「やらない」「手を付けない」という判断と勇気、本当に望ましい活動なのか、誇りを持てる活動なのかを一番に考える【1253】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ファッション分野の事業のイメージは「アパレル」が色濃くあります。

これまでは、あるデザインを大量に製造・販売することで、多くの在庫を抱えながらも割合として多くの売上を立てていくというスタイル。

それが、ここ近年コロナ到来のきっかけが大きく背中を押し、その構造の不可能さ・行き詰まりが際立ってきたと見ています。

アパレルはすでに業界全体の全盛期と呼ばれるような華やかな時代をとっくに終えています。

しかしながら、その時の成功体験にしがみつくやり方に執着してきたことが大半、これまでの老舗や大手が続々と廃業していきました。

もちろん、企業内では変化しようと試みた様々な苦労や対策もあったかもしれません。

しかし、スピードに追いつけず、信じられないほど極端な変化をしなければ到底間に合わない時に来てしまったのかもしれません。

そもそも大量に製造したファッションアイテムは、在庫ありきの商いであるため、その道に携わった以上そのしがらみを脱することが難しかっとこともあったでしょう。

ほんの小さな事業者もそれを見て他人事にしないことです。

規模ははるかに小さくとも、複数の製造をすることで分かった「材料の無駄」も見逃せない姿。

このたびの投稿は、小規模事業者だから率先しやすい、根本からの製造企画の見直しのお話になります。

「企画」は行うのか行わないのかの意志決定の選択肢も1つ入れておく、「手放す」「捨てる」「やめる」は決して後ろ向きの決断ではなくより良き未来を考えた前向きな判断

好きな分野でやってきたことのしがらみやこだわりが強すぎて、「捨てる」「やめる」ということに対して目を背けがちです。

しかし、やめることで新しいこの先への一歩を踏み出すこともできるのだということがあります。

世界中でここ近年知れ渡ったのが、海外の「ファストファッション業の安い賃金で格安商品を仕上げる、その労働者への配慮の無さ」です。

金銭面や環境面への軽視が例の有名な「バングラディッシュの縫製工場等のビル倒壊事件」でその象徴を世界中の人々が知りました。

生地をはじめとする材料を自分で調達してきていれば、複数製作の場合の材料調達に関してもイメージは分かると思います。

ほんの小規模でも置き場所に困り、山積みな在庫の姿に悩むのです。

労働者である「ヒト」が一番に取り上げられますが、実は、材料のロスというのも大量生産ではかなり無駄を生み出す実態があると思います。

確かに、足りなくなっては生産が止まってしまうので、多めに調達しているわけで、附属品のやたら多い製造では、それが何倍にも積み重なり全体のロスも多くなります。

じゃあそのロスで使用されなかった材料の行方は。。と言うと、なかなかそのことは表に出ることがありません。

そもそも、「大量に作って利益を得る」という考え方の見直しをするくらいの思い切った行動をしなければ解決されないであろうと思います。

これができないのは、相変わらず「儲け」だけを追求しているからであり、「お金を得る」ということをゴールにしてしまっているからです。

アパレル従事者達の多くが目を背けがちな、「製造企画そのものをやめる」という見直しは選択肢としては必要です。

製造しなければ環境に対してはある一定の効果が見込めますので、「本当に意味のある企画をしているのかどうか」というところこそ真剣に考えることだと思います。

あとがき

こうしてアパレルとは決して無関係ではないピクチャレスクの活動も見直しています。

売れない品物をひたすら作ることの無駄は、売上が立たないということだけではなく、余計なものをまた1つ新たに生み出してしまった責任が生まれること。

「良質な物を作る」ということを目指さずして、良き未来は訪れないとまで確信しています。

ということで、コンテンツ制作活動と自らも製造をするハンドメイドバッグの製作で目指すところは、必ず何かの良い足跡を残すための「優れた物を生み出す姿勢」をお伝えしていくことであると見直しています(^-^)。

書き手:ピクチャレスク

<パッチワーク企画②>1面に16パーツもの生地を並べて作るパッチワークナップサック、1点物にはなかった新しい価値の誕生が見込める【1170】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

