まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
「人生は長い」という言葉がありますが、長い長い地球の歴史から見れば、私達の人生などほんの一瞬の光の矢のようだと思えます。
もともと長い間恐竜や鉱物に興味があったことで、昔の地球の状態などには関心がありました。
このたび「生命の大進化 40億年史 古生代編:土屋健 著」が新聞で紹介されているのをきっかけに拝読。
この「古生代」という時代は、最初の生物を知ることができ、恐竜のような風貌の生物がいよいよが誕生し始めているところで一区切りされていてこの1冊が終わっています。
次の恐竜全盛期を含む「中生代」へ、更には人間が誕生する「新生代」へと全3冊が繋がっていくのです。
主に「古生代」は水の中で暮らした生物ばかり。
まだ空気中の酸素の濃度が高くなかったという自然環境もあったことで、水の中からのスタートが生物の進化の始まりの時点だと言えます。
ところで、この古生代というのは、過去の生物の中では、恐竜より古い所がまた更なる謎も多くミステリアスであるわけですが、細かな「〇〇紀」という期間がたくさん分かれていて、区切り目が豊富でした。
もし、好きなように時代にワープできるのならば、是非生物の誕生の周辺のこの時代に行ってみたいと思うことがあり、どうも「海」に惹かれるのです。
昔の地球を知る意味はここだと思う、恵まれた現在であるがゆえ忘れている過去や未来ばかりに逃避し「今」を懸命に生きること忘れていることの見直し
古生代のある時代に、現在に発見される骨や甲羅のような硬い出土パーツからの想像で、「こんなような形の生き物がいました」とされるその様相、姿が非常にユニークで興味はそんなところからが入り口になることが多いです。
「古生代」では、硬い骨のような物質でできた生物が多くいたことが予想として出てきました。
その硬い骨のような物質というのは、水の中の成分によって形作られたものであり、濃度が濃かったある時代からそのような生命体にまでなったのだという点です。
海水もどんどん年月を経てその性質が変化していきますので、それに伴いそこに住む生き物も様相が変化していったらしいのです。
そう考えると、いかに、地球の自然の姿が生物に影響を及ぼしているかが分かります。
自然の恵みや自然のある姿が生物を進化させていったということなのです。
本にも書かれていますが、現在掘り出されて発見される化石などから過去の生物を予想することは、後に正しくないと覆される場合もあるようなのです。
それは仕方がないことで、仮説や想像でしか、実際に遥か先である今掘り出される化石などの現物的証拠からは本当のことの解明が難しいからです。
さて、こうして現存のかけらを寄せ集め、想像し、はるか昔を予測していく研究が常に行われているわけですが、こうした研究の意味はどんなところにあるのかを考えてみました。
現在の地球の生態系と人間が暮らす今が、生物の歴史から見ればほんの一コマであること。
しかし、この1コマかもしれない今こそが奇跡とも呼べるような貴重な時間なのであるということです。
それを考えると、この今を過ごすことができている私達は「感謝」という言葉を思わずにはいられません。
そして、この先の地球の行く末です。
過去が様々な自然の変化があったことで生物がそれに翻弄され影響されていったことから、今後の地球や私達生物がうまく過ごしていけるためには。。
を考えるヒントになりはしないか。。
そんなことを考えました。
人間は、地球ではその存在感や力が大きいですが、その他の一生懸命ひたむきに生きている生き物たち、動物達のことを思いやること。
権力を利用して弱い生物をいじめることなど到底あり得ないことだという考え方。
ますますそういった今を見直すきっかけになりました。
あとがき
うさぎが好きなのですが、ここ最近ネコ・犬・鳥・カエルに及ぶまで、そのかわいらしさに注目しています。
人間の暮らしの1世帯の中に種を越えた兄弟が存在し、それぞれ「思いやり」や「手助け」の場面を見るたびに感動しています。
そして、こう思うのです。
「なんて人間は自分勝手で正直ではない生き物なのだ」と。
動物達は、皆心がまっすぐ、シンプルで、ご飯が大好きで、寝ることも遊ぶことにも全力です。
そのミニマムな欲求に対して非常に感動しています。
もしかして、動物達から学ぶことこそ、今現在のエゴに溢れた我々人間達に必要な事なのかもしれません。