夢中で好きな物を集めていった時に出来上がったもの、それは独特の「世界観」だった【183】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

長い間「なぜなんだろう」というどうしても集めてしまう嗜好の理由が分かりませんでした。

何かそんなことが書かれた本はないものかと、「集める 理由」などと検索して本を自ら探し求めました。

そうしてヒットした1冊の本を早速購入。

タイトルは、「集める人びと 蒐集の小宇宙(ミクロコスモス):瀬川正仁 著」。

この本の帯の部分に「ヒトはなぜ蒐(あつ)めるのか」という私の疑問そのものが書かれていたのがきっかけです。

コレクター達の素晴らしいお品とその経緯をルポタージュで綴られています。

本の材質も良くて、1ページ1ページが厚めで、写真がたくさんあります。凧、鉄道パーツ、人形、値付けなどコレクター達が集めている物品もそれぞれ個性的です。

集め方に分野の偏りがあるのかどうかなどその集め方の人による違い

この本を読み進めていくと、コレクター達ががいかに本気で、人生をかけて集めているかが感じられます。

お金の問題、置き場所の問題などいろいろな困難には会いますが、集めることへの思いが勝って集めることを貫いています。

私も自分自身が集めることをたくさんしていて、特に高価である宝石類は購入時は真剣勝負のような気持ちで挑んできました。

この本の中で人形を集めている女性の集め方が少し共感できました。

「何もかも完璧にぎっしり一からそろえる意識はない、購入できる範囲内のものをたとえシリーズが不ぞろいでも高価すぎるものには手を出さず、可能な範囲で集めています」とのこと。

何かこの感覚は、共感できる部分がありました。

ここから思うことは、コレクションしていく過程も大事だということです。

負担やつらい気持ちが伴うとそれは続かないし、楽しいものではなくなってしまうのかもしれません。

幸せを十分に感じながらゆったりと集めていく結果、気づいたらたくさん集まっていたということだって十分に素晴らしいのです。

私自身も集めると言っても、高額なものを無理してということは決してありません。

きりがないことなんです。

それよりもミドルクラスの良質な宝石をたくさん集めるところに重点を置いています。

一方で高価なものを人生かけてどっぷりお金をつぎ込む人もいます。

けれども、それに幸せと満足感を得られるならば、ありです。

集まったお品というのは、博物館行きのレベルの物になっていたというコレクターもこの本の中にはいらっしゃいました。

なぜ集めるのかということの私なりの答え

私は、この本を目的を持って見つけたわけです、なぜ集めるのかの答えを探したいということで。

この本を読んで、いくつかのヒントが得られました。

この本の中のコレクター達が人生をかけていること、家の中に置き場所が必要で引っ越しをしたり、とにかく集めることが人生の真ん中に位置していたのです。

そういうことから、得た私の答えは「生きがい」とか「人生そのもの」というのが答えです。

ミドルクラスの物を可能な範囲内で集める私でも、かなりの熱とそのお品に対する探究心、知識を持ち合わせるよう、日々アンテナをはりめぐらす人生になっていきました。

そんな人生の一幕を集めたものが「世界観」として表してくれるのです。

集めた後の商品の行方と活かし方

集めることの最終的なゴール、行き着く場所というのはあるのでしょうか。

本の中では、重要文化財級に資料館への提供などの形での貢献という形でのゴールもありました。

とてもそれは意味のあることです。

自分だけにとどまらず大きな規模でのアウトプットにつながった例です。

自分の好きだった物を自分だけの範囲にとどまらず、人にも伝えて広めていくきっかけが作れているということになりますね。

けれども、ただ集めているだけの段階にしても、この本で紹介されていること自体が、他の人へ伝えるきっかけにすでになっていますので、1つ何か集めてきたことが実りを上げていると言えます。

さて、私の場合は、といいますと。。

集めてきた300点近くの宝石類は、「本物志向のレンタルジュエリー」という形で他の人へ広めていこうとしています。

そして、その他の集めた品々は宝石以外でも、当ブログとかSNSなどでの発信の写真や映像でご紹介。

そうして、自分だけのものだった集めることの喜びや幸せを伝えてみるということを始めています。

遡ること10年以上前は、まだSNSが豊富でなくて自分自身も何も手を付けていませんでした。

それが、集めていく時の何か溢れんばかりの気持ちを誰かに伝えたいと自然に思うことがありました。

誰かこの喜びを同じように感じる人はいないのか、なんでこんなに楽しいことを他の人は味わっていないのかなど、言葉にするとちょっと変な風に書いてしまいますが、とにかく気持ちが高ぶった瞬間が間違いなくありました。

その後10年経ち、今はSNSが当たり前になった時代に入りました。

そうすると伝えやすくなっているし、よく見てくれたり気づいてくれるようにもなったと思います。

そうやって今後も時には事業に取り入れながら、集めてきたものをいろんな形で共有したいと思います。

あとがき

集めていく中で嫌な気持ちになったことなど一度もありません。

集めるということ、コレクションしたものを愛でるだけにしても、間違いなく幸せを感じさせてくれるものに違いないのです。

先程貼りましたYoTtube動画の中では、この記事には書ききれなかった、「機能美」についてもお話しています。

私自身自作しているハンドメイドバッグに学ぶ点が大きくあった内容です。

とても嬉しいことに、集めることの理由を見つけるための研究の中で、ハンドメイドバッグのヒントになることも得られたことは大変嬉しい偶然。

機能美については別の機会に特化した記事を書くつもりです。

ある分野に特化してこだわったり集めたりするような「オタク」は素晴らしい文化だと思います(^-^)。