2025.08.07:これは「負け犬の遠吠え」なのか。。
今では1事業者に1チャンネルがマストな程の動画投稿サイト「YouTube」。
音声や姿でその人となりまでが伝えられるここ近年の定番発信ツールの1つだ。
YouTubeはたくさんご視聴いただいていたリメイク内容を2019年初夏に40動画程に渡りすべて削除して以来めっきり伸び悩み、その後ずっと停滞気味。。
何をもって停滞と表現したのかは、まさに「登録者数」と「視聴回数」を基準にしたものだ。
ただ、自分の中では過去のどの再生回数の多い動画よりも、ここ近年のスタイルには発展があると思っている。
しかし。。そう思っているのは自分だけなのだ。
どうしても「数値」で評価されるのが悔しくてならない。
いつかの投稿でも触れたことだが、2つの道があると思っている。
事業活動の発信手段である動画ツールの1つとして利用させていただいている。
もう1つは、数値を競い合いまさにユーチューバー街道をまっしぐらに歩むスタイル。
負け犬としては、後者こそ依存体質だと言いたい部分もある。
とはいえ、立派な数字をたたき出すことができるそのパワーは「能力」「成果」でもあるのだ。
これは私に限ったことなのかもしれないが、自分で判断して後で見直しても「よくまとまった」と思える投稿は、確かに独自の発信内容のものが多いが数値はとても低い。
一方、想像を越えた再生回数が得られた動画はどれも自分ではピンと来ないありふれたものなのだ。
この自分の感覚と他の人からの注目の乖離・矛盾は非常に重要な部分なのではないかとずっと考えている。
事業においては、他との差別化や個性が一番大切なはず。
一方YouTubeでは、他と同じ内容やワードこそがAIによって関連付けられたくさん見られることに繋がっているようなのだ。
ビッグユーチューバー様方はこのことをあえて受け入れて、その中でも更に独自の個性を打ち出している点が頭一つ抜けているのだろう。
しかし、あまりに視聴者様のニーズに応え続ける中で、本当に自分がアップしたい内容が投稿できないでいるという悩みを抱えた声もお聞きした。
そう考えたら、自分の投稿したいすべてが投稿できる自由スタイルは縛りが無く「幸せ」な活動であるとも言える。
また、他のライバルを貶めるようなスタイルの「否定」→「正す」という分かり易さで自らのチャンネルへの注目と人集めをする投稿者、その根本にあるのは紛れもない強い我欲ではなかろうか。
これは、堂々と他人の名前を挙げる名誉棄損に触れそうなものから、特定はしないが間違いなくあれこれ他人の投稿を視聴して話題として拾い上げたもの両方が該当する。
これは自分の為に他人を利用しているという姿そのもの、ライバルの力なくしては、その投稿さえできないことにちゃんと気付くべきだ、あるいは自分一人では成し得るなかったことだと認めるべきだ。。と負け犬は思う。
こんなある意味「戦い」の場所でユーチューバーとして永続的に続けられる精神というのも1つの才能・ワザのようなものなのかもしれない。
どうしても、100%ニーズに応えるというスタイルができない、本当に自分が発信したい内容を自由に投稿したい自分が捨てきれない。
これを貫いていることこそがここまでの継続の柱であり、今後も継続できるであろう基盤となっていることは少なくとも自分にとっては間違いないからだ。
確かにたくさん見てもらってこその投稿だが、一番大切な軸を見失ってしまうことだけはどうしてもできないのである。
なぜ、多くのビッグユーチューバーが行き過ぎた行為で法に触れたり今後の継続に行き詰まり破綻することも多いのか。。そこにこの軸のずれを垣間見ることがある。
ここでお伝えしたい伝言は、どうか初めてお立ち寄りいただいた方も、YouTubeの再生回数が多いからきっと内容が面白いのだと判断しないでほしいということ。
少ない回数のものでも眠っている面白さがあるのではないかという視点で見てほしい。
タイトルやサムネ(釣りのない実直なもの)に引き付けられたその直観を大切に投稿を覗いてみてほしい。
少ない回数のニッチな内容・ニッチな投稿こそ、本当の投稿者らしさ溢れるものだという矛盾がまだめくられていないと考えるからだ。
まだまだ埋もれているかのような投稿も、いつか見てもらえる日が来るのだろうか。
そんなわずかな望みをかけて恥ずかしげもなく少ない回数の投稿を今でも大切に「手直し」したブログ記事と共に残しているのである(^-^)。