【1168】の投稿で<パッチワーク企画>というものをこの<はぎれ>カテゴリーでスタートしました。

全部で①-⑪のシリーズでお届けしたいと思います。

製作できたナップサックは全部で4点、裏地もすべて両面共パッチワークなのですから相当なものです。

当ブログ記事は、最初の投稿の2022.12.02からおよそ2年後の2024.10.19にブログ記事の「手直し」の順番で、タイトルから見直しています。

よって、ブログ記事の内容が当時2022年のままのYouTubeと違い見方が変わっていますことご理解いただきたいと思います<m(__)m>。

当ブログ記事は2024年に「手直し」しながら2022年を振り返った見方で綴り直しました。

縦横共に4列ずつを並べた片面16パーツの並べ方、バラバラで配列が良いのか、それとも色や柄を片寄せまとめるのが良いのか

パッチワーク完成後当てる型紙:縦40cmx横52.5cmxマチ7.5cm(出来上がりは15cm)。

よく使用しています中くらい程度の型紙ですが、はぎれで作るサイズとしては大きいです。

ただ、マチの分で1マスほどパーツが消えますので、パーツを豊富にするならば、もっと大きなバッグの方が良いかもしれません。

パッチワークの1マスは、共通で、縦12.5cmx横17.5cmではぎれを共通のサイズにしながら無駄なく使える最大限のサイズでした。

パッチワーク1マス分のパーツ:縦12.5cmx横17.5cm、結構大きなパーツ。ブロックのような柄になります。

とりあえず、全部同じサイズで裁断して接着芯も貼るところまで完了しています。

とりあえず、縦4パーツx横4パーツで組み合わせを考案してみたのですが↓。。

1列に必ず1つパステルカラーの街の風景柄を入れています。その他の無地などは重ならないように点在。
全体を青味で統一。多いストライプ柄は市松のように点在。
黄色や青味のカラーで相性の良いカラーを組み合わせますが、赤い色がどうしても入ってきます。
ベージュx茶色系の花柄中心。1種しか無い柄が浮き過ぎないように類似の柄を盛り込みます。
上の続きで似た感じのベージュx茶系。
和柄を集めて葉っぱのグリーンとリンク。
柄と黒などの無地を交互に配置しました。
数の多いパーツを市松に配置。この配置を採用しなかった2022年でしたが、今思えばこちらが正解だったかも。

この辺りで、バラバラに並べることに少し違和感を覚えた2022年、ここから考え方に変化が起こります。

同じ生地を連ねた方が良いのでは。。

その代わり、まとめると境目がくっきりし過ぎるかもしれません。

多いパーツは、8-10枚ああるので、くっつけるとまるで1枚の大きな布パーツのように映ります。

と、こんな風にシミュレーションだけして、もとのように、同じ物をまとめてとりあえずいったん保管。

今一度同じ種類の生地ごとに戻しました。たった1枚だけしかない生地も少しあります。

こうして、並べてみた結果、どれもぼやけたものになるかもしれないというのが2022年時点で懸念していたことです。

続きがありますので、ここまでにしたいと思いますが、最初のバラバラの考え方は2024年から振り返ると正解だったと思うのです。

あとがき

登場の残布は、過去の2019年から現在2022年までのものがほとんどです。

2019年からのスタートでマルチカラーを取り入れてきたり、その後2020年からは黒ベースにテイストを変えていきました。

そんな変遷も見られる製作者にとっては思い入れのあるはぎれになります。

実は、写真や動画では出てきていないですが、この倍くらいの量の真っ黒のジャガードや無地がありまして、同じように裁断して接着芯を貼り1パーツになって準備完了しています。

写真や動画に映しきれなかっただけなのです。

そもそもできるだけはぎれを作らないような製作であると良かったわけですが、それでも余った部分の有効活用もそれはそれで、元の生地の良さが集結したものなので別の価値が生まれると思うのです。

それが、はぎれで作るにしては大き目サイズであるというならなおさらです(^-^)。

ヴィンテージマニアにはあり得ない状況、同じモデルの色違いのお洋服の購入が後から生まれる優劣【727】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

あまりにもお洋服がたくさんあふれて、迷ったときには色違いで2着とも買ってしまったなどといったエピソードがあります。

実は、ちゃんとしたお洋服というのは、1点を購入することで十分な相当なお値段が付いていなければなかなか「良質な品物」とは言えないのです。

新品のお洋服との比較では、ヴィンンテージ物というのは、良質でありながらお買い得に得られるという可能性であふれています。

元々、奇跡的に汚れや傷みの状況をくぐり抜けてきた現在も良い状態を保つヴィンテージ物であるならば、色違いなどという状況はほとんどありません。

どれもが1点物でありそのサイズしかないという存在なのです。

このたびは、1点物がなぜ優れているのかを、色違い2点の比較でお伝えしたいと思います。

同じ物を色違いで購入の楽しさは短命であるのは完全に選び切っていない状態だから

「大人買い」という言葉がありますが、1つの例としまして、同じお品を色違いで購入したその時とその後の気持ちや状況の変化をお話させていただこうかと思います。

実際に経験がございますので、実体験からの教訓のようなものだと思っていただければと思います。

同じ商品の色違い:購入時の気分はいかにも豊富なワードローブ展開になったようで楽しく感じたのですが。。

こんな風にデザインの同じ2着を迷った末に同時購入したとします。

その時は気分が一瞬満たされます。

両方購入したのだから、2倍楽しめる。。そう思うのです。

ところが日数がどんどん経過していくと、同じモデルであるがゆえに、どうしても比較してしまうことで優劣が生じ、着用機会が偏ることが分かりました。

片方は出番が多い、片方は出番が少ないということになります。

このことは、出番の少ない方が渾身の1着ではなかったかもしれないことを物語ります。

結果出番の少ない方はコスパが悪かったと言えます。

特に全く同じデザインの場合は、そういった優劣が分かりやすく感じられてしまうものです。

後で思ったことは、最初に後に着用場面の多いコスパが良かったと見越した方のみを最初から1着だけ選べばよかったということです。

色違いで購入したくなった時に、今一度、「値段だけがお得なことを重視していないだろうか」、「お得感にとらわれてその枠に包み込まれてしまって視野が狭くなってはいないだろうか」を冷静に考え直すと良いです。

