長い長い生物と地球の歴史を俯瞰、一瞬の光の矢のような今目の前のタスクや出来事に対し、100%の姿勢で丁寧に対応していくことの大切さを思う【1276】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「人生は長い」という言葉がありますが、長い長い地球の歴史から見れば、私達の人生などほんの一瞬の光の矢のようだと思えます。

もともと長い間恐竜や鉱物に興味があったことで、昔の地球の状態などには関心がありました。

このたび「生命の大進化 40億年史 古生代編:土屋健 著」が新聞で紹介されているのをきっかけに拝読。

この「古生代」という時代は、最初の生物を知ることができ、恐竜のような風貌の生物がいよいよが誕生し始めているところで一区切りされていてこの1冊が終わっています。

次の恐竜全盛期を含む「中生代」へ、更には人間が誕生する「新生代」へと全3冊が繋がっていくのです。

主に「古生代」は水の中で暮らした生物ばかり。

まだ空気中の酸素の濃度が高くなかったという自然環境もあったことで、水の中からのスタートが生物の進化の始まりの時点だと言えます。

ところで、この古生代というのは、過去の生物の中では、恐竜より古い所がまた更なる謎も多くミステリアスであるわけですが、細かな「〇〇紀」という期間がたくさん分かれていて、区切り目が豊富でした。

もし、好きなように時代にワープできるのならば、是非生物の誕生の周辺のこの時代に行ってみたいと思うことがあり、どうも「海」に惹かれるのです。

昔の地球を知る意味はここだと思う、恵まれた現在であるがゆえ忘れている過去や未来ばかりに逃避し「今」を懸命に生きること忘れていることの見直し

古生代のある時代に、現在に発見される骨や甲羅のような硬い出土パーツからの想像で、「こんなような形の生き物がいました」とされるその様相、姿が非常にユニークで興味はそんなところからが入り口になることが多いです。

「古生代」では、硬い骨のような物質でできた生物が多くいたことが予想として出てきました。

その硬い骨のような物質というのは、水の中の成分によって形作られたものであり、濃度が濃かったある時代からそのような生命体にまでなったのだという点です。

海水もどんどん年月を経てその性質が変化していきますので、それに伴いそこに住む生き物も様相が変化していったらしいのです。

そう考えると、いかに、地球の自然の姿が生物に影響を及ぼしているかが分かります。

自然の恵みや自然のある姿が生物を進化させていったということなのです。

本にも書かれていますが、現在掘り出されて発見される化石などから過去の生物を予想することは、後に正しくないと覆される場合もあるようなのです。

それは仕方がないことで、仮説や想像でしか、実際に遥か先である今掘り出される化石などの現物的証拠からは本当のことの解明が難しいからです。

さて、こうして現存のかけらを寄せ集め、想像し、はるか昔を予測していく研究が常に行われているわけですが、こうした研究の意味はどんなところにあるのかを考えてみました。

