的な内容をお届けしたいと思います。

ネタバレというようなことにはほとんど触れません。

何を伝えたかったなどは分かるすべもない、ただ一人の人間の心の移り変わりと行動の変化がミステリアスに描かれていた

あくまで、私が感じた受け止め方であります。

何が伝えたかったということは著者様本人しか分からないかもしれません。

文学小説全般の良さかもしれませんが、人の心の奥の神髄に迫る部分が素晴らしいです。

それでも、謎は残ります。

主人公が親友の大きな気持ちの変化をどの時点で、何がきっかけでそのような決意をしたのかを探す場面が印象的でした。

それほど大きな出来事でもないように感じますが、時代は戦時中。

その戦時中ならではの背景や1国の方針が一人の人間をこうも揺さぶるのかということなのか、その答えがとても大きな背景にあると私は見ました。

そして、読み終わった最後に、再び最初の場面に戻ってみました。

この最初の場面で主人公が心を良くしなかった気持ちになったのはなぜなのか。

どの読み手も一度はそこを振り返りたくなるのかもしれません。

他人が一人の人間の心の奥の気持ちをどこまで理解できるものなのか。

そんな疑問を提示されたかのように感じます。

完全に分かるものではなく、本人しか分からないことなのかもしれません。

打ち解け合い、多くを語り合った親友であっても本当の気持ちの核たる部分に関しての理解、それは到底簡単なことではない、それほど人間の心の奥行きというものは計り知れないものなのかもしれません。

あとがき

小説の投稿は私にとっては正直、難易度高めです。

以前には【365】で、「銀河鉄道の夜:宮沢賢治 著」のレビューを投稿していますが、こちらもかなり手直しと長い時間をかけた文章になりました。

有名な小説こそかえって難しいですし、多くの人がレビューされていることも意識してしまいます。

ただ、今回は、そのような大変過ぎた過去の投稿から数年が経過し、そうは言っても読んだのは私自身であると。

私なりの捉え方で投稿させていただこうと、そのまま思ったことを書いてみました。

小説内の文章が昔の表現であることと、漢字も古い漢字であるところが少しひっかかりますが、それも過去の文章の味です。

文章が1文終わるまでに何行もあるところも現在の読みやすさを意識して書かれた表現と違って、これも昔の小説ならではの味わいだと思います。

あまり読むことがないのですが、今回はレアな回で小説を読んだ投稿、それが太宰作品とは(^_^;)。。

映画にしても本にしてもきっかけが新聞の紹介であることが多いです。

もし、今後何か小説の紹介があれば、またその小説を読むことがありそうです。

そういったきっかけでもなければ、なかなか自らは、大文豪様の作品のどれをピックアップするのかさえ分からないですので紹介作品であるというのはかえって助かります(^_^;)。