ここまでの「粋」なファッションアイコンはただ一人、めったに真似をしない私が真似た程の突き抜けたセンス【598】

まえがき

こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。

【589】の記事でも綴らせていただきましたが、「ケイト・モス」様のファッションがとても好きです。

このたびは、その熱い気持ちが1冊の本を手にすることになります。

「KATE MOSS STYLE:ANGELA BUTTOLPH 著・天野智美 訳」を拝読。

豊富な写真付きで、複数の記者様の言葉で書かれた文章も非常に面白い本。

【589】の記事では、読み始めたスタートの頃に、いち早く記事に綴りたく、本を読み始めの入り口にあたって本とは関係の無い切り口からお話させていただきました。

このたびは、実際に本を読み終わりましたので、本を読んだ上で改めて綴らせていただきたいと思います。

普遍的なTシャツも高級なドレスも「フラットな目」で見ている

自身は、「ケイト」様からはかなり遠い位置におりますので、スナップ写真をネットで見るだけの情報しかありませんでした。

よって、その素敵なドレスやワンピースがまさか古着であるとは知ることができませんでしたが、このたびの本でそれがクリアになりました。

もやっと、ヴィンテージっぽさを感じてはいたものの、実際にもヴィンテージ服そのものだったということ、これがとても意外でした。

「ケイト」様は、選ぶお洋服に対して、おそらく「フラットな目」でその優れた点を軸に見ておられると感じます。

もちろん、ヴィンテージとはいっても、かつての女優様がお召しになったという高級なヴィンテージ服も含まれるに違いないのですが、独自の表現でそのイメージを新しいものに生まれ変わらせている様子もうかがえます。

結局は、ステージ衣装級のお品であるドレスと普段着っぽいTシャツが平等にフラットに考えられているのです。

お洋服に優劣を作らない、エレガントなのかカジュアルなのかさえその別をフラットな目で見ていると思えます。

このことは「哲学」に通じることであり「メッセージ」なのです。

あとがき

そんな「ケイト・モス」様ですが、こんなジレンマ的な状況に自身としては違和感を感じました↓。

今までは、自分ならではの、他の人から抜きん出たファッションコーデをしてきてここまでに至りながら、その後の活躍で、ブランド「トップショップ」を通じて、同じ洋服をたくさんの人に届けるというビジネスに携われていたこと。

人とは違うファッションであるはずが、人と同じファッションを提供するお仕事をする。。

ここに、今までの良さである他の人よりも抜きんでる独自コーデをご提案をどうしていくのかという点です。

これは自身の意見に過ぎませんが、「スタイリスト」として独立した自分のポジションは常に持っていた方が今までの独自のコーデというものを持ち続けることができるのかもしれないと思いました。

余計なお世話でしかないのですが、「働き方の工夫」がキーワードであり、おそらくなのですがご自身が一番気づいていることではないかと思います。

商業はどうしても、多数の人に届けることでレバレッジを利かせて多くの利益を追求するという目的になってしまいがちです。

そうすると、根底の部分の独自のスタイルの提案がしにくいのではと思ったのです。

この点は、「マルタン・マルジェラ」様に通じるところがあります。

早くに引退されてしまったことの陰に、商業主義への失望と本来の自分の取り戻しがあったのではないかと映画「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」で感じた自身の感想です。

今後も好きなファッションを続けていくためには、今までの独自の軸は必ず最後まで持っていてほしい、場合によってはその過程として、商業的な関係を断ち切ることも必要なのだと思いました。

今後も多くの「ケイトコーデ」を拝見したいです、ありがとうございます「ケイトモス」様(^-^)。

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