現在の地球の生態系と人間が暮らす今が、生物の歴史から見ればほんの一コマであること。

しかし、この1コマかもしれない今こそが奇跡とも呼べるような貴重な時間なのであるということです。

それを考えると、この今を過ごすことができている私達は「感謝」という言葉を思わずにはいられません。

そして、この先の地球の行く末です。

過去が様々な自然の変化があったことで生物がそれに翻弄され影響されていったことから、今後の地球や私達生物がうまく過ごしていけるためには。。

を考えるヒントになりはしないか。。

そんなことを考えました。

人間は、地球ではその存在感や力が大きいですが、その他の一生懸命ひたむきに生きている生き物たち、動物達のことを思いやること。

権力を利用して弱い生物をいじめることなど到底あり得ないことだという考え方。

ますますそういった今を見直すきっかけになりました。

あとがき

うさぎが好きなのですが、ここ最近ネコ・犬・鳥・カエルに及ぶまで、そのかわいらしさに注目しています。

人間の暮らしの1世帯の中に種を越えた兄弟が存在し、それぞれ「思いやり」や「手助け」の場面を見るたびに感動しています。

そして、こう思うのです。

「なんて人間は自分勝手で正直ではない生き物なのだ」と。

動物達は、皆心がまっすぐ、シンプルで、ご飯が大好きで、寝ることも遊ぶことにも全力です。

そのミニマムな欲求に対して非常に感動しています。

もしかして、動物達から学ぶことこそ、今現在のエゴに溢れた我々人間達に必要な事なのかもしれません。

山田絵美
書き手:ピクチャレスク

「時事英語」を遥かに複雑にした「科学英語」をシャワーのように浴びる程の体験、「SDGs」を背景に世界の現状に触れた【1162】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