渾身の1着を決めるためには、比較の結果が顕著であり後々偏りの出るような色違い・柄違いといった同時購入の仕方をあまりお勧めしないということになりました。

あとがき

たくさんある中から今後の出番の多さも見越しての渾身の1着を選ぶことは結構難易度が高いものです。

それだけ、購入という行為が大切でありハイレベルなことなのかが分かります。

実はその時だけのたやすい事のように思いがちな「ショッピング」ですが、後の後悔や悩みを生み出す可能性も孕む大切な瞬間なのです。

本来先にニーズがあって製造が来る順番、「見込み」や「予想」で製造することの甘さの徹底見直し【645】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「サスティナブル」への意識がいよいよ本格的に高まってきています。

「毛皮製造をやめた、本革に替わる素材を製造し始めている」などの情報から、もう実際にファッションブランド様が新しい時代向けの製造を始動し始めているところなのです。

結果本当にそれがサステイナブルなのかなどの深堀りはさておき、その意識・それに伴う意志表示は第一歩と言えます。

そんな高まりに触発されて、自作を改めて見返しています。

特に罰則などがない現在は自主的な活動に委ねられる、各々の製造者が呼吸するかのように意識するべき「サスティナブル」への取り組み

このたび、「グリーンファッション入門―サステイナブル社会を形成していくために:田中めぐみ 著」を3/4くらいまで拝読。

途中ながら、ここで3つの学びを咀嚼後のアウトプットでお伝えしたいと思います。

1)完全に実現は不可能、できることを等身大でする。

持続するには、そもそもこれが大切。

無理して大きく効果を出そうと前のめりではどこかでお手上げをしてしまうかもしれません、続けていくことこそがまず大切だからです。

サステイナブルに関しては、法律が敷かれているわけではないところに、各々のペースに委ねられる部分があり、それほど進んでいないと見ることもできるようです。

一人一人の意識で自らが能動的に踏み込んでいかないとなかなか進んでいかないことでもあるのです。

そして、完璧なサスティナブル商品ということが不可能であり、一部に取り込んだりなどの可能な範囲内でということになるのが現状。

ただ、それも意識は向いたことになり、一定の意味があると思います。

2)リサイクルするためのエネルギーや化学薬品が実際には必要。

リサイクルという活動自体がコストがかかるものであり、そのためのエネルギーや化学薬品の使用は無しというわけには進みません。

ただ、「環境を汚染したまま放りっぱなしよりもはるかに、リサイクルするための目的でのエネルギーや薬品は環境にやさしい」とのことです。

この点は反論として必ず湧き出てくる発言「結局何をしているのか分からないのでは。。」というような否定的な意見にも強い説得力があります。

3)「ループを閉じる」というキーワードが目指す部分。

「ループを閉じる」というのは、「製造されたお品が再び使われて、ずーっと循環していくようなイメージで、外に余剰在庫とか廃棄処分などのようにもれることがない1つのつながった枠の中で一度製造された商品が生き続けるサイクルができる」というもの。

これが理想のサステイナブルな商品のサイクルができている目指すべき構造。

目指すところは完全リサイクル化のループが出来上がって、取りこぼすことがないというイメージでしょうか。

とても理想的ですし、現在と大きく変わっていくスタイル。

やはり一人一人が意識せずして出来上がらない構造だと考えます。

製作するハンドメイドバッグではどう製造していくのかを考えてみた

ここ最近、ハンドメイド品に使うパーツの徹底廃止をする決意がありました。

将来いつか外れる可能性が幾分かある打ち込みの金具パーツを取りやめる決意をしたところでした。

実際、以前に自作したアイレットカン/片面ハトメの取っ手の穴が、重いものを入れてバッグを持った時の負担で、先日ポンッと外れました。

中から布をポンチでくり抜いた縫い代のゲジゲジが見え、使えないものになり、廃棄処分です。

こんな危ういお品を作っていたのかと思うと背筋がひんやり(+_+)。

長い目で見て、長く使えるお品ではなかったことの証明のような姿でした。

パーツが重さに耐えかねて外れてしまえば、ほぼそこで終了。

アイレットカン/片面ハトメをリフォームで今一度打ち込むことも、サイズがそのままではもう通用しなかったり、工夫が必要なコストのかかるリフォームが待っています。

そこにかかった余計なコストとの天秤で、結局廃棄して新しいものを購入の意向ということになり、もったいないお品だったということになるわけです。

こういうことを一切なくしたくて、シンプルでもいい、ミシンの縫いで確実に固定されたお品の方がかえって長持ちのお品だと美しい固定ステッチなどに重点を置くようになりました。

そういったことをずっと考えてきて、今の見た目のかっこよさとか、使う前だけの装飾の素敵さなどが本当に長続きするものなのかをちゃんと考えて作っていこうということを考えていたところです。

