まえがき
こんにちは。picturesque(ピクチャレスク)です。
このたび、「成熟へのジュエリー:光野桃 著/ジュエリースタイリスト:伊藤岬」を拝読。
かつては「成金」「マダム」よろしく、キラキラのお洋服にギラギラと大ぶりなジュエリーを付けていた人々が見られた時代があり、それが日本のジュエリーの装い方の特徴でもあったらしいのです。
確かにお品1点ずつは豪華で素晴らしいのですが、どこか「浮いた」ものに感じるのはなぜでしょうか。
そこには、「誇示」という意識が根本にあったと分析します。
「◯◯のふりをする」というような本来の自分に蓋をして大きく背伸びをした風習です。
「誇示」は、己とかけ離れたところにイメージを置く姿そのもの。
そんな点が身に着けている人物に対してジュエリーが浮いてしまう根本なのではないかと見ています。
一方、「ジュエリー大国」と呼ばれるイタリアでは、多くの人々が洋服になじむジュエリーの付けこなし方が伝統として受け継がれています。
このような姿は、おしゃれ度の高さだけでは語れない一面があると思います。
「成熟」という観点からは、冒頭の成金的な姿は「未熟」であるとも言えるのではないでしょうか。
ジュエリーが一人の人間にうまく馴染み溶け込んで映る姿が美しい、まずは己をよく知り全面的に受け入れる姿勢がそもそもの始点

「自分らしさ」はどう表現することができるのかを考えてまいります。
自分らしい表現はアウトプットの姿ですが、それ以前に自分についての理解・把握をすることが重要です。
冒頭の大ぶりジュエリーを違和感たっぷりに浮いた感じで付けてしまうのは、そもそも自分らしさに蓋をしている行為、自分を分析していないと言えます。
自分らしいジュエリーは決してそのような大ぶりではなく小さく1粒が煌めくようなアイテムだったかもしれないのです。
ということで、まずは自分分析が第一ということになると思います。
難しいことではありません、日々その時々の瞬間ごとに、自分の行動と共に己の性格を把握するだけで良いのです。
その代わり、良いも悪いも平等に受け入れなければ成り立ちません、悪い部分にも目を背けず素直に受け入れ理解する「正直さ」も必要です。
これが出来なければ、背伸びをしたような不似合いな付け方をこの先もしていくことになってしまうのです。
あとがき
意外にも、技術的なことではなくて、そもそも自分をちゃんと認めてあげるということがカギを握ると思えてなりません。
ここをしっかりと築いていった時に、素敵なコーデが出来上がってゆき、「おしゃれ」に映る結果を得ることに繋がると思うのです。
どうしてもジュエリーを付けることが「良く見せる」ということ1点にとらわれがちなのが現状。
本当はそうではなくて、本当の自分探しの結果自分を見つけた「証」のバッジみたいな姿であるとよいです。
拝読の本のタイトルの「成熟」は、そうした人間としての望ましい姿を説いたものだと解釈します。
ジュエリーがより本当の自分に近い存在になりますように。。と今後を願いながら、ここで筆をおきたいと思います(^-^)。