このたび、「日経サイエンスで鍛える科学英語 SDGs編 :日経サイエンス編集部 編」を拝読。

このようないかにも難解そうな本ですが、その通り正解です(^_^;)。

ただ、英文だけがずらりと並んだ1章分をまとめての翻訳の形式ですので、映画の字幕のような「シャドウ」形式とも違うのです。

「日経サイエンス」という自然科学分野の論文が掲載された雑誌からのピックアップ本であり、単語1つ1つが専門用語なのです。

タイトルの「鍛える」という表現が特徴的ですが、正にその通りなのです。

SDGsの中で取り上げられる環境・ジェンダー・動物との共存など様々な事柄、大きく1つにまとめて「自然の姿」を大切にしていくことなのではないかと説いた

「SDGs」の高まりに関しては、「建て前」も多く見られます。

あくまでも商業を優先した姿だと見ていまして、例えば牛革を使用しない代わりに合皮という素材を使うこと。

劣化してゴミになる合皮を使うことこそ環境問題を高めていませんかと。。

なぜ、こうしたことが起こってしまうのかは、「言葉の一人歩き」のようなもの。

根本的になぜ「SDGs」を考えなければならないかを忘れてしまい、ジャンプしてしまって「活動」「評価」などに意識が向いてしまっているからではないかと思うのです。

ここで、その思いを実直に綴りたいと思います。

地球には、たくさんの生物が住んでいて、それこそ40億年以上も前に最初の生物が海で生まれています。

たくさんの進化や、惑星の衝突により何度も何度もリセットされながらこの緑とブルーの自然で覆われた地球が存続してきたのです。

今ここに存在出来ているのも様々な進化の過程の1つであり、「人間」という恵まれた比較的生物界では守られた位置付けの生物として存在出来ていただけなのです。

これは、生物の進化の本を拝読してまいりましたことでより意識するようになったことです。

そうしますと、生きるための食料となった動物達を決して見下してはならない、弱い動物達が困っていて助けを求めてきているような際には手を差し伸べる姿勢が望ましいと。

そして、「ジェンダー」に関しても、大半がはっきりと区別された枠に収まっているのも、もしかして進化の途中であるかもしれないということ。

そこに当てはまらない、どうしても心の内ではそれを認められない人間は、新しいタイプの進化した性質を持っているのかもしれないと理解することではないかと。

そうしますと、「自然のあるべき姿」ということの大切さを見逃してはならないと思うのです。

自然にそう思うならそれが正解であり、自然に起こったことはそれが必要があって起こっているということへの理解です。

あとがき

実は、この本に似た構造の読みものを週に一度新聞で読んでいます。

同じ系列の「日本経済新聞:夕刊」の水曜日。

解説も含めて新聞半ページ分のコーナーなのですが、毎週趣味的にじっくり読んでいまして、「Step Up English」というコーナーです。

まずは、英文を注釈のある単語の意味を目にしておきながら音読。

ちなみに、TOEICは600点ちょうど(なぜかぴったり)がこれまでの最高に過ぎず、たいしたことはありません(^_^;)。

そして、その後日本文の訳を読んでいきます。

今回の本と同じ構造です。

ただ、登場の単語は「時事英語」程度のものであり、遥かにこちらの新聞の方が易しいのです。

その後いつものように新聞でそのトピック記事を読む時に少し易しく感じたという体験をしました。

ある意味この本で鍛えられたのかもしれません。

このたびは、SDGs編ですので、他にも分野の違うものがシリーズ内にあるようです。

少し英語に触れている方であれば、読む気にまではなると思いますので、その入り口はOKだと思います(^-^)。

本来先にニーズがあって製造が来る順番、「見込み」や「予想」で製造することの甘さの徹底見直し【645】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「サスティナブル」への意識がいよいよ本格的に高まってきています。

「毛皮製造をやめた、本革に替わる素材を製造し始めている」などの情報から、もう実際にファッションブランド様が新しい時代向けの製造を始動し始めているところなのです。

結果本当にそれがサステイナブルなのかなどの深堀りはさておき、その意識・それに伴う意志表示は第一歩と言えます。

そんな高まりに触発されて、自作を改めて見返しています。

特に罰則などがない現在は自主的な活動に委ねられる、各々の製造者が呼吸するかのように意識するべき「サスティナブル」への取り組み

このたび、「グリーンファッション入門―サステイナブル社会を形成していくために:田中めぐみ 著」を3/4くらいまで拝読。

途中ながら、ここで3つの学びを咀嚼後のアウトプットでお伝えしたいと思います。

1)完全に実現は不可能、できることを等身大でする。

持続するには、そもそもこれが大切。

無理して大きく効果を出そうと前のめりではどこかでお手上げをしてしまうかもしれません、続けていくことこそがまず大切だからです。

サステイナブルに関しては、法律が敷かれているわけではないところに、各々のペースに委ねられる部分があり、それほど進んでいないと見ることもできるようです。

一人一人の意識で自らが能動的に踏み込んでいかないとなかなか進んでいかないことでもあるのです。

そして、完璧なサスティナブル商品ということが不可能であり、一部に取り込んだりなどの可能な範囲内でということになるのが現状。

ただ、それも意識は向いたことになり、一定の意味があると思います。

2)リサイクルするためのエネルギーや化学薬品が実際には必要。

リサイクルという活動自体がコストがかかるものであり、そのためのエネルギーや化学薬品の使用は無しというわけには進みません。

ただ、「環境を汚染したまま放りっぱなしよりもはるかに、リサイクルするための目的でのエネルギーや薬品は環境にやさしい」とのことです。

この点は反論として必ず湧き出てくる発言「結局何をしているのか分からないのでは。。」というような否定的な意見にも強い説得力があります。

3)「ループを閉じる」というキーワードが目指す部分。

「ループを閉じる」というのは、「製造されたお品が再び使われて、ずーっと循環していくようなイメージで、外に余剰在庫とか廃棄処分などのようにもれることがない1つのつながった枠の中で一度製造された商品が生き続けるサイクルができる」というもの。