そもそも、製造を企画する時点でちゃんと作るのか・作らないのかさえジャッジするべきであり、未来が持続的ではないものは企画中止もいとわない方向で挑まねばと思っております。

ハンドメイド製作に関しては、まだまだ課題があります。

そもそも売れない物を作って在庫にわざわざすることへの見直しです。

企画も「勘」みたいなところがあって、いくつかの一部だけが注目されたりするものです。

余計な物を作ってしまっていることを反省しなければなりません。

じゃあ、「オーダーメイド」だったら必要な分だけ作るのだから良いじゃないかと思われるかもしれませんが、そうでもないのです。

なぜなら、「オーダーメイド」という商業的な構造を作るには、必ず、元の材料の調達者が必要で、生地もないのに、オーダーメイドが始まらないからです。

一見無駄が無いようにみえても、製造する構造が存在する限り、必ずどこかに前もって準備しておく「ストック・在庫」が生まれているのです。

じゃあ何にもできないではないか。。

そう考えると、本当に必要である品物意外は気軽に作るべきではないということです。

そういった企画に足を踏み入れてしまうと、儲けを追求した構造からなかなか降りることができないのです。

製作の技術を持っていても、行使するのかしないのかも本来冷静に考えるべきだったのです。

できることなどほんの僅かですが、この先に相応しい品物を作っていくということがまずその意識としてできることであり、心からそうしたいと思ってきたことです。

すぐには捨てられないような価値のあるお品物を作るということだけでもサスティナブルな意識が入ったものになると考えます。

完璧な100%サステイナブル商品というところまでいかなくとも、サスティナブルな意識を込めた商品を作ろうとすることからのスタートをまず切ることです。

できることとして、もう1つあります。

コスパの良いお買い物の仕方のご紹介をすることです。

そもそも購入するというところから物を保持することがスタートしますので、ショッピングはすごく大切になってくると思います。

軽い気持ちで品物を購入するものではないと言えます。

https://youtu.be/g2MGygFjUVQ

あとがき

前述の「ループを閉じる」というところに到達するには、例えば、古着であると、まず着たいと思うようなデザインに直すということも必要になってくるかと思います。

着る出番がないと、これまた意味がないからです。

例えばよく綴らせていただいています、「リメイク」もそれ自体は非常にサスティなブルな活動ですが、「著作権の侵害」に阻まれ、一度世に出た他社様の製造の品物は、作り変えて更なる販売や金銭を得るための発信活動でさえ問題行為となってしまうのです。

このことを解決していく方法を常に考えています。

考えたところで今は何もできませんが、出来るところから始めていまして、「リメイク」もあきらめるのではなく、自分使いの範囲にとどめる遵守をしながら、その手法に関しては「図解」で発信しています。

環境に考慮したお品が上手くサイクルするためには、「リサイクル自体がしやすい環境」なども必要になってくると思います。

サステイナブルなお品を作ることができる「環境整備」ということも並行して進めるべき今後の課題です。

アパレルに儲けを極限に追求した反動、環境破壊と人権侵害を本気で憎む【624】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ブログ記事は、YouTube動画と連動しておりまして、タイトルの末尾の同じ番号【】をブログにも採番致しております。

ブログが翌日投稿になりますので、この記事の前日がYouTubeアップの日であったというおおかたの見方です。

さらにその後、インスタグラムでも同じ番号、その次にスレッズでも同じ番号でそれぞれ少し違った書き方で投稿させていただいております。

インスタやスレッズはご覧いただく人の新たな開拓(新しい出会い)のようなもので、動画とブログにアップしたということをお知らせする機会のような使い方です。

よって、特に一番最初のYouTube動画投稿と翌日午前中のブログ投稿が主体です。

ただ、インスタやスレッズがあったおかげでYouTubeの登録者様が外国の方だったりなど大変光栄なこともある程度把握しております。

本当に皆様ありがとうございます(^-^)。

このたびは、昨日公開の映画を早速観賞、YouTubeとブログにアップさせていただいております。

観賞映画は、「グリード ファストファッション帝国の真実」。

いよいよ、「サステイナブル:永久持続性」をハイブランド様やアパレル品製造業者様の多くが意識し始め、実際に生産に取り入れてきているような昨今の中での公開は、悪しきしきたりの本当の終焉を告知したかのようで、このタイミングとして見ますとタイムリーだと言えます。

映画には、「いましめ」のようなものが入り混じり、いつまでたっても相変わらず儲けを追求して、人権などを踏みにじり続ける経営者に対する「怒りが膨れ上がった姿」もラストシーンで感じました。

大儲けの資本家の反対サイドで苦しむ低賃金、劣悪環境の労働者との差の問題

ビジネスたるもの、少ない資本から大きな儲けを追求することは基本的な考え方としてはあるもの。

しかしながらその裏側で労働賃金を極限に低く設定された交渉のもとで生み出されたその生産の結果、資本家と、労働者の裕福さの開きがあまりにありすぎるものに。

映画の中の2点の引用で、当記事にたどり着いてくださいました読み手様と共有したいと思います。

1点目は、主人公のファストファッションの経営者の部下や従業員人に対する経営者のトップの態度。

モラハラ・パワハラが問題になる現在の姿をいとも分かりやすく私たちにその様子を伝えます。

店の名前の看板1つに対してとにかく目立つような派手な色使いを強要、しかも出来上がった状態に対して後から指摘し、考案者の人格すべてを否定するような汚い言葉での罵倒。

このパターンが他の人にもなされる日常。

看板の色使いを決めるに至った持ち場の担当者の思いや、意見を聞きとり、話し合うなどの事は一切なし、ワンマン型の究極の姿です。

そんな場面が多く、別のシーンでも多く見られました。

凍り付くような寒々とした場面に唖然とする大勢の従業員対トップの彼1人との極端な「温度差」がそこにはありました。

2点目は、その提供に見合った金額のお金を払うべきタクシー代、ここでは、極端に値下げを要求。

かと思えば、自分誇示のためのパーティーの派手な演出などには多額のお金を湯水のように出費するという極端さ。

ここから、この経営者のお金の投じ方の問題が浮かびます。

ふさわしい場面に必要なだけのお金を支払っていくということを全くしていないのです。

非常に嘆かわしく、常に我欲が中心にありました。

自分が今あるのは、労働してくれている多くの従業員のおかげだとは微塵も思っていなかった人間の末路を、分かりやすい形で表現したオーソドックスな内容です。

あとがき

この映画は、ある意味「最終通告」のようなもの。

ついに、そのカードが切られた、もうそのフェーズに来たといったメッセージです。

映画の中では、分かりやすく究極な形でこれまでの悪いやり方の行き着く先を表現されていたわけですが、日常のアパレル事業の活動の中では小さいながらもこの考え方が根付いていることがあります。

世の中があれだけ性差を失くしジェンダーレス社会になっているにもかかわらず、「男尊女卑」が今だにファッション業界では残っています。

その他、実際に製造する者が、意見を言えず、とにかくきつい納期の中でひたすらイエスマンを貫かねばならない状況も。。

特にアパレル業はそういったことの大きな改善が遅れていると思います。

この原因は何なのでしょう。

かつての「ガチャマン時代」という、機織りをしていれば素材が洋服に変わりみるみる売れる良き時代があり、その栄光がいつまでも忘れられないことも1つにあるかもしれません。

あれこそが本当のアパレルの姿だと誤解をしている、そう思いたいということなのでしょう。

現在読ませていただいております生地の歴史の本においても、長い長い歴史で見てみると、布を材料に完全機会化は決してされない手仕事が必ず残る衣服の製作や生地の製造は、「大儲け」というのは本来はなかなか過去にも無かったこと。

生地の1つの素材でさえも、昔であってもある流行の波にたまたま乗ってその時は繁栄した時期が長く続いたことがあったという見方。

産地の素材1つだけとっても、衰退しそうになりながらなんとか作り続けてきたことなのです。

それなのに、洋服を作るまでの複雑な経路のアパレルの構造にもよるのですが、元の素材からスタートの部分を、表面的に見てうわべの判断で進めていく中間業者の無責任さはを感じることがありました。

儲からないなら「やめる」というのであれば、是非そうしていただきたいと思うのです。

本当にアパレルをしたかったわけじゃない、旨味を得たかったことが目的だったからです。

「多重構造の大きな怒りの塊」があの映画の中のラストのシーンで爆発しているようでした。

今後は一人一人が心に留める言葉になってゆくであろう「サスティナブル」について考えた「本革レザー製品」の見直し【606】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

ここ近年「サスティナブル:永久持続性」という言葉がかなり真実味を帯びてきました。

当初はある一部分の意識という領域から、ハイブランド様が、「ビーガンレザー」などと謳い、「本革である動物の革を使った商品をとりやめる、毛皮をもう作らない」など商品の根本の素材の見直しが至る所で行われ始めました。

ただ、「ビーガンレザー」というのは革の様相を少なからず残すことができるのでまずのステップとして入った領域だとは思うのですが、いわゆる「人工皮革とか合皮」なのです。

結局、言葉の一人歩きなところもあるのか、「ビーガン」という言葉が正当な感じがしますが、以前にもブログでよくアップしてまいりました記事の中でも、「合皮」は、劣化がとても早く長持ちの物では決してないので、果たしてそれが「永久持続性」なのかという矛盾も。。

そんな疑問も何かの勘違いで、本革生産よりもはるかにそこに貢献しているものなのかもしれないという期待と共に、自分でももっと知っていきたいと、1冊の本を手にしました。

この本はかれこれ10年前に書かれた本なので、そこから、急速にここ数年でもっと「サスティナブル」が叫ばれてきています。

「GREEN FASHION グリーンファッション入門 サステイナブル社会を形成していくために:田中めぐみ 著」です。

まだほんの読み始めなのですが、この度の記事は、読み始めた最初の時点での、一読後のレビューとは別の切り口で、「グリーンファッション」という分野に対して考えることなどをお伝えしたいと思います。