これが理想のサステイナブルな商品のサイクルができている目指すべき構造。

目指すところは完全リサイクル化のループが出来上がって、取りこぼすことがないというイメージでしょうか。

とても理想的ですし、現在と大きく変わっていくスタイル。

やはり一人一人が意識せずして出来上がらない構造だと考えます。

製作するハンドメイドバッグではどう製造していくのかを考えてみた

ここ最近、ハンドメイド品に使うパーツの徹底廃止をする決意がありました。

将来いつか外れる可能性が幾分かある打ち込みの金具パーツを取りやめる決意をしたところでした。

実際、以前に自作したアイレットカン/片面ハトメの取っ手の穴が、重いものを入れてバッグを持った時の負担で、先日ポンッと外れました。

中から布をポンチでくり抜いた縫い代のゲジゲジが見え、使えないものになり、廃棄処分です。

こんな危ういお品を作っていたのかと思うと背筋がひんやり(+_+)。

長い目で見て、長く使えるお品ではなかったことの証明のような姿でした。

パーツが重さに耐えかねて外れてしまえば、ほぼそこで終了。

アイレットカン/片面ハトメをリフォームで今一度打ち込むことも、サイズがそのままではもう通用しなかったり、工夫が必要なコストのかかるリフォームが待っています。

そこにかかった余計なコストとの天秤で、結局廃棄して新しいものを購入の意向ということになり、もったいないお品だったということになるわけです。

こういうことを一切なくしたくて、シンプルでもいい、ミシンの縫いで確実に固定されたお品の方がかえって長持ちのお品だと美しい固定ステッチなどに重点を置くようになりました。

そういったことをずっと考えてきて、今の見た目のかっこよさとか、使う前だけの装飾の素敵さなどが本当に長続きするものなのかをちゃんと考えて作っていこうということを考えていたところです。

そもそも、製造を企画する時点でちゃんと作るのか・作らないのかさえジャッジするべきであり、未来が持続的ではないものは企画中止もいとわない方向で挑まねばと思っております。

ハンドメイド製作に関しては、まだまだ課題があります。

そもそも売れない物を作って在庫にわざわざすることへの見直しです。

企画も「勘」みたいなところがあって、いくつかの一部だけが注目されたりするものです。

余計な物を作ってしまっていることを反省しなければなりません。

じゃあ、「オーダーメイド」だったら必要な分だけ作るのだから良いじゃないかと思われるかもしれませんが、そうでもないのです。

なぜなら、「オーダーメイド」という商業的な構造を作るには、必ず、元の材料の調達者が必要で、生地もないのに、オーダーメイドが始まらないからです。

一見無駄が無いようにみえても、製造する構造が存在する限り、必ずどこかに前もって準備しておく「ストック・在庫」が生まれているのです。

じゃあ何にもできないではないか。。

そう考えると、本当に必要である品物意外は気軽に作るべきではないということです。

そういった企画に足を踏み入れてしまうと、儲けを追求した構造からなかなか降りることができないのです。

製作の技術を持っていても、行使するのかしないのかも本来冷静に考えるべきだったのです。

できることなどほんの僅かですが、この先に相応しい品物を作っていくということがまずその意識としてできることであり、心からそうしたいと思ってきたことです。

すぐには捨てられないような価値のあるお品物を作るということだけでもサスティナブルな意識が入ったものになると考えます。

完璧な100%サステイナブル商品というところまでいかなくとも、サスティナブルな意識を込めた商品を作ろうとすることからのスタートをまず切ることです。

できることとして、もう1つあります。

コスパの良いお買い物の仕方のご紹介をすることです。

そもそも購入するというところから物を保持することがスタートしますので、ショッピングはすごく大切になってくると思います。

軽い気持ちで品物を購入するものではないと言えます。

https://youtu.be/g2MGygFjUVQ

あとがき

前述の「ループを閉じる」というところに到達するには、例えば、古着であると、まず着たいと思うようなデザインに直すということも必要になってくるかと思います。

着る出番がないと、これまた意味がないからです。

例えばよく綴らせていただいています、「リメイク」もそれ自体は非常にサスティなブルな活動ですが、「著作権の侵害」に阻まれ、一度世に出た他社様の製造の品物は、作り変えて更なる販売や金銭を得るための発信活動でさえ問題行為となってしまうのです。

このことを解決していく方法を常に考えています。

考えたところで今は何もできませんが、出来るところから始めていまして、「リメイク」もあきらめるのではなく、自分使いの範囲にとどめる遵守をしながら、その手法に関しては「図解」で発信しています。

環境に考慮したお品が上手くサイクルするためには、「リサイクル自体がしやすい環境」なども必要になってくると思います。

サステイナブルなお品を作ることができる「環境整備」ということも並行して進めるべき今後の課題です。