また、読み終わった後では新たな感想が出てくると思いますので、一読後の記事【645】に綴らせていただきます。

1点のブランドバッグのパーツごとの素材の傷みの極端な差が「もったいなさ」を生んでいた

本革の無駄を非常に感じたエピソードとなります。

誰もが知る某ブランドの、持ち手が本革レザーのナイロンバッグを使っていたことがあります。

ナイロン生地は1枚仕立ての簡単な作りなので、いずれ角のマチの部分がすれて、間もなく穴が開いてきました。

そうして、そのバッグも終了の時期かと思いきや、取っ手が恐ろしいくらいに何ともなくまっさらという状況がありました。

その時に、非常にもどかしい気持ちになり、「非常にバランスの悪いバッグだ」と思いました。

1つの商品の中で消耗度の違う材料を組み合わせてあるので、片方がダメになって使用は終了のタイミングである一方で、もう片方のパーツはまだまだ使えるというジレンマ。。

ここに非常に無駄を感じ強い「憤り」を感じてしまいました。

本革のお品が良すぎるというバランスの悪さの見方もできますし、取っ手に相応しい本体の作りになっていないという見方もできます。

こういう商品は、その場のかっこよさとか、商業用の売上を重視したその場しのぎの点が否めません。

それっきりそこのメーカーのバッグは卒業です。

このことは、後のハンドメイドバッグ製作にも教訓として活かしています。

本革レザーと生地との組み合わせが後々、使っていく中で満足できるものになるのかどうかをちゃんと考えて本革レザーなどを取り入れる必要があると思ったと同時に、「本革レザーは使わない」を実際には選択しています。

すべて本革レザー:黒。確かに素敵ですし、高級感がありますが今後は多くは作られていかないでしょう。

本革のバッグを1点作った時の値段というのは、ノーブランド様(随分失礼な呼び名ですが、ハイブランド様以外のただの言葉として致し方なく綴りました<m(__)m>)が作ると3万円程度の価値しか付かないと聞きます。

これが、ハイブランド様であると、そのブランディングが大半の価値を占めて、20万にも30万にもなるということです。

そう考えると非常に良質過ぎる素材の意味が全く分からなくなります。

更に思うのは、そこまでの良質な素材のデザインのバッグをずっと使い続けるのかどうかも。。

大半は途中で飽きたりして手放すことが多いのが物が溢れ過ぎた現在の状況ではないでしょうか。

結果コスパが悪い商品だったことになってしまうのです。

そうすると、それ相応の適度な良質さで長持ちする良い作りとのバランスでできた商品の方が無駄がないのかもしれません。

本当の意味でコスパの良い商品を追求することも、「サスティナブル」への関心の1つになると思うのです。

もうすでに存在している過去の本革レザー商品を大切にする考え方、「リサイクル」「リユース」は誰もができること

もともとヴィンテージ好き、過去の本革レザーのバッグなどはとても魅力で、1990年代前半頃のハイブランドレザーバッグをヴィンテージもので集めてまいりました。

ただ、過去の物の中にも、流行があって一癖あったり、現在では何か不格好だったりする点を補う対策がないとなかなか受け入れられません。やはりカッコイイのがファッションです。

それが、リフォームだったりリメイクだったりします。

一度世に出た製品というのは一流ブランド様のものだったり、名が知れていないメーカー様のものであったとしても、間違いなく自社ブランドなので「著作権」があるのです。

そうすると、なかなか簡単に、大胆なリフォームやリメイクにより作り替えなどということは「著作権の侵害」の壁があります。

この壁が何とかならないものかと常に思っています。

お洋服にしても、例えば、良質な洋服を作っていた某メーカー様が倒産してしまい、過去の在庫が残ったその在庫自体は、「破産管財人」という人物だったり「後継会社」に権利が移るようです。

現在は、「著作権」の垣根は強固なもので、解放されていないのがほとんどだと思います。

作り変えや大幅な手直しをすることは、「違反」になってしまうのです。

これは非常に大きな課題だと思っております。

洋服の古着の「リメイク」については「アイデア」のみを図解でご紹介するスタイルで発信し始めている

「著作権の遵守」の方法としましては、リメイクの「アイデア」だけを図解で発信するというスタイルです。

これなら、「著作権侵害」に当たりようがありません。

最初の製造主が著作権を解放するということなど難しい現在。

このことは、長い時間をかけて見守っていくしかありませんが、おそらく多くが自社の製造品を守ろうと「著作権を行使」されると思うのです。

もし、リメイクをOKにしてくれるブランドメーカー様や製造業者様が増えてくる未来はあるのでしょうか。

その点は引き続き「著作権の遵守」をしながら見守りたいと思いますし、「アイデア」のみを図解で発信することは続行してまいりたいと思います。

あとがき

リメイクは、一から洋服を作ることより、入り口としては、はるかに簡単に入れますので、多くのリメイク者は現れそうです。

その分、著作権の解放をする人はほとんどいないという現状ですよね。

いつしかの、2010年以前の「YouTube」様の投稿者が「がら空き」であったことが懐かしく、それほどの差だと思います。

「シャネル」ブランドの創始者「ココ・シャネル」様は、意外と、著作権に関しては寛大だった(気にしていないというスタンスかな)ようで、コピー商品がその分多く出回った時期があったようですが、そんなこと以上に有名になったという大きな財産を得ました。

「真似されていくことに逆らわず、解放することこそが結局は自分の事業のメリットになり、益になる」という「ココ・シャネル」様の見方がある意味正しかったと言えます。

ただ、一人が解放の意志を強く示しても、大勢で成り立つ会社ですので、他の人が許しません。

それぐらい、どこかでそのブランドに携わる誰かが「権利を守りたい、行使して力を示したい」という「欲」があるというのが商業の現実なのです。

けれど、その中でも別の面で問題も出てくることもあり、一筋縄でもないようで、権利を主張した方がうまくおさまる場合もあるのかもしれませんので否定するものでは決してありません。

とにかく、サスティナブルの今後を考える時に、誰もが個人単位でできそうな「リメイク」には引き続きポテンシャルを感じております。

今できる範囲のことを100%やっていくのみ。

「著作権」に阻まれスローペースでしかやれないことも当然であり、元の製造者様を一番に尊重したたえることを忘れてはなりません。

それでも足を止めないでリメイクの可能性を探してゆきたいと思います(^-^)。

かっこよさを追求した表面的な金属パーツ使いのバッグ、ほとんどの種類を試してきた者が決意した「長持ち」のための廃止【601】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

例えば、ハンドバッグのワンポイントになる開閉のヒネリ錠、これがあるからこそのかっこよさがあると言えます。

しかし、それも第一印象の表面的なものに過ぎず、ある日突然ネジがポロリと外れる日が来る可能性を孕みます。

金属パーツはそれほど当てにならない部分もあることを、数々の種類を実際に布バッグに打ち込んできたことで実感しています。

最終的には、縫い付けタイプの「Dカン」「ナスカン」「線コキ」以外の打ち込み式はすべて今後ハンドメイドバッグ製作で廃止の意向です。

本気で長持ちのバッグを作ろうとするなら、これらは使わないのが正解、カシメるだけのパワーがいかに頼りないものか

様々な金属パーツ:そもそもこれらは本革レザー用であり、生地には使用はだめだとパーツ屋さんは言われます。

アイレットカンは、丸くくり抜かれたところに金属のパーツを取り付けて、紐が通せるようにするスタイリッシュなパーツです。

ハトメは、リボンなどを通す時の穴、ヒネリ錠は、フラップバッグなどの蓋をとじる時の留め具など、今まで数々の打ち込みパーツにトライしてみてきました。

そうして、おおよそひと通りそういったパーツを使ってきて今、思うこと、それはその後の破損の懸念です。

例えば、ショルーダ―の折り返しの部分を両面ハトメと呼ばれるもので留めたとします。

もう1方はミシンで返し縫いを十分にして留めたとします。

果たしてその持ち具合は。。

手ごたえとしては、ミシン縫いの返し縫いの方が確実です。

ミシン縫いというのは、やった作業の分が腑に落ちるのです。

しかし、パーツの取り付けは、打ち込んだ「カシメのパワー」に委ねるところが大きく、手ごたえは全く感じられないので、その場で少し引っ張ってみて大丈夫かな。。程度の宛てにならない判断なのです。

その後使いながら、もしかしてポンと外れるなどの予想が少なからず残ります。

反対に、ミシンステッチ縫いで止めたものは、その後も絶対にそのようなことが起こらないと100%思えます。

この違いをずっと思ってきました。

今後の来るべき本格的なサスティナブルの時代も考えて、こういった作り手の方でわずかながらも残る不安がある部分を含むハンドメイドバッグを販売するべきではないということを本気で考えております。

そうして、今回、こういった穴をあけるパーツが必要なデザインは思い切って廃止する決意をしたのです。

あとがき

「サスティナブル意識」が高まる昨今、新しいものを製造する際には本当に根本から「長持ち」の事を考えて作ってあげるべきだと思うのです。

やはりずっと末永く使っていけるものが良いですから、何でもないところに穴をあけることさえ多少のためらいがあるのです。

そういうことを気持ちそのままに正直に従い、腑に落ちながら丁寧に作っていくハンドメイドバッグというのを改めてこの時点から始めていきたいと思います。

ここで言う「丁寧さ」というのは、製造をじっくり正確に行うというだけのことではなく、考え方からして「親切さ」が入り混じる事も含む「考え方そのもの」を指しているのです(^-^)。

超高級品である必要はない、キッチン用品を「良いレベル」でそろえる勧め、毎日使う品物を最低限の数持ち備え何十年も使用していくことの素晴らしさ【283】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

「コスパ」の内容の記事に関しましては、これまでも【185】や【257】でお伝えしてまいりました。

それらの記事に関しましては、分野が「インテリア」における「タオル」を主にピックアップさせていただきました。

このたびの【283】記事の「コスパ」の分野は「キッチン」における例です。

どの世帯にも必ずある、鍋、フライパン、包丁などについて実際の自身の使用例からどのくらいのレベルのものでありどれだけ使ってきたのか、そして現在の状態をお伝えしてまいりたいと思います。

物の購入時の価格と品物のレベルのバランス

どんなお品物でも共通にして、自身が思うことは、ある一定の価格以上のハイクラスのものは、「ブランディング」が付加されて価格がアップされていることが多いということです。

そうはいっても、超一流の製造者による超一流の材料を使い。。と突き詰めた結果「超高級品」が出来上がるわけですのでただ適当なお品物にブランディングが付加されるということは決してありません。

ちゃんとユーザーを納得させ、うならせる商品であることは間違いなさそうなので、一定のファンがいることが予想できます。

ただ、日用品の毎日使いのものは、ある一定のレベルあれば十分事足りると私は考えます。

コスパの面では、どれだけの年数使えるのかを考えた総合で見ると、どれだけのブランド価値があっても同じように消耗していく素材なのだという考え方も持っていたいものです。

今回ご紹介のキッチン用品のそれぞれにつきましても、安物では決してない、皆が認める良質さがちゃんとある品物です。

ちゃんとしたものだと実感でき、何不自由なく毎日使えています。

「RIVER LIGHT(リバーライト)」製のフライパンと「東急ハンズ」様で購入の取っ手付き鍋。

フライパンはいずれも鉄製で¥4,000-¥6,000代の範囲。

取っ手付き鍋は¥3,000代後半の記憶です。

テフロンなどは消耗しやすいので使ったことが無く、鉄製を貫いています。

鍋はステンレス製の程好いサイズのもの。

実はこちらが2代目でありまして、1代目が取っ手のネジ取り付けだったことで使ううちにどんどんネジが緩むストレスがおまけとして附随し、結局取っ手のネジ穴が破損していってしまいました。

ディスカウントショップで適当に選んだものでした。

その教訓から2代目は、取っ手が完全に「溶接」タイプ。

この2代目のお鍋が1代目をはるかに上回る年数持ち続けて今に至るのです。

一番左のフライパンは、平らな部分に経年の使用のふくらみが生じ、リフォームが必要になってきますが、そこで買い替えをせずにリフォームしてもらって、その後もこれを使っていきたいほどの使い勝手の良さがあります。

卵焼きとしてはイメージがあると思うのですが、餃子にも必ず使用しますし、ハンバーグやムニエルにもグッド。

小さめなのに意外と使い道が豊富です。

真ん中の中華鍋も万能、チャーハンや炒め物はもちろんですが、意外にもシチューの具沢山が鍋では小さすぎる場合に利用しています。

そして、お好み焼きもこの中華鍋で上手に焼けるのです。

よって、この3つを最低限持ち、あらゆるメニューが可能なままずっと使い続けてどれも20年以上が経過しています。

同じく20年以上の包丁もご紹介したいと思います↓。

包丁:「JUSCO(ジャスコ)」/「イオン」様の前身」のデパートで購入。¥9500→¥4,500のバーゲン品。

毎週1度ずつ各パーツごとに15回ずつ研ぐというルーティーンをしてお手入れしていますが、果たしてちゃんとした研ぎ方なのかは自信がありません(^_^;)。

ただ、この包丁1本だけで20年以上なのも確かで、デザインとしても、特に持ち手の茶色の木製がお気に入り。

ほとんどが黒の持ち手ですので、茶色がどちらかというと希少で優しい雰囲気です。

一定のレベルさえ満たしていれば20年も持つ事実から言えること

ということで、お値段がすべて¥10,000以下の品物ばかりであったところが特徴です。

それでも決して安物ではないと思います。

こうして日用品としてよく使うものは、ブランド名が有名であるステータスなど意識しないで、長く持ち続けることでコスパを高めています。

コスパは長く持てば持つほど高まるということであり、そもそも最初の選ぶ時点で「飽きの来ない普遍的なもの」や「自分がとても好みであるもの」をこだわって選ぶということが大切だと思います。

選ぶ時点で、「一番だ」と思わなかった妥協の品物は後に早く手放すことになると思います。

これは、この度のキッチン用品にとどまらず、すべての「衣・食・住」の品物に言えることです。

あとがき

これからの時代、持続的に物を使うということの大切さなどは意識するべき大切な事柄となってゆくと思います。

買い替えるから売れ続けるという商業上の事情もあるかと思うのですが、そのような目的で品物を製造しないでほしいとさえ思います。

完全に事業者自身の利益だけを追求したような製造形態だと思います。

そうではなく、いつまでも長く使えるよう真心が込められた品物がどう考えても優れています。

ちょっとした見せかけの装飾や、ごまかしなどは結果として現れるものであり、そこで一気に信用を落とすかと。

それほど「物を作る」ということ自体がたやすいことではない、「人生」をもかけることであり、そこに込められた思いがちゃんと正しく購入者に伝わるような責任ある供給であってほしいと